2012年3月14日水曜日

クーリエ2012年度4月号(89号)の「ヨーロッパ式”断捨離”のススメ」について

この手の話題を見ると、脱成長! って叫ぶ人は哲学の徒か学生か中サラした人だと思っていたが、経済学者も普通に叫んでたんだね。

 この記事は前半がイタリアの雑誌(レスプレッソ)の脱成長を説く記事。イタリア発の経済成長に失敗したから清く正しく生きよう(=みんな俺達と同じ生活水準になれ)の思想をフランスの経済学者セルジュ・ラトゥーシュの言葉を引用して語っていた。後半はタイトル通りヨーロッパ式断捨離という古代ギリシャ的な優雅な生活のリポート。アメリカやイギリスに住むダンシャラー(今作った)たちの生活や思想に密着していた。
 まあ、前半の「成長率0でも大丈夫! 俺達には技術があるんだぜ?(ちなみに技術と量産のためにはお金、つまり経済成長が結局必要ということは話していない) 発展途上国? 見捨てるがよろし」の経済学者セルジュさんはどうでも良いとして、後半のは印象に残ったために少し考えた。
 後半のベトナムから来た二世学生(ジェシカ・ダン)などの主張は日本でも聞かれるものだ。個人的には、物を捨てるってのは仏教や道教に由来すると思い込んでたので、ヨーロッパでも見られることに驚いた。
 彼らのようなスタイルは日本でもケチケチとかそんな話題で2chで見たことある。彼らの主張の一部は共感できるのだが、果たして社会全体にまで広げられるのか疑問を感じた。さらには手段と目的が摩り替わってるとも思えた。大部分の市民にとってはケチケチとか物を持たないのは余分な出費を減らすためだったり部屋のスペースを空けるためなのだから(彼らの名誉のために書くと断捨離を極端に行う人はそれを目的とする節があるので彼らの中では目的そのものなのだろう。でも僕みたいな一般市民には捨てるのは手段であるという意味だ)。
 さらに、物を持たないという魅力的な謳い文句に比べて実際のケチケチしてる人の生活が精神的な貧しさを抱えている気がした。
 実際問題、クーリエの記事で紹介された人もパソコンがあるから物質的なものがなくても問題ないと言い切っていた。そしてLPを集めている記者に対して、置き場がないならコピーしてHDDに落とせば良いのに、とまでのたまった。え、それって結局は何がしかのモノを集めてるってことだよね? 長い目で見るとHDDがどんどん溜まってくるってことじゃない? もしくは……ネットに違法アップされてる動画とかを見るから手元にモノがなくても良いとか。
 さらにジェシカ・ダンが英語を教えるという名目で(恐らく発展途上の)外国へ向かい、それを断捨離みたいな綺麗な言葉で飾ってたのは脱成長や断捨離とかは贅沢病ってことを端的に示していた。恐らく彼女自身はアメリカ国籍を有していると思われるが、それに胡座をかきすぎだ。彼女はどんな目にあっても、最終的にはアメリカという力を背景に持っている。彼女が英語を教えている現地の人々と致命的に違う点だ。それはかつてベトナムにいた彼女の両親が求めていたものであり、彼女の教え子たちが求めているものでもある。ジェシカが物質的な充実は無意味と呟くごとに、その充実を切実に求める人達を一切考えていないことを表している。要は断捨離を叫ぶ人たちってのはものは試しとプチ貧乏生活を楽しんでいるのでは? と僕は考えているのだ。

 で、終盤の記事は自分に必要なもの100選。断捨離的なイデオロギーとは無縁だからカメラマンならカメラ数台みたいなことになっている。この文章って意味あるの? 無人島に持っていく1冊の本レベルの駄目な記事だと思う。とは言え、昔だったら本とか万年筆と手帳みたいな趣味枠だったはずの所にノートPCが入ったりするのが面白い。
 ミニマリズムは僕も憧れる。身一つで旅行したり生活用具を減らして生活したり。でもこれってあくまでもノマドに対する憧れでしかないんだよね。現実のノマドであるジプシーは、僕は留学先のヨーロッパ近郊で見たことあるけど、優雅とはとても思えない生活だった。でっかいキャンピングカーが家そのもので、洗濯物を干すための用具を組み立てている途中を見たのだが、自由やら清貧やら無邪気という言葉からはかけ離れていた。調べたらジプシーの子供は満足に教育を受けられずジプシーになるしかないらしい。現実はのうのうと暮らしてる僕が想像するような牧歌的さとはかけ離れていた。彼らはそこから脱出する選択肢がないのだから。
 クーリエの記事に出てた学生らも所詮はそう。彼らは生活に必要なかさばるものを全て外部のサービスでまかなっている。都会でしか生活できないが。
 でも僕達も彼らのような移動民を日常的に見聞きしている。ネットカフェ難民だ。……ヨーロッパ式”断捨離”だの偉そうなこと言ってるけど、
貧困に対する社会の対応の現われなんだろうな。
 
 色々と書いてしまったが、この記事の一番の見所はセルジュさんを嫌いそうな山形浩生氏が同じ雑誌で連載を持っていることだ。