2020年12月31日木曜日

はじめに(2016/Dec/29更新)

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2017年8月20日日曜日

「とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢」(ジョイス・キャロル・オーツ、河出書房新社、2013)

 ある種の精神的な病、トラウマ、神経質な人物が事件を引き起こし、それが現代アメリカの問題を表している作品、とでも言うべきか。日本人の僕からすれば訳者解説での説明が必要だが、読めばなるほど、と思えた。とは言え、技巧は良いのだが、作品のテーマや内容に大して技巧がアンバランスに勝っており傑作とは言いがたかった。
 それが一番出ているのは、ストーリー部分。ストーリーはかなり類型的で、ホラーや奇妙な味系を読む人からすれば途中まで読むと落ちがわかる作品がちらほら見られる。人物構成も重なっている作品があることから、そのため読んでて飽きやすい。

 それが一番表れたのは「私の名を知る者はいない」。ラストで女の子が赤ちゃんを殺すのかなと思ってたら本当に殺してしまった。猫も女の子の悪いことをシンボルであり、読みやすかったが意外性はない。
 それに対し、面白かったのは「とうもろこしの乙女」。小説の構成的に、複数の視点がガンガン入れ替わり、そしてそれぞれの語り手は必要以上のことを地の文でも話さない。だから最初読むとわかりにくいんだけど、わざとらしい自己紹介などがないだけリアルさを感じた。しかし内容としては鍵っ子である小学生の女の子が、人とは違うという自意識をアンデンティティに持った別の女の子に監禁されて「儀式」を受けるということ。監禁した女の子は犯人扱いされないように学校の先生を陥れるんだけど、被害者の女の子の母親がテレビに出て騒がれてる優越感に浸り、わざわざ被害者の母親に接触して疑惑を掻き立てたりする。まあ、何だ、アメリカでの幼児に対する犯罪者の扱いやら、無実を叫んでも犯人と断定するマスメディアやら、小学生も汚染されるマリファナやら、幼い子を1人で留守番させた親へのバッシングやら、「アメリカ」的な問題点をたくさん盛り込んだ読み応えのある作品ではあるんだ。それだけに、事件のあらましとしては数十年前のキレる17歳のようなサカキバラ的な若者の闇を知ってる人からすればショッキングではない。日本も20年近く前に通った道である。読者としては、女の子が生きて帰れるのか否か、というところしか興味が持てなくなる。
 で、読者の興味を掻き立てるラストシーンだが、幸せな家族を描いたものの、それまでに挙げた問題点を解決することなく終わってしまっている。マスメディアの責任はどうなった? 虚偽を信じ込んだ警察は? 女の子が変な思想を抱くようになった経緯は? 驚くことに、そこら辺が一切解決されずに物語は終わってしまった。えー、嘘でしょ。

 つまり、あまり作り込んだ作品はもしかしたらこの作者は不得意なのかもしれない。そう感じたのが、「ベールシェバ」。この「ベールシェバ」というタイトルは相応の意味があるが、実はわからなくても作品を読む上では問題ない。極めて削ぎ落とされた内容で、男が捨てたかつての妻の子が、父である男に対し復讐するのだが、その子が言う糾弾は男の見に覚えがなくて……という作品。当初は男が悪いのか、と読者も思うんだけど、次第に女の子に不気味さを感じるようになり、実は女の子が事実でないことを信じているのでは? と思えてくる。ラストシーンも解説がなく、奇妙な味のような読後感。しつこい設定が解決されない「とうもろこしの乙女」に比べるとこれくらいの方が読みやすかった。ところで面白かったのは、男は当初自分の子に欲情したりするのだが、その女の子の体の描写が一昔前のお色気小説のようにしつこい点。これは一体何の効果を狙ってのことだろうか? (言っちゃあ悪いが、本文中でそこまで美人だとは書かれてもないし……)。

 「化石の兄弟」は個人的に好きな作品。設定の現実さに対し、描写は極めて幻想的。訳者解説で暴力性が云々と書かれているが、半分ファンタジーかかった雰囲気のため生々しさはまったくない。ストーリーは、略奪者である兄と収奪される側である弟の双子の兄弟が生まれてから死ぬまでの生き様を描いた、という内容。しかし徹底的に兄と弟との関係に絞って書かれているのがこの作品の特徴。「兄」と「弟」とは何かの比喩だと思うんだけど、わからん。
 一方、同じように双子の兄弟をテーマにした「タマゴテングタケ」はモチーフが「化石の兄弟」に似ているのと、一方で「化石の兄弟」の特徴だった雰囲気がなく、普通の小説っぽい。登場人物もたくさんいるし。それゆえ何らかの不安感を描きたいのだろうと思うんだけど、見どころがなくて微妙なのだ。

 不安感と言えば、「頭の穴」は微妙だった。いかにもアメリカ的な妻との関係が悪く雇っている看護師に心が動いている美容外科医の男。破産寸前でさらに流血や手術が苦手という仕事と自分とが合っていない。美容外科医とは手術というよりもカウンセラーという側面が強いと書かれ、顧客の不安を鎮めるため頭蓋穿孔手術を渋々決行し、そして破滅する。主人公の美容外科医も彼の顧客たちもそろって不安を感じているのが特徴で、いわば負の感情同士がぶつかりあってストーリーを進める。
 ……でも、僕はここまでの不安感は抱いてないので、かなりしらけながら読んでいた。一番困ったのは、前半の美容外科と後半の頭蓋穿孔手術を「精神的な希求」でつなげる点。確かに美容外科は精神面が大きいと僕もどこかで読んだことはあるが、一応外見に影響し成果が出る美容外科と100%怪しい手術である頭蓋穿孔を並べられても説得力が感じられなかった。どうやら筆者はそれなりに頭蓋穿孔のことを調べたらしいが、逆にそれが「精神的な希求」という患者のあやふやな欲求に対し変に具体的な発言としてチグハグな感じとなっている。
 そしてラストで描写されるスプラッターさは悪趣味というか、真面目に調べたであろう頭蓋穿孔の希求をメチャクチャにして、何がやりたかったんだろうと思ってしまう。

 一方、女性が抱える不安として「ヘルピング・ハンズ」。湾岸戦争や退役軍人をテーマにしており、これまたアメリカ的。不安とか寂しさとかを描いているが、この単行本では何回も出てくるテーマだから正直食傷気味。


 という訳で、僕とは合わなかった。全体的にどの作品も似ており、掲げたテーマの割に尻切れトンボ気味だと感じる。その癖技巧はあるので客観に引き戻されやすく作品に入り込めない。

2017年8月1日火曜日

「メアリと魔女の花」(スタジオポノック、2017)

 ポストジブリ作品……という評価で良いのだろうか。
 リアルタイムで、しかも映画館でジブリ作品を見るのは覚えている限りでは初めてなのだ。

 原作は読んでないのだが、偶然手に入れた魔法の力で魔法の国へ行った女の子が嘘をついてしまい、それが引っ込みつかなくなって……というストーリー。現実世界で何の取り柄もないお年頃の主人公というのは、この前見た「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」に通じるものがあるが、本作はちゃんと冒険が終わると現実世界に戻り成長するので安心して見ていられる。
 ところで気になったのだが近年のファンタジー作品は、魔法世界と非魔法世界を比べた時、魔法世界もユートピアじゃなくて現実に通じる問題を抱えているんですよ~、という流れがあると思う。あまりファンタジーは読まないが、昔なら例えばナルニア物語だったら、世界を支配する悪のようなファンタジー的な問題だった。一方で近年では、というかハリー・ポッターなんだけど、魔法世界での問題というのは明らかに人種差別のメタファーだったりして変な意味で夢がない。いや、夢というよりリアリティか。正直、魔法を使える世界で必要以上に人々が対立したらすぐに血みどろ殺戮劇になると思うので止めた方が良い(その点を考えきったのが貴志祐介氏による「新世界より」である)。「セントールの悩み」(村山慶)を好む僕が言うのも何だけど、結局は矮小さなんだよなあ。魔法世界の問題ならあくまで魔法世界の問題になって欲しいのだ。もちろん現実世界と通じるのは仕方ないんだけど、魔法という個人が持つものとしては(現実世界に比べて)強力な力が引き起こす問題が現実世界レベルの問題なのか、と疑問がある。
 そんなことを変な意味で人間らしいこの映画の悪役たちを見てふと思ったのだ。

 ラストバトルはかなり好きである。どうせ主人公が魔法の力を使うんだろーと思っていたが、途中から主人公に魔法を使わせないよう使わせないよう伏線を張っていく。そう、主人公が魔法使いだと嘘をついてしまったことで始まった騒動なのだから、主人公が魔法を使わずに収めねばならない。同時にそれは魔法魔法と魔法に頼り切りになる悪役サイドへのカウンターともなっており、とても素晴らしいシナリオだった。もちろん最終的な解決は魔法になるんだけど、その魔法の唱えるまでの流れが良いのだ。

 良い作品であった。

髑髏城の七人 シーズン鳥

 初めて髑髏城の七人を、劇団☆新感線を観た。この演劇は客席が360度回展するのが売りになっており、どういうことかわからなかったが、体験してみて納得。これは演劇として凄いことだ(と演劇を見ていないにも関わらず感じた)。
 普通、演劇って舞台が1つなので場所の転換があまりなかったり、セットを組み立てる時間がかかったりする。なので演劇は背景を使いまわしたり、場所を動かないものだという思い込みがあった。
 この劇場では客席を囲むように舞台が作られ、幕で客が見ることのできるセットを制御している。そのため客席を回転させればシームレスに場所を移動でき、さらに1つの背景・セットを全部見せるとか右半分しか見せないとかの操作も可能。ついでに幕に映像を投射することもできる。
 これにより巨大なセットを5つも6つも作ることができ、演劇特有の背景の使いまわし感・移動しなさ感が全くない(阿弖流為のDVDを見たら舞台の進化に驚いたよ)。ほとんど映画のような豪華さで、そして演劇の目玉である全体を眺める視点も損なってない(ただし演劇の欠点でもあるオペラグラスなしでは役者の顔や動作がよく見えないのは変わらない)。

 近年の演劇はここまでテクノロジーが進化しているのかと思った。
 内容? 作品も劇団も見るのが初めてなので偉そうなことは言えぬ。ひたすら格好良く、シナリオもシリアスとギャグがしっかりしていた。僕は演劇ファンではないので何度も見るよりも、他の作品を同じ設備で見てみたいなあ。

2017年7月27日木曜日

「夜の夢見の川」(シオドア・スタージョン/G・K・チェスタトン 他、中村融 編、創元社推理文庫、2017)

 この前感想文を書いた「街角の書店」の第二弾。今回も不思議なお話盛り沢山だよ。

 トップを飾るのはクリストファー・ファウラー「麻酔」。タイトルの段階では歯医者で麻酔を忘れられた/途中できれて阿鼻叫喚、と思いきや、麻酔はかかったんだけど、医者がマッドな素人で色んなところを手術され芸術作品にされてしまったという内容。グロテスクな作品のはずだが、終盤がぶっ飛んでおり、描写の割には嫌な感じが少ない。読者にダメージを与えるなら、いかにもなシチュエーションであり得そうな痛い描写をするはずだから、これは意図されたものかな。半分ギャグにもなっている「手術後」からすると、おそらくこの作品は読者を怖がらせようとするよりも単に悪趣味的な悪ノリを楽しんでたのかな―と思える。奇妙な味のアンソロジーとしてはなかなかの始まり。
 ハーヴィー・ジェイコブズ「バラと手袋」。不思議なモノを売るお店というジャンルで、本書の場合は子供の頃の思い出の詰まったガラクタ。傍目からは単なるゴミにしか思えない物のために、昔いじめていた相手の下で働いている人たちが半ばゾンビ化されたみたいで怖い。読んでて引くのは、主人公はこのガラクタ屋を、いじめてはいなかったが、明らかに見下しており、今でもそれを隠そうとしていない。ガラクタ屋の方も主人公を恨んでるわけではなく、復讐する様子もなく、淡々と主人公の思い出について交渉するのが変な緊張感がある(しかも「中性子爆弾のPRをしろ!」だって)。
 結局、主人公は無事に買い取ることができ、そしてお金以外の代償を払っておらず、ガラクタ屋がいじめられっ子だったことに物語的にケリをつけてないんだけど、そこのチグハグさが僕にとっては奇妙に感じた。

 キット・リードの「お待ち」。性の通過儀礼モノ……と書いてて今フッとわかったのだが、少女から女性に変わるってのは作中では「病気」として描かれていたのか! 読んでる時はこのことに気付かなかったのでいまいち印象がぱっとしなかったが、理解できたら名作に思える。
 母子家庭の母と娘が2人っきりの旅で不思議な街に行く。そこの人々は病気になると広場で自分を見せ、街の一般人から適切な治療を受けていた。母が病気になり、この街に留まる中、娘は親切な一家に泊めてもらう。母の病気が治らず滞在期間が延びる中、娘は18歳(結婚適齢期)になり、他の街の娘と共に広場とは別の場所で自分を見せることになった。昔ながらのモラルを押し付ける母に嫌気がするものの、娘は抗えきれず街のしきたりに身を任せ、醜い老男に「治療」(*作中では明言されない)されるのを待つ……。
 というあらすじ。最初はお母さんが病気になって、変な街でさあ大変って感じなのだが、徐々に母親の支配的な態度や街の若い女性に対する態度に違和感を感じ始める。そして、上記に書いたように少女から女性になる儀式が街の人からしたらロマンあるっぽいのだが、読者や主人公である娘からしたらモノ扱いされており、一方で主人公の母は貞淑さなど古びたモラルをよりによってこの街で押し付け、結果として娘は貧乏くじを引きまくることになる。ジェンダーと世代という問題をわかりやすく扱っている。

 フィリス・アイゼンシュタイン「終わりの始まり」。ゴースト・ストーリー。奇妙な味か? と聞かれると奇妙じゃないなあと思う。兄と妹の確執を亡き母が仲裁する内容なのだが、この程度で仲違いが治まるのだろうか。問題の根深さに比べて母親があまりにも軽く仲直りを勧めており説得力に欠ける。冷静に考えると、母親が生きていることを知った違和感は妹だけではなく兄も抱かなくてはならないはずだが、読む限りでは兄は違和感を感じていないようで、そこの非対称性が気になる。
 エドワード・ブライアント「ハイウェイ漂泊」はあまり心に残らなかった。感想文を書こうと思っても何も書けないや。
 ケイト・ウィルヘルム「銀の猟犬」はこれぞ奇妙な味という作品。主人公である女性にひっつく2匹の銀色の猟犬は何の象徴なのか。猟犬が現れてから主人公の夫に対する不満が爆発し、さらに父親の記憶を思い出す。猟犬が不気味なのは、この手の存在って普通は登場人物に危害を加えるのが物語の常なんだけど、この作品ではその手のわかりやすい危機は起こらず、消えてしまう。残ったのは猟犬によって現れた主人公と夫の間のしこりだったり、主人公が子どもたちから舐められていることだったり。物語は終わるんだけど、むしろこの後の人生のほうが気になる。もしかしたら、猟犬とは人生の転機の暗喩かもしれないと今考えたけど、それだと2匹いる意味はないか。やっぱりわからん。
 シオドア・スタージョン「心臓」。非常に短いながら意外性に溢れたラスト。奇妙さは抜群。あまりにも短く、ネタに依存した作品なので感想すら書けないが、ぜひとも読むべき。面白い。
 フィリップ・ホセ・ファーマー「アケロンの大騒動」はオチがすっきりしていて、奇妙な味ではないのだろうが、どんでん返しがあって苦い作品。個人的にはミステリーの味わいがあり、好青年と思われた人が実は……とか、怪しげな雰囲気を抱いた博士が単なる……だったりと真相が明らかになる楽しさがあった。死者が蘇ったら迷惑なので金をもらうってのが皮肉が効いてて良い。奇妙さはないけどよくできている。

 ロバート・エイクマンの「剣」は、作品の完成度とは別に大好きな雰囲気である。主人公がある街に行き、そこで興行されたショーの看板娘に惹かれ手に入れるも、娘の体に幻滅した、という作品。薄暗いサーカスの中で残酷な出し物が行われる中、出演した少女に惹かれるのはいかにもありそうな筋立てで、それが性的な関心にすり替わるのもあり得るお話。最終的に、少女はもしかして自動人形みたいな存在だったのではなかろうかと思わせる(もちろん別の解釈もできる)。何にせよ、観客の手で体に剣を刺されても血を流さないし、剣を刺され終わると1人ずつキスをして解散って描写と、興行師と共に主人公と3人で食事を共にするオフの雰囲気のギャップ、そしてベッドに入って様子がおかしいなと思っていたら手首が取れてしまうのがある種のエロティシズムを感じさせるのだった。
 G・K・チェスタトン「怒りの歩道──悪夢」も心に残らなかった。読み返してもいまいちピンとこない。
 ヒラリー・ベイリー「イズリントンの犬」。犬が喋ることで家庭が崩壊するお話なんだけど、冷静に考えると犬が喋らなくても詰んでいたわけで、実は犬の会話の有無は物語に影響しないと考えると奇妙なのかもしれない。犬に言葉を教えた女中は本来ならキーキャラクターのはずだが(それこそ一家の子供とかよりも)、途中から存在感を失うなど、読んでて手際の悪い部分が見られた。犬が喋るならもっと喋った恐怖を見せてほしかった。
 表題作であるカール・エドワード・ワグナー「夜の夢見の川」。確かに奇妙な作品だ。護送車の事故によって逃げ出した女囚人が駆け込んだお屋敷。そこで出会う女主人と妙齢のメイドは主人公である女囚人を怪しまずに受け入れ、逆に屋敷から逃がそうとしない。かつてこの屋敷に住んでいたことが示唆される女主人の娘、女主人は主人公をどうやら娘と重ね合わせてるみたいで、メイドは主人公にちょっかいを出す。一連の流れが架空の書物と重なり、真実は何なのか?
 館モノで百合あり、BDSMありの盛り込まれた作品でもある。というか、ホラー作品として認識してしまえば真実なんて気にならなく、怪しい雰囲気の三角関係に浸れて良い。奇妙な味ではあるんだけど、それ以外のフックがあまりにも大きすぎて普通の小説として感じられた。しっかしタイトルが美しくて良いなあ。「The River of Night's Dreaming」、格好良い。

 しかし、調べていたら、この作品ってクトゥルー関係という情報を発見したが本当なの?

 前作「街角の書店」よりは収録数が少なくなっており、その分1作あたりのページ数は増えたと思う。濃い物語を描けるようにはなったものの、合わない作品はひたすら合わないままページをめくるので良し悪しが別れるだろう。オチがわかったり、奇妙さがない作品も多く収録されているので、奇妙な味に抵抗を持つ人にも読んでほしいなあ。
 ぜひとも次のアンソロジーが出て欲しい。

「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」(ティム・バートン監督、20世紀FOX、2016)

 絵は素晴らしいけど設定とシナリオがとっちらかった作品、というのが見終わった後の感想である。
 特に設定面は致命的で、この作品はタイムループものというファンタジーの皮を被ったSFであり、さらにループだけでなくタイムトラベルも関わっている。つまり、物語の舞台は現代→1943年へタイムトラベルし、さらに1943年9月3日をループした後、1943年9月3日を経由して2011年で決戦を迎えるのだ(ラストシーンは2011年から再び1943年へ……)。これが複雑でなくて何と言おう。バック・トゥ・ザ・フューチャーですらもう少しわかりやすかった。正直、2時間程度で碌な説明もないまま時間軸を色々動かすのは無謀だったと思う。タイムトラベルの条件も特定の場所を通るだけなので、舞台が動く中盤以降は今のシーンがいつの時代なのかがわかりにくかった。

 シナリオ面で今一つだったのは、原作に続編があるせいか、主人公の成長が見られなかったことだった。現実世界で友人もなくいじめられ親からも理解されず居場所がない少年が、実は非凡な力を持っており、その力のお陰で異世界に行けて、さらに彼にしかできない任務を与えられ英雄的行いを成し遂げ恋人ができる。展開自体はジュブナイル系というより絵本でもよくありそうな行きて帰りし物語なんだけど(そもそもハリーポッター……)、本作の場合は元の世界に戻らないのだ! そもそも主人公は最後の戦いの果て、元の時代ではなく時間軸のずれた世界に放り出されるのだが(この時点でちょっと、ね)、恋人を求めてタイムトラベルポイントを何箇所も辿って、ついに恋人の世界に帰る! あれ、元の世界の親御さんはどうなったの? これ、シナリオ的にダメなんじゃなかろうか。
 さらにだ、主人公が暮らそうと決めたループ世界なんだけど、客観的に見て恐ろしい世界ではなかろうか。映画の序盤~中盤でループ世界が描かれるんだけど、ループしてるからみんな毎日何時何分に何の出来事がわかるか覚えている。逆にいつも通りのスケジュールで動かないと怒られる始末。永遠に生きることができ、食べ物とかも困る描写はないが、究極のディストピアである。
 そして主人公の恋人となる女性も、元々は主人公の祖父が想い人だったらしく、そこら辺の伏線も解決できずに終わってしまったっけ……。主人公の祖父に恋してたから主人公に脈はない、と言われていたが、いつの間にか両思いになっててびっくり。特に解決する必要のない設定ならなくても良かったんじゃないの、主人公の祖父の想い人設定。

 ビジュアルは面白い。空気より軽い少女、手から炎を放つ少女、ハヤブサに変身する女主人、無生物に命を吹き込む青年、夢の内容を目から映写できる少年……。コレラに加えて適役である化物と怪人がおり、怪人は悪趣味な描写で怪人っぽい。
 バトルシーンも迫力があり、骸骨の群れVS化物はいくら骸骨だと言っても手に汗握っていた。半透明な化物も半透明だから見にくいことはなく、色々観客から見やすいように効果を付けてくれていた。
 それだけに設定とシナリオが今一つなのは惜しいと言わざるをえない。やはり続きモノの第1作目を無理やり単独の作品に仕立て上げた弊害かねえ。

2017年7月19日水曜日

「貞子VS伽椰子」(白石晃士監督、KADOKAWA、2016)

 ホラーは苦手だが、この作品はタイトルからして笑わせにかかっていると感じたので、DVDで見てしまった。良い意味でも悪い意味でもその期待が裏切られた。

 この作品は、「フレディVSジェイソン」とか「エイリアンVSプレデター」的な人気のあるキャラクターをクロスオーバーで出してお祭りにしよう的な作品だと当初は思っていた。つまりホラー要素が薄いか、または単なるスプラッターになっていると思ってたんだ。
 でも実際に見てみたらちゃんとしたホラーになっていて面白かった。貞子と伽椰子という2要素がいて、ホラー要素が分散するかと思ったけど、意外と言っては失礼だが、上手くまとまっていた。もちろん設定は微妙に変わっており、例えば呪いのビデオは確か「リング」だと7日の猶予があったのに、今作では2日に変わっている。インターネットとかの影響でスピード感を出さねば古臭いイメージになってしまうので、良改変。ちなみにインターネットと言えば、呪いのビデオをネットにアップするシーンとかDVDに焼くシーンとかがあって今時の恐怖感はあったのだが、元ネタの怖さは薄れていたと思う。
 ただし、物語は基本的に呪いのビデオを中心として進むので、伽椰子&俊雄君はあまり見せ場がなかった。やっぱ呪いの家なんて向こうから物理的にはやってこれないから、人間が立ち入らなければストーリーに関われないんだよなあ。呪いの家系のエピソード&貞子を伽椰子にぶつけよう! のシーンは正直無理があった気がする……。
 ちなみにこの貞子VS伽椰子による呪いの対消滅を計画した霊能者が登場すると、いかにも呪いが解決できそうな雰囲気になる。それまでのリアリティのある日常描写とは一線を画すファンタジー感満載の姿だ。何と言っても、手でお祓い(?)すると本当に霊能力が発動したり、盲目だけど霊感のある少女を連れていたりとマンガ的に描かれている。今までの雰囲気を壊すキャラクターであり、同時にストーリーが終わるんだ、呪いが解決するんだ、と視聴者に安心感を与える。

 が、実はここまででタイトルにもなっている貞子と伽椰子が戦うシーンはない。そもそも映画全体を見ても、貞子と伽椰子が出会ってからラストになるまではスタッフロール含めて15分前後しかない。冷静に考えると、2人とも最終目的は人間を殺すことなので直接的なバトルにはならないんだよな。
 この映画は真面目にホラーをやっているが、ホラーをやってしまったためにインパクトが薄れた面もあると思う。例えばターミネーター2におけるT-800とT-1000みたいに延々と肉弾戦か超能力戦を行うことを期待していたら短すぎると思うし、はたまた単純に呪いによるキルスコア勝負を期待していたら被害があまりにも少なすぎる。幽霊が出るホラーという題材の限界なのかもしれないが、お祭り感満載の派手な映像にはなっていないのがタイトルに比べて残念だったと思う(この内容なら、「リングにかける呪怨」的なVS要素がなさそうな名前にした方が良かった)。

 最終的には除霊が失敗し、貞子と伽椰子が融合してとんでもない呪いというか化物になって霊能者もろとも登場人物は全員死ぬことを示唆して終わるんだけど、素体が素体だけにビデオを介するか、家に引きずり込まなければ殺せないと思うんだ。インターネットにビデオがアップされたと言っても、有名動画サイトから削除されてしまえば被害も拡大しないし、ねえ。
 貞子も伽椰子も既に攻撃力が極めて高いのだから、それをかけ合わせて更に攻撃力を高めたところで怖さは比例しないのであった。インターネットに拡散するなら、テレビでサブリミナル映像みたいにこっそりと放映されて、日本人の心の奥底に刻まれ(序盤のミームだ!)、ふとしたタイミングで心の奥の呪いが解けて殺しまくる(多重人格探偵サイコだ!)みたいに量を増やすか性質を変えるかした方が良かったと思う。

 と不満も書いたけど、「リング」と「呪怨」のリメイクを早回しで見るみたいな目的には良いかもしれない。どちらも今の時代に見るには時代遅れになった部分が目に付くので……。