2011年2月13日日曜日

「ユリア100式」(萩尾ノブト×原田重光、少年画報社)

 シモネタは苦手だ。正確に言うと、飲み会とかで振られるシモネタが嫌いだ。エロマンガとか読んでるくせに、でも職場とかリアルな一般人の前ではカミングアウトしてないが、何をすっとぼけたことをと自分でも思うけど、でも平常心で流すことができない。
 僕にとってシモネタは生々しいか生々しくないかの2種類ある。いや、ある種のシモネタを生々しいと感じてしまう。肉体が感じられたり、リアルな人間関係が絡んできたりするそんな話題を「生々しいシモネタ」と感じて嫌がってしまう。当然ながら一般人はこの手の下世話な(失礼)話題が大好きなのでよく振られる。「今彼女いる?」「いません、っていうか童貞ですwww」 幸いなことに会社の人は人間的に出来てるので次の話題に行ってくれるけど、一見して喪とわかる僕に聞かないでほしいな。つーかいくら二次会とは言え風俗の話題を延々とされると困る。(^^;)←文字で会話できたらこんな相槌を打つところだった。
 でも僕は別に生々しくなければシモネタは好きな方なんだ。古きは……知ってる人は知っている核融合少女リップルちゃんとかがっちゅみりみち放送局とか、それでアリスソフトも好きだし、今現在道満晴明は座右の書である。下品短歌も大好きだ。駕籠真太郎のグロエロスカトロを楽しんでるから汚いものが嫌いなわけでもない。飲み会でもオタク同士ならエロマンガの話題で盛り上がるけど、それには嬉々として加わったりする。
 なんて言うんだろう。どうもシモネタが苦手というよりも、それが話される雰囲気が駄目みたいだ。一般的に語られ求められる「俺の」風俗経験とか武勇伝とか女関係とか、その自分を晒す行為が、もっと言えば自慢半分自虐半分に欲望をストレートに見せる体育会系的な表現が嫌いなんだと思う。先に挙げた飲み会でも実は女性がいたんだけど、そんな場でわざわざ風俗の話をしてるんじゃねえよと思うんだけどね。お金で性欲処理してますとなぜ平気で言えるんだろう。む、これだけ書くと彼らが人間的によく出来ていると思えなくなる不思議。文章のマジックだね。

 さて、そんな僕でも面白く読めた「ユリア100式」だけど一番の特徴はギャグの1つとしてシモネタを出している点だろう。ギャグマンガって例えば唐沢なをきの作品が典型的なんだけど、パロディをメインに据えたギャグとか不条理性をメインにしているとか色々ある。もちろん古典的な登場人物の面白い動き・顔芸もあるし、語呂合わせやシャレもちらほら見かける。今回はパロディをテーマにしよう! と同じような感覚でシモネタをギャグのテーマにした作品、それが「ユリア100式」なのだ。
 ストーリーは簡単。自分がダッチワイフであることを隠したヒロインと主人公のスラップスティック。それだけじゃ12巻も続かないからキャラも増えるが基本的にはひたすら主人公によるネタふり→ヒロインが誤解→シモネタ→いいかげんにしなさい のループ。以前使ったネタもリサイクル。ヒロインに常識がないから(ダッチワイフ)、どこまでもエスカレートできてしまうボケ。シモネタを完全にギャグとみなしてるから全くいやらしくないのが最大の特徴。ある意味、電車の中でカバー書けずに読んでも僕は平気だぜ、周りの人はいたたまれなくなるかもしれんが。

 そう、このマンガってエロスを感じないんだよね。絵のタッチのせいかもしれんが、掻き立てられるものがないというか。同じ頃に流行った「こどものじかん」はあからさまな描写にそれでも釣られる人が続出したけど、「ユリア100式」にはあまり萌える人はいなさそうだ。勝手な印象論だが。
 「ユリア100式」も1・2巻は直截的な性表現というか性器描写がなかったものの、最後の方はバッチリと消しが入っているコマがあって、それでも別にいやらしくないんだよね。なぜだろう、と思ったが、もしかしたら健康的というか天真爛漫というか恥らいがないから下劣な感情を掻き立てにくいのかもしれない。アラレちゃんのように汚いネタもあっけらかんとして書けばスルーできちゃうみたいな。
 しかも1話1話のほとんどの性表現が勘違いや曲解から始まりギャグで落として終わるため、笑いしか起きないのだ。ギャグを使わなかった性描写って良夫がジュリアのマスターになったシーンくらいじゃないかな。

 ギャグマンガとして自分の中では傑作だと思う。いわゆるシリアスなシーンがほとんどないから大好き。他のギャグマンガって最終話近くになるとストーリーをまとめるために大きな問題を出して急にシリアスになったりして覚めちゃったりする。世界観に合わないのもそうだけど、ギャグのまま終わらせられなかったのかとがっかりしてしまう。「ユリア100式」は最後まで笑えるから上手い終わり方だったと思う。