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「パシフィック・リム」(ギレルモ・デル・トロ、ワーナー・ブラザース、2013)感想文

2013年9月2日  2017年2月24日 
 昨日パシフィック・リムを見てきた。3Dの吹替版。ちなみに2D字幕は2週間前に視聴済。いやもうすげえ。本国アメリカではどういう評価されてるか知らんが、少なくとも日本人で子供の頃巨大ロボットや怪獣に親しんだ経験を持つ人なら絶対にみるべき。
 魅力的に書けるか不安だけど、あの衝撃を記事にして1人でも多くの人に見てもらわねばならないと思った。以下の文章はネタバレありだけど、この映画はネタバレを気にするようなものじゃないので、特に隠さず書いておく。それにしてもまだ公開されて1月も経ってないけど近所の映画館では昨日で放映が終わってる……。

【ストーリー】
 何のとりえもない主人公だが、イェーガーと呼ばれる巨大ロボットのパイロットへの適正はあったようで、兄と共に怪獣を何体も葬り去り英雄だった。しかしたった1度の敗北の時、兄を失い、イェーガーに乗れなくなる。
 それから数年後、あてもなく生きていた主人公の元へかつての上司(環太平洋防衛軍PPDCの司令官)が訪れる。イェーガー計画が中止され、防御壁へ切り替える方針となったと伝えられる。しかしPPDCは人類を救う唯一の方法として太平洋深海の割れ目を破壊する総攻撃作戦を計画していた。主人公は再び立ち上がり、かつて破壊されたはずの愛機に新しくパートナーとなったヒロインと共に乗り込む。主人公は彼女と共に自らのトラウマも克服し、いがみ合ったライバルを救い、最後の戦いに身を投じる。

【雑感】
 Wikipediaによるとデル・トロ監督は日本の怪獣作品に影響を受けたわけではなかったらしいが、ある意味それは正しい。どちらかと言えば、情熱的に描かれているのは怪獣退治であり、巨大ロボットのギミックとそのパイロット達だからだ。怪獣の上陸を遠目に発見する人々、街を進む怪獣から逃げ惑う人々の姿はほとんど描かれていない。街を壊し炎の中を進む怪獣の姿、キャラクター性を高めるためにくっきりと見せる全身像など日本の怪獣映画で描かれていた文法がなく、それが僕にとってパシフィック・リムが怪獣映画でないと判断した根拠だ(ただし、これは大人向けだからわざとそのように撮っているだけなのかもしれない)。なお、巨大ロボットと言えどもメカゴジラやモゲラ系列ではなく、ジャイアントロボやビッグ・オー方面のスーパーロボットである。ここからもこの作品のジャンルが巨大ロボットものだということがわかる(メカゴジラタイプの巨大ロボットが好きなのだが、なかなかジャンルにならないんだよねえ……)。
 その意味ではガイナックスの「トップをねらえ!」が同じような印象である。僕のツイッターでも軽く書いたように、怪獣・巨大ロボット・過去作品たちへのリスペクトと似ている要素が非常に多い。つーか、最後の戦いが自らの動力炉を暴走させ怪獣の発生源を壊すなんて完全に「トップをねらえ!」そのものだ。もちろん、パクリとか言う気はなくて、すでにやり尽くされたモチーフからこんな作品を作れるなんてすげえ、ってこと。

【シナリオ】
 と褒めてはいるものの、シナリオ的には可も不可もないレベルである。怪獣=異世界からの侵略兵器という図式は現代の日本のアニメ・マンガカルチャーではすでに使い古しの段階に入っており、確かアリスソフトの「大帝国」でも似たような設定だった。
 また、日本の作品であれば1年かけて描くであろう設定とシナリオを2時間にまで煮詰め上げたからお腹いっぱいになる反面、シナリオそのものの粗も結構ある。それは http://twitter.com/Tellur/status/368590045772382208http://twitter.com/Tellur/status/368591532539908096でも書いたとおり、主人公を格好良く描こうとして色々エピソードを盛り込んでいたらまさに俺tsueeee! の領域になってしまったかのようだ。なぜ主人公が強いのか、事実上家族としか搭乗できないイェーガーになぜ縁も所縁もないヒロインと簡単に乗れてしまうのかなど上映中にすでに引っかかった部分は結構ある。そこらの疑問を後回しにさせるバトルのテンポや迫力は素晴らしいが、人によってはご都合主義に鼻白むと思う(個人的には幼い頃のヒロインを助けたのは主人公とすべきだったと思う。影から覗いたり、彼はグッドパートナーと言って、ドリフトまで1発成功したのに何のフラグもなかったなんてシナリオ的に納得行かなかった)。
 以上、欠点のみをあげつらったものの、普通に合格点の(褒めてます)シナリオだと思う。いや、この書き方だと誤解が生じるか。正しくは怪獣とイェーガーの格好良さを味わうのに最適のシナリオであった。
 ちなみに上に書いた粗筋と合わせて見た時、日本のアニメやラノベでも特段違和感のないことに注目。ハリウッドは「大作」と呼ばれる作品に対してはちゃんとしているイメージを持っていたが、この手の明らかなご都合主義も残っていることに驚いた。……日本のアニメもハーレム化しない程度に女性を減らして男性を増やしてもう少しストーリーの濃度を上げれば良い線までいけるんじゃない? (ところで、この作品って結構名有りキャラが多い割には女性が少ない。ヒロインと即死んだチェルノ・アルファのパイロットくらいだね)
 なお、ライバルのラストシーンは正直納得がいかなかった。あそこは生きて帰らせるべきだっただろう。

【ロボット】
 何を差し置いてもイェーガーが全て。重量感ある歩行と疾走感あるダッシュ、相反する2つの行動が違和感なく描かれているのはすごい。日本のアニメで言うならジャイアントロボのシルエット、そして歩行シーンでロボットが走るときはエヴァ初号機的な感じ。しかも操縦はGガンダム方式(ジャンボーグAは見たことない)で、これが世界観と合っている。確かにロボットを動かすならパイロットがパントマイムしなければ難しいなあと変に納得させられる。そしてこの方式ならば苦戦しているときはパイロットが身振りで苦しいという演技が可能なので便利そうだ。
 さて、今までさんざんジャイアントロボと書いたけれど本当に肉弾戦を行う。潔いまでに飛び道具がなく、「爆発と光線が見たけりゃ○○○○でも見とけ!」というにじみ出るオーラに頷くしかない。まあ、たぶん設定集を見れば何かしらの理由付けはされてると思うのだが(Wikipediaには怪獣の血液云々が書かれてた。ああ、プロローグにそんなモノローグが入ってたね。でもパンフレットなどを見なければ正確な事情がわからないぞ)。だから、戦闘に関してはジェットジャガーを思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。ただしカメラワークは怪獣プロレスを正面から明るく撮るのではなく、接写して全体像を見えにくくし迫力を出す効果を多用しているのはさすがにハリウッドだと感じた(が、このカメラワークって色々な映画で多用されすぎてて個人的には飽きてしまう。というかちゃちいと感じる。話は変わるけどスローモーションを多用したアクションシーンも迫力あるものの、旬過ぎててダサく感じるなあ)。
 それから怪獣VSスーパーロボットのプロレスを描くために必要でない部分は極限まで切り落とされている。怪獣出現時に時間稼ぎのために迎撃する戦車や戦闘機はパシフィック・リムの世界にはいない。上にも書いたように怪獣上陸後に逃げ惑う人々はストーリーに関連した部分でないと写されない。怪獣の出口を防ぐために太平洋深海へ向かう最終決戦なんて怪獣とのバトルが終わった後、異空間で自爆装置を作動させるシーンのあっさり加減はある意味見ものだ。「トップをねらえ!」でウラシマ効果による別離を軸にドラマを作っていたのと対照的だった。そう、シナリオにも関連するがこの作品にはドラマがない。

 イェーガーの造形は素直に格好良かった。しかも量産型って概念はない。全てこの世に1体しかない人類の存亡をかけたロボットであり、各国ごとに異なるデザインである……ってのが好きな人にとってはたまらないだろう。そう、ゲッターロボというかダイナミックプロ作品的な匂いがプンプンするのだ。
 それにしても中国ロボットが3人乗りタイプで愉快なギミック付きなのがシェンロンガンダムやアルトロンガンダムを彷彿とさせる。何でスーパーロボットの世界で中国籍のは曲芸的な攻撃方法なのだろう。

【怪獣】
 この作品では怪獣も格闘戦を挑む。自然界ではしばしば舌を鞭のように伸ばしたり、噛み付いて毒を注入したり、臭いガスを放つ怪生物が有名だけど、パシフィック・リムに出てくる怪獣たちはそんなギミックに魂を売る真似をしない(でも1匹酸を吐く奴がいたけど一発ネタだったなあ)。己の腕っ節と健脚を用いたアクションで視聴者を魅せる。ここらへんは「そういう世界」ってことだな。
 ところで平成ゴジラとガメラで育った僕は巨大生物・ロボットのアクションは人間の動きに比べて遅くないと迫力が出ないと魂に刻まれていたが、この映画の怪獣は動きが素早い。ジュラシックパークのラプトルなみに素早くアタックを仕掛けるのだが、不思議と質感が軽くならないのはなぜだろう。日本の怪獣特撮とは撮り方が違うのだろうか。
 不満点も多少はあって、明るい場所で全身像を映してくれないので1回見ただけでは怪獣の区別がつかなかったりする。他のブログを見てライジュウが、オオタチが、と書かれてもさっぱり思い出せなかった(今調べてみたら、オオタチは酸を吐いて空を飛んだアイツだ。ライジュウは最終決戦での水中怪獣の中の1匹だ。英語で言うとone of three)。スタッフロールで模型を見せてくれればよかったのに。

【SF】
 シナリオでも軽く触れたが、SF設定に関しては特段目を見張る部分はない。怪獣VSスーパーロボットのプロレスの添え物としては可も無く不可も無く的な……。と細かい部分でこだわるのも、怪獣と(スーパーロボットとは言え)リアルな質感を求めるロボットは設定が命だから。どちらもなぜ現実世界にいないそれらが存在するのか、存在するとして一体生態系や運用は現実世界に比べてどのような影響を受けるのかという部分が重要だと考える。突き詰めて言ってしまえば、本来なら中に人間が乗る必要のない兵器(巨大ロボット)の必然性と恐竜よりも大きくとんでもなく生命力の高い生物(怪獣)がシナリオ的にどこまで許容されるのかってのを僕は設定だと考えている。怪獣を殴って倒した後でグッとガッツポーズしただけで倒せるようになったら、シナリオがイカれてると普通は思うだろう。そういうこと。
 そんなわけでどうしてもマニア向けになりがちなのだが、この映画における「設定」は適当にその場その場で良いように使われているように思える。大幅に外見が異なるのにクローンってどういうこと? とか、異種族なのに怪獣とドリフトが成功したなら人間同士なら大抵うまくいくんじゃね? とか。
 重箱の隅でしかないけど、ロボットモノ・怪獣モノはそこの考察が楽しいので、パシフィック・リムは少し不満がある。

【終わりに】
 この感想文は文句をぶちまけているように見えるけど、もちろんそんなことはない。どちらかと言えばここをこうしたら僕好みになったという妄想でしかなく、それも見終わって何回か頭のなかで咀嚼した上での結果。鑑賞中は「ドゴーン、ズウウウン(心の中での効果音)」「げげ、ボルトガンダム(チェルノ・アルファね)がやられた!」「空をとぶのかよ!」という5歳児に還った感想がメインで楽しかったんだけど、感想文にはならないよね……。えーと、良い年した大人が心の中とはいえ効果音を付けながら映画を見てるくらい楽しかったです。久しぶりに童心に帰ったよ。
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