2020年12月31日木曜日

はじめに(2010/Dec/29更新)

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2017年1月12日木曜日

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」(ギャレス・エドワーズ監督、ウォルト・ディズニー、2016)

 2016年の最後にこんな大作を持ってきたなんて今年は豊作だなあ。

 今作は完全に外伝。そのためおなじみのキャラはほとんどいない。そのため時たま出てくるダース・ベイダーが「そう言えば今作はスターウォーズの1作品だったんだ」と思い起こさせてくれる。とは言え、魅力的な宇宙船やエキゾチックな風景の惑星、色々な姿を持った宇宙人たちはスターウォーズらしさを全く損なっていないく、それでいてキャラクターが一新されたことで新鮮さを印象付けている。
 視聴者にとっても完全に新規のキャラクターたちが主人公だったので、どこの馬ともしれない奴らが集まって英雄的行為を成し遂げるという物語のテーマとも、見ていてシンクロした。そして、あくまでも外伝であり多くのキャラクターは本編との整合性を取らなくて良いため、本家スターウォーズではありえないような展開(ラストは主人公たちが死ぬ)を成し遂げた。外伝だから色々なストーリーを試みられるっていうのは、ガンダムで言う正史みたいなものであろう。
 何にせよ主人公たちをフォースと無関係の存在にしたからこそ描けた物語や描写が色々あった。
 その筆頭が、フォースに接したことのないはずの登場人物たちが盛んに言及するフォースという新たな宗教だろう。個人的にはもっとフォース成分を薄めたほうが良かった気がするが、とりあえず主人公サイドはフォースの使い手はいない。そもそも時系列的に昔であるエピソード1~3を見ただけだと、フォースの使い手=ジェダイの騎士は権力者と結びついており大衆がフォースの力に接する機会はなかった印象を受ける。そしてジェダイの組織はエピソード3で壊滅しているので本作の反乱軍にフォースの使い手がないってのは当然であろう。チベットの修行僧に似たチアルートもフォースの加護があったかなかったかわからない描写に留めている。個人的には序盤でフォースを一笑した主人公たちが中盤以降フォースにすがるのはいまいち理由つけが薄いと感じたが、それもあってフォースの宗教性が際立って見えた。正直、今作ではおなじみのジェダイの騎士は出てこないのだから、一般人を主人公に置いた外伝ではフォースは敵が用いるものと描写して主人公たちは一切言及しないほうが物語がスッキリしたと思う。

 ちなみに一般人と書いた主人公ジンだが、生まれはデス・スター設計科学者という偉い人の娘。「神話」の主人公は特別な生まれである……と看過したのは誰だったか。スターウォーズシリーズは(エピソード1~3を除くと)一貫して特別な生まれである人間を主人公に配置し、家族との対峙や自分のルーツの探索と共に物語を進めてきた。言ってしまえば「家族の物語」という名の「血筋」の英雄譚を描いているし、今作もそれは変わらない。主人公のジン以外の主要メンバーになると急に家族の影が薄くなるのも今まで通り(エピソード4~6もハン・ソロとか、エピソード1~3もオビ=ワン・ケノービとか、サブキャラは完全に「役割」として登場していたね)。
 それでもやはり、いわゆる名もなき人々の大作戦というか……。後世には名前も語り継がれないことがわかっていながら、文字通り希望を信じて過酷な作戦に挑む彼らは強い印象を残した。その後に続くエピソード4以降を思うと体を張ったパス回しを行っているので、組織に埋もれがちな会社員からすると感情移入できるんじゃないかと思う。

 全体的に、少なくともタイムラインや登場キャラクターが強固な壁として存在していたエピソード1~3に比べれば伸び伸びと作られたと感じる。見ていて後のエピソードの伏線を今作った・消化したというフラグ立てシナリオではなかった。主要キャラが全員死亡するラストシーンはエピソード4~6との整合性を持たせるためとは言え、極めて美しく、予定調和の美であった。
 今作を見た後、エピソード4を見るとまた感慨深いだろうな。

2016年12月20日火曜日

「スーサイド・スクワッド」(デヴィッド・エアー監督、ワーナー・ブラザース、2016)

 いやー、キツイな。見栄えのする画面に対してストーリーが物足りない。
 まずプロットがとっ散らかっていた。メインストーリーはエンチャントレスの暴走によって起きた事件とスーサイド・スクワッドの活躍なのだが、それにジョーカーとハーレイ・クインのメロドラマが繰り広げられる。これ、どっちかで良かったんじゃないかな。ジョーカーがトリックスターになっており、何のために出てきたのかわからん。
 登場人物だってまともすぎる。悪人には悪人なりの美学や論理やたとえ狂っていても価値観があるはずなのだが、出て来る彼らは一般人の思考で動く。どこかで見たことある展開だと思ったら、ガーディアンオブザ・ギャラクシーの連中と変わりない。このキャラクターがまとも問題はスーサイド・スクワッドを利用しようとするアマンダ・ウォーラーの方が存在感があるとか、ジョーカーが本当にハーレイ・クインを助けるために行動していて全く狂っていない様に見えるとか、いろんな悪影響を及ぼしている。結果として、しみったれた小悪党という印象が拭えなかった。
 とは言え彼らは人間離れした能力があると言われており、そんなのが首の爆弾で何とかなるのかね。当然のようにジョーカーが解除しちゃうし……。
 この映画を撮るなら、前半の登場人物紹介を圧縮して、スーサイド・スクワッドの結成とそれが活躍する事件を1度挿入した後で、エンチャントレスの暴走を描かないとスーサイド・スクワッドの有効性やその危険性を観客に納得させられないぞ。

 それに対して映像はなかなか格好良い。が、上に書いたとおりストーリーがダメダメなので華やかな絵を切り貼りしたという印象が強かった。
 とりあえずアレだ、前からこのブログで書いていたと思うが、アクションシーンでスローモーションになるのはいい加減やめようよ。日本の昔の特撮とかで、決めシーンで3回リピートするのと同じダサさがあるよ。多少ハリウッドに慣れ親しんでる人なら多くの映画で見る技法なんだから、それも相まって失笑モノだよ。いや、もしかして歌舞伎の決めポーズみたいに様式美にするつもりなのだろうか。ハリウッド映画って歌舞伎と違ってリアルな絵面だから変な美学は持たないほうが……。
 と思うくらいに映像は美しい。特にジョーカーの見せ場はそれだけで1枚の絵になるほど凝った美しさがある。それだけにストーリー部分とのギャップが目立ってしまう。見てる最中にプロットのダメさを指摘できるのでどうしても映像だけが浮いちゃうんだよなー。


 良くも悪くも、ハリウッド的な観客に受けるノウハウを結集させた映画というイメージが強い。もちろん本当はどうだかわからない。もしかしたら制作陣は本気で新しい表現を生み出そうとしていたのかもしれない。でもできあがったのは「どっかで見た」という印象の強いものであり、この映画ならではの味付けはない。
 この映画の最大の問題点は、上記の問題を抱えているにも関わらず、金返せと怒鳴るほどひどいものではない(それどころか僕みたいに手間ひまかけて感想文を書こうと思えるくらいには楽しい映画だった。この感想文では不満点を述べているので悪印象が強いかもしれないが、普通に楽しめ……そしてこの「普通」が問題なのだ)ところだ。
 つまり、映画で面白さを与える公約数的な手法が確立されているということであり、それに従って映画を作ると単なる過去作のパロディにしかならないということ。具体的には、ちょっとした悪い奴らが亀裂を乗り越え世界を救う……それってガーディアンオブザ・ギャラクシーで見たよ! ……どこにでもある作品になってしまう。上でグチグチ指摘したように他の作品との差別化をする細部もあまり作り込まれていない印象を受ける。
 これでは映画という文化自体がジリ貧になってしまうと思うんだ。

2016年12月1日木曜日

「ペルーの異端審問」(フェルナンド・イワサキ、新評論、2016)

 面白い。え、これ、ノンフィクションという体のフィクションじゃなかったんだ。
 そう思えるほど自由奔放な奇人たちが描かれる。

 一般に異端審問というと、ガリレオだったりスペイン宗教裁判だったりと陰惨なものとして描かれがちで(もちろんこの作品でも裁かれた人は不幸な結末を迎えている)、その内容については二の次であった。
 この作品は暗いイメージの異端審問について、一部の極端な例かもしれないがとびっきり笑え、でも暗黒の時代でも動物的な衝動はあったのだとなぜか感動でき、さらに教会の権威が今より遥かに強かった時代にキリストと相思相愛だと言い張る女性が現れたりと不条理さにしんみりしてしまうような実際の裁判記録を小説として仕立て上げたものである。ちなみに欲情とか淫靡とか煽られてるけど、この作品自体はまったくエロスの欠片もありません。あくまで中世にも人間らしさはあったという題材として取り上げられたという印象を受けた。

 最初にノンフィクションという体のフィクション~と書いたけど、この作品は短編が十数話連なっており、それぞれの短編は小説というよりはルポルタージュに近い。教会が力を持っていた頃の変人をテーマにしており、会話文なんてほぼ出てこない。今の時代からしても変人度は高く、だから創作だろうと思っていたのだった(後書きを読むとどうも実際の裁判記録から構成したらしいので、その時点で本当にノンフィクションだと気付いた)。
 ある意味で、時代が時代だから単に異端として刑を受けたのだろう。現代でこんなことをしでかす人間がいたらマスコミが持ち上げて時の人にしてしまうんだろうな。
 意外と昔も今の人々とやってることは変わらないってことを知れてよかった。

2016年11月25日金曜日

ポケットモンスターサン

 昨日やっとクリアした。非常に面白く、濃度の高いゲームだった。
 ポケモンというゲームは、ひたすら主人公を無個性にし続けている。後の作品に「……!」だけで会話をする異色のキャラとなった初代の主人公レッドが象徴的で、各作品の主人公はゲーム内で一言も話さず、脇役たちがそれぞれの思惑で動く中、まるでブルドーザーのように突き進むことで物語が紡がれる。
 はっきり言うと、そんな意図的に個性を消された主人公なので物語らしい物語なんてあるわけはなく、逆にだからこそプレイヤーはかつての自分や今の自分、将来の自分に主人公を重ねて冒険ができるのだ。クリアするまではゲーム内での自由度はそこまで高くはないけど(つまりフラグを立てないと自由にエリア移動ができないってことね)、クリア後を見据えた冒険する目的ってのは非常に自由度が高く、逆にプレイヤーがそれぞれゲームの楽しみを見出さないと楽しく遊べないかもしれない。だって、ポケモンはクリアしてからの方が遊べる要素は高いのだから、と僕は考えている。
 そんな僕だから初代のような世界の危機的災厄はなく、でもポケモン世界の裏側をそっと垣間見れ、でも別に遊び方は自由だよ、と放り投げられたストーリーというか設定が最高だと思っている(というか、今でこそ伝説ポケモンは世界の起源になったりと大々的に描かれるわけだが、かつてのようにいろんな断片的な情報を元に人間との関わりがほのめかされた「伝説」のポケモンに戻してほしいな。ミュウツーの神秘性ってそこにあると思うんだ)。そりゃストーリーがあればそれはそれで面白いけど、よっぽど上手に作ってくれないとひたすら世界の危機という名の伝説ポケ設定を延々と見させられることになるからなー。

 とは言え、なんだかんだでブラック・ホワイトやXYなんかはストーリーもけばけばしくなく、冒険を楽しく出来ていたので、サンムーンに対しても密かに期待していたのだった。事前の情報公開でジムがなくなったとか、主ポケモンとか、よりにもよってウルトラビーストとか色々変えられた要素があって不安にはなったが、それでも心の底では信頼しており、サン・ムーン両方を予約していた。

 賭けに勝った。
 別格である初代を除けば最高のストーリー。男の子主人公を選択したせいか、偶然であった美少女との出会いと大切な人を救って成長しての別れを描く王道の物語として読めた(ただし一言も話さない主人公なので細部は脳内補完必須)。舞台が南の島々に限定されているせいか、訪れる危機も何となく牧歌的で、一切同情できない悪人が出てこなかったのも好感。いや、主人公が感情を見せないので、本当の悪党が現れてもプレイヤーだけが盛り上がってしまうので、ゲームとのズレを感じてしまうんだよね。その点スカル団なんて単なるチンピラで世界征服なんて大それたことを考えてないっぽいので、こいつら後で改心するんだろうと妙な安心感がある。
 ストーリーはリーリエが軸になるが、演出が憎い。主人公では当然ながらストーリーを動かせないので、リーリエが案内役になる。最初は単なるサブキャラかと思わせて実は悪役と因縁があり……と次々に展開させる。そのままでは主人公が蚊帳の外になってしまうのだが、何とリーリエは主人公と仲が深まるのだ。男の子主人公にあからさまに好意を抱き、そして自分の生き方を見つけて去るエンディングは非常に美しかった(なお、女の子主人公でも楽しめるらしい)。
 さらに、そういう少年少女の恋愛もの・少女同士の友情ものとしてだけでなく、今作は基本に立ち戻り冒険をイニシエーションとして捉えようとしているのだと気付く。ジムの代わりの試練システムだね。ジムは確かにポケモンの原点だと思うけど、そもそもジムを攻略する動機をプレイヤーに見つけさせる必要がある。世界を見るため島巡りをし、その過程で試練をこなすというのは大人になるための儀式としてより自然だと思う。

 というわけで、満足してストーリーをクリアしたが、これ、クリアした後の方が大変なんだよな。4Vメタモン、シンクロ個体、赤い糸、バトルタワー。
 やばい。

2016年11月19日土曜日

歳をとったと思ったこと

 昔々、まだ若かった頃、本や映画に耽溺していた。
 親は僕に比べて映画も本も興味がなさそうだった。僕が次々に本を買うのに苦言を呈し、自分は同じ本や決まった作家を何回も何回も見かえしていた。
 一度なんで新しいものに手を出さないか聞いたことがある。

 「疲れるんだよ」

 一言そう言われた。僕は正直、親は文化的なものに興味がないのかなと思っていた。
 そして僕も良い歳になって、何となくその時の親の気持ちがわかった気がする。

 とにかく集中が持続しないのだ。学生時代ならネットゲームに朝から晩までハマり、それこそ寝る間も食事の時間も惜しんで遊べたのに、今は自分の生活と比べて程々になってしまう。元々飽きっぽいからかなと思っていたが、何か違う。飽きたなどとは別の理由で夢中になれる時間が年々短くなってくる。
 ふと、親と同じように、僕も体力や集中力が衰えているのだとわかった。
 歳をとるというのはこういうことなのだろう。大人になると保守的になるというが、そうなのだ。行動する気力が失われ、意思の持久力も減る。
 今後新しいことに夢中になれるのかな。

2016年11月11日金曜日

あらゆる意味で記念日となった一昨日へ

 アメリカ大統領選挙でトランプ氏が勝利した。
 正直、なんだかんだ言ってもクリントン氏が大統領になるだろうと予定調和的な楽観を抱いていたので驚いた。
 勝因や敗因などは今後分析されるらしいが、いくつか調べた中では相当の分断がアメリカ国内であると感じた。同時に、20世紀後半以降進められていた価値観に対する拒絶が全世界的に起こっているのだと。
 ナショナリズムやあいつズルいなどという生の感情が力を持ってしまい……それに対抗する勢力は別のナショナリズムとこれまた別の感情なのだろう(ええ、イスラムを念頭に置いています)。
 これは個人的な希望だが、トランプ氏が大統領になってもアメリカも世界も急激に変わるということはないだろう。既存の体制はそんな簡単に変わるには強固すぎる。でも、知らないうちに少しずつ理性でなく感情で世界が動き、その変化は数十年後にやっと観測でき、そのときに実は世界は動いていたのだと気付くのではないかと思う
 「希望は戦争」という言葉は今まで実感がなかったが、なんとなくこういうことだったのかとわかった。
 変革を望み、そして実行に移せてしまった人々に乾杯!