2014年10月14日火曜日

「発掘捏造」(毎日新聞旧石器遺跡取材班、新潮文庫、2003年)+「古代史捏造」

 20代後半以上なら誰でも覚えているであろう東北地方を中心とした遺跡捏造事件。本書は新聞社が捏造のタレコミを受け、疑惑の人物について周囲の人へ取材を行う中でそれまで考えもしなかった「疑惑」を確信し、決定的証拠を収める過程を描いたドキュメントだ。
 事件のあらましはウィキペディア調べられる。ウィキペディアの内容に経緯や事実を補足した(それが重要だが)ような書籍なのであらすじなどは割愛。

 一読してまさにSTAP細胞事件に似ていると感じた。というか、この手の捏造は構造が同じなのだろうか。
①結果(成果)に対する過剰なまでの重要視
②結果を導く理論や検証・批判への極端な軽視
③当然学問の常識と合わないが、「パラダイムの変換」めいた表現による全肯定
④補足として、STAP細胞と遺跡捏造では個人に注目が集まっていたのも興味深

 恐ろしいのは遺跡を捏造した藤村新一氏を鎌田俊昭氏や梶原洋氏など周囲の学者が疑っていなかった点だ。疑似科学とかでまともな専門家が時々インチキにハマって、その理由について「科学者は事実を重視する教育を受けているので手品に騙されやすい」と聞いたりするが、まさにそんな感じ。本書で捏造がスクープされる前に学者にインタビューした内容が載っていたが、藤村氏のみが石器を発見することをその学者自身も不思議がっている(本書55ページなど)にも関わらず運が良いとか天の加護を受けているとかそんな言葉で納得する(56ページなど)始末。後出しでしかないが、藤村氏と他の学者・発掘者の実績を比べれば藤村氏が異常なことに気付きそうなのに、オカルトでもって納得する様は情けない。そういえばSTAP細胞でもいまだに幹細胞研究はコツがあったりするとか良い年・良い地位にいる大人が宣っているそうな。STAP細胞については事件発覚から今までの調査で「コツ」を学べないならばまさに「神の手」でしかないと思っている。

 話がそれた。上で箇条書きにした捏造の要素は、最近では疑似科学系の医療にも当てはまる(僕の感触としては江戸しぐさや水伝はイデオロギーありきだから毛色が違う気がする)。標準医療と代替医療の違いの説明で、「結果が出れば効果が出る理屈はわからなくても標準医療に組み込まれる」みたいな内容をどこかで読んだけど、「結果」という言葉の意味が標準医療の支持者と代替医療の支持者とで致命的に異なっていると思われる。そして藤村氏の遺跡捏造問題で当時の学会内に漂っていた「結果」は先の代替医療の支持者が主張する「結果」と瓜二つだ。
 彼らの言う「結果」とはまぐれ当たりを指しているに等しい。6面サイコロで1の目が出る確率は「出るか」「出ないか」だから1/2だというギャグがあったが、まさにそれ。意図的に検証を拒んでいるとしか思えない代替医療はともかくとしても、考古学会で素人が見つけたものに検証もろくに行わず多くの人が騙されたのは根の深い問題である。本書であげられた例として、ある地層から土器が出土して、その地層の年代測定もせずに〇〇年前と宣言したそうな。この例はさすがに特殊だと思いたいが、異なる分野の研究者による批判や考古学界内の疑問を無視し疑問を呈した人を冷遇することで、検証を不可能にした様子は本書で書かれている通り(冷遇された1人として例えば竹岡俊樹
 そして藤村氏の業績に対しては先に述べた運が良いという理由やとんでもないブレイクスルーが学問の世界ではたまに起こるという一言で片付けられる。これも疑似科学支持者が好んで用いるガリレオとかビッグバンとかと同じ具合。
 なお、パラダイム論と並んで、思想面では過剰な大日本思想が幅を利かせていたのも原因だろう。遺伝子や人類学の研究から従来ではありえないであろうことを日本人は偉大と結論付けて傍証もなくそのまま突き進み、教科書に載る事態にまでなったのは学問という場もイデオロギーに左右されることを思い知らせてくれる。
 最後に異様なまでの属人性。藤村氏の名前が知れ渡ってからは藤村氏が発見したことが遺跡に信憑性を与え、遺跡が藤村氏の実績を保証して藤村氏の名声がさらに高まるという悪循環に陥っていた。藤村氏は様々な地方の遺跡の発掘に引っ張りだこで(今から見れば、捏造だと薄々気付いてて呼んでいるのでは? と邪推する余地もある)、行く先々で結果を残すからそりゃ神様そのものだ。もちろん、捏造なんてものはSTAP細胞にしても遺跡にしても集団で行うと騙せる確率は高いものの話が漏れるリスクも高くなり、だから個人でこっそり偽物を作ってしまうのだろうが、それにしても必要以上に個人を持ち上げすぎたことで遺跡や細胞の批判=個人への中傷と混同され検証作業ができなくなっていた面もあると思う。

 ここまで学界全体が藤村氏という在野の素人に騙されたダメさ加減を書いていたが、ある意味人間的とも取れる。恐らく藤村氏は人間的に好感が持てるのだろう。本書では藤村氏に関わった人たちの証言が引用されているが、偉ぶったりもしない良い人というニュアンスである。こんな人が捏造なんて非人間的な所業を行うはずがない。ある意味では本書取材陣の裏の姿だ。本書の記者たちは捏造のタレコミが持ち込まれた時、なかなか口を開いてくれない人にも取材し証言を引き出している。本書では熱意だとか書かれているが、それは藤村氏が良い人と評され、信用を得ていったのと表裏の関係である。
 さらに、学者が素人を低めに見ていたことも原因の1つだろう。本書新聞社によるスクープまでに何度か捏造との指摘があったが、その都度学者たちは捏造なんてできるはずがない、初見の地層に土器を入れるなんてリスクが高い、みんな注目する中で土器を取り出すなんてできっこないと反論していた(59ページや60ページなど)。恐らく学者たちは自分の能力を念頭に置いたと思われるが結果は本書の通り。さらに上で書いたように地層の年代を調べていないとか学者が行うべき作業をやっておらず、結果、捏造をやりたい放題にしてしまった。20年間も検証などを行わなかったのは論外としても、発掘時の証言を聞いている限りは藤村氏を侮っていたのだろう(事実、捏造発覚後に藤村氏と共に発掘に参加した人の証言では、変にいつもと異なる服装だったとか、しばしば個人で行動していたとか、捏造だけではなく窃盗を防ぐ仕組みも不十分だと思われる)。

 ただ、みんながみんな本気で騙されていたとは思えないのだ。藤村氏を指名して遺跡を発掘した例も本書に載っているし、東北旧石器文化研究所主催だと発掘スケジュールに記者会見が組み込まれていたらしい。本書によると、成果が出るかわからないし何かが出たとしても調べない内から記者会見なんて不自然であるのこと。確かに。ちなみに本書は藤村氏の周囲の人物が捏造に気付いていたなどという主張は1文もほのめかされていない。されてないのだが……本書を読めば読むほど本当にみんな知らなかったの? という疑問が湧くのも事実。

 また、この手の事件が起こると決まって過剰な成果主義がホゲホゲと言われるのは昔から変わっていないらしい。STAP細胞でも過剰な成果主義に問題をすり替えた連中がいた。この遺跡捏造も当初はプレッシャーによる出来心というシナリオを藤村氏に親しい鎌田氏や梶原氏は描いていた。結局、「古代史捏造」で明らかにされるように藤村氏の発見はほぼすべてが偽物だったのでそのような言い訳を弄する機会は失われたのだが。

 最後に、この遺跡捏造は考古学界にとって企業で言うところの統制監査や業務手順の不備という問題に似ていると思った。考古学界は結果に対してプロセスを見ていなかった。そればかりか国に出すべき発掘報告書を作成していないことすら把握していない。発掘時の遺跡に対する安全策も定めていないのではなかろうか。このような背景もあり不正を働きたい放題だったという事実は会社員として教訓にしたい。

参考文献
捏造事件についてはこれが詳しいhttp://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/index.html
捏造を早い段階で指摘した小田静夫氏http://www.ao.jpn.org/kuroshio/index.html


・「古代史捏造」(毎日新聞旧石器遺跡取材班、新潮文庫、2003年)
 上の書籍が藤村氏捏造事件の速報としたら、本書は総括に当たる。結果的に藤村氏の関わった遺跡はほぼ全滅だった。
 情けないのは周囲の学者陣である。