Tellurは、……現在色々物色中です。

アニメ「映像研には手を出すな!」(大童澄瞳、サイエンスSARU、2020)

2020年3月31日  2020年3月31日 
 この作品、マンガの内容は一切知らなかったが、アニメーションを動かす楽しさだとか設定厨と呼ばれる人たちのこだわりの面白さだとかが事前の広告で強調されており、見ようと思ったのだった。あらすじを聞いた限りでは学校の部活モノ・女子高生3人主人公とストーリー部分はありきたりだと思ってたし。しかしどうもアニメーションが面白い、いやアニメーションを見よ、といった声が聞こえておりそれで興味を持ったのだ。

 作中の妄想ゲーム、僕もやったことある! というか現在進行系でやっている……。だから設定の断片と共に水彩風のアニメーションが自由に動く作中内アニメは非常に魅力的で、むしろこの数々の短編アニメーションだけオムニバス方式で作品にしてくれれば満足したと思う。
 絵柄のせいもあるかもしれないが、微妙にレトロな時代描写とこれまたどうにもこうにも古めかしく見える最先端であるはずのガジェット、それらとは正反対の新たな〇〇パンクのジャンルを切り開きそうな田舎と地方都市とわずかな工業化が混ざった学校及び都市。素敵である。主人公の1人がいわゆる「設定厨」なんだけど、まさに劇中の学校の描写をわざと設定満載にして見せている感じ。なかなか面白い。そして作中のアニメーションもしっかりとした色だったり、お芝居の動きを付けていないからこそ美しく感じた。放送が始まってから主人公たちが作るアニメーションの素晴らしさを解説した記事をいくつも読んで、放送を見返して動きの面白さに魅了されていたのだ。
 ただ、劇中アニメが相対的に最高傑作に見えるのは作品内の現実と主人公たちが致命的な欠点を持っているからで、作品としての本作はちょっとその欠点が大きすぎるため手放しで絶賛はできないのだが……。

 この作品というかストーリーパートにおける問題点は中盤くらいから見えていた3点がある。1つ目に、第10話あたりで明言されたように映像研は悪い意味でのお金儲けを行っていないか? ということ。2つ目に、作品の質でなく部員であるモデルの知名度を広告に利用しすぎてないか? ということ。そして3つ目、これがかなり問題だと思うんだけど、そもそも主人公たちを待ち受ける困難がアニメの質や制作スケジュールではなく周りの人々の無理解であるのはこの作品のテーマからズレたものであり、さらにその解決が不完全であり人々を敵と味方に選別するものでしかない、ということ。以下それぞれ説明する。
 1つ目である映像研のお金儲けは、学校から部費も道具も調達して、それでやることが作品の質を高めるためとは言え営利目的なのだから、そりゃ教師も怒るよね。高校生の身分じゃこの問題に反論できないので、作中ではわざと教師の頭を悪く描かれていたけど、そもそも映像研自体第1話で既存の部とバッティングしてると言われながら苦労して部を作っているだけに、学校の名前やら資金道具その他を使って(11話だったと思うけど、強制的に部室を締め出されて活動ができないと主人公たちが嘆いてた)私財を増やすのは他の学生の機会を阻害してることになるわけで不適切と言われたら反論できない。仮に映像研の彼女ら以外に、例えばクレイアニメとか作りたくて、でも映像研や既存のアニ研があるからダメと言われてたような学生がいたら、映像研はお手本のような悪役なわけだ。この作品じゃ部活動というのはゼロサムゲームであることが示唆されているので余計に映像研が特権を持つと他の部は不利益を被る構図になってしまう。
 大昔の作品だったら、学校が学生の活動を認めないのは良くないこととして全生徒が連帯して抗議したりするような展開になったかもしれないけど……。

 2つ目のモデルを広告塔に使うことの是非は言わずもがなというか、アニメーションの面白さをテーマとして強調するこの作品で内容より宣伝方法が大事と言い切るのは「リアル」ではあるけどグロテスクすぎだと思う。映像研の面々も高校生の頃からこんな小技を覚えちゃだめでしょう。彼女らも、モデルを最大限に利用した結果が町内会をまとめるレベルにしかならない(それはそれですごいことだけど)ので伸びしろがあまりない気がする。それはともかく、モデルを広告に使ってよいなら、握手会やサイン会やバスツアーを開きまくってマネタイズすれば苦労しないのに、と思う(作品自体のジャンルがラブライブ!になってしまうか)。ただ、散々マネタイズの苦労を語っておきながら、あくまでも制作費を多少稼ぎたいレベルの話で、どんな質と上映時間の作品のためにいくら必要なのか具体例が全然出てこないので本当にマネタイズが必要なのか疑問に思ってしまう。実際のアニメ制作も制作費の問題はあるらしいので作品のテーマと合致するかもしれなかったのだが、シナリオでリンクさせることができなかったのが欠点(というかお金稼ぎを追求する理由として過去の体験談を持ってくるのは、チープ過ぎるのでやめた方が良かった)。この作品はプロデューサー業の苦労も描いているのが売りだと思うので、それなら本物の「資金集め業務」を見せてくれればそれはそれで骨太の作品になっただろうに。

 3つ目のドラマ上の主人公たちを待ち受ける試練というのが周囲の圧力でしかないというのは近年のオタクの自己認識問題とも絡んだ問題である。11話付近で、アニメを作る上の課題が資金やら時間やら人手ではなく世界観的なモノで、さらに生徒会や教師などからの弾圧(教師の言い分には十分な説得力がある)であることが判明し、そんな頭の固い生徒会やら教師やらをどうやって説得し、同人即売会でDVDを売るか、という構図が明らかになる。この時点でアニメーション制作の面白さが一切出てこないのに疑問を感じるが、それはともかく、特徴的なのが主人公らを取り巻く状況。前述の生徒会や教師は明確に「敵」として描写され、生徒会はギャグ的な描写とはいえ機動隊めいた組織に命じ暴力でもって主人公たちの活動を止めようとする。それに対し主人公たちの「味方」として描写される人々は、何の見返りも求めず応援してくれる地域の皆様だったり高校生の営利活動を面白いと煽る事情をわかってない評論から赤の他人だったり(一般市民の描写は主人公たちを全肯定するモブとしか描かれてない)。そういえば、主人公たちの1人であるモデルの子だって、アニメーターになる夢を家族が反対していると散々「敵」対視しておきながら、彼らが勝手に理解してくれると即完全無欠の「味方」という描写になる(リアルタイムで見ててもうちょっと家庭内で会話持った方が良いのでは……と拍子抜けした)。
 話を戻すと、主人公たちの行動は一切の非なく完璧でそれに文句をつけるのは「敵」だと演出するヤバい描写や、「敵」扱いの生徒会や教師に対してよりにもよって相互理解が大切だと言ってのける会話の通じなさは見ていて異様だと思ったのだ。上述したように主人公たちが部活動のためとは言え学校の財産で私益を増やそうとしているわけで(それもモデルの子の知名度という部活動とは関係のない技を使ってまで)、また主人公たちは絶対に同人即売会での販売を取りやめないわけで、その状況で「相互理解」って敵を言い負かすことを単に言い換えてるだけじゃん。この一連の描写って近年のオタク的「自分たちを批判するのは敵だ」という話の通じなさが現れていると思う。

 作中内アニメーションやその設定は面白かった。非常に面白かった。ただ……という部分が僕にとっては大きかった。
 悪い意味で今風だし、悪い意味で現実主義だし、悪い意味で知恵だけを持っている主人公共だし、それでいて悪い意味でフィクションな展開があるし、でも映像研の作る作品だけは欠点を一切指摘されず褒められまくるという「そういうタイプ」の作品。最強主人公系のジャンルをファンタジーとか格闘モノとかではなくリアルな学校活動に落とし込むとこうなるのかとわかった。舞台がファンタジーだったならともかく、現実に近い世界観で主人公たちに感情移入すればするほどご都合主義が鼻につき気持ち悪い。
 真面目な話をすると、そこそこリアルな作風の割には僕みたいに悪い部分を見つけてネチネチ言う悪意が存在せず、「敵」はあれど作品に対する批評ではなく、そして主人公たちが作る作品そのものは手放しで褒められたり感心されたりするのはぬるま湯だと思いました。クリエイター及び販売側の夢と希望だけが込められ受け手のことはあまり見てない作品。
 まだ続きがありそうな作りだけど、アニメーションの楽しさを見るだけならYou Tubeで検索したほうが良いと感じた。
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