2014年7月14日月曜日

ヱヴァンゲリヲン新劇場版 序破Q(庵野秀明、カラー、2007~)を見た

 いやでも見てから1年以上経ったけど。
 かなり昔に序破をいっぺんに観て、ついでQ。で、ついさっき、Qをもう一度見た。新エヴァの感想をかいてなかったからまとめて書く。

 感想としては意外とシンジ君に感情移入できるように作ってあると感じた(序)。イジイジ系主人公の代名詞だけど、そりゃいきなり呼びつけられて敵を倒して当たり前に言われたらイジイジするよなあ。しかも初陣なんて歩くだけで良いと言われたレベルなんだから。それにしても対サキエル戦は歩くだけの飾り物で使徒を倒す算段があったのだろうか?
 そんな感じでNervをはじめとする周囲の大人への不信というテーマが非常に強かったのも驚いた。 TVアニメの時の記憶よりもNervって役に立たないのな。ちなみにここで言う「役に立たない」ってのはシンジ君へのインセンティブを全く考慮せず、結果として使徒を倒す算段があるのかわからないってこと。作品の作りとしては意図的なんだけど、設定的にもシンジ君はエヴァのパイロットとしてだけではなく、普通の学生としての生活も強制させられている。 エヴァっていうマシンの特性上、そういった普通の生活も必須だったのかもしれないけど、普通なら大切なパイロット様だから酒池肉林って感じでもっと特別扱いするぜ(あと、パイロットに強烈に依存するマシンを有していながら、パイロットの安全管理に対する危機意識が薄すぎる印象を受ける。また、パイロットを大幅に増やそうとするとか、僕が会社員になったから抱いた感想かもしれないけど、それなりの組織で設けられているべき代替策がないのも気になる)上から押さえつけて褒め言葉もまともにかけないんだから徹底している。僕は90年代の後半以降しか記憶がないのだが、あの当時ってここまで閉塞感が強かったっけ。覚えてないや。シンジ君がここまで抜き差しならない状況に追い詰められることに対する評価に関しては僕より若い人の感想を聞いてみたい。「シンジ君は自分だ」と言った文言は実感できないんじゃないかなあ。

 話は変わるが、強く念じてマシンを動かしたり、マシンとの結びつきが強さに直結したりと神秘主義的な発想が結構強かったんだと改めて感じた。そりゃ巨大ロボットってのは結構擬人化された扱いをされやすい。今思い浮かぶのはガンダムWでサンドロックが自爆する際に勝手にカトルを守ろうとするシーンだ。だからスーパーロボットに意思が! という作品は珍しくもないのだが、エヴァの特異性はキリスト教のモチーフをこれでもかと詰め込んだことだろう。ただ、エヴァは一番初めの放映時から宗教っぽいとかキリスト教がとか言われまくってたけど、同時にスーパーロボット(SF)アニメとしての姿もあったのだ。エヴァショックが落ち着き、思想的な側面が強調されなくなるにつれ僕はSFアニメというイメージを勝手に強めてしまったから、意外と宗教していることに驚いたのかもしれない。

 個人的に一番好きなのが「Q」。完全に原作と異なるシナリオで物語も架橋に入り、アクションシーンも激しく娯楽作品として完成度が高い。……わざわざ「娯楽」と書いたのは、なんか「Q」が原作っぽいダークな雰囲気だという感想を聞いたことがあるからWikipedeaにも書かれてるね)。
 いや違うだろう。原作は劇場版まで見ると、確かファンが離れるとまで言われたヤケクソ展開だった。間違っても「Q」みたいに物語として年齢が低くてもそれなりに楽しめるシロモノじゃない。何よりも原作での鬱々とした感覚は9.11で現実によって追い越されたと思っていたのだが。それ以前に原作の鬱々具合は放映直後でもギャグの対象だったぞ。「失楽園」を読んどけ。
 なお、やっぱり性的な絵面は露骨だと思う。昔読んだ謎本に書いてあったのだが、パイロットスーツにしてもそうだけどエヴァの世界の性的なイメージは思春期男子から見た風景だって。かつて思春期男子だった僕としては生臭さがないからその意見には賛同できないが(エヴァの世界って性にしてもきれいすぎると思う。オタク向け的な無臭化が過剰に行われてる感じがする。一方で女性から見たらどう映るのか聞いてみたい)、
 そして「Q」でストーリーを展開してしまったのはある意味エヴァにとって不幸だったと思う。もちろん、僕も人類補完計画とか結末だけでも知りたいのだが、でも知らないほうが良いだろうと頭の片隅で思うのだ。かつてガキだった僕もおっさんと呼ばれる歳になり、世の中には詳細がわからないほうが面白いお話があることを学んだ。数年かけて探している小説の結末だったり、頭文字を読んだだけで笑死するような小話だったり。はっきり言って、たとえ一部の人々だけの間であっても、人間の想像というか期待はあらゆる小説や映像を乗り越えてしまうレベルの羽ばたきを持っている。
 エヴァも完結編では劇場版2作を含めた原作版以上の結末を求められるだろう。そうした場合、エヴァの物語は期待に耐え切れるのだろうかと失礼なことだが心配してしまう。細部を描かずほのめかしでストーリーを展開した作品が、完結できるのだろうか、と。エヴァを取り囲む世界ってのはあれから20年近くの間にかなり変わった。ファンによる考察もかなり徹底的に行われたし(ブーム時はエヴァと付ければ売れる風潮があったので玉石混交考察はされまくったのだ。当時の電車の中吊り広告で「エヴァンゲリオンは下痢の薬だった」的な文言を見た時、ブームもここまで来たかと感動した)、活字SFや映像SFは進展が目覚ましい。映像ならば平成ガメラシリーズを越えマトリックスやパシフィック・リム、キリスト教でも9.11後の日本人の知識はそれ以前と比べると雲泥の差である。正体不明の敵……というのも精神病的概念が一般化した今ではどこまで目新しいだろうか。逆に精神病患者の様子を描いたエッセイの方が読み応えがあるのではなかろうか。



 でだ。
 ここまで長々と書いた僕は結構エヴァが好きなのだろう。だからというわけではないが、楽しく見た一方で新エヴァにはあまり期待できないのではないかとも予感している。
 上でも書いたとおり、映画まで含めるとTVアニメのエヴァの物語ってのは最終的にはファンの成長を促すものだった(が、長い間「シンジ君は自分だ」というファンがいたりひたすら同人誌作る連中がいたりしたのは周知の事実。ついでに庵野監督が善意からファンの成長を促したのか否かは意見が別れる)。
 でもさ、この新エヴァを作ること自体がそもそも製作陣の停滞を表しているよね。
 前からエヴァをめぐる商品戦略って、新たに物語を生み出してないのにパチンコとか自家パロディとか節操ないなーと思ってたが、ついにはリメイク(リブートか)? 大人にならないファンを否定した癖に自分たちは前世紀の遺物で延々とモラトリアムを生きる。
 正直エヴァという作品でよりによってこんな醜悪な姿は見たくなかった。