2016年3月21日月曜日

「学校の怪談」シリーズ(平山秀幸監督、東宝、1995~1999)

 ホラーは苦手だ。怪談とか少し怖い話は好きだけど、ホラーと呼ばれるジャンルの、特に映画はダメ。ホラー映画は半分スプラッターとかびっくり箱みたいな刺激ありきの映画になっている気がする。
 変な言い方だけど牧歌的なホラーはないのだろうか。

 そう思って考えていたところ、「学校の怪談」シリーズが思い浮かんだ。
 今はもう十分に古い作品になっているこのシリーズ。ターミネーターがリブートされジュラシックパークシリーズとスターウォーズシリーズの最新作が作られまだまだ恐怖の大王が来ていない2015年(今は2016年になってしまったが)から見た感想はどうだろうか。


 単なる子供だましかと思っていたがそんなレベルの低いものではない。もちろんCGや特撮は時代なりに苦笑する部分はあるが、ストーリーなどは一級品。また放送したらきっと大人たちから人気がでるぞ。
 今ではもう雰囲気でしかわからない田舎や下町の学校。スマホもゲーム機も持ってない子供たち。そう、彼らはかつての僕らなのだ。人がいなくなった後で何かが出そうな暗い教室。一晩だけの冒険。大人がこういう遊びをしてみたかったと感じる要素を詰め込んだ作品だ。近年のレトロブームに合致しているんじゃないか。この作品こそ当時の精神で続編でも作ってみれば良いのではないか
 「一夏一晩の冒険」的な子供たちの成長や出会いと別れ、何よりも冒険が終わった後はみんな冒険についてサラッと流しており、怖かった学校が夢のよう。昔観た時は普通の映画だと思っていたけれど今の僕には泣けてしまう。涙腺がゆるくなったのかな。

 怖さは全体的にあまりない。数人でワーワー叫びながら観ると雰囲気が出て怖くなるかな。シーンによっては明らかにミニチュアだったり(学校の怪談2の二宮金次郎を俯瞰で眺めるシーンとか)模型だったり(図工室の粘土像はもう少し頑張って欲しかった……)するのがわかるので恐怖映像として期待しないほうが良い。人気のいない学校を冒険する雰囲気を味わうには最適だろう。観ている人たちそれぞれの怖かった冒険を思い返すと面白さが倍増

・学校の怪談
 流石に1作目だけあって、コンセプト的には最もバランスが取れていると思う。学校を舞台に子供たちが仲良くなり、頼りない先生が成長し、そして十分に怖い。怪異の解決もスマートで、いわゆる「学校の怪談」的な妖怪がたくさん出ており、妖怪博覧としても価値がある。思ったより熊髭先生は怖い。

・学校の怪談2
 コメディ寄りのシーンが多くなった。前作に比べて怪異の原因が不明なので消化不良の感覚がある。ここだけの話、キャラかぶりが多かった印象が……。

・学校の怪談3
 前2作では「本来いるべきいない人」と共に冒険をし、その出会いと別れが印象的だったのだが、今作では消えてしまった。そして一時的とはいえ学校の外に出てしまうので逃げ場のない空間を走り回る怖さも薄い。再婚と新たな家族の連帯という人間関係が非常に見どころであった

・学校の怪談4
 怪談とはいえキャラクター性のある妖怪が多かった前3作に対し、今作はストーリーテリングだけでの怖さを掻き立てる。今作は昼間に起こる怪異のシーンが多く、また学校が舞台になるのは終盤で、しかも登場人物(この作品はなんと人間サイドで冒険するのが1人だけになってしまった!)から怪異を認識され冒険してるので雰囲気が最も異色。上で第2作・第3作の不満めいたことを書いたが、ホラーという性質上第1作目の縮小再生産を続けても仕方がないため、色々差異化する試みは正解と思った。
 今までの学校の怪談シリーズとは雰囲気が異なるが、ストーリーはしっかりしており、見応えがある。特に海に沈んだ学校を探索するシーンは何かが出てきそうで、でもあからさま過ぎて何も出てこない気がする絶妙なバランスだった(何が出てきて、また出なかったかは映画を見てのお楽しみ)。

 シリーズ通して見たが、何とも牧歌的! 数年後に「リング」が公開され、ジャパニーズホラーブームとなるが、ジャパニーズホラーが確立される前の怪談・怖い話の雰囲気が存分に味わえる。

2016年3月18日金曜日

「帰ってきたヒトラー」(ティムール・ヴェルメシュ、河出書房新社、2014)

 なかなかブラックだと聞いていたが、噂に違わぬ内容だった。
 「ヒトラーが現代に蘇った」らこんな事態になってしまうとは。

 この作品の肝は現代のネオナチを批判しているわけではないことだ。むしろ、もしも1933~45年当時のヒトラーが蘇ったら、当然現代はナチスもヒトラーもドイツでは規制されているが、果たしてヒトラーの思考そのものは規制されるのか、というテーマが主題である。現代に展開された彼の思想をドイツ市民は受け入れる余地があるのではないかとおだやかに批判している。

 読者はこの本を読み始めると、ヒトラーがあまりにも人間的に描写されすぎており驚く。ヒトラーの一人称で書かれているが、彼の思考はまさしく我々が知るナチスのもの。キオスクのトルコ人に助けられ、後ほど恩を返すヒトラー。地の文でユダヤ人を悪し様に罵るが、ユダヤ人に価値を一切認めていないためか人前では口にするのも汚らわしそうにユダヤ人ネタを切り捨てるヒトラー(物語中でも切り捨てることが結果的にブービートラップを回避し、大衆の支持を得るシーンは圧巻だ)。愛国心に溢れているせいでネオナチを愛国者でないと宣言し、逆にネオナチの襲撃を受けるヒトラー(どこの国でも、日本でも、戦前の伝統的価値感をそのまま現代に蘇らせようとして愛国とはズレていく様が皮肉られている)。行動自体は多少血の気の多い庶民的な正義感を持つオヤジそのもの
 だが彼は確かにヒトラー。彼の語る内容全てはナチズム(というよりヒトラーの思想そのもの)に浸されている。四六時中ナチズムを語り、周囲の人はそれを「芸」と認識する様は今でこそトランプ旋風みたいな形で具体的なイメージとなったが当時ここまで想像していたとは。差別も突き抜け、そして批判を恐れず繰り返し差別すれば、勝手に理解してくれて行動に制限が付かなくなるということか。この小説内ではもちろんヒトラーは本気でナチズムを信じているので、批判に負けず、結果として論争相手すら魅了してしまう。秘書のユダヤ人女性をも説得出来るヒトラーは変な感じだが痛快であった。そして、恐らく、当時のヒトラーもこのように人間的な魅力に溢れ、普通の人は説得されてしまうのだろうと怖くなる。

 ラストシーンのあの文章。ネットの感想では怖いという印象を持った人がいるらしい。確かに怖い。原題の「Er ist wieder da (彼が帰ってきた)が匂わせる恐怖を最もよく表している。「帰ってきたヒトラー」というタイトルは内容がわかる良いものだが、この何かわからない恐怖をあおるラストシーンのためにあえて「彼が帰ってきた」とぼかすのも良かったかも。
 話を戻すと、あの文章が恐ろしいのは、ヒトラーのようなものが再来した時、果たして対抗できる人はどのくらいいるのだろうかと想像してしまえるからだ。最近再放送のあった映像の世紀を見ればわかるが、ヒトラー台頭時、アメリカですらイギリスすらも賛同する人がいた。フランスは占領時にナチスに協力した人がいた。イタリアと日本は知っての通り。もちろんこの批判は今の視点から断罪したものだ。当時はわからなかった。そのとおり。だから、ヒトラーに似たものがやってきた時、渦中にいる人々は判断できないだろうと容易に想像してしまえる。その恐怖が、あの1文に繋がるのだろう。

 なお、各章のサブタイトルは笑える。小説は読み進めるごとに笑いが引きつるが、サブタイトルは脳天気に笑えて良いガス抜きだった。
 また、映画化され、2015年に公開されたようで、早く日本で放送して欲しい。


 日本公開が決まったんだって。

2016年3月15日火曜日

イブニクル(アリスソフト、2015)

 普通のRPG。ランスクエスト形式という紹介があったが、ランクエとは全く異なる。スキルの使用回数制限のないランクエはランクエじゃない。それはランクエの形式が大量のキャラを処理する仕様上、行動に制限を設ける必要があったのに対し、イブニクルは最後までレギュラー戦闘キャラ5人であったという差。だから本当に普通のRPGであり、旅行気分を味わえるRPGとして最適である。
 ゲームバランスは非常に優しく、TADA部長がマニュアルに書いているようにゲームを進める上でプレイヤーに不都合はかけない感じ。僕はレベルを上げまくるプレイスタイルだからかなり難易度が低く感じたけど、たぶんタイムアタックでもしない限りは心地よい難しさであろう。
 スキルの種類がこれまた絶妙。レベルを限界(100だったっけ)にしても欲しいスキルが全ては得られない。道中とボスと、後は各大怪獣とでスキルを変えなければ進めないという。この選択のジレンマがバランスが良いと思う。

 ストーリー的にはもう王道のエロRPGである。アリスソフト的にはランスシリーズ終了後のルドラサウム亜種世界を作れるようにしたのが大きいかも。ランスの世界観に頼らないルドラサウムワールドって今までもそこまでなかったので、ぜひとも今後も作って欲しい。

 最後にキャラ性能。
主人公:最初から最後まで一線級のキャラ。アリスソフトの仕様上、魔法は後回しで良い。
ラミアス:ガードとピヨりに全てをかける人。もう少し攻撃性能を高くして、スキル次第でガードとファイターを選べる使用にしたほうが楽しかった。
リッシュ:ハニー以外に魔法を放り投げる。このゲームは回復性能がゴミなのでひたすら攻撃で十分。スキル次第で物理攻撃もできるけどゴミ。
グリグラ:ひたすらサブステータスを上げていた。高めの連続攻撃、回避、命中があるので、必殺と衝撃も上げたほうが得かなーと。3回連続攻撃が発動し、クリティカルになってピヨって毒が入ったら楽しい。個人的には主人公を超える性能であった。暗殺を捨ててひたすら左右パンチを繰り出すのは爽快。。
キャス:怒りを解いたり溜めを解いたり……。軍師タイプなんだけど、攻撃もそこそこあるから大忙しであった。戦闘開始時にバフが付くパッシブスキルにはお世話になりました。

 正直、戦闘も楽しかったので、やりこみとか欲しかった。グナガンって出てこないんだったっけ。
 何よりも旅をしている気分になるのが良い。できたら各地で特産品など地方の特色を活かしたアイテムとかが欲しかったが、欲張り過ぎか。

ヘイトフルエイト(クエンティン・タランティーノ監督、ア・バンド・アパート、2016)

 ミステリー……なのか、これ? 鑑賞中は昔のアメリカ合衆国の黒人差別と南北憎悪に関する社会派映画だと思っていた。あの密室殺人のトリックはミステリーとして宣伝しないほうが良いと思う。アレを見た瞬間、手元にギターがあったら壁にぶつけて壊してたぞ。

 それはともかく、この映画は挑戦的だと思った。舞台が南北戦争直後ではあるものの、「ニガー」という言葉が連呼されている。言うまでもないが、この言葉は侮蔑語であり、アメリカ内ではたとえ歴史を舞台にしていても極力使わないと思っていたため、驚いた。このという言葉が「ヘイトフル」という内容を象徴的に表している。
 登場人物は南北戦争にゆかりがあるものが多い。敵として相まみえた白人老将軍と黒人少佐(うろ覚えだが、少佐で良かったはず)。白人老将軍を尊敬し黒人差別を隠そうとしない南軍のギャング団の息子で保安官を自称する男。黒人に差別意識を根底で持っているものの、黒人少佐がリンカーンと友達だから信頼する賞金稼ぎ。その賞金稼ぎに捕らえられた南軍サイドの凶悪犯である白人女。舞台となる雪山のロッジを預かる男はメキシコ系で、黒人から蔑まれる。差別感情を表に出さず中立でいようとする弁の立つ怪しい英国人は死刑執行人。この英国人は発音がイギリス流だから余計に胡散臭さが際立っていた。その他、自称カウボーイと黒人少佐と賞金稼ぎをロッジに連れてきた御者もいる。
 この9人が孤立したロッジに閉じ込められ、天候が落ち着くまで待つというのがストーリーだ。
 登場人物は平然と互いへの敵意と侮蔑を口に出す。全員銃を携帯しているという状況で、だ。彼らの身分は全て自分たちが申告しているに過ぎない。結果として、時が経つにつれ連帯はなくなり疑心が育つ。
 物語の山場は共同のコーヒーポットに何者かが毒を入れた時。毒を入れた瞬間を凶悪犯の白人女が見ており、そして賞金稼ぎと御者が死に、保安官は間一髪で逃れる。誰が毒を入れたのか。ついに銃が放たれるのか。ここからの展開は始めに書いたようにミステリーとしてはトンデモな展開もあるけど、最もスリリングなシーンである。

 この作品で面白かったのは主人公である黒人少佐をめぐる視点。当初は知り合いでかつリンカーンの友人だと聞かされていたため賞金稼ぎから信頼されていたが、リンカーンの友人は嘘だと自ら宣言したことで協力体制は破綻。次に南軍老将軍と穏やかに話すのだが、当初は全てを水に流したかと思いきや、老将軍を激昂させて返り討ちにする。最後は、当初差別をしていた白人保安官と黒人少佐が共に命をかけて敵を倒す。映画としては明らかに黒人少佐を主人公として作っており、しかし優等生な良い奴とは描かれていない。いざとなったら無意味に人を傷つけ知恵でもって舞台である南北戦争後の時代を生き抜く。なぜか現代っぽさを感じてしまったこの世界だが、たぶん現代的な問題点を交えているのだろう。
 この映画からわかるのは、どんなに敵対していても(保安官と黒人少佐)、それを上回る危機さえあれば協力できるということ。逆に言えば危機がなければ、アメリカ内の対立は乗り越えられないと示唆しているのだろうか。深読みできる映画である。
 それにしても雪山をバックに登場人物が睨みつけるポスターは素晴らしい。この映画で一番優れた絵だと思う。

オデッセイ(リドリー・スコット監督、スコット・フリー・プロダクションズ、2016)

 確かに火星版鉄腕ダッシュだった。無人の地に残されてのサバイバル。そこらにある材料で作物を作ったり、通信機を作成したり。
 どうでも良いことだが、じゃがいもは芽が出る状態で火星まで持っていくのか。調理の手間とかかかるんじゃない?
 いわゆるサバイバルものとしてもしかして主人公が死ぬんじゃないかと思いながら見れたし、問題が起こっても科学で解決する姿は格好良かった。いわゆるPDCAのサイクルが実際に描かれており、こうやるのかと感心した。それにしても主人公の楽観性はすごい。

 ただ、ハラハラドキドキの連続だった序盤に比べ、火星と地球の通信が確立してからは消化試合気味であった。中だるみしないように中盤で農場破壊シーンが出るが、それでも地球側の叡智を集めれば何とかなる的な雰囲気があって、序盤の緊張感が薄れていた(事実、中盤以降は描くトピックもないのか、「◯◯日後」的表現が続発する)。RPGでもそうだけど、情報やデータが限られた序盤が一番の難関っていうのはこの手の映画でも当てはまることなんだな。

 気になったこと。火星では大気圧が低いはずなのだが、風の表現は地球と変わらないっぽい。