2012年11月4日日曜日

雑記


†機械は痛みを感じない話
 最近思うことがあって、痛みとはなんだろうと考えている。僕達には他人の痛みなんぞ本当の意味ではわからないよな、と当たり前のことを実感する機会があったのだ。
 感覚とか動作とかが電気信号の結果というのならば機械にプログラミングさせて「イタイ」と言わせても痛みは感じるだろう。「ぼく」の意識は自分が痛みの電気信号を受け取ったことを知っている。しかし他の人はどうなのか知らない。いや、この刺激が「痛み」であるというのは学習の結果なのだろうか。「痛み」はまっさらに育った人間にはどのように感じるのだろう。
 つまり、コンピュータにプログラミングすると痛さの信号が彼らにとってはリアルに感じるだろう。機械が「イタイ」としか言わないのはプログラムのバリエーションが少ないからだ。人工知能のプログラムのように「痛さ」を避けるようインプットして身の回りのどれが「痛い」かを教えこめば、その機械は痛みを遠ざける努力をしだすだろう。それは痛みを感じるからではないか。そう、その反応こそが彼が感情を有している証拠にならないか。っと考えたが、どこかの脳科学の本にすでに出ていそうな話題であった。

†文藝春秋
 旧聞の域に入るが、石原慎太郎氏が国政に出るらしい。文藝春秋のマスメディアとしての機能が停止するだろう。何せ、政治家である彼を延々と文学賞の選考員とし、石原氏に表現の問題に口を出させる機会を与え続けてたのだから。東京で表現規制が盛んに行われたのと東京都知事という規制者である石原氏に文学の権威というお墨付きを受けていたのは無関係ではないと個人的に考えている(いや、マスメディアが純粋に彼らの意思で方向性が同じである政治家を応援するのは悪いことではないんだけど、あからさまに利便を与えるのは反対。特に石原氏の芥川賞選考委員という立場は日本の国においては政治家として極めて大きな利益があったと思う)。