2020年12月31日木曜日

はじめに(2020/Feb/20更新)

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2020年10月13日火曜日

「サイバー・ショーグン・レボリューション」(ピーター・トライアス 著、中原尚哉 訳、早川書房、2020)

 第一部「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン

第二部「メカ・サムライ・エンパイア


 日本とドイツが第二次世界大戦で勝ったという設定の歴史改変SF完結編。このシリーズの面白いところ(ツッコミどころ)は、ドイツ(ナチスドイツ)がひたすら悪者になるもその描写はほぼ行われず、大日本帝国民にシンパシーを抱かせるようにしているところである。その大日本帝国びいきは日本人からすると理解し難いくらいの高い評価となっている(正直、大日本帝国が黒人を名家にすることとかあるのかねえ)。
 もっとも、第三部ともなる今作は舞台が2019年とかなり現代的で、正直大日本帝国の鬱屈した雰囲気はもはや感じられない。やたらと権限の強い特高警察を除けば多少軍事に重点を置いた現代社会であり登場人物も極めて現実の現代的で、SFとしてのギミックは武器として巨大ロボットがあるだけで、大日本帝国軍の権力争いと高官を暗殺する人物の正体を探るミステリーという王道のジャンル作品となっている。読みやすいっちゃ読みやすいけど、「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」の機械と肉体を融合した趣味の悪いアナザーサイエンスや肯定的な描写ながらどことなくシニカルに描かれるディストピア大日本帝国などが好きな僕からすると、ちょっと物足りなさを感じた。また、作中の大日本帝国が現実の歴史と衝突しなかったことはもったいないと思う(正直、歴史のifをそのまま書くだけでは単なる願望に過ぎないからね)。

①巨大ロボットの終焉としての最終巻

 「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」では巨大ロボットはあくまで物語の一要素でしかなく、「メカ・サムライ・エンパイア」は巨大ロボットがプロットの軸となっていた。では今作は、というと……。
 巨大ロボットモノはそれ以外に武器や兵器の選択肢がないのが必要条件なんだなと実感した。本シリーズは戦争用の兵器として巨大ロボットがあるが、そもそも作品内の社会に目を向けると昔ながらの刃物と銃が普通に有効で、さらにフィクション特有の便利な化学物質や、ナイフドローンとかいう人間サイズで体当たりするファンネル的なガジェットまで存在しており、巨大ロボットが存在する意味がまさに巨大ロボットと戦うためでしかない。もっというと、そもそも操縦者を巨大ロボットに乗せなければ巨大ロボットが無力化できるという禁じ手も描かれているのだ。
 ストーリー的にも、どんなにステルス機能があっても本質的には目立ちまくる巨大ロボットと暗殺者を追いかけるミステリーとかサスペンス要素が全然両立できてなく、頑張って巨大ロボットを出そうとして、結果として敵を巨大ロボット(=内乱)にしたのかなとうがった目で見てしまう。リアリティのある世界を追求して、リアリティある事件を描くならば、巨大ロボットはむしろ邪魔だというのがはっきり見て取れ、巨大ロボットモノが好きな僕は泣いてしまった。

②大日本帝国VS大日本帝国

 今作のストーリーは本質的には大日本帝国内での権力争いでしかない。時の権力者が実は敵と通じていたので秘密結社を作り上げたライバルがクーデターを起こし、新たに権力者になったそのライバルも権力基盤を固めるために残党狩りをしていたら、暗殺者から目をつけられた(これもまた新たなライバルがクーデターを起こしてる)だけという構図。復讐の虚しさだとか、カルト思想団体の危険性だとか、民衆不在の政治みたいな深い話は主人公の葛藤レベルでは存在するけど、物語全体にはどこにもない。そういう意味で本作は100%エンターテイメントとして楽しめるんだけど、「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」が好きな僕としては深みがないと感じてしまう。そもそも大日本帝国内での権力争いと言っても大日本帝国特有の要素はもはや存在せず、これがジオン内の抗争であってもショッカー内の内乱であっても特に違いがないためわざわざユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパンの世界観で読んでもなあ、と思ってしまう。まあ、最終的には大日本帝国は自壊するのだが、これも特に現実の大日本帝国の負の側面とはリンクせず、歴史改変SFは現実の歴史とコンフリクトを起こさないとつまらないと思ってしまった一因でもある。

③ミステリー(もしくはサスペンス)

 どちらかというと、本作の焦点はSF的な要素より、かつてナチスハンターと言われなぜか大日本帝国に所属している暗殺者ブラディマリーを追うサスペンスに向いている。ブラディマリーの正体は、その目的は、と盛り上げ衝撃的な真実や格好良い暗殺者の美学なども描かれるんだけど、結局は単なるクーデター合戦だし政権内のドンパチだよな、と思うとブラディマリーのプロットもそこまで面白いとは思えない。ネタバレになるが徹頭徹尾、最後のシーンも含めて権力者同士の争いに過ぎなかったと思う。
 今作の騒動はある意味でブラディマリーが中途半端に政治に介入したから泥沼になっているわけで、最初から悪い権力者を斬りまくれば悲劇は起こらなかったし、自分の意志で行動しないなら行動しないと徹底したら血で血を洗う権力闘争にはなったろうが市民への被害を防げたのではないかと思ってしまう。ラストシーンや、なぜブラディマリーは主人公を生かすのかに対する答えも含めて、ブラディマリーの覚悟の定まらなさにはすっきりしないものがあった。
 あと、今作のリアリティに比べブラディマリーの戦闘力が飛び抜けすぎておりブラディマリーは良いように使われ過ぎだと思う。それでいて上にも書いたように思想とか行動が一貫してないのも中途半端感を余計に感じさせている。


 ちょっと文句を言い過ぎたので面白くないと思われるかもしれないが、そんなことはない。なんだかんだでディストピア大日本帝国の雰囲気はばっちりだし、政治劇がメインだがそれと巨大ロボットを組み合わせる手腕は素晴らしい。大日本帝国要素が実質的になく、それによって明るい作風となった「メカ・サムライ・エンパイア」と比べると、もちろん本作は暗いものの、ブラディマリーを追うという目的があるので前向きに読み進められる。「メカ・サムライ・エンパイア」と言えば、作者は「メカ・サムライ・エンパイア」からシリーズを読んでほしいらしいが、僕はナンバリング通り読むのをおすすめする。口当たりの良いものを味わって好きになるのも良いが、このシリーズは大日本帝国の肯定というセンシティブな要素もあることだしちゃんと1作目から順に読むべきだとは思う(たとえ作者が勧めてなくても)。
 個人的な興味はシリーズ全巻を通して作中のリアリティを突き抜けた実力を持っていた久地樂(というキャラクター)。日本語では関西弁でしゃべるため余計にマンガ・アニメ的なキャラクターに思え、当然天才パイロットにありがちな性格がアレな人。毎巻終盤になってお助けで現れてくれるので、登場シーンは少ないけど印象に残った。本作にも久地樂の活躍を描いたスピンオフ短編が収録されており、喜んだものの、彼が輝くのは主人公が別にいてご都合主義的にその主人公を助けるからこそ魅力的なのであって、久地樂そのものの活躍を見たいわけじゃあなかったのかとわかった。
 なんというか、サブキャラであれば本当に魅力的なキャラクターなので、サブキャラとして活躍するスピンオフが読みたいなあ、と無理難題で終わらせる。

「ベストSF2020」(大森望 編、竹書房文庫、2020)

  ハヤカワ文庫からベストSFが出なくなったな、残念だなと思ってたら何とこんなのが出た! 竹書房、最近SFに力を入れてるな。頑張って買い続けないとなーと思っている。

 まず最初の円城塔「歌束」。いつも相性が悪いので最初やら集中力が続くだろうと読んでたが、やはり集中力が切れた。ごめんなさい。
 次に岸本佐知子「年金生活」。あの岸本氏か! 「ねんきん」とはなんぞやと気付くとおお、となる。ただ社会が崩壊すると経済活動も崩壊し自然豊かになるとは思えない。80とか90から畑仕事始めた老人が元気になるなんて都会の人の夢じゃない? と思った。僕は祖父・祖母がかなりの田舎で畑と漁業で自給自足に近い暮らしをしていた(というかあまりの田舎だから昭和中期くらいまでは商業が発達しなかったらしい)が、僕が知ってる祖母は腰がほぼ直角に曲がるほどだったぞ。それくらい畑仕事は重労働なのだから健康になる的な気軽なもんじゃないんだけどね。
 オキシタケヒコ「平林君と魚の裔」。資本主義SF? スペースオペラなのだが、技術全てにコストベネフィットの判断があり、それがギャグとかパロディではなく実は作品のテーマとなっている。面白いしスペースオペラなので読みやすい。好きなんだけど感想があまり書けないな……。
 草上仁「トビンメの木陰」。飛梅なのか。作者後書きを見てわかった。内容的には、寄生先の虫の行動を支配して自殺させる寄生虫を念頭に人間の意志も食物や化学物質で決められるのではないかというテーマを伝記仕立てにした作品。伝記成分が主で、ストーリーは楽しめたというか、短編なので面白くない要素がなかった。これくらいの短編だと全部面白い要素を詰め込んで終われるね。
 高山羽根子「あざらしが丘」。どこかの短編集に載ってた。まあ同じ作品なんだけど、編者解説と作者後書きが読めて満足。
 ちょっと気になったのが片瀬二郎「ミサイルマン」。風刺としてはちょっとよろしくなくない? 出稼ぎ労働者とテロという物語なら、何だかわからない力が原因でテロを起こした本作より、望んで海外出稼ぎに行ったものの失望して過激思想に染まりコツコツ武器を作りある日テロを起こす現実の方がはるかに恐ろしく考えさせられる。それはともかく、本作のミサイルマンの描写って、未開の国の不思議な技術による人間兵器ってことなわけで、それが出稼ぎ労働者として日本や他の国々にやって来ました→未開の国内の内乱でミサイルマンが起動します→破壊活動が日本を含めた全世界で行われますってことだから、ゼノフォビア一歩手前の思想だと思う。編者はそこを指摘すべきだった。
 口直しで石川宗生「恥辱」。面白い。ノアの方舟を動物の視点から、人間にとって都合の良い動物を選定するプロセスとして描くのは新しかった。非常に現代的な視点だと思う。編者の「出稼ぎ労働者を彷彿とさせる」云々は雰囲気でそんな感じは受けたものの、具体的にどこにそう感じたかはわからなかった。
 空木春宵「地獄を縫い取る」。児童性愛者の話……らしいが、かなり粗がある気がする。性愛の対象にされる児童AIを実際の体験と感情から作るが、それは単なる実在の人間では? 少なくとも現代の社会では実在の人間判定を喰らうと思うのだ。そしてAIと実在の児童が区別出来ないなら買ったのはAIではなく人間として判定されるのでは? そして児童買春を行う人が児童の感情(作中ではエンパス)なぞ必要としてないのでは? 児童買春の被害者が望んで児童買春に手を染めたという設定(一応ラストは取ってつけたように世界に対する復讐みたいな理由にしているが)と共に、児童買春撲滅運動を謳う人の欠点を強調することで児童買春撲滅運動(少なくともその手の団体の活動。深読みすると環境保護団体への当てこすりも同じロジックで行えるよね)の正当性に疑義を抱かせる構成になっているのがアレ。そして児童買春を行う男性を出さずにどこまで普遍性があるかわからない女性同士の問題点を描くことで児童買春に対する批判を相対化させようとしている作品だと感じた。編者は「衝撃作」と評しているが作品そのものはエロマンガにおける「他人の経験に入るシチュエーション」や「性に開放的な世界」と同じロジックでしかないわけで、むしろ上記の構造を指摘すべきだと思うけどな。
 草野原々「断φ圧縮」。不思議につまらない作品。意識を圧縮したら世界の密度が濃くなる(作中では「正気」)とか、圧縮した意識を開放して(作中では「狂気」)孤独になり、正気と狂気を行き来させることで現実世界で発電が行えるとか、面白い要素は特盛でちゃんと最後まで読めたんだけど、面白くなかった。何というか、世界というか外界の描写がないから意識の圧縮というアイデアしか楽しめないのかな、と改めて読んで感じた。アイデアは本当に面白いよ。
 陸秋槎「色のない緑」。え、普通に傑作じゃない? 小説としてもSFとしても面白い。SFとしてのテーマは、言語と人工知能と技術発達とそれに伴う人間の不在。小説としては、人生で意味のない仕事に就いた孤独感と無力感といったところか。あと、この作品に限らず百合という表現を使うのはまあ下品だから止めるべきと思います。
 ラストの飛浩隆「鎭子」。編者の解説を読むと、作者の他の作品を下敷きにした作品(直接の関係はない)らしい。ぶっちゃけ外伝に近い立ち位置なのかな。そんな作品でも登場人物やストーリーや世界観の把握を させることができるのは素晴らしい。ただ、いかんせん、この作者の短編は大傑作『「方霊船」始末』があり、外伝的立ち位置なのは似たようなものだが、『「方霊船」始末』の方がぶっ飛んでて派手な展開で好みである。これってひじきの煮物とカツ丼を比べてカツ丼旨いと言ってるようなもので、自分は刺激の強さを美味しさと感じる人だと言ってるようなものなんだけど、でも好きなものは好きだ。でも本作のやるせない現実に慰みを見出すために空想でもう1つの世界を作り、それに耽溺する中でどちらが現実と空想の境が曖昧になる感じはそれはそれで好きだよ!

 バリエーションも多くてテーマも様々でやはりSFは豊富である。個人的に好きだったのは「色のない緑」か「平林君と魚の裔」か「トビンメの木陰」。ひらすら真面目でSFとしても小説としても優等生的な「色のない緑」と、キャラクター小説的でシリーズ化されたらダラダラ付き合うだろう「平林君と魚の裔」と、短編としてテーマと描写がキッチリ決まり蛇足のない「トビンメの木陰」がずば抜けていると感じた。読んでて好きというか読み続けたいのは「平林君と魚の裔」なんだけど、僕も歳で集中力が切れやすいので太く短く読める「トビンメの木陰」がベストだった。

 やはり短編アンソロジーはいろんな作品が読めてお得。ちゃんと買い続けますので今後も続けてください。

2020年3月31日火曜日

アニメ「映像研には手を出すな!」(大童澄瞳、サイエンスSARU、2020)

 この作品、マンガの内容は一切知らなかったが、アニメーションを動かす楽しさだとか設定厨と呼ばれる人たちのこだわりの面白さだとかが事前の広告で強調されており、見ようと思ったのだった。あらすじを聞いた限りでは学校の部活モノ・女子高生3人主人公とストーリー部分はありきたりだと思ってたし。しかしどうもアニメーションが面白い、いやアニメーションを見よ、といった声が聞こえておりそれで興味を持ったのだ。

 作中の妄想ゲーム、僕もやったことある! というか現在進行系でやっている……。だから設定の断片と共に水彩風のアニメーションが自由に動く作中内アニメは非常に魅力的で、むしろこの数々の短編アニメーションだけオムニバス方式で作品にしてくれれば満足したと思う。
 絵柄のせいもあるかもしれないが、微妙にレトロな時代描写とこれまたどうにもこうにも古めかしく見える最先端であるはずのガジェット、それらとは正反対の新たな〇〇パンクのジャンルを切り開きそうな田舎と地方都市とわずかな工業化が混ざった学校及び都市。素敵である。主人公の1人がいわゆる「設定厨」なんだけど、まさに劇中の学校の描写をわざと設定満載にして見せている感じ。なかなか面白い。そして作中のアニメーションもしっかりとした色だったり、お芝居の動きを付けていないからこそ美しく感じた。放送が始まってから主人公たちが作るアニメーションの素晴らしさを解説した記事をいくつも読んで、放送を見返して動きの面白さに魅了されていたのだ。
 ただ、劇中アニメが相対的に最高傑作に見えるのは作品内の現実と主人公たちが致命的な欠点を持っているからで、作品としての本作はちょっとその欠点が大きすぎるため手放しで絶賛はできないのだが……。

 この作品というかストーリーパートにおける問題点は中盤くらいから見えていた3点がある。1つ目に、第10話あたりで明言されたように映像研は悪い意味でのお金儲けを行っていないか? ということ。2つ目に、作品の質でなく部員であるモデルの知名度を広告に利用しすぎてないか? ということ。そして3つ目、これがかなり問題だと思うんだけど、そもそも主人公たちを待ち受ける困難がアニメの質や制作スケジュールではなく周りの人々の無理解であるのはこの作品のテーマからズレたものであり、さらにその解決が不完全であり人々を敵と味方に選別するものでしかない、ということ。以下それぞれ説明する。
 1つ目である映像研のお金儲けは、学校から部費も道具も調達して、それでやることが作品の質を高めるためとは言え営利目的なのだから、そりゃ教師も怒るよね。高校生の身分じゃこの問題に反論できないので、作中ではわざと教師の頭を悪く描かれていたけど、そもそも映像研自体第1話で既存の部とバッティングしてると言われながら苦労して部を作っているだけに、学校の名前やら資金道具その他を使って(11話だったと思うけど、強制的に部室を締め出されて活動ができないと主人公たちが嘆いてた)私財を増やすのは他の学生の機会を阻害してることになるわけで不適切と言われたら反論できない。仮に映像研の彼女ら以外に、例えばクレイアニメとか作りたくて、でも映像研や既存のアニ研があるからダメと言われてたような学生がいたら、映像研はお手本のような悪役なわけだ。この作品じゃ部活動というのはゼロサムゲームであることが示唆されているので余計に映像研が特権を持つと他の部は不利益を被る構図になってしまう。
 大昔の作品だったら、学校が学生の活動を認めないのは良くないこととして全生徒が連帯して抗議したりするような展開になったかもしれないけど……。

 2つ目のモデルを広告塔に使うことの是非は言わずもがなというか、アニメーションの面白さをテーマとして強調するこの作品で内容より宣伝方法が大事と言い切るのは「リアル」ではあるけどグロテスクすぎだと思う。映像研の面々も高校生の頃からこんな小技を覚えちゃだめでしょう。彼女らも、モデルを最大限に利用した結果が町内会をまとめるレベルにしかならない(それはそれですごいことだけど)ので伸びしろがあまりない気がする。それはともかく、モデルを広告に使ってよいなら、握手会やサイン会やバスツアーを開きまくってマネタイズすれば苦労しないのに、と思う(作品自体のジャンルがラブライブ!になってしまうか)。ただ、散々マネタイズの苦労を語っておきながら、あくまでも制作費を多少稼ぎたいレベルの話で、どんな質と上映時間の作品のためにいくら必要なのか具体例が全然出てこないので本当にマネタイズが必要なのか疑問に思ってしまう。実際のアニメ制作も制作費の問題はあるらしいので作品のテーマと合致するかもしれなかったのだが、シナリオでリンクさせることができなかったのが欠点(というかお金稼ぎを追求する理由として過去の体験談を持ってくるのは、チープ過ぎるのでやめた方が良かった)。この作品はプロデューサー業の苦労も描いているのが売りだと思うので、それなら本物の「資金集め業務」を見せてくれればそれはそれで骨太の作品になっただろうに。

 3つ目のドラマ上の主人公たちを待ち受ける試練というのが周囲の圧力でしかないというのは近年のオタクの自己認識問題とも絡んだ問題である。11話付近で、アニメを作る上の課題が資金やら時間やら人手ではなく世界観的なモノで、さらに生徒会や教師などからの弾圧(教師の言い分には十分な説得力がある)であることが判明し、そんな頭の固い生徒会やら教師やらをどうやって説得し、同人即売会でDVDを売るか、という構図が明らかになる。この時点でアニメーション制作の面白さが一切出てこないのに疑問を感じるが、それはともかく、特徴的なのが主人公らを取り巻く状況。前述の生徒会や教師は明確に「敵」として描写され、生徒会はギャグ的な描写とはいえ機動隊めいた組織に命じ暴力でもって主人公たちの活動を止めようとする。それに対し主人公たちの「味方」として描写される人々は、何の見返りも求めず応援してくれる地域の皆様だったり高校生の営利活動を面白いと煽る事情をわかってない評論から赤の他人だったり(一般市民の描写は主人公たちを全肯定するモブとしか描かれてない)。そういえば、主人公たちの1人であるモデルの子だって、アニメーターになる夢を家族が反対していると散々「敵」対視しておきながら、彼らが勝手に理解してくれると即完全無欠の「味方」という描写になる(リアルタイムで見ててもうちょっと家庭内で会話持った方が良いのでは……と拍子抜けした)。
 話を戻すと、主人公たちの行動は一切の非なく完璧でそれに文句をつけるのは「敵」だと演出するヤバい描写や、「敵」扱いの生徒会や教師に対してよりにもよって相互理解が大切だと言ってのける会話の通じなさは見ていて異様だと思ったのだ。上述したように主人公たちが部活動のためとは言え学校の財産で私益を増やそうとしているわけで(それもモデルの子の知名度という部活動とは関係のない技を使ってまで)、また主人公たちは絶対に同人即売会での販売を取りやめないわけで、その状況で「相互理解」って敵を言い負かすことを単に言い換えてるだけじゃん。この一連の描写って近年のオタク的「自分たちを批判するのは敵だ」という話の通じなさが現れていると思う。

 作中内アニメーションやその設定は面白かった。非常に面白かった。ただ……という部分が僕にとっては大きかった。
 悪い意味で今風だし、悪い意味で現実主義だし、悪い意味で知恵だけを持っている主人公共だし、それでいて悪い意味でフィクションな展開があるし、でも映像研の作る作品だけは欠点を一切指摘されず褒められまくるという「そういうタイプ」の作品。最強主人公系のジャンルをファンタジーとか格闘モノとかではなくリアルな学校活動に落とし込むとこうなるのかとわかった。舞台がファンタジーだったならともかく、現実に近い世界観で主人公たちに感情移入すればするほどご都合主義が鼻につき気持ち悪い。
 真面目な話をすると、そこそこリアルな作風の割には僕みたいに悪い部分を見つけてネチネチ言う悪意が存在せず、「敵」はあれど作品に対する批評ではなく、そして主人公たちが作る作品そのものは手放しで褒められたり感心されたりするのはぬるま湯だと思いました。クリエイター及び販売側の夢と希望だけが込められ受け手のことはあまり見てない作品。
 まだ続きがありそうな作りだけど、アニメーションの楽しさを見るだけならYou Tubeで検索したほうが良いと感じた。

2020年3月6日金曜日

「ワン・モア・ヌーク 」(藤井太洋、新潮文庫、2020)

 どうもこの本は2020年3月5日~11日を描いた作品らしい。というわけで、本書が出てすぐに現実に追い越されるため急いで読んだ。

 物語は、ISIS(イスラム国)の残党によって核を持ち込まれ日本人の協力者によって核爆弾が作られたことによるテロリズム(政治的な目的があるため正しく「テロ」だ)に対し、ISIS戦士・協力した日本人・かれらを追うCIAに雇われたエージェント・偶然から事件に巻き込まれる2人の刑事という4サイドの視点で描いた作品。登場人物はそれぞれ自分の主張と任務があり、シナリオの都合でネジ曲がった部分は感じられない、極めてリアルな作品である。

 この作品を紹介する上で一番簡単に言い表せるのは、「ゴジラの出てこないシン・ゴジラ」、かな。組織と個人コンフリクトを描き、組織が組織として活動する格好良さを描いている。特に専門外のプロフェッショナルを集めてミッションに挑む序盤はまさにシン・ゴジラの対ゴジラ会議のような面白さがあったのだが、物語が進むに連れて4サイドの主人公が強調され、プロフェッショナルたちサブキャラの影が薄くなったのは惜しい。とは言え、組織を描いた作品としては当然のテーマであるかもしれない(シン・ゴジラはそこの描き方は巧みだっただけで)。

 ただ、正確にはシン・ゴジラからフィクション(ゴジラ)を抜いて近年の政治や文化ネタ(想定外の出来事やら硬直した権威やら善意の押しつけやら風評被害やらアメリカへの反感やら)とヒロイック性を加えた作品と表現でき、それだけにシン・ゴジラにもあったフィクション的なヒロイック性が極めて強調されたグロテスクな作品になったことが否めない。

 それが1番際立つのが主人公の1サイドとなるテロリストを追う2人の警官。何と独断でテロリストの情報を秘密にして自分たちだけで解決しようとする。擁護しておくと、これは自分たちだけが知っている情報を持ち、上に報告しても取り入れられず、良い解決法を見つけたことによる「善意」から来るのだが、結局は核爆発は起こらずとも臨界を起こした挙げ句テロリストの目的の1つを達成させた体たらく。うーん、ダメでしょう、これは。

 実のところこの作品、テロリストに協力する日本人主人公が飛び抜けて万能の能力を持っており、彼女とISIS戦士主人公が手を結ぶことでCIAや警官ら日本政府サイドにとって「想定外」の出し抜きが連続して起こり読者をハラハラさせるのだが、そこでスタンドプレーに走るのはいかがなものかと思うのだ。結局、何が起こっても責任なんて取れないし取りようがないのだから。

 物語のエンディングを書いてしまうと、核の臨界はテロリストに協力する日本人主人公の「自己犠牲」でもって処理される。核爆発という最悪の事態は免れたものの、それなりにマシと言う程度であり、さらに言えばもっと「想定外」の隠し玉をテロリストが用意していれば核爆発が起こっても当然だった。作中ではみんな頑張て良く出来ました的な終わり方だったが、日本政府サイドの主人公は完全敗北と言って良いレベル。「未曾有」の大危機の中で対応した警官主人公は政治家を評価する時の「結果ではなく努力」という基準がエピローグで用いられ、上で書いたヒロイック性と結び付くことでスタンドプレーの罪を問われないまま終わる。これをグロテスクと言わず何と言おう。この軽さは、組織として動き責任をとったCIA主人公、テロリストとして散ったISIS戦士主人公、その場しのぎの「自己犠牲」ではあるが事件を収めたテロリストに協力する日本人主人公と比較することで明確になる。

 そもそも警官主人公が暴走した理由である組織への不信が恐らく今後の日本社会を考える上でのキーワードになるだろう。この作品、リアルなだけに日本社会に対する不信を表に出した作品としても見事。CIAとかISIS組織は一枚岩ではないにしても足を引っ張る連中は少なく、組織としての目的をみんなで共有しておりそれぞれのミッションを成功させてはいるのだが、それと比較される日本政府はグダグダ。シン・ゴジラで「御用学者はダメだ」みたいなことを言われてたシーンを想起させる会議があり、ダミーの爆弾に対して反論を耳にも入れず戦力を全部投入してしまったり(これってイタズラに極めて弱いよね……)、恐らく都民を避難させる際も必要未満のことしか言わずにとりあえず危険区域から出て行かせたんだろうし、一回方針が決まるとそれを変えることはできないと組織のメンバーすら諦める始末。その全ての結果が上にも書いた警官主人公のスタンドプレーと核臨界になる。要素要素は僕も納得できるし、体験したことはある。それで本書の中では今後の日本がやるべき提言みたいなことが書かれているが、そんなことより、いやそれも含めて日本人が日本社会を信頼するグランドデザインを描かなければ本当に大変なことになると感じた。何がアレかと言えば、現実にはこんなシナリオ的に有能な警察官もいないと思われる(そもそもテロリストの協力者を何でここまで信じられたのだろう、結局裏切られたのに)ので余計に事態は悪い。

 そうそう、エピローグを「自己犠牲」を行ったテロリストに協力する日本人主人公の視点で描くことで、何か良い雰囲気にしつつ暴走した警官主人公の罪を見えづらくしているのは姑息だと思う。上にも書いたヒロイックさを強めすぎた欠点である。



 もう1つ惜しい点を書くと、市民が、大衆の影が薄かったのもシン・ゴジラからの退行であろう。テロリストに協力する日本人主人公は東日本大震災に関連した悲劇を口にし、著者自身も大衆によるデマや科学への拒否が本書を執筆した(というか創作に対する)動機の1つと語っているらしいが、それなら余計に大衆の姿を描くことは必要だったと思う。本書で大衆が書かれたのはテロリストに協力する日本人主人公の同僚っぽいサブサブキャラを除けば、主に都心から整然と避難完了した結果(皮肉を言うなら「規律正しい日本人」という日本人の自己認識そのものだね)と事件に対する関連死という数字しかない。僕も最初は日本政府側主人公が親兄弟を心配する素振りすら見せず淡々と任務を遂行していく姿を格好良いと思いながら読んでいたが、大衆の様子が描かれないことに気付いたらそれが単なる不要な要素の切り捨てではないかと思ったのだ。本書のテーマを書くなら、大衆を描写すべきだった(というか核爆発によって被害を受ける大衆の姿が描かれない本書で、何で登場人物がここまで危機感を持っているのか、東京の事情に詳しくない人は理解できるのだろうか?)。

 本書著者の良き読者ではないが、いくつかの短編を読む限り、「リアル」な作品を描こうとしたら極めて同時代性が高くなり数年後に古びている作風だと認識している(「行き先は特異点」)。まさに本作もそうだと思う。

 未来からのイチャモンになってしまうけどとりあえず書きたいのは、後手後手で最悪から2番目の結末になった作中の日本だが、詳細は語らないものの住民の退去は完了させられているのは褒められるだろう。現実の3月5日なんて、コロナウイルスで現状(日本にウイルスは入ってきたのだからそれ前提に行動しよう的な話)を明言せず、大丈夫ですと警戒してくださいと言い張り、戒厳令を狙っているとしか思えないのだから。

 正しく現実に追い越された作品であろう。

「滅びの鐘」(乾石智子、東京創元社、2019)

 どこに出しても恥ずかしくない異世界ファンタジー(これも手垢がついた言葉だけど)。

 対立する2つの民族がいて、その和解の象徴として「鐘」があった。その「鐘」が壊され、呪いが撒き散らされて、民族間でいがみ合いが起き、果たしてどのようにその争いは集結するのか……という物語。

 ジャンルはファンタジーで、確かに魔法のような存在はあるんだけど、一般的に思い浮かぶ攻撃呪文とかドラゴンとか妖精とかエルフとか魔族とか伝説の武具とか意思を持つ剣みたいなものはない。古えから伝えられた知恵や人々を鼓舞する言葉などが魔法として扱われ、確かに超自然的な力を帯びているように思えるんだけど、あからさまには描写されない。その抑え気味の書き方は面白いと思うが、つまらないと思うかは人によるだろうが、僕はこの手の描写は好きだな。

 この作品は現実と異なるルール(超自然の力)が極めて限られているので、登場人物の気持ちが極めてリアルに感じられ、出来事も基本的には読者にとって自然なものに思われる。結果として生き生きとした作風となる。一番超自然的であろう呪いを纏った人物ですら、日本人の僕にとってはある種の地縛霊みたいなものとして理解できたのだ。読みやすいんだけど色んな出来事があり、結果として内容が濃く感じるのが本書の特徴。



 登場人物も主人公たち3人組の成長を丁寧に描いている。主人公の家族も生き生きとしており、後の悲劇の効果を高めている。敵役の2人の王子も単なる冷酷無慈悲な敵ではなく、敵役やってる間も政治をやっていて知性も冷静さも感じる。魔法使いの爺さんは……直情的と描写されているので作中では問題ないのだろうがトラブルメーカーだよな……。それでもって呪いとともに召喚された人物は敵味方に呪いを振りまくはた迷惑な存在であり、それでも過去を知ると同情できる面もある。どのキャラクターも一面的な薄い人物ではなく、「鐘」によって強調された部分はあれど、複雑な性格を有したキャラクターとして描かれ、だからページをめくる手が止まらなかった。



ただし不満がないわけではない。

1つ目は、主人公の生まれの民族が極めて欠点のない慈愛に満ちた優等生的で悲劇的な民族として描かれていること。芸術や創造の才に溢れており人口が少ないわけではないものの、後からこの地にやってきた粗暴な民族に支配され、物語開始時点で一方的に虐殺を受け、それでもまだ逃げ出していないという天使みたいな人たち。物語序盤で主人公の住む地では2民族が仲良く暮らしてるという描写があったが、虐殺事件があってもまだ仲良くできるの? 物語のエンディングで再び仲良く暮らしました、で終わるけど、作中で粗暴な民族がこれでもかと弾圧と虐殺を行って、それでまた仲良く暮らせられるの? 個人的にはこんな事件があったらもう互いに住む場所を分けるしかないと思う。特に主人公の民族はすみかを離れ、旅の先である程度の生活を組み立てているのだから。必要以上に美化された描き方をしていると思う。

もう1つあって、結局のところ、粗暴な民族による作中の虐殺というのは「鐘」を破壊した呪いに帰結させようとしていないか? という疑念を持ってしまった。劇中で「鐘」を修復すれば憑き物が落ちたようにみんな殺意を失うような描写があったが、結局の所は全て「鐘」のせいってこと? それなら「鐘」を壊した魔法使いの爺さんや、呪いの主に全ての非があるのでは? 呪い抜きに作中の暴力は粗暴な民族の本性だと言うなら、それに対しての落とし前がなかったのが残念。

なんというか、僕は読んでて最終的に話がウヤムヤになった感を持ち、何でそう感じたかと分析したら、上2つが原因だと気付いたから。



 とは言え、ファンタジーとして、ビルドゥングス・ロマンとして素敵な作品だ。魔法というものが言霊のようなものとして扱われ、人々に親しまれているが派手な活躍はしないという抑え気味の描写は面白い。地味な見た目だからこそ活躍したときの派手さを感じることができる。

 この作者の他の作品も読みたい。

2020年2月20日木曜日

Corpse Grinder Cultファーストインプレッション

※キャンペーン始まる前に書いた記事。今は違います。

 ジャイホビのキャンペーンに参加するのでファクションとして選んだコープスグラインダーカルト。当初は儀式ルールのあるケイオスカルトが面白そうと思ったのだが、持てる装備がイマイチ微妙そうだったのでこちらにした。遊んでみたらかなり振り切った性能で面白い。
 他のネクロムンダのファクションとは極めて大きく異なるので特徴を下記にまとめる。

Pros
・チャンピオン相当が開始当初から3体入れられることや装備できる武器の関係もあって近接戦闘は極めて強い(特に突撃時)
・リーダー・チャンピオン・ギャンガー相当は射撃武器が一切装備できない(グレネード除く)とできることがはっきりしておりその分コストが安い
・専用装備である高性能な仮面を用いてデフォルトでセーブを5+にできることなど防御面がしっかりしている(リーダー除く)
・一般ギャンガーですら全員スペシャリスト扱いで育成にランダム要素がない
・専用スキルの取得や、デフォルトで持ってる能力や武器など他のギャングに比べてお得感がある
・ミニチュアが格好良くその手のモチーフが好きな人には大ヒットする
・脳筋ファクションの割には移動が平均レベルにはあるのでシナリオは普通にこなせる

Cons
・チャンピオンはレピュテーション等に関わらず3体までしか入れられず、チャンピオンが3体いるとジューヴをアップグレードしないか既存のチャンピオンを退職させるしかない
・ジューヴ以外射撃武器を扱えない
・特に一般ギャンガーは白兵武器しか持てないのにWが1なのでジューヴより使い所に困る
・ステータスやスキル面で白兵戦でもゴライアスに比べると弱さが目立つ(射撃戦では比べ物にならないくらい弱い。当たり前だけど)
・特に鉄面皮(Nerves of Steel)を確実に取得する方法がないので被弾によるPinが怖い
・移動も胆力も意志力も並なので白兵戦に引き込むのが大変
・シナリオ戦でも突撃できなかったらわざわざコープスグラインダーでやる意味ない
・特殊ルールが多く処理を忘れがち(特にInjuryに対する仮面による軽減効果)

 良くも悪くも突撃に特化したファクション。もはや白兵戦ですらない。突撃したアクションでは通常のファイターなら粉砕できる(互いに未育成なら期待ダメージ的にゴライアスでも瞬殺状態)ので全てを突撃にかける。ギャンガー以上は白兵武器しか持てないが(グレネード除く)、ジューヴなら数種類の射撃武器が持てる。そのためハンドフレイマーが神武器扱いとなる。
 突撃さえできれば相手を殴り殺せるけど、そこに至るまでが大変というか、相手の油断を誘わないと難しい。白兵戦しかできないためやれることも限られてるし。
 やはり射撃ができないこともあり、キャンペーン後半ではパンチが足りなくなることが予想される。正直、移動しながらヘビーボルター撃てる連中と戦うには不安しかない(Step AsideやParryも白兵戦にしか使えないし)。
 また、他のファクションに比べてジューヴ(特にハンドフレイマー持ち)の価値が非常に高く、囮役としてはコストが高くなりがち。全戦略の要とも言える大事なユニットなのだが、殺されるのを警戒して相手と戦わなかいと本末転倒である。