Tellurは、……現在色々物色中です。

「MM9」(山本弘、創元SF文庫、2010)

2014年7月14日  2017年2月24日 
第二作 http://tellur.blogspot.jp/2014/06/mm9invasionsf2014.html
第三作 http://tellur.blogspot.jp/2014/10/mm9destructonsf2014.html

そんなわけでなぜか感想文を書いていなかったMM9。
 読み返しても良い作品だと思う。ストーリーもオチも全部覚えてるけど、ワクワクする。
 続編を読んだことで鮮明にわかったのだが、無印MM9は怪獣モノだし、SFだし、そして会社員小説でもあったのだ。

 会社員は好きだけで仕事をやっているわけではない。何の仕事でも納期がある。予算がある。場合によっては人員の限界がある。下手すると外部の人の監視を受けたりする。そのような制限事項が上層部で決められてほとんど拒否できない中で任される。好きな人や責任感が強すぎる人ならとんでもないパフォーマンスを発揮するが、まあ一般人はそこそこ真剣に働いてほどほどの待遇を所望しまあまあの忙しさで手を打つ羽目になると思う。いやいや、別に僕のことではない。そんな会社員でも多少のプライドはもっていて、自分にしかできないとかおだてられたら徹夜をしてでも仕事する。僕は自営業とかいわゆるブラック企業的な仕事に就いたことはないから、会社員の平均なのかそれとも多少待遇が良い方なのかはわからないけど、今作の主人公たちの姿は僕の生活の部分部分に見覚えがあるものも多い。
 世界観的には怪獣が毎年現れて数人殺したりするからそんな不真面目な態度に怒る人もいるだろう。気特対は要は地震など災害を予知する組織を想起させる様に設定されており(もちろん気特対独自の仕事があって、被害が起きた後の作戦指揮は現実世界じゃ警察やら自衛隊やらの仕事となるだろう)、一般的には滅私の勢いで働くことを要求されるかもしれない。でも技術上も経済的にも限界はあり、可能な範囲内で仕事を行う。さらには不健康な働き方を拒絶し、私生活も両立させる労働観ってのに僕は共感した。ヒーローとは異なり制約がある中での人助けというモチーフは必然的に助けるべきものと見捨てるべきものを選択せざるを得なく、ドラマが生まれる。今の時代にはこの強制的な選択をリアルだと思え、「MM9―invasion―のヒーロー像より優れた描写であるとすら感じるが、この感覚はバブル崩壊以降の不況で全てを手に入れる幻想が消え去った結果かなと思う。

 さて、内容だが、SF設定や怪獣の描写なんて最高。SF設定はシリーズ物の続編ではないので丁寧に伏線がある。「MM9―invasion―を読んだ後はもっと大雑把な説明かと思ってたが、記憶が上塗りされてたみたい。妖怪とかも違和感なくこの世界に溶け込んでるぞ。
 気特対の活躍も現実世界の技術という縛りがあるので地味ながら面白い。もっとも、作者のサイトによると、自衛隊による殺傷能力が高すぎていかに怪獣を倒しにくくするか苦労したらしいがそれがなかなか味のある怪獣たちになったと一読者としては思う。イメージとしては平成ガメラの第一作と第二作目の雰囲気だな。ただ、別にスーパー兵器VS怪獣の戦いが嫌いなわけじゃなくて、舞台やキャラクターが現実世界よりだったので突飛な技術よりも泥臭い活躍が似合っていただけのことだ。
 正直、怪獣についていろいろ書きたいのだが、本のテーマが怪獣の倒し方であり、怪獣について書いたらネタバレになる可能性が高い(っていうか、怪獣から逃げる一般市民や人間同士の確執などのイベントがないので怪獣の正体が伏線となっている)。つまりゴジラみたいに怪獣の正体がわかっているわけではない・正体がわかれば即退治できてしまうってところに、先の怪獣を倒させない努力が見えるんだ。

 文庫1冊ながら伏線も見事だった。劇中何回も言及される多重人間原理と現実世界の災害がなぜか怪獣被害とされている設定。怪獣を倒しにくくする工夫として定番だねと読者に思わせるヒメの姿。そこから発展する日本やギリシア神話と最後に現れるクトゥルー。科学技術が役に立たないというチートっぷり。続編では誰も彼も科学技術が効かなさすぎて文句を言ったが、今作では設定にも矛盾はないしラストバトルとして燃えた展開だった。

 読みなおして面白かったことを再確認した次第。
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