2020年12月31日木曜日

はじめに(2016/Dec/29更新)

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2018年6月7日木曜日

「不思議屋/ダイヤモンドのレンズ」(フィッツ=ジェイムズ・オブライエン、光文社古典新訳文庫、2014)

 読書会の課題図書だったから読んでみた。
 ジャンルも、定番のガジェットもなかった頃だからできた幻想的なごちゃ混ぜ小説の数々。一見、怪奇小説や幻想小説かと思うが、科学を含む理屈が(かなり怪しいながら)根底に流れており単に不思議な話なわけではない。考えてみれば、本書に収められた小説のいくつかは当時の具体的な地名・具体的な人名や話題が記されており、当時の読者は小説の世界が現実と地続きに感じられたのではないかと思われる。実のところ、創作の中に実在する固有名詞を入れ込む手法は僕にとっては戦後スポ根マンガの印象が強くリアリティ確保の手法という印象があるのだが、本書の小説が書かれた当時はもしかしたら完全に架空の世界を描いた小説は少ないあるいはなかったはずなので、小説の世界と現実は本当の意味で地続きだから現実の固有名詞を出したのかなとも思えてくる。テーマは非現実的なんだけど、そのくらい現実味のある作品たちであった。
 「ダイヤモンドのレンズ」はなんとな~く知っているというか、自分だけにしか見えない存在に恋焦がれて廃人になるジャンルの作品だ。その意味で今から読んでも目新しくはないのだが(今だったら怪しげな占い師のお婆さんをもっと物語に関わらせないと面白くはないだろう)ジャンルの元祖、なんだろうなあ。個人的には訳者の方が興奮するほどには入れ込めなかった。
 「チューリップの鉢」は半分サスペンス混じりのゴーストストーリー。当時の科学とオカルトが混じり合った理屈の付け方が面白い。当時は大真面目なサスペンスだったのかもしれないが、幽霊が科学の主流から外れた今となっては古き良き時代を感じさせる作品である。
「あれは何だったのか?──1つの謎──」は透明人間のような存在を描いたモンスターもの。目的も正体もわからない(時代的にまだそこらへんの理屈を考えようとも思わなかったかも)怪物が現れて捕獲されるだけなんだけど、妙に淡々とした流れがリアリティを感じる。
 「なくした部屋」はこれは一体何だったのだろうかというような不思議な作品。幽霊に騙されて部屋を盗られた、というシンプルな物語なのだが、今の視点から見るとそもそも盗られた部屋は本当にあったのだろうかみたいな深読みすらできてしまうのが面白い。それとか、物語としては善良な主人公が幽霊に騙される話なのだが、実は主人公は悪事を働いて部屋を得ており、幽霊たちはその復讐だったのではないかみたいな……。ストーリーのパターンが読めてしまうのはジャンル化の弊害だが、この作品ではむしろパターンが思い浮かぶのが「深読みしがいがある」と評価の対象になると思う。
「墓を愛した少年」。個人的にはあまりおもしろくは読めなかったなー。
 ロボットモノの古典とされる「不思議屋」は確かにロボットだった。とはいえまだ本作品の時代は人間の命令に従うだけの存在であり、使い魔とか式神とあまり変わらない。最終的にロボットの操り手は不注意からロボットに殺されるんだが、ロボットモノの主要テーマであるロボットの反逆とかじゃ全くなく、単なる自滅だな。それもかなりご都合主義感が高い。善き人々である囚われの少女と障害者の青年では悪人どもを倒す手段が見つからなかった模様。
 「手品師ピョウ・ルーが持っているドラゴンの牙」は中国モノ、らしい。ワタクシ、白人作家の書く中国モノとやらに詳しくないので、面白く読んだ。確かに中国要素は味付けレベルしかない……というより風俗文化の描写が薄いので無国籍な世界感がある。「ダイヤモンドのレンズ」でも「不思議屋」でも、描写のディティールをなくせばこんなもんになるのでは? 聊斎志異とかに比べると登場人物の行動などで中国要素がないんだなと思った。
 最後の「ハンフリー公の晩餐」。金持ちのボンボンが金の大切さを知らずに破滅しかけたけど救われるお話。主人公である元金持ち2人が自業自得感があって入り込めなかった。彼らにお金がなくなったら生きていけないはずなのに何か切迫していなく、悲劇の主人公的なナルシズムが入っていると思う。演劇的な会話と食事の演技に至っては健気というより楽しそうだなあ、と思ってしまった。そんな中で終盤手を伸ばされる救いは、むしろ2人が死んだほうが物語が美しく終わったと思う。頭の中で作った悲劇的なシチュエーションって感じ。

 古いけど逆に新しい部分があり、かと思うとやっぱり古びてしまったと思わせられる部分もある。これが中世レベルまで古ければむしろ面白かったのだが中途半端に古いので古さを余計に感じた結果となった。

2018年6月1日金曜日

「モンストレス vol.1」「モンストレス vol.2」(マージョリー・リュウ作、サナ・タケダ画、椎名ゆかり訳、誠文堂新光社、2017以降続刊)

・「モンストレス vol.1」&「モンストレス vol.2

 このマンガ、密かにここ数年の日米マンガで傑作と考えている(ファイブスター物語14巻は除く)。
 が、翻訳マンガの常として、売れるかどうかわからないのでそろそろ感想を書いておくかと思った次第。以前、応援するならブログで記事にしてくれと誰か作家の方が書いていたので、翻訳&出版が危うい海外マンガは感想文をこまめに書かねば。

 さて、名前からわかるかもしれないが、絵担当のサナ・タケダ氏は日本人であり、もともとはセガのスタッフだったらしい。そのため、海外(特にアメリカ)マンガにしては「濃く」ない絵柄なのだ。絵を見ると明らかに日本のマンガ風で、特にメインキャラの1人である狐少女は顔に描かれる線の少なさもあって色調が薄いシーンでは完全に萌キャラ風の顔貌をしている。そう、この作品は日本人が読んでも違和感なく読める海外マンガとして貴重なのである。そういや同じハイファンタジージャンルだと「ウィカ」とは正反対だなあ。「ウィカ」の発狂寸前のゴテゴテ感と何も隠さない濡れ場シーンは、あれはあれで日本人からすれば異文化感満載で面白かったが、1冊読めば胸焼けする。それに比べると「モンストレス」の日本マンガ風ながらそこそこ写実的で、またヌードすら見せない一方で狐少女の着衣水泳を描く(というか、狐少女の仕草がどれもこれもフェティッシュだと思う)、みたいなフェティシズム要素のあるマンガはお腹いっぱいになるまで何回も読めるのである。
 もう少しキャラクターの絵柄について書くと、日本のマンガはよく鼻がないと海外の人から言われるらしく(「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議」に確かそんなエピソードがあった気が……)、そんな日本マンガに慣れてる人からするとアメリカのマンガは線で鼻が描かれ写実性が高い。ではこの「モンストレス」はどうしてるかというと、成人のキャラは昔の少女マンガみたいに鼻を線で描く……かと思いきや、日本のマンガみたいに鼻の下部のみを線で表してるコマも多い。その代わりとして、鼻の隆起や影を色で表現しているのだ! これは凄い。読者はちゃんと鼻があると認識できるし、鼻を描かない=顔がのっぺりさせる表現もできる。そう、このモンストレスは線で鼻を表現していない分、キャラクターがどれもこれも若々しく見えるのだ(「ザ・ボーイズ」とかと比べると本当に若くて小奇麗に見えるのよ)。更に言うと、キャラクターってデザイン的に東洋人なのかねえ。絵柄の影響もあってかアジア人に見える、が、作品の内容的に人種の細かい差異を感じさせないようにあえて薄味のアジア人顔に統一した可能性もある。せっかく作者の1人が日本人なのだから、インタビューでも載せてみてほしいな。

 ストーリーは、主人公が自分のルーツを追い求め、陰謀に巻き込まれ、異能に目覚めて追われて逃避行するという理解で良いのか? 物語の展開はアメリカのマンガでありがちな駆け足&省略気味。これはこれで何回でも読めるから好きだけどね。
 1巻では狐少女や喋る猫に出会いキワモノだなーと思っていたらこの世界では普通の種族だったことにびっくり。混血だと書かれていたが、半ばミュータント。2巻では船をチャーターして逃避行を続けるが出てくるキャラがサメ人間だったりタコとかイカみたいな人間だったり、ああこの手の連中もこの世界の1員なのね……と教えてくれる。なんというか、スターウォーズ的な着ぐるみ人外キャラがいっぱい出てくる作品であり、ケモノキャラが好きな人にはおすすめできると思う。顔の描き方が日本のマンガなので、ケモノキャラ、かなり可愛いよ。むしろ主人公を含め人間にはエロスさがないが、ケモノキャラは体つきや表情などがやたらに艶めかしい。

 世界観も過去に大きな戦争があって、その後の世界なんだろうとか、人間も含めた様々なケモノ種族が各々の立ち位置と歴史で動いてるっぽいとか、設定の多さが透けて見えるんだけど、セリフで表されてないのが憎い。一応、各章の終わりにSDキャラが設定を語るページがあるんだけど、それすら作中の用語や歴史が出てきて知らないことが増えていく……。あ、これってTRPG(ウォーハンマーRPG)の設定集を見ている感覚だ。

 見た目は日本マンガで読みやすい。僕は海外マンガだと意識はしなかったほど。すっごく面白いのでぜひとも多くの人に読んでほしい。そして翻訳も最後まで完結させてほしいと心から思う。

2018年5月28日月曜日

「コララインとボタンの魔女」(ヘンリー・セリック監督、スタジオライカ、2010)

 「KUBO」繋がりで見たスタジオライカ作品。
 調べると結構前の作品だったんだな。ストップモーションアニメなのでCGと違い技術に左右されなく、映像美が楽しめる。特に、キャラクターが歩いたりするシーンでは、本当にストップモーションなの? と思えるほど自然に動いていた。

 親から構われず不満を持つ少女が引越し先で怪しい人形を手にしたことで、理想の生活ができる異世界に行くんだけど、当然裏があってどうやって逃げる? というストーリー。登場人物がどいつもこいつもちょっと変な人たちばかりで、こりゃ異世界に逃避して当然かなと思った。良い人なんだけど変人なんだよねー、主人公の親。多少ネグレクト気味で、仕事の都合で友達からも引き離されて引っ越しするはめになった主人公が不満を持つのもわからんではない。とはいえ、どう考えてもヤバそうな異世界に耽溺するのは見ていて辛いものがあった。異世界って目がボタンになっててかなり不気味なんだよね。
 その不気味さはオープニングで少女の人形を解体してリニューアル(?)するシーンで感じ取れるのだが。異世界の冒険でキーになるアイテムも目に関連したものが多く、「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」ばりに目玉が乱舞する作品になるかと覚悟していたら、目が単なる光る石とマイルドに処理されてホッとする半面、石だから手荒に扱われてやっぱりヤバい雰囲気だった。
 そんな少しゾッとする感じが最高潮に達するのが異世界での家族の団らん。現実と正反対の優しいお父さんとお母さんなんて絶対罠だよ……もしくは主人公が見てる走馬灯とかだとハラハラドキドキ。主人公に都合の良いように動き、しかも目がボタンというビジュアルでヤバい感じを視聴者に与えてくれる。

 まあ、結局は子供向けと言うか過度にショッキングなシーンもストーリーもないんだけど、子どもにありがちな現実逃避でしっぺ返しを喰らうという設定は夢もキボーもない気にさせてくれる。いやちょっとくらい幸せな夢見たって良いじゃん……。主人公が異世界の幸せな家族を堪能するのは、単なるおっさんである僕が子供向けのアニメを見て楽しむのと同じだから……。

2018年5月1日火曜日

「レディ・プレイヤー1」(スティーヴン・スピルバーグ監督、ワーナー・ブラザース、2018)

 長いよ。でも退屈になるということはなく、見ごたえがあった。ただし長いしネタが往年のサブカルチャーと偏っているので合わない人には合わないだろう作品。

 個人的には一番気になったのは世界観の方だ。スラムめいたところなのに1日中ゲームに没頭してられる余裕。主人公の育ての父は引っ越しの貯金をゲームに費やしてしまうダメ人間なんだけど、別に引っ越せないからといって生きるか死ぬかの瀬戸際的悲壮感があまり感じられなかった。スラムで育ったはずの主人公ですら割と簡単に通販が行えており、それなりに金があるじゃないか。映画冒頭のトレーラーが縦にスタックする中、主人公が地上に降りるシーンは幻想的でかなりワクワクしたんだけど、物語が展開して以降は全くスタックされたトレーラーは出てこなかった。ゲームの世界はいわゆる普通のゲーム世界なのでわくわく感がない。ちゃんと(映画の)現実世界でアクションしようぜ。
 この「現実世界」、本作でも重要なテーマとなってるんだけど、僕としてはこの映画はゲームに耽溺するのは格好悪いと主張するために作られたんじゃないかと疑っている。だって、出てくるゲーマーはかなり格好悪いもの。Gガンダムのモビルトレースシステムみたいにわざわざ体を動かさないとならないゲームシステム。映画のように第三者から見ると、ゲームを遊んでいる光景はかなり不気味である。
 そしてゲームでロストしたため発狂する社会人や学生共。挙句の果てには悪のサードパーティ企業でスーツを着た中年のおっさんが部下を侍らせ大真面目にVRゲームにダイブ! その悪の企業ではゲーム世界を支配するために奴隷をこき使って……いわゆるファーミングしてるんだけど、それなりに名前が知れてる会社でも特にゲーム世界を支配できてるようには思えない体たらく! 10年ほど前の日本のMMOブームの方がファーミングの害はひどかったと思う。スター・ウォーズの帝国軍じゃないんだから、安易にハン・ソロをのさばらせちゃいかんよ。
 「レディ・プレイヤー1」はこんな感じで設定が薄いんだよね。単に固有名詞を借りてキャラクターを集結させるのではなくて、もう少し物語の根幹から「登場」させてくれれば嬉しかったんだけど。

 もう1つ気になったのは、ゲームのテーマであるイースターエッグ探しがどいつもこいつも単なるシステムでしかないってこと。特に1つ目のレース、誰か試してみる人はいなかったの? イースターエッグを仕込んだ人は自由が好きだったとのことだけど、その意思を継いだプレイヤー共はバグを見つけて道を切り開くようなガッツは受け継がれなかったようで。この点、同じゲーム的仮想世界を描いた傑作「百万畳ラビリンス」(たかみち、少年画報社、2015くらい)とは比較にならない。そういや映画内でもゲームを遊んでた連中は与えられたシステムの範疇でしか遊んでなかったっぽいからなあ。ウルティマオンラインのプレイヤー的な遊びを生み出す知恵といたずら心は消え去っている模様。

 んー、面白く観たんだけど、改めて感想文を作るとなると批判が多くなる。これは、映画としての設定・ストーリーが薄いもしくは駆け足気味である一方で、ご都合主義とか言われる部分を懐かしのキャラ・青春の輝いていたキャラを出すことによって回避をしてるんだけど、当然出ているだけでしかないからであろう(もちろんサブカルチャーに対する愛もあるんだろうけど)。場面場面で見ると面白いんだ。よく見るとこんなキャラが出てる! 的な宝探しの要素もあるし。でも1本の映画としては厳しいものがあった。
 この手の作品で単に「◯◯が出た! 戦った! おもしろーい! でもそれだけー」で終わらせないためには、設定とかをちゃんと作り込むべきだと思った。



 その他細々した感想:
・アメリカ人って有名になったら、そんなに顔を売りたいの? 僕は有名になったからと言って人々の前に出ていって「いえ~い」ってやる文化は理解できないな。
・ゲームの世界ですら対人でVRディアブロ的なバトルゲームやって生き甲斐感じるのってかなりディストピア感満載なんだけど……。アメリカ人ってこういうのに憧れがあるの?
・ゲームバランスをぶっ壊すようなアイテムを作り出してはいけない。っていうか、全くバランス取れてないと思うんだけど、本当にこのゲーム面白いの?
・今まで文句を言ったが、この映画で良かった点はアクションシーンでスローモーションになる場面がなかった(または気にならなかった)ところ。SAT(スローモーション・アクション・テスト:ダサい映画はスローモーションのアクションが入っているのでこのテストを考えついだのだ)には合格した。え、「パシフィック・リム:アップライジング」? 当然不合格だった。
・クライマックスが衆人環視の中で1人用ゲームをプレイするオタク(タトゥーが過剰であまり格好良くないアバター)という地獄絵図を生み出したスピルバーグ監督は天才だと感じた。
・主人公周りでネカマやってる人がいないのはなぜ?

2018年4月24日火曜日

「メカ・サムライ・エンパイア」(ピーター・トライアス著、中原尚哉訳、早川書房、2018/4/18)

 ワタクシ、前作に惹かれてしまい、早速この作品も買ったのだ。それも銀背で。文庫本に小ささは魅力的だが、分冊になるくらいなら銀背1冊の方が取扱いが良くて便利だと思う。

 ともかく、ピーター・トライアスのメカ・サムライ・エンパイア(ナカグロ多いな)、前作が軍人と特高警察のバディものだったのに対し、今作は学園モノになって青春劇に変わった。今まで読んできたのが偏ってたのかもしれないけど、欧米作品で学園モノってかなり新鮮。登場人物も、落ちこぼれの主人公に、悪友に、ヒロイン力の高い優等生に、ごきげんようを操るお嬢様と隙のない作品になってる! そうそう、忘れてたが、当然今作は巨大ロボットに乗って戦うシーンが豊富にある。前作は巨大ロボットのシーン、いらないとまで書いてしまったが、それとは正反対だ! 主人公が巨大ロボットに乗る! 巨大ロボット同士で戦う! 正統派のヒロインがいて敵味方に分かれてしまう! サブヒロインもよりどりみどり!
 日本の深夜アニメフォーマットに限りなく近いんだけど、これ、アメリカでヒットできたんだ……。

 本作では学校と呼べるものは3つあり、最初の舞台はジョックスとナードが出てきそうなコテコテのアメリカの高校、次にスターシップ・トゥルーパーズ的な軍隊学校、最後にエリート士官学校とシチュエーション豊か。主人公の立ち位置も落ちこぼれて挫折(事件発生)→努力と根性で一人前に(事件発生)→経験豊かでそこそこ強い(最後の事件発生)と徐々に強くなる感じ。それでも「最強」と呼べるほどではなく、ラストバトルではある種お荷物だったわけで、簡単に無双をさせないという筆者の決意を感じさせる。ストーリー的には、学校に入って事件が発生して、主人公がそれに対峙して強くなるという形で話が進むのでダメダメな主人公に感情移入してても唐突に強くなった感じはない。むしろリアル世界で取り柄のない人間こそ、今作の絶妙な強くなり方(モブより強いけど、最強チームの中では最弱)に惹かれると思う。

①A・NI・ME!
 キャラクターの配置が深夜アニメを彷彿とさせる。巨大ロボットにしても作中世界の技術にしても映像映えしそうである。とは言え、訳文の関係なのか、キャラクターがかなり類型的なアニメキャラなので実写はキツイかも。
 特に民間軍事会社に入った後は年齢にそこそこバラツキがあるはずなのに、学園モノとしてお約束が踏まえられてるのは面白い。ヒロインも常に数パターン出てきて、彼女らの「属性」通りに振舞う。
 擬似的に三部構成にしてあるためか、ヒロイン・サブヒロインとの関係は学校ごとのシチュエーションが異なる。ヒロインとして丁寧に描かれる第一部、群像劇ながら先生やら親友の彼女が登場しそこに正ヒロインが現れる第二部、第三部に至ってはエリート学園に入学して半ばハーレムに……。
 しかもこの作品はもちろんヒロインとのお話だけでなく、ちゃんと巨大ロボットに乗って戦ってる。前作はなぜか巨大ロボットのシーンが少なく、007的なスパイアクション気味であった。確か前作の感想文では一部の巨大ロボットのシーンはいらないとか暴言吐いた気がする。今作は主人公の成長が巨大ロボットに乗ること、乗って強くなることと同意なので、ストレートに巨大ロボットモノとして楽しむことができる。……その代わり思想面では多少の後退が見られるのだが。

②ナチスVS大日本帝国
 ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン(USJ)というアメリカナイズされた大日本帝国を、占領されたアメリカの地から皮肉な目線で眺めていた前作に比べると、今作は大日本帝国への皮相な視線は見られない。それは、今作がナチス対大日本帝国ってことで日本側が前作ほどには悪し様に描かれてないのだ。USJもすでに長い時が経っており大日本帝国によるアメリカ大陸占領も当たり前のようになっている。個人的には前作のUSJを通じてアメリカの理念を問い直す作風が好きだったので今作でアメリカ的思想が影も形もなくなったのは悲しいけど、仕方がないのか。面白いのは、大日本帝国が意外と徳の高そうな統治をしているのに対し、ナチスは人種差別がひどく総統崇拝者は狂人っぽく描かれていること。ナチスは否定せねばならないが、大日本帝国はそこそこオッケーなのか? イデオロギーの衝突がなくなったため、エンタメ性は上がったが、深さは薄れたと思う。

 先の話に関連するが、もともとアメリカに住んでた白人の様子は描いていない。今作で登場する白人はナチス関連のアーリア人。もちろん主人公の階級が学生だからってこともあるけど、バリエーション豊富なアジア人のラインナップに比べるとわざとだとわかる。USJはアジア系がマジョリティとしてちゃんぽんになって、アジア人にとっては天国みたいな形で描かれるんだけど少し大日本帝国を美化し過ぎな気がする。それとも、現実のアメリカがアジア人差別がひどいと著者が考えており、それに対するカウンターとして描いているのかな。
 ただし描写が少ないけど主人公らの優雅な立ち位置はエリート兵士の卵だからってのを要所要所で書かれる。一般の労働者が出てこないストーリーだから作中の大日本帝国の負の側面は見えないんだけど、前作を踏まえると一般市民にとっては生きづらい社会であり、しかしそれが巧妙に隠されているのが今作での皮肉な視点と言ったところか。そもそも兵士は使い捨てられるシーンが繰り返し描かれ、主人公が強くなっても兵士である以上は所詮は歯車でしかなく、物語の最後に主人公は仲間と共に軍に反抗するんだけど、それすら恐らくもっと権力を持った人の手の平の中っぽいことが暗示される。
 続編は大日本帝国のユートピアを描いて、いきなりドン底に叩き落とす作風になってほしい。作中の大日本帝国はアジア人からすればある種の理想かもしれないけど、天皇への忠誠が必須で、生活は特高に監視され人体実験も行われている世界であるため歪みは広がってると思う。9.11みたいにテロが起こって、巨大ロボットが絡み、最終的にUSJの理念を否定するストーリーを読みたい!

③巨大ロボット
 前作は表紙詐欺で……いや、もうウジウジと過ぎたことを言うのをやめよう。今作は素晴らしいものになったではないか。
 世界観としては巨大ロボットが普通に兵器となっている世界で、戦車とか戦闘機は一切出てこない(と記憶している)。大日本帝国はメカ=巨大ロボットを運用しており、表紙とか見ると二足歩行のように思えるのだが(シルエットを見てガンダムみたいと思った人は多いだろう)、カニ型だったり、カモシカ級(どういう姿だ)やニホンザル級(これもなんなのだ)などとてつもない巨大ロボットが色々出てくる。武器だって剣や短剣、槍の他に分銅や鞭などよりどりみどり。対するナチスはエヴァンゲリオ……ではなく細胞を使用した生体巨大ロボット。作中の描写からは半ば死体を利用したサイボーグのような存在で、表紙を見るとその姿はまるっきりKAIJU。正統派の巨大ロボットものであるこの小説のせいで「パシフィック・リム:アップライジング」が吹き飛んでしまった。ハハッ、残念だったな。
 そればかりではない。この作品は戦争に巨大ロボットが実用化されているという設定のため、シミュレーションや訓練シーンや操作の様子、果ては各人に割り当てられた試作機をカスタムするなど巨大ロボットモノに関連する戦闘以外の要素をフェティッシュなまでに丁寧に書いている。操縦席は頭にあるけど、頭が破壊されたら操縦席が自動的に腹部に退避するため、頭を破壊したら即腹部も破壊する訓練……ってそんなマニアックな設定は必要だったのだろうか。もちろん巨大ロボットファンは喜ぶ。こういう細かな設定を見てると、やっぱりアニメっぽいというか、この手のお約束がわかっている人へのアピールポイントにしてるんだなあと思う。



 総合的な感想としては、ぜひとも読んだほうが良い。できれば前作「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」を読んでからがベスト。ツイッターとかでは最初に今作「メカ・サムライ・エンパイア」を推す人が多いけど、USJの成り立ちや葛藤を知らないままエンタメ性高い今作を受け入れるのはまずいと思う。解説では大日本帝国のディストピア云々と書かれているが、それは前作を読んだ人だから行間から受け取れるわけで、今作単体だと大日本帝国が勝利した歴史改変美少女巨大ロボット学園モノとしか認識できないと思う。
 それはともかく、さんざんアニメみたいだなんだと書いたけど、全体的な印象としてはコアなオタク向けではなく、普通の小説読みを対象にしていると思う。ストーリーは王道で挫折して乗り越えるという流れ出し、ご都合主義的なキャラはいない。上でマニア向けとか書いてたシーンは非オタクにとってはリアリティを出すための要素でしかない。なんだけど、オタクからしたら俺たち向けの匂いを感じ取れるわけだ。かなり巧妙な作品だと思う。

 そうそう、メカ・サムライ・エンパイアも前作ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパンも登場人物の名前の漢字はどうやって決めてるんだろう。なんとなく著者も漢字の選定に関わってるイメージだけど……。少なくともクジラはもうあの漢字の並びじゃないと世界観が感じ取れなくなってしまった。

「パシフィック・リム:アップライジング」(スティーヴン・S・デナイト監督、レジェンダリー・ピクチャーズ、2018年)

 「パシフィック・リム」の続編だ、いえ~い! ……いえーい。 ……いえ……い?
 これが前作のファン(少なくとも僕)の感想である。

 シナリオは前作の感想文でさんざんけなしていたため、正直そこまで期待していなかったが、後述する続編ということも相まってなおさらひどかった。もう1つ後述するが、今作は怪獣と巨大ロボット(イエーガー)とそのパイロットのキャラ立ても不完全のためジャンル映画としても失敗した印象を受けている。

【「続編」という悲劇】
 前作でストーリー的には完全に終わっていたのだ。そこに付け足しても蛇足にしかならない。そもそもなぜ太平洋の裂け目を閉じたのにイエーガーパイロットの訓練をしているのだろう。今作を見終わった後だと、イエーガーを配置しようとしたからそこを侵略者に付け込まれて怪獣が召喚したって構図なので、イエーガーを廃棄すれば良かったのに……という感想しか浮かばない。
 あと、エイリアン3でもそうだったんだけど、前作の登場人物を殺すことで物語を展開するのはやめよう。やめようよ……。
 前作で怪獣とドリフトしてしまった博士が黒幕になるのは捻った展開で面白かったんだけど、黒幕すぎて視聴者へ危機感を与えることが出来なかったのは問題だと思う。前作は何だかんだで地球の危機ということで多少の粗を吹き飛ばす勢いがあった。

【キャラ立て不足感】
 さて質問です。今作で新たに登場したイエーガーは3体ありますが(ブレーサー・フェニックス、セイバー・アテナ、ガーディアン・ブラーボ)、それぞれパイロットは誰が乗ったでしょう? さらに、それぞれのパイロットってどういう経歴でどんな関係だったでしょう?

 この質問に即座に答えられる人はどれくらいいるだろうか。正解はWikipediaの当該項目を参照。パイロットで印象深いのって、主人公であるジェイク・ペントコスト、顎おっさんのネイサン、一応ヒロインのアマーラ、整形外科医の息子、ロシア人の女、怪獣の血を浴びて怪我した男くらいであり、僕はパイロットの半数近くをモブとしてしか認識していなかった。
 前作の場合、ロシア夫婦と中国3兄弟は大破シーンもある上、夫婦や兄弟として認識できるので、人数の割にキャラ立ての不足感は感じなかった。それに対して今作は、そもそも主人公の紹介シーンが長い(と言っても前作と同じくらいだけど)割に、新たなパイロットが大量投入されて余計にモブパイロットの影が薄くなってしまった。前作の主人公ペアを据え置きしちゃいけなかったのかなあ。
 モブパイロットが覚えられない問題に対しては、スーサイド・スクワッドと反対のメソッドで、各パイロットのキャラを立てるシーンを序盤に入れたほうが良かったと思う。時間に余裕があればイエーガーも。今作はジプシー・アベンジャーですら印象が薄いからなあ。アクションフィギュア買うかと聞かれたら、拒否するレベル。
 怪獣に至ってはもはや言葉も記憶も出ない。今作は絶対怪獣映画じゃないよ。今作の怪獣って特殊能力があったっけ?

【設定の破綻】
 これが最大の問題なのだが、はっきり言って設定が破綻しているとしか思えない。イエーガーの肝であるドリフト(ブレインシェイク)なんだけど、前作では夫婦や親子、兄弟の方が心を重ね合わせやすく、前作の感想文で主人公とヒロインがろくなイベントもなくドリフトできたのに文句を言った覚えがある。今作では誰も彼も訓練所で顔を合わせだだけの連中が簡単にドリフトしている。技術の発展? 訓練の効率化? うーん、そういうことにしても良いのだけど、ドリフトに適合するパイロットが少ないからイエーガーを大量に運用できないはずなんだけど、ゴニョゴニョ。
 ついでに最後のシーンもあれだよね。超デッカイ怪獣を倒すのが成層圏からの自由落下。え、これで倒せちゃうの? しかもこれでジプシー・アベンジャー壊れちゃうの? 前作ではバーニアを吹かしてたとは言え、同じ様に空から自由落下するシーンがあったため、ジプシー・アベンジャーってジプシー・デンジャーより脆い印象を受けた。ラスボス怪獣を倒すのといい、もうちょっと創意工夫をだね……。



 と、文句を言っていたらキリがない。偶然、同じ時期に「メカ・サムライ・エンパイア」読んでたけど、そっちのほうが巨大ロボットものとして魅力的だったなあ。そういや「メカ・サムライ・エンパイア」のバイオメカって怪獣としても読めるから「メカ・サムライ・エンパイア」の印象が「パシフィック・リム:アップライジング」を上書きしておる。
 真面目な話、ふと思ったが、もしかしたら「パシフィック・リム」の設定で描ける要素ってもしかしたら1作目の時点で相当消費してしまったのではないかと感じた。パートナーとの対立、パイロットの過去とその克服、ライバルのイエーガー、チーム戦、空を飛べないイエーガーが空を飛ぶ方法、怪獣、カミカゼアタック……etc。「パシフィック・リム:アップライジング」は前作で足りないと不満を言われていたシーンを色々入れたらしいが、自家パロディにしかなってないのが何ともかんとも。ヒロインであるアマーラの過去なんぞ前作の森マコそのものなので、本気でパロディにしているのか偶然似ただけなのか今でも首を捻っている。
 最後に、この作品で僕が一番唖然としたのは、最後の決戦の舞台は東京なんだけど、そこにガンダム像が出てきてストーリーに一切絡まないこと。直前のシーンでイエーガーが破壊されていたため、てっきり実はガンダム像がイエーガーだった! と盛り上げるのかと思ってた。全くストーリーに絡まないあのガンダムの意味ってなんなんだろう。