2011年1月10日月曜日

ガメラ 大怪獣空中決決戦(1995)

 特撮の怪獣映画は平成に入ってゴジラとガメラしか生き残っていないのが現状だ。ウルトラマンとかと違ってヒーローっぽさや、人間ドラマ成分がどうしても少なくなってしまうからなーと思っていたが、何のその。目茶苦茶面白いじゃん、ガメラ。ゴジラがあくまで王道の怪獣映画な作りであるのに対し、ガメラは人間を主人公においた作りをしている。しかもゴジラ映画には使われていなかった接写での撮影、高速であることを表現したブレ、下から見上げる構図、さらにはギャオスの恐ろしさを出すためにわざと暗く視認性を低く撮影するなど新しい試みもやってるんだよね。ゴジラが受付なかった人もガメラなら楽しめるんじゃないかなと思う。

【ストーリー】
 ガメラは古代人が作った究極の生物兵器。人類と地球を護るためにテレパシーで人間と通じ合い戦う。ギャオスは人間を捕食する究極の生物兵器。ギャオスって怖い。

【感想】
 平成ガメラはそれまでの怪獣映画の常識を塗り替えたとか言われてるけど、いまいち僕にはピンと来ないのだ。怪獣映画のブームが終わり、ゴジラもガメラも平成版から入っているから、「常識」がわからないんだよね。だから常識を塗り替えたすごい映像も接写撮影みたいな誰が見ても明らかな部分しか気が付かないし。
 ただ1つ言えるのは、ギャオスの設定の細かさ・丁寧さは怪獣映画というよりもサスペンスとかそっちの方が似合ってることだ。人間を捕食すると設定されているだけあって、映画前半では人間を食べる害鳥として調査・駆除されるが、生態の解明や類縁関係を調べるための遺伝子調査など細かいところに気を配った作りとなっている。まあ、それがガメラ=勾玉で人間と心を通わせるアトランティス人の生物兵器との設定のギャップを際立たせてしまうのだが。
 さて、このガメラだけど怪獣映画だがメインは人間模様だ。人を襲うギャオスを、珍しいからと言って捕獲しようとする国、ギャオス解明に勤しむ学者、そして勾玉を持った少女。そりゃガメラは善、ギャオスは悪で固定されてしまっているから人間ドラマにシフトせざるを得ないよねーは禁句で。ちなみにガメラ=善玉を崩したのが「ガメラ3 邪神覚醒」である。あとで感想書くかも。
 で、ガメラなんだが超能力とか聞いてまたかと思う人もいるかもしれない。ゴジラも超能力が出てきたし、またかよ、と。ちなみにゴジラは時代的に超能力が最後に信じられていた時だから(1980年代終わり~)それはそれで仕方がないと思われる。が、ガメラはもうアウトだろう。オウム事件のあれおあったしね……。と思っていたのだが、ガメラ3まで見てこの設定が合ってるかもと思うようになった。実はこの世界のガメラってのは一種の魔法のような存在であり、自然界の魔力バランスが崩れると大量発生するギャオスを倒すらしい。現代は人間のせいで魔力バランスが崩れていて、ギャオスが発生し、それをガメラが退治するのだ。ガメラ3でそう言ってたよ。
 だったら、今の時代にガメラがよみがえる必然性は十分だよなあ。まさかオカルト的要素がこんなに生きてくるとは思わなかったぜ。

 難しいことはさておいて、見所はスピード感だろう。ガメラも空中を飛べるので画面がガンガン変わる。これは鈍重なゴジラでは取れない映像だろう。そして空中で吐かれる火炎。ギャオスが間一髪でかわしたりとすっげえかっこいい。
 さらに人間から見た怪獣の描き方も迫力満点。僕が好きなシーンは電車に乗ってて窓からギャオスが見え、襲われるところだが、いきなり怪獣に襲われる恐ろしさを十分に出せていると思う。最初は窓の隅に映るだけだったのだが、いきなり強い衝撃を受けて何が何だかわからないまま電車がごと持ち上げられるのは怖いだろう。僕は小学生だったか中学生だったか、このシーンでショックを受けた覚えがある。こういうのを描けるのも、怪獣の善悪が固まっているお陰であろう。悪のギャオスは人を食べるからこそ悪である。善悪の固定は怪獣モノとしては中だるみだが、その分設定を掘り下げることができるんだなあ。


 どこかで同じ作品を見かけたと思っていたが、やっとわかった、「MM9」(山本弘、創元SF、2010)だ。もちろんガメラはあくまで怪獣映画だから設定がファジーであるが(逆に「MM9」は科学的にかなり忠実であるため怪獣映画としてのカタルシスがない……。ウルトラQよりも地味なのが欠点)、怪獣を見つけてから被害の描写の仕方、人間の対応がどこか「MM9」に通じるものがある。
 怪獣同士の戦闘も面白いし、ゴジラに飽き足らない人にはお勧め。

 しっかし昔のガメラがB級丸出しだったのに対して、平成ガメラは真面目に作ってるギャップが笑えた。