Tellurは、……現在色々物色中です。

「タボリンの鱗」(ルーシャス・シェパード 著、内田 昌之 訳、竹書房、2019)

2020年1月26日  2020年1月26日 
1作目の感想文


 1作目は傑作だった。ファンタジーとしての異物感とそれを支える日常のリアルさ。作品のジャンルも伝記もの、冒険もの、ミステリー、ファンタジーと幅広く読み応えがあった。
 このシリーズはグリオールと呼ばれる山のように巨大な竜がある土地に封じられ、いつしか人間が街を作り、そしてあまりにも巨大なのでグリオールも土地として扱われ、でも実はグリオールは魔法のような力で周囲の人間の思考に干渉していた、というそんなグリオールの周囲でみみっちく生きる人間どもを描いた作品である。前作の短編集ではグリオールも単なる巨大な竜として、ダンジョンのように生き物を棲まわせる生きる洞窟として、神のように周囲の生き物を操る存在として、色々な側面を描かれてそして死んでいった。グリオールを殺すには殺意を感じさせてはならず、そのためには有害物質の入った絵の具を用いてひたすらグリオールの身体に絵を描くというものは幻想的で、グリオールシリーズの最高傑作だったと思う。そして読者はグリオールが死んでからの出来事も見たいと思ったりもし、ついにそれが叶ったのだ。

 グリオールシリーズ続編の本作は、「グリオールがあまりにも大きすぎて生きているかわからない&周囲の人間を操ることすらできる&そもそも現実めいたリアル世界でグリオールだけが不思議な力を使える」という設定が枷になった感がある。前作の感想文では実在する神様をやりたかったのだろうと書いたが、その「神様」があまりにも俗っぽくすぐに人間に干渉しすぎで何か異常な事態が起こっても読者は「どうせグリオールが絡んでいるのだろう、登場人物(主人公含む)には解決できないのだろう」という諦めに似た気持ちで読んでしまう。事実、物語の結末に至っても読者が疑問に思うであろうことへの回答を用意せずに終わるやり方は、著者もグリオールを持て余してるんじゃなかろうかと邪推してしまう。そんな感想を読んでて思った。
 表題作「タボリンの鱗」は結末以外グリオールシリーズを舞台にする必要性がない。時間の移動という奇妙な出来事が起こっても登場人物にも読者にもその理由や意味などわからず、ひらすら「漂流教室」(楳図かずお 作)めいた描写が行われ、それで派手な結末に至る。登場人物はどこか厭世的で100%の無視でもないけど80%の好意でもない絶妙でリアルなディスコミュニケーションが描かれ、精神的にも描写的にも粗暴さが強調される。グリオールは人間を操ったりするくらいには悪い意味での人間っぽさがあるんだけど、肝心要の部分で人間を超越した側面が強調され、結局主人公たちが召喚された理由が描かれない。グリオールのそういう設定について著者が都合の良いように使いすぎてないかと訝しんでしまう作品であった。
 で、その感想は長編「スカル」でさらにはっきりとする。架空とは言えかなり現実を参考にしたであろう中米(南米?)の国の生々しい描写とこれまた妙にリアリティのあるその国を見下しながらも故郷のアメリカでは生きていけずウダウダ中米を旅する主人公の男の冒険について、グリオールの頭蓋骨を崇めるカルト教団の教祖である少女のわずかな不思議さと浮世離れっぷりが見どころになっていた今作が、終盤にグリオールがでしゃばって一気に卑小なものになってしまった。グリオールは冒頭の頭蓋骨だけにして、全ては偶然かそれともグリオールとは別の不思議な力があったのかはたまた実はグリオールに絡んでいたのか、読者の想像にお任せします的なラストの方が面白かったと思う。上にも書いたように人間を超越した力を持って、人間のことを理解しているかのように操るグリオールが、3歳児レベルの知性(俗説によると犬や猫の知性って3歳児なみって言うよね)しか持ってないのは僕からすると理解しがたいものがある。ラストでグリオールが憑依した人間は殺されるんだけど、グリオールが周囲の人間を操れることを知っているとどこまで真面目に読めば良いのかわからないのがグリオールの設定上の欠点となってしまったと思う。現実性の高い暴力や混乱が上にも書いたとおりイマイチ著者の覚悟も決まってなさそうなフィクションでしかないグリオールのダシに使われたことが僕の嫌悪感となっていることは否定できない。

 それとは別に、今短編集の特徴は、特に「スカル」で顕著なんだけど、主人公の男が2人ともなんか鬱屈したものを抱えていること。「タボリンの鱗」はまだ良いのだが、「スカル」はもう刺激のない日常で生きられなくなった人間が発展途上国に行ったり、カルトに肩入れしたり、そんな発展途上国の暴力性に遭遇したり、わざわざそんな国の有力者の奥さんと不倫してドラッグまでもらったりとズルズル深い刺激にはまっていく様を見せつけられる。結局は発展途上国の野生あふれる若い女性に溺れるだけだし。ただまあこの主人公って上でも書いたとおり聖人という描写とは程遠い人間なので同情もできないし、でもそうかと言って破滅されても何らかの爽快感があるわけでもないし、読者からするとどうせグリオールが絡んでくるわけで、死の美学があるわけではなくて非常に中途半端という印象を受けた。

 本作の2つの短編はどちらも雰囲気が楽しめる人にはたまらない作品だと思う。「リアル」な人間造形と、特に「スカル」は舞台も非常にリアルな中、グリオールが不気味にうごめく。僕もそういう雰囲気はわかるんだけど、逆にグリオールのご都合主義さが際立ってしまいなんだかなーと思ってしまう面もある。
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