2020年12月31日木曜日

はじめに(2016/Dec/29更新)

 *Internet ExplorerとGoogle ChromeとFirefoxでの表示確認済。ただし、Firefoxだと一部の表示が乱れます。*

このサイトはUltima Onlineのプレイ日記と他趣味全般について書き殴ってます。
趣味に関しては節操ないくらい適当に手を出しては捨てています。更新されていないジャンルの趣味は飽きたと思ってください。
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2017年3月14日火曜日

「猫戸さんは猫をかぶっている」(真昼てく、双葉社、全3巻、2017)

 最高級の作品である。設定に対する言及・テーマの深さ・キャラクターの無駄のなさ・伏線の張り方・シリアスとコミカルの配分など、どれをとっても1級品。先日、偶然店頭の平積みを見て購入したのだがこんなことがあるから本屋に足を運ばねばならないと強く思った。この本を置いてた書店は今日から三日三晩繁盛するよう祈り続けないといけない。
 ジャンルはラブコメ。僕自身はあまり恋愛がわからないので、もともとはラブコメに興味がなかった。ラブコメと呼ばれる作品を鑑賞するときは短く終わる作品を選んでおり、それは恋愛関係を描くには長いとだれてしまうと考えているからだ(正確には、長いラブコメは恋愛よりもキャラクター劇を描くことにシフトしていると感じられる時が多かった。恋愛をメインに描くなら数巻で終わらないとダレるという持論)。なのでこの作品を買おうと思ったのは3巻で完結するという、ただそれだけだった。あ、あと、表紙が可愛い。女の子の頭の上に猫が乗ってる。あらすじを読んでいなくても、この作品には鋸女神(cf. School Days)は出てこないとひと目で理解させる良い構図である。ほんわかした絵柄で、内容も笑えそうだな。そんな感じで何の気なしに買った。

 読み始めると僕の勘は外れてなかったことに安心した。「猫をかぶっている人の頭の上に"猫"が見えてしまう体質」と公式サイトに書かれているが、それでも過度にファンタジーにならず日常的な少し不思議さ程度で留めてくれている。登場人物は、猫をかぶっていることが100%見えているため人との付き合いに壁を作ってしまう主人公(男子高校生)や、そんな彼が好きになる全く猫をかぶらない少女、常に猫をかぶっているので主人公が苦手意識を持っていたら実は同じくかぶっている猫が見える体質だったもう一人の少女。主人公が高校生活を送る上でこの二人に関わる様をコミカルに描かれており、王道のラブコメって感じである。キャラクターの行動原理にも疑問はない。周囲の人が猫をかぶっていることがわかる主人公が全く猫をかぶらない少女を好きになるのは順当だし、そんな彼が「同士」である常に猫をかぶる少女に出会い振り回されるのはこれまた当然。物語は、では主人公はどのように彼の恋愛が成就するのか、に焦点を当てて動く。

 当初は普通のラブコメだと思っていたのだ。かぶる猫が見えるというのはあくまでも物語の取っ掛かりで(これはもう失礼な話なわけで、申し訳ありません)、話が進むに連れて猫の設定は薄くなるのだろうと。ある意味で猫をかぶるのがわかるって、恋愛によくある心理描写と真っ向から対立していないか? 
 しかしこの「かぶっている猫」の描写は物語のラストまで現れる。登場人物が猫をかぶった際に頭の上に描かれるのだ。それも1コマ単位で。このことによって読者はそのキャラクターが猫をかぶっているとわかり、それゆえマンガでよくある心の声(モノローグ)が少なくて済む利点が出ているのだ。あのモノローグもラブコメっぽくて好きなんだけど、過度に使われるとウザいわけで、今作品くらいのボリュームが好みだな。副音声マンガにならなかった時点でこの設定はすばらしいと考え直した。

 しかも物語は途中から、いや1巻の後半から「猫をかぶる」意味自体を問いかける。そもそも猫をかぶるとは嘘をつくことではない。ほんの少し本音を隠すだけだ。では何で人は猫をかぶるのか。
 それが問いかけるのは新たにヒロインが登場してから。人見知りで要領も良くなくて、マンガの設定上、飛び抜けて外見が可愛いわけでもない地味な少女。彼女が主人公に惚れて、そしてその恋が終わる中で「猫をかぶる」ことの意味が徐々に明らかになる。
 詳細は読んでのお楽しみだが、ある意味で、猫をかぶるというのは好意の裏返しでもあり、それなら主人公が好きになった全く猫をかぶらない少女は果たして……となる。好意を抱くにつれて猫をかぶることを覚えた地味な少女と全く猫をかぶらない少女は対比関係にある。地味な少女は努力して変わっていって人付き合いも普通にこなせるようになった。全く猫をかぶらない少女は一貫して天真爛漫で何事も問題なくこなせる天才型だが、変わることはないのだ。これは多分すごい残酷なことだと思う。物語の中では掘り下げられてはいないが、少なくとも高校生活の範囲内では、猫をかぶらなくても人付き合いを難なくこなせてしまうということであり、それはそれで孤独なのかもしれないなと感じた。恐らくこの全く猫をかぶらない少女は、他のキャラの本音を見抜くような描写があったので、自分だけが猫をかぶっていない=自分独りというのはわかっていただろうに。

 そんなこんなで、最終的にはかぶった猫が見える少年と少女同士の関係性にクローズアップされる。前々から感じていたが、主人公に片思いの人がいて、でも他のもう1人のヒロイン(男女問わず)から片思いをされるタイプのラブコメって読んでるうちに片思い対象のヒロインではなく主人公に片思いをするヒロインに魅力を感じる傾向がある。これは主人公と絡むのが主人公に片思いをするヒロインだからなのだが、今作も正にそうだった。主人公が片思いをする対象のヒロインって物語では掘り下げが不十分になりがちで人間性を伝えきれないのだ。今作はそれを逆手にとって、だから主人公が片思いをするヒロイン=全く猫をかぶらない少女はミステリアスな存在として終わりに至るまで描かれていた。主人公だけでなく読者ですら彼女の本心が読めなかったのだ。それは、高校生っぽい主人公たちとは全く異なる、大人であるということなのかもしれない。最終的に主人公は彼なりの「猫をかぶる」意味を見出し、恋をするという綺麗な描写で終わる。

 無駄なシーンはなく、無駄なキャラクターもいない。恋が実らないことを位置付けられていた地味な少女のフォローも最終巻で怠ることはない(終わってから見直すと、彼女は主人公に惚れたというより懐いただけじゃないのとも思える)。そもそも彼女が猫をかぶる意味を間接的に教える役割を担っているのだ。作者が登場人物を丁寧に描き上げたのは伝わってくる。
 彼らはまた、全員前向きで高校生らしい明るさもある。その輝きはおじさんになってしまった僕にとっては多少眩しいんだけど、でもこのマンガを読んで力をもらった気がする。彼らは若さゆえの行動力があり、告白するかどうかで長々と話を引っ張るなどしない。キャラクターも立ってて3巻で終わってしまうのはもったいないと強く感じたんだけど、逆に3巻でまとまったからこそ濃い内容で読み応えがあるのだ。腹八分目という言葉通りもっと読みたいというくらいがちょうど良いのだろう。



 非常に丁寧に作られた作品だ。猫をかぶっていることがわかるというネタから人間の本心とは何かということまで話を広げている。猫をかぶることは嘘をつくことではないし、そもそも「白い嘘」という言葉がある通り、嘘自体も人間関係を円滑に進める上で多少は必要ではないか。だとしたら、かぶっている猫が見える2人はある意味で不幸なことで、でもそれに折り合いをつけられたハッピーエンドは幸せそうで良い。
 この作品は始終明るく、シリアスはシリアスに決めて、最期には笑えるようにしてくれている。最初に絵柄が可愛いと書いたが、その可愛らしさには明るさがあり、キャラクターの表情や仕草が見ていて安心感がある。実は今、他のシリアス系恋愛マンガを並行して読んでいて落差が激しいというか、辛くなったら読み終わった本書を再読するという読み方をしていて、一種の清涼剤的な効能がある。
 萌え絵というものが苦手でなく、またラブコメ(純愛)に嫌悪感がある人以外なら楽しめるだろう。深読みだってでき、SF作家の書くエブリデイ・マジック系列の人間性について考える作品としても使える。萌え絵としては万人受けする絵柄なので表紙を見るだけでも癒やし効果がある。たった3冊買うだけでこんなに楽しめるのだから非常にお得。
 というわけでぜひとも買うべきだ。買ってこの作家を応援しよう。また別の連載を持っているらしいがぜひとも単行本で読みたい。

2017年3月3日金曜日

コンテンツ鑑賞を趣味にすること

 もう僕もおっさんと呼ばれる歳になったんだ。
 そんなわけで、少し前から自分の荷物を整理していた。
 僕は小説やマンガや映画やアニメの鑑賞が趣味なんだけど、薄々気付いていた恐ろしいことを実践していたのだ。それは、要らないものをバッサバッサと捨てていたのだ。音楽CDはmp3でHDDに入っていれば良い(HDDが故障したときのためにバックアップを取っておこう。不幸にも本体とバックアップの両方が一気に故障したときに備え、ウォークマンに最低限欲しいものを入れておこう。ウォークマンすら壊れたら、そのときは諦めよう)ので、CDは捨ててしまえ。マンガもデータ化して現物は持たない。そもそも買うマンガ自体減らそう。小説は最低限欲しいものだけ書籍で残す。ちくまと河出と講談社学術と中公の文庫は残す。新書とか四六判とA5判とか呼ばれるやつは、時事ネタが多いのでOCRのPDF化決定。たぶん読み返さないだろうけど。ハヤカワ銀背とバンド・デシネは画集として書籍のまま(日本のマンガとの扱いの差は……)。そもそもベルセルクとファイブスター物語と手塚治虫と諸星大二郎と駕籠真太郎とセントールの悩みと他いくつかしか読み返してない気がする。映画はデータ化が一番進んでおり、円盤で持ってるのは初回特典が付いてるものだけ。他は引っ越ししたときに捨てちゃったなあ……。そもそも映画ですらフルでの見返す機会は少ない。データ化したら、お気に入りのシーンだけを眺めるスタイルに変わっちゃった。通しで見なくなったってのが映画業界に与える打撃は大きいかもしれない。
 そんなことをふつふつと思いながら、書籍棚を見る。大昔、ミステリーやサスペンス小説を諦め、それからさらに経ってライトノベルを止めたんだけど、そろそろまたフォローするのを止めるジャンルが出てくるかもしれない。いわゆるSF小説やファンタジー小説、ファンタジー入った文芸をメインで読んでるけど、SFもきつくなって来たかもなあ。奇想を味わうならファンタジー小説の方が面白いからなあ。グレッグ・イーガンとか好きだけど、イーガンの短編集のようなリアリティのあるSFって現実世界を舞台にしたワンアイデア小説に近いからSFのワクワク感ないんだよなあ。イーガンは好きだから今後も読み続けるけど、SFをどうするかはわからん。
 それよりもこちらだ。安部公房、芥川龍之介、岡本綺堂を始めとするファンタジー入った古典日本人作家を読まねば。見栄で夏目漱石とか江戸川乱歩とか志賀直哉とか持ってるけど捨てよう(でも井上靖はしろばんばと西域ものだけは取っておこう)。少し不思議なアイデア成分が足りんよ。ちくま学芸文庫とかも教養として持ってた本の内、半分以上は時代遅れになったりしてるからな。ハヤカワNFもあまりに俗すぎるのはゴミ箱行きだ。文芸は河出と創元さえあれば十分だな。

 こうして考え出すと、意外と言うべきか、やはりというか、古典と呼ばれるコンテンツは強い。古びすぎてしまい、かえってエッセンスだけが強く濾されているのだ。これが現代を舞台にした小説だと、いくらテーマが良くても10年20年したら風俗習慣技術が時代遅れになってしまい読めないだろう。上ではあまり触れなかったが、音楽にしても定番だのヒット曲だのは強い。クイーンのボヘミアン・ラプソディなんか、最近はやったほとんどの邦楽洋楽よりも実験的で若い曲なのだから。
 流行りを追いかけて蝶や蜂のように様々な花の蜜を吸うのも楽しかったのだが、若くもなくなってくると飛ぶのもしんどいんだ。おじさんにとっては最新の設定が詰まった映画よりも評論されつくした白黒映画のほうが見やすいのも事実。
 正直、クラシック趣味はあまり魅力を感じていなかったが、徐々にその面白さがわかるようになって、じゃあ今まで新しいものを必死で楽しんできたのは何だったのだろうと思ったり。これって昔は野菜が嫌いだったけど、おっさんになって居酒屋とかで焼き茄子やピーマンの炒めの美味しさを力説するのと変わらない気がする。

MASK

 ついに寝るときにマスクを付けてしまった。もともと花粉症気味で、僕の場合は喉に炎症が出てしまい、咳をしがちになる。
 さらに、鼻もつまり、特に夜寝るときに口呼吸をしてしまう。2月・3月の寒い時期なんかはそれでさらに喉を壊すという負のサイクルが出来上がってしまうのだ。
 僕の場合、服を大量に着込めば何とかなる生活スタイルで(暖房代ももったいないし)……なんて思ってたら、今年も喉をやられた。毎年喉がイガイガになり、非常に不快なのでなんとかせねばと考えていた。
 そして今年ついに、寝るときにマスクを付けることに決意。すると昨日までのイガイガがウソのよう。やっぱり喉に違和感を感じるが、寒さが原因と思われる焼け付く痛みは緩和された。
 僕はもう、寝るときはマスクが手放せないんだね(季節限定だけど)……。

2017年2月28日火曜日

日光紀行

 2月11日(土)から14日(火)まで4日間、日光に行ってきた。目的は1人になること。今でも十分1人だが、パソコンもスマホもない世界でのんびり過ごそうと思い立ったのだった。
 朝東京を出て、JRで昼頃宇都宮に着き、宇都宮で餃子定食を食べた。宇都宮駅周辺は駅ビルがあったのだが、喫茶店のチェーン店を探し、見つけられないまま駅近くの大型ショッピングセンターへ。その中にかなり広めの本屋があったので、数冊買ってしまう。本当なら喫茶店とかに入ってのんびりと読みたかったのだが、仕方がないのでショッピングセンター内の休憩広場で読む。他に勉強してる子供が1組。あとは待ち合わせの女性だけ。せっかくの土曜で誰も使ってなくて良いのかな、でもだから僕がマンガ読めるわけで……と思いつつマンガタイムを数時間取る。
 何でこんなことしてるかというと、僕が泊まる所は個人が経営するゲストハウスで、チェックイン時間が16時以降と厳密に決められているからだ。なのでそれまではせっかくの宇都宮駅を満喫せねばならない。
 数冊読んで3時間ほど費やし、15時半過ぎに出る。宇都宮からは日光線に乗るのだが、何というか、観光用の特別線という感じがして楽しみだった。電車の中もいろんな人が書いた習字が飾られ、外国人向けに日本の文化を紹介してやろうという気合が感じられたのだ。

 日光に着くと、きれいな街だな、というのが第一印象だった。そして人がいない、とも思った。時刻は16時過ぎ。すでに日も沈みかけ、寒さが厳しくなる中。今の時間に日光に来る人なんていないだろうと思い、事実、僕の他は数人しか電車から降りなかった。そんなわけで日光は人が少ない街と思っていたのだが、そもそもJR日光駅を使う人の数が少ないことをその時は知らなかったのだ。
 日光に到着したらまずゲストハウスにチェックインして荷物を置こうと思った。相部屋だったので良いベッドを取られてはたまらない。そう考えて歩きだしたが、それは遠かった。僕が泊まったのは神橋近く。JR日光駅からは歩くと20分以上はかかるだろう。地図を片手に、汗をかきつつ延々と歩き、距離感がわからないながらもとりあえず神橋(そして大谷川)を通ってないので行き過ぎてはいないと考えて歩き続けた。途中で民家が立ち並ぶ地域を通り、そこで猿の群れに遭う。やっぱり猿はいるんだなと思うと同時に、テレビなどで報道される猿に荷物を持って行かれる事件を思い出し、さっさと立ち去る。幸い猿は僕の後をつけていなかった。
 ゲストハウスでは先客がチェックインしていた。外国人の方で、今、日光は外国人観光客が多いらしい。僕が泊まるのも日本人より外国人のほうが多い宿の1つ。確かに6つのベッドの内、日本人は僕だけだった。でもちゃんと世界に通用する観光地になってるんだという妙な安心感を感じる。その夜は、イートあさいというお店で夕食。湯波ラーメンと餃子を食べる。お店の人は気さくで、僕が観光客なのを知ると地図や情報誌を見せてくれた。やはりお店は様々な国の人がやってくるらしく、壁にはお礼の手紙がびっしり。かと言って観光客専門ってわけでもなく、僕が食べていると地元の家族と思わしきお客さんがやってきた。安めで美味しくて満足。特に湯波ラーメンはあんかけラーメンかと思うほどスープがトロトロなのだ。そこに麺が絡みつき、薄味スープがしっかりと口の中に入る。湯波も食感があり、食べごたえ抜群。食べる前は、湯波はヘニャヘニャのブヨブヨだと思っていたが、平べったい麺のように噛める。美味い。でもお昼と晩御飯で食べ過ぎである。明日からは減らそう。
 銭湯も近くにあると聞いており、鶴亀大吉に行ったが、もしかして泊まりでなけりゃ入れない? ふらっとお風呂を借りる雰囲気ではなかったのでゲストハウスに戻ってシャワーを浴びる。その後、本を読みつつ就寝。

 翌日12日(日)は日光東照宮へ行った。途中で神橋を見る。どうもお金を払うと渡れるらしいが、どう考えても川を背景に神橋の写真撮ったほうが綺麗である。
 東照宮へ着いたのは9時過ぎ。東照宮自体は8時から開いているらしく、この時間はまだ人が少ない。昨夜、雪が降ったらしく、積もった雪を巫女さんが掃いていた。マンガで見るような赤い袴と白い着物の巫女さんを見て何か感動。よく考えたら1月1日も神社に行ったんだけど、そのときは人が多すぎて流れ作業だったんだよな。東照宮は真っ赤で金色で、異界の建物の様。山の中の神社だと思って地味な姿を想像していたが、かなり派手である。さすがは徳川家ゆかりだ。陽明門は工事中だったが、他の建物も面白い。昔、小学生のときに修学旅行で来たはずなんだけど、全く記憶にないなあ。おかしい……。
 東照宮は修繕工事で寄付者を集めているらしく、僕も僭越ながら5000円を支払う。

 変なおみやげよりこういうのにお金を使うと思い出になる。後日、お気持ちが送られてくるらしく、楽しみ。
 実は東照宮に来たのは、観光だけでなく御朱印を集めるためでもあったのだ。熱心なコレクターではないけど、そこそこ御朱印を集めており、それも紙でもらうのではなく、実際に書いてもらってこそ御朱印だと思っている。幸い、今回の旅はどれも直接御朱印帳に書いてもらう所ばかりで、嬉しかった。
 その後、輪王寺や日光二荒山神社でも御朱印をもらう。その途中、二荒山神社の分社(?)の滝尾神社というところを知り、明日行こうと決意。御朱印自体は二荒山神社で貰えるが(二荒山神社は周囲の人のいない神社の御朱印を代わりに発行しているらしい)、僕は自力でお参りしたところしか集める気はないのだ。
 お昼ごはんをという日本料理店で食べる。湯波の小鉢と鱒重だ。鱒のお重を食べてみたい! なかなか身が柔らかくて美味しかった。お店もモダンな雰囲気で、でも上品である。僕が行ったときはほぼ満席で繁盛していた。
 午後はどこかの喫茶店で本を読もうと思っていたが、何時間も居座れそうなお店が見つからない。さすがに観光客相手のあんみつ屋とか団子屋とかで本を広げ始める勇気はないなあ。東武日光駅まえに日光パークロッジ東武というホテルがあり、1階は喫茶店っぽかったのだが、そもそもやってるかどうかわからん。勝手に入ってしまったけど、誰も出てこないのだ。幽霊ホテルみたいで気味が悪いので外に出る。
 喫茶店もそうだけど、夜ゲストハウスで食べる食事とおやつが欲しい。実は昨晩であった外国人の多くはゲストハウスで料理をしていて、どこで買ってきていたのか気になってたのだ。調べてみると大通り(日光ロマンチック街道というらしい)から少し駅と反対側に行ったところにリオン・ドールというスーパーがあった。まずはここでおやつを買い込む。そして何と、イートインコーナーを発見。しかも誰も使ってない。これ幸いとジュースを買い込み本を読み始める。1冊読み切るまで滞在しよう。
 16時過ぎにゲストハウスに戻ろうと腰を上げた。チェックイン時間過ぎた。帰り際、職場の人へのお土産を買った。
 一度ゲストハウスで荷物を置いて、今日はお風呂に入ろうと決意する。JR日光駅近くの日光ステーションホテルクラシックで駅スパなるものを提供しているのだ。要は銭湯である。
 途中、さきほどお土産を買ったお店の近くで揚げゆばまんじゅうなるものを食べる。揚げまんじゅうだ。湯波は……感じられるかな? 正直、湯波は見た目で湯波だと認識して食べるほうが美味しいと思った。
 駅スパはまだそこまで混んでおらず、山登り帰りの人が数人いた。荷物でわかってしまう。久しぶりに湯船に入り満足。露天風呂もあり、お風呂の熱さと外の寒さがマッチしている。
 夜はゲストハウスで軽食を取った。日曜の夜のせいか、昨晩とは変わって誰もいない。観光客は帰ってしまったらしい。どうも日本で働いている外国人が多く、月曜から会社なのだそう。僕の他には台湾から来た人がいて、台湾で日本の仕事を探してるのーとお話をした。日本語上手いなあ。僕も英語頑張らねば。どうも彼女は台湾語・日本語・英語ができるそうだが、台湾ではさらに読み書きできる人々がゴロゴロしてるらしい。ヤバい。

 13日(月)はハイキングがてら滝尾神社など東照宮周辺の山を探索する。確かに無人の神社と言われていた通り、寂れている。そして平日だからか観光客にも出会わない。後々、日光ロマンチック街道沿いの旅館を見ていたら、土曜夜は満室だったのだが、日曜夜は空いていた。当然今日も空きだろう。観光って大変。そして今歩いている神社巡りの道も整理はされてるものの、土曜夜に降った雪が残っている。さてはあまり人が通ってないな。ふとクマに出会ったらどうしようと思ってしまい、早歩きで駆け巡る。
 滝尾神社も他の無人神社と同じように建物が残っている程度だった。近くの白糸滝は綺麗だったな。自称観光ガイド(?)の人がスタンバイしてたが、本当は何の人だったんだろう。観光ガイドなら雪を除けて欲しい。日光二荒山神社で御朱印をもらって帰る。
 お昼はまるひで食堂で湯波丼を食べる。あまりにも湯波が美味しいのでお土産に買って帰ろうかと欲が出る。でも絶対に家で調理すると不味くなるんだろうな。逡巡した末、買うのを止めた。お昼過ぎから雪が降っていて僕にとっては初雪である。
 午後は昨日と同じようにおやつを買いつつ、リオン・ドールで読書。リオン・ドール、閑散としている。車で来てるから地元の人だと思っていたが、もしかしたら観光客なのかもね。日光のこの地域自体、言い方は悪いが人が住んでいるという印象が薄かった。街全体が観光地みたいで、整備・統一されてるんだけど、仕事をするところも人が住んでる雰囲気もないというか。いや、初日に通った住宅地みたいに住人がいるのはわかってるが、あまりにも静かであった。こういうところに一度住んでみたいと思う一方で、何となく大変そうだと感じる。
 夜は数人観光客が泊まっていたが、リビングに滞在する人はいなかった。今回の客はみんな部屋に引きこもりマン&ウーマンである。

 14日(火)、帰る日。だが、朝から大雪だった。昨日、初雪だーと喜んでいたらこんなことになるとは。当初はチェックアウト時間の10時近くまでリビングでテレビでも見るつもりだったが、さっさと電車に乗ろうと考える。神橋からはバスが走っており、JR日光駅へ。着いたらすでに電車が出ており、次の電車は約1時間後。ああ、だからみんな東武を使うのね。電車がすぐに入ってきたので本を読みつつ出発待ち。
 宇都宮駅に着いたのはお昼少し前。やっぱり餃子を食べて東京へ。日光での降雪はまるで夢のよう。日光線に乗ってる最中で雪が降ってる地域と降らない地域がきれいに分かれていたのだ。やっぱり日光は日光の天気なんだな。しかし東北線の途中で大風および風によるゴミが線路に入ったことで電車が止まる。座れたから別に良いんだけどね。やっぱり朝早く帰って良かった。こうして日光の旅は終わったのだった。


 数日後、東照宮の寄附金のお礼が届いた。




このお箸は使うものじゃなくて神棚とかに飾るものなんだよね?

2017年2月27日月曜日

感想文にタグを追加した

 当初は日記&ゲームプレイブログになると思っていたのだ。UOやポケモンやボードゲームで書くことがなくなってからは、日記やガジェットを書く気もなく、適当に好きな本やゲームの感想文を綴っていたら、いつの間にか数が多くなってしまった。これでも小説やマンガは連載中の感想を書かないと決めているのだが。
 というわけで、AnimeComicGameMovieNovelのタグを追加し、今までの感想文も出来る範囲でタグつけし直した。疲れた!

2017年2月24日金曜日

マジカル・ガール(カルロス・ベルムト監督、アキ・イ・アリ・フィルムズ、2016)

 まどマギだ! 長山洋子だ!
 などと宣伝されていたのだが、蓋を開けてみると普通の映画であった。そもそもポスターに書かれている批評家達からのコメントというやつ(当り障りのないことが書かれるアレ)で新房氏や虚淵氏が含まれていないのはともかく、せめて本を出した山川賢一氏くらいがコメントを寄せても良いのに……。こんなところから、オタク向けに宣伝をしていないことがわかる。そしてその判断は正しい。

 そもそもまどマギが衝撃だったのは、「ちだまりスケッチ」という部分のみである。正直、実写映画だとそこまで驚くべき内容ではないことが、この映画を見ると再確認できた。誰かの願いを叶えようとしたら事態が悪化し全員が不幸になるストーリーはブラックコメディとして既視感のあるプロットである。

 さて、この映画だが、事前の宣伝でさんざん煽られていた魔法少女を夢見る少女はほとんどストーリーに関わらない(!)。物語を始動するきっかけを与えただけで、メインのストーリーはバルバラという女性が担っている……。確かにポスターはバルバラ女史の写真だ! 詐欺じゃない!
 つまり魔法少女もまどマギも長山洋子も全てが小道具の1つとなっており、監督としては確かにインスパイアされたのかもしれないが、メインの要素ではないわけだ。これってわざわざまどマギ要素を宣伝する必要あった? まどマギが悲劇だったのは、対価を得ようとした少女が自らの手でそれらをぶち壊さざるを得ないためで、事件に巻き込まれたバルバラ女史が不幸に陥っていく様子を描いたこの映画とは全然異なると思うんだ。
 それはともかく、僕自身は外国人が大好きな勘違いジャポニズムは嫌いなんだけど、ここまでジャパニーズ要素が背景の一部になっているのはそれはそれで悲しく感じた。そもそも魔法少女の文脈なんて日本人でも知らない人がいるのに、ほぼ説明なしで大丈夫だったのかな(魔法少女に憧れるアリシアって娘が父親から衣装をプレゼントされても嬉しがらず、実はステッキが欲しかったと判明するのだが、魔法のステッキなんて解説なしでわかるのか?)。魔法少女や長山洋子の「春はSA・RA・SA・RA」云々は起承転結の起と転に当たる部分で重要なはずだが、スペインでは解説なしでも不満が出ないほどその手の日本文化が浸透しているのだろうか。謎だ。

 映画としては僕の想像するヨーロピアン映画そのもの。説明的なセリフが少なく、画面を見て登場人物の感情を把握させる。最近ハリウッド映画ばかりだったから中々面白かった。有楽町のテアトルで見たけど、これからもテアトルで上映される映画はチェックしようと思った。ただし内容的にはそこまで見るべき点がないと思う。

 それにしてもスペインでは拳銃も大麻もすぐに手に入るのだろうか100万単位の報酬を出せる娼館経営者がそこらにいるのだろうか。突っ込むのは野暮かもしれないが、謎だ(そこがスペインというか、非日本・非日常的な雰囲気を醸し出していて、僕は好きである。舞台を日本にされると萎えるので、スペインで作られて良かった。)。