2014年7月26日土曜日

ゴジラ(ギャレス・エドワーズ監督、ワーナー・マイカル&東宝、2014)

 何と日本公開日である昨日(7月25日)に見に行ったのだった。レイトショーとはいえ当日で真ん中の席が取れてしまうんだなあ。



 さて、早速感想を。

 おい、そこの鉤爪。お前が歩んだ大地は本来ならゴジラが通るべきだったのだ。

 何のことかわからなければ映画を見るべき。僕は「ゴジラ」として評価はしていないが、モンスターパニックものとして面白かった。
 以下では具体的に感想を書くがあくまで僕の個人的な感想……というか、ツイッターとかでは好評価が多くて僕の感性がゴミなのかと凹む。まあ世の中にはこんな人もいるんだよ、ということで。





--------------------ネタバレかも?-----------------------------------------------------

1.「ゴジラ」とは
 さて、ここでこの映画を評価する僕の立ち位置を書いておこう。
 僕は平成VSシリーズのファンだ。そして平成ガメラのファンでもある。平成ガメラは一旦置いておき、平成VSシリーズのゴジラは複雑な性格を持っている。
 人間と敵対し(1984ゴジラ・ビオランテ・キングギドラ・モスラ・メカゴジラ・デストロイア)、時には人間の決死の作戦に破れ(1984ゴジラのスーパーXと三原山作戦・ビオランテの人工雷・キングギドラのメカキングギドラ・メカゴジラのショックアンカー)、さらには人間を襲う姿も描かれ(ビオランテの権藤一佐・キングギドラの新堂会長)、かと思えば親としての顔も持ち(メカゴジラ・スペースゴジラ・デストロイア)、そして人間の味方でもある(スペースゴジラ・デストロイア)。
 このように多面的な顔を持つゴジラだが、それが平成VSシリーズとしてストーリーが続く中で違和感なく描かれたのだった。また、三枝未希というサブキャラを狂言回しとして出演させ、彼女のゴジラに対する態度を作品毎に変えることで人間とゴジラの関係も変化していることを表現していた。

 はっきり言って、ゴジラはというか怪獣は人間の敵であり、より強大な敵が現れた時だけ一部の怪獣は人間の味方になるわけだ。そこに古来からの日本的神への見方が云々と評論することもできるが、それは関係ないので放っておく。
 とにかく、この作品(以下2014ゴジラ)は本来描くべきだった人間との対峙を別の怪獣に任せることでゴジラをヒーローとして成立させたのだが、そんなのゴジラじゃないやい。

2.「平成ガメラ」として
 実のところ2014ゴジラはどちらかと言えば平成ガメラとして見た方がわかりやすい。
 とりあえずBGMからして平成ガメラだ。頑張って伊福部イズムを盛り込んでいるが何か違う。多少ハリウッド的重低音にあふれた音楽だが平成ガメラと合わせたほうがよほど自然だ。以前、ナクソスのシンフォニア・タプカーラを聞いた時の拍子抜け感が2014ゴジラのBGMの感覚と近い気がする。わからなかったら平成VSのメカゴジラとデストロイアの冒頭を5分だけで良いので聞こう。あれがファンから見た伊福部怪獣音楽のイメージだ。

 そして人間ドラマの重視。2014ゴジラは明確に人間ドラマでストーリーを引っ張っている。場面の転換は人間が起こした行動に起因し、怪獣同士の戦いは(成功するかはわからないものの)人間の緻密な作戦の結果であった。
 平成VSシリーズはビオランテとデストロイアを除きゴジラが主体となる。進路を妨害しようとしてもすぐに薙ぎ払われるのが自衛隊であり、さらにしばしばゴジラは海に潜って人間の監視から逃れてしまう。
 平成ガメラはそんな平成VSゴジラシリーズに比べると人間主体で動いており、その意味でこの2014ゴジラは平成ガメラに近いのではないかと思った次第。

 確かに人間の味方ではある点では平成ガメラと近いものがある。平成ガメラはまるで20世紀終わりの日本人の倫理観を知っているとしか思えない行動原理だった。
 カメラワークも怪獣映画として挑戦的で平成ガメラを初めてみたような驚きがある。怪獣が街を通り被害が出るシーンはアップで撮り、全体的な被害の様子を劇中のニュースによる俯瞰や軍による救出隊から見た俯瞰で克明に写す。
 かと思えば古典的な怪獣登場のシーンもある。夜中に大きな音がしたから目の前を照らすと闇しか見えない。安心したもののふとライトで上方を照らすと怪獣の顔があった、みたいな。お約束なのだが、それだけに怖いシーンだ。
 さらに、2014ゴジラのムートーは、イリスに結構似てる……というのはもはやどうでも良いか。

 ただし、2014ゴジラは致命的に先の平成ガメラと異なっている。
 平成ガメラは人間から敵対されているのだ。空中大決戦ではライバルのギャオスが生け捕りだったのに対しガメラは排除、レギオン襲来では自衛隊から攻撃を受けたはずだし、イリス覚醒はテーマからしてガメラは人間と相容れないのか、だ。
 いくら人間の味方と言えども町中で動けばビルは崩れ人間が死ぬ。平成ガメラは一貫としてこの問いに向かい、そして答えを見つけられずに最後の決戦に赴いたのだが2014ゴジラはそもそも行動からしてそれまでの凡百の怪獣と格の違いを見せつける。
 なんと、泳いでる時に目の前に空母があったらその下を潜ってくれるのだ。え、なにそれ! ついでに泳いでる時に目の前に橋があったらその下を潜ってくれる。……それくらいしなければヒーローにする説得力が持てないのか?

3.「怪獣映画」として
 かつて僕はパシフィック・リムを褒めまくった。個人的には楽しく見れた反面、日本のお家芸だった怪獣とか巨大ロボットが日本では到達できないクオリティで実現できるハリウッドに恐怖した。面白いものは貪欲に取り込まれ、発祥の地に残るのはその搾りかす。低予算でのマネージメントとか昔ながらのピアノ線操演とか思い出補正をかけなければ見ることのできないゴミしか残らないのではないかと密かに恐怖した。

 だがしかし、2014ゴジラを見る限りではまだまだ杞憂のようだ。
 それはゴジラが実はキャラクターであることも原因なのかもしれない。キャラクターであるからその描写はオリジナルの文化における文脈を踏まえないと性格が異なって見える。正直、同じ日本人が描いたってシリーズ展開やシナリオ次第で批判を受けるんだから大変面倒な商売だと思う。まだまだゴジラとウルトラマンとスーパーロボットという概念は日本文化から逃れられないのだなあ。

 そして僕がパシフィック・リムを怪獣映画でないと書いた理由である怪獣から逃れる一般市民の姿を描いたのは素晴らしい。そう、逃げ惑う人々の後ろで怪獣が暴れ、場合によっては市民を追いかけるのが怪獣映画の定番だ。でも何かジュラシックパークシリーズでも見た気がするぞ。
 とりあえず、怪獣が現実の世界に現れたらという質問に対しリアリティのある絵を提示してくれたのは素晴らしい。

4.「映画」として
 非常に残念なことにこの作品にはそもそも映画として必要ないと感じるシーン・キャラがある。
 代表的なのはハワイで主人公が保護する親とはぐれた少年。彼、そもそも必要ないだろう。
 いや、シナリオの中で、父親と別離する羽目になった主人公が父親としての責務を自覚し、本土に残した妻子のために怪獣討伐を決意する位置づけなのはわかる。わかるのだが、結局ハワイの少年は別に親がいて、そして主人公も本土に息子がいる。ハワイで共に行動することになった2人の姿は単なる人の良いお兄さんと慌てん坊の子供でしかなく、このシーンで主人公が成長したなどとは感じなかった。
 ああでも、ハリウッド映画って世界が危機に陥ったら超人的なキャラが解決役を買って出てそこで愛国心だの共同体だのが強調されるという僕の勝手なイメージがあるが、2014ゴジラはあくまで家族を行動の原因にしており(主人公がミサイル処理班に配属されたのは家族の元に帰ろうとして巻き込まれた末だった)、興味深かった。
 そして、もう1つ必要ないと感じたのが、残念なことに芹沢博士。芹沢博士の立ち位置はゴジラとムートー(だっせえネーミング)が活動することになったきっかけでしかなく、中盤以降は運をゴジラに任せる無能さっぷり。だいたい平成VSシリーズでも、例え熱戦で一掃される雑魚の役割だとしても、人間たちはゴジラを自力で何とかしようとしていたのにゴジラに任せればなんとかなるってそんな馬鹿な。
 最後に主人公の父親。映画中では真実を知ったキチガイ爺さんとして描かれていた人だが、あまりにも退場が早すぎたと思う。もしかしたら主人公が父親に謝る暇を与えないことで主人公の罪悪感と後悔を強調し、怪獣退治に赴く動機としていたのかもしれない。ただ、個人的には主人公をちゃんと父親と和解させ、その後の怪獣の襲来で窮地に陥った主人公を父親が身を挺して助けた方が、のちの息子のため世界のために怪獣退治に参加する展開にすんなりと繋げられると思う。っていうか、結局主人公の父親も物語の導入としてのみ必要なんだよね。
 ただただもったいない。

5.「ゴジラ」として
 というわけで僕はこの作品を日本のゴジラのシリーズとして見ることができなかった。
 正直今でもネットで様々な人が何を褒めているのか理解できない。
 怪獣が2体現れ、一方が人間へほとんど危害を加えずに悪いもう一方を退治する。それが許されるのはウルトラマンだと思う(そしてウルトラマンは小林泰三氏の「ΑΩ」があってだな……)。
 そしてラストシーンも日本人のゴジラ観に挑戦的であった。ゴジラを救世主と仰るか。
 製作陣にはわかるだろうか。平成VSシリーズで悪者として描かれたゴジラがメカゴジラに倒されるときに泣きそうになった子供たち視聴者の気持ちを。デストロイアで映画中最悪の事態として言及されたはずのメルトダウンをこれ以上なく神々しく撮したスタッフの気持ちを。

 ゴジラは人間に危害を加える。でも外敵から人間を守ったりもする。それでも倒すしかない。
 2014ゴジラのスタッフがゴジラを始め怪獣映画を研究してくれたのはよく分かる。
 でも作ったのはゴジラじゃない。


(2014/07/28追記)
 少し冷静になったので追記。
 映画全体としては上記の通り必要性を感じられなかった要素はあったものの、秘密部隊による1つのミッションを遂行する映画として面白く見れた。もしかしたら僕がその手の映画を見て来なかった物珍しさだったのかもしれないが、とりあえず普通に面白かった。落下傘って地面ギリギリになるまでパラシュートを開けないんだ、とか輸送するのにアメリカですら列車が活躍するんだとか。あれですな、スターウォーズとかターミネーターばかり見てたら現実の軍隊に疎くなっていかん。
 続編が制作されればお金と時間があったら見に行きたい。映画の「エイリアン」が巨大化して、台風が都市を襲うような被害を与えて、でも人間が活躍するストーリー展開はハリウッドの定番だが、やっぱり面白い。

 が、それはゴジラではないのだ。
 はっきり言うと、別に「海底から蘇ったゴジラ」を「古代兵器のガメラ」にしても「どこからともなく現れたウルトラマン」にしても「全世界一致団結で開発したジプシー・デンジャー(パシフィック・リムのロボット)」に変えても問題のない作りになっている。
 もっと言うなれば「怪獣」を「自然災害」に置き換えてすらこの映画は成立する。迫り来る巨大ハリケーンを破壊するため核ミサイルが用意されたものの……という展開でもこの映画のストーリーはほとんど変更がなく進んでしまう。
 同じく人間ドラマが濃厚だったビオランテが、ストーリーの中核がゴジラ細胞だったり抗核バクテリアだったりとゴジラ要素を失えばストーリーが成り立たない作りだったのとは大きな違いだ。

 ついでに上で言及した家族というテーマも全く活かせてないのは辛い。この映画に出てくる家族は幼少の幸せが突然消えた(母親)か、全くお互いを理解できなかったか(父親)、そこそこ幸せそうか(モブ)、それとも起伏もなく存在するか(主人公の今の家族)だ。ヒビの入った人間関係が突然起きた事件を乗り越えることで修復され、さらに主人公が世界のヒーローになるのはハリウッドの定番だと思うんだけど(具体的な作品は思い出せないが)、2014ゴジラの主人公の家族は主人公を動かすための道具でしかないのだ。ルパン三世だったら○○のお宝とかそんな感じ。
 正直、怪獣にしても家族にしても他のキャラにしてもなんでこんな半端な作りになったのかはわからないが、致命的な粗が目についた。

 蛇足だけどこの映画について賛成にしても反対にしても言われる反核のメッセージ云々は僕ももうわからないなあ。こればっかりはゴジラで思い浮かべるのが初代1954なのか平成VSシリーズなのかの違いかも。
 核については、この映画が「ゴジラ」と付けられている以上、核が無力なのは観客は予め知っているので軍が核を持ちだしたのは死亡フラグ(クライマックスのための危機)を立たせるガジェットでしかない。ムートーとゴジラをおびき寄せるために核を使う無邪気な信頼を核賛美と呼ぶこともできるし、奪われた挙句沖合とはいえ爆発させてしまった無力さを反核とも呼ぶことができるが、そこに込められたテーマ以前にお約束の展開としか言いようがない。あと、3.11で原子力発電所の問題や、その他にも例えば津波対策の各種政策などでリスクとデメリットの問題について色々議論された後で単なる反核を唱えるのはもうできないんじゃないかな。2014ゴジラとは直接関係ないけど、失敗する可能性を考慮に入れた上でそれでも最も効果の見込まれる手段を取るってのが社会的な意義があることだと思う。
 あと2chとかでは津波とか地震のシーンで日本ではカットしなかったことに驚く連中がいたけど、むしろあの程度の描写をカットする人の気がしれないな。3.11から変な部分でナイーブになりすぎ。