2011年1月22日土曜日

ガメラ3 邪神<イリス>覚醒

 これは……何というか、問題作。作品のテーマ的にはギャオスを退治するとはいえ、都市を破壊するガメラは本当に「人間の味方」なのかという話。ザンボット3だよね。ストーリーはガメラを憎む少女と彼女を守ろうとする少年の恋愛模様もどき。相変わらずスピード感あふれる映像と、今作のテーマ的に人間が吹き飛ぶシーンが多い。視点も人間の目線から怪獣を見上げたり、倒壊するビルを間近で撮したりと怪獣映画としては一歩先を描いた作品。音楽もマッチしており、イリスの造形もデジモンが入っている的な造形とは言え格好良いぜ。ガメラが死闘の果てにイリスを倒し、ギャオスの群れにただ一匹で立ち向かうラストシーンは燃え上がる。
 このシリーズは怪獣映画にしてはやたらに下から見上げたりカメラを揺らした構図が多く迫力があるけど、それもガメラが空を飛ぶ設定からできてるよね。

 とそれだけだったら良いのだが、この作品、イリスが非常に問題であったりする。その意味で問題作なのだが。ぶっちゃけイリスと、ガメラを憎みイリスを育てる本作ヒロインの綾奈の関係ってかなり性的な何かを暗示させると思うのだが。綾奈はイリスの母親になるが、それはイリスを使ってガメラを倒すためでもあり、なおかつ失った肉親の代わりに注いでいる愛情なんだ。さらには綾奈はイリスと融合するけど、完全にこれって胎内回帰でしょう。しかも倒錯的な。綾奈にとっては両親をガメラに殺された時点で全てが止まり、そのままイリスに吸収されようとする。これ以外にもイリスによって生命エネルギーを吸い取られるのに象徴されるが、東洋的な肥大化する母性によって子宮に戻される感じがした。しかもイリスのデザインってもろに触手だったりと別にそこまで考えたくはないが様々な要素からヤバイ系のエロスなにおいを感じてしまった。手塚治虫的なエロスというか、分かる人にはわかる。隠されているけれど普通の性表現よりはるかにまずい何かだ。
 リアルタイムで見てた頃はガメラ頑張るんだじょーとだけ思ってたけど、改めて見ると何か官能的なんだよ。さんざんイリスの外見を語っておいてなんだけど、この変な感覚がどこからくるかと考えたら、綾奈とイリスの関係性が原因なのかもしれない。綾奈が洞窟に隠されていた卵をなぜかガメラを倒す怪獣になると「確信」してひっそりと育てるところや、育ったイリスと後先考えずに融合するところとか、描写が少ないからこそなおさらなんだ。

 とその手の話題はこれでやめる。書きたいことは全て終わったのだが、少し付け足すと、2000年代に入ってから居場所のなくなった人間を描いた作品って多数登場したけど、これがそのトップの位置にいたのかもね。ヒロインの綾奈は両親をガメラに殺された挙句、身柄を引き取ってくれた親戚家族とも上手く付き合えず、同級生からいじめを受けて、唯一の肉親である弟はいじめられていたものの周囲に溶け込み始めているその疎外感。残るはガメラを憎むしか手段はなくて、それがイリスと融合するまで追い詰められた。1990年代の終わりはいじめとかきれる青少年とかがクローズアップされたが(だから富士見ファンタジアの「A君(17)の戦争」とか「デビル17」とか17歳を強調している作品があったのだ)その雰囲気を顕著に表していた気がする。
 あとはガメラの正義性の問題だ。ギャオス・イリスは人類に危害を加えるから劇中では悪であった。でもギャオスを倒すガメラも人間の生活に無配慮に活動すると排除の対象となる。実際、映画の中ではガメラ撃退対策が採られていた。……そういやテロリストを発見するなら捕虜への拷問をも厭わないというか推奨される空気も一時あったよね、お米の国で。安全のために肥大化し、自己目的化した最後には住人をも潰すようになる。そんな「怪獣」を2000年にも達していないのに十分に描けているのは素晴らしい。
 我々はどうするべきなのだろう。ガメラは人間を守るために片腕を犠牲にし、ギャオスの大群との最終決戦に臨む。エコノミストの記事では腕を縛られて戦うのが自由を守る戦いだとまで言っている

 最後に、どうも当初の予定では恋愛ものにするらしかったが、路線変更して良かったと思う。恋愛ものだとシチュエーションに石破ラブラブ天驚拳な流れにしかならん。

 ガメラ3を最後に平成版と呼ばれるシリーズ化した怪獣映画はゴジラもガメラも終わりを迎える。ゴジラは後にミレニアムシリーズとして復活するがやはりというか人間ドラマを主軸にすえた作品であった。ヒーローものではなく怪獣ものとしての特撮は今現在休眠の時期にある。