2008年5月11日日曜日

"Otaku" had already been dead.(岡田斗司夫氏感想文)

 タイトルの英文が合っているかわかりませんが……巷で今、流行になっているはずの本の感想でもしましょうかね。

 あ、みんな結構、書いていますね(e.g.伊藤剛さんとかこの人とかkaienさんとか)。それよりも結構な人が岡田斗司夫氏に対して批判的とは……。彼ってそこまでオタク(今、岡田斗司夫氏に批判している人たちはオタクなんでしょうかね。それともオタク論が好きなだけの非オタクなのでしょうか)から恨まれるようなことをしでかしたっけ?
 私事ですが、僕も自分がオタクである自意識を持っていたときは(大学生初期ですね)、岡田斗司夫氏のことが嫌いだったのですよ。東浩紀先生最高だとか、まあそっちの方向に走っていて。で、大学生の間に色々あってエロゲーをプレイするのを止めてしまい、オタクである自意識を持てなくなったのですが、それと同時に岡田斗司夫氏のことを普通に見られるようになりました。
 ゆえに岡田斗司夫氏のことを嫌いな人たちの気持ちがわからなくもないですが、でも結構嫌いな人多すぎますよね。僕が嫌いだった理由は、乱暴な言い方をすれば岡田斗司夫氏は第1世代オタクだから第3世代の気持ちを代弁していない、ということに尽きます。でも他の人たちがまさかそんな理由で岡田斗司夫氏を嫌ってるわけでもないし……。

 簡単に調べた結果、岡田斗司夫氏が嫌われている理由は伊藤剛氏が公平に書いているかもしれません。要は岡田斗司夫氏や唐沢俊一氏、大塚英志氏は自らが勝手に定義した「おたく」共同体の中から出ずに他の人々を攻撃している、みたいな件ですね。もしくは結構な数の人が岡田斗司夫氏を嫌いな理由に挙げていたのが、氏は偽悪的でありわざと自分を叩かせている云々。個人的には岡田斗司夫氏を叩いても、彼にとっては想定の範囲内というか、「何言われても、『ああ、若いものは反抗するんだから』とか『ああ、いまが一番いいと思うな』とか、巨視的、上から見た視点で反論されてしまって」(p.126)いるだけの気がします。正直、岡田斗司夫氏に対してオタクを辞めても老後つまらんだけだとか、お茶の間へのステップアップ乙! などの批判って、今の岡田斗司夫氏にしたら意味ない意見なだけですからね。

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 昔の僕もそうでしたが、「オタク」というだけで岡田斗司夫氏の意見の前提と第2・第3世代(仮)の意見の前提が同じであると思っていたことが間違いだったのだろうなーと思います。
 「オタク学入門」を最初に読んだときの感想は、「今となってはこんなオタクにはなれないよねー」でしたからね。岡田斗司夫氏は「貴族」と「エリート」と言う言葉で表現していますが、そこまで違う人種を同じように扱っていたのがそもそもの問題だったのでしょう。
 岡田斗司夫氏の言う「オタク」(これは大塚英志氏の言う「おたく」に近い概念を持っていると思いますが)は今の「オタク」とは違います。今の「オタク」はいわゆるアキバで萌えーな連中でしょうね。これは別に今の「オタク」達が鉄道オタクやミリオタを除け者にしているからではなくて、メディアがそういう風に分類したから、ってのが最大の理由でしょう。そこに気がつかずに対話を試みた岡田斗司夫氏がドジっこではありました。結果、岡田斗司夫氏はオタク論から去り、「『新現実』などで現代の『おたく』は『ヲタク』と表記した方がわかりやすくない?」と言っていた大塚英志氏は未だにオタク業界に残って発言している違いなのでしょうね。

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 実際の所、「オタクはすでに死んでいる」という本は僕らから見ると事実でないんじゃない? という箇所も多い。でも合ってるかどうか知らないけど、考えるべき点も多く示唆されています。
 我々が一番考えねばならない点は「……日本は美少女好き、もしくは女の子が好きになっていった。水着姿の少女が表紙を飾っている雑誌を、人前で一生懸命見ていてもあんまり恥ずかしいと思わなくなっていった。」(p.94)でしょうね。岡田斗司夫氏はそれを受けて、アニメ・マンガに美少女が台頭し、そしてジャンルが細分化・断絶した。さらに美少女という性的な物を自分に取り込もうとするときに、声優やアニメなどメディアを混在させている。で、それを説明するのが「萌え」という言葉である――と続けます。
 まあ美少女がアニメやマンガに出てきて何でジャンルが断絶するのか、よく考えると理解できないのですが(「オタクはすでに死んでいる」でも詳しい説明はないです)、「美少女」という物に対してケジメを付ける必要があるのは確かだと考えます。「オタクはすでに死んでいる」の書評とかを書いている人は面白いくらい言及していないのですがね。

 数年前にアキバのエロゲデモが一掃される事件がありましたが、オタクというか日本というか僕たちは驚くほど性的なモノにだらしがないと思います。表現の自由とかとは別問題で。
 それを岡田斗司夫氏が指摘したのは当然と思うし、もしかしたら自分が去るオタク業界への最後の良心だったのかもしれません。まあ誰も書いてくれていないですけど。

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 とまあ岡田斗司夫氏への批判はしてきませんでしたが、岡田斗司夫氏の言うことに納得するかと聞かれると納得できません。それを最後に書こうと思います。

 一体全体、岡田斗司夫氏がなぜオタク界から去るのか、はっきりとした理由は書かれていません。何て言うか、まるで「漠然とした不安」級なレベルで書かれていません。アキバ王とか真剣しゃべり場などが挙げられていますが、あれに出て来る連中がオタクの標準ではないことは放送直後から延々と言われていますからね……。
 「萌え」が広まって、アキバの萌えらー(造語)が「我こそがオタクだ」と叫んだから岡田斗司夫氏が嫌になった、てのも違う気がします。いや、本を読むとそれが一番わかりやすいのですが(というか、僕の理解では最終的にはそこになってしまいます。萌を叫ぶ第3世代が、第1・第2世代を必要としなく、差異を探すゲームにしかならず、『オタクという共同幻想』が崩壊して、岡田斗司夫氏は去るという形ですね。ちなみに世代はすべて「仮」です)、本当なのでしょうかね。
 いや、さらに言うならば岡田斗司夫氏の示したオタクの死までの流れって何か変じゃないですかね。

 またまた私事ですが、萌えを叫びだしたのは第2世代(仮)だったはずです。当時は鍵っ子や葉っぱがエロゲー界にありましたね。2000年になる前までに「萌え」という言葉はオタクなら知っていたし、ネット上では普通に使われていたはずです。で、その中心だったのは第2世代(仮)以上の人でしょう。当時、ネットが出来る環境なんてそこまで広がっておらず、その状況で「萌え」を広まらせたのは自分でネット契約をしていた第2世代しかいない気がします。
 僕が大学生になってエロゲオフ会に行ったときも、周りはほとんど社会人でしたからね……。
 要するにオタクの死というのはつい10年(伊藤剛さん参照)とかの短い期間で起こったのではなくて、もっと前から起きていたのではないでしょうかね。それこそ第2世代(仮)自体が既に岡田斗司夫氏と断絶していたとか。


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 で、最後にオタクという共同幻想が死んだらどうなるかっていうのがコレですね。要は「共同体も何もコンテンツの量が多すぎるから、フォローしきれねえ。お前らオタク界で論争やってる連中は、俺が発言しようとすると『君は○○やったの?』と聞くけど、できるわけないだろ。こんなのだったら長老共に付いて行かなくて自分のやりたいように行動したほうがマシ」という流れです。
 エロゲー論壇をネタにしているからか、すっごく良くわかるというか……。

 まあ別に何も変わらないというか、そもそも第1世代(仮)と第2世代(仮)の時点でかなりの断絶があったんじゃないの? というか、オタクという幻想自体が変な代物であったというか……。
 下らない自意識で閉鎖的になっているコミュニティには人は入らないですよねー。