Tellurは、……現在色々物色中です。

「MM9-destructon-」(山本弘、創元SF文庫、2014)

2014年10月14日  2017年2月24日 
第一作 http://tellur.blogspot.jp/2014/07/mm9sf2010.html
第二作 http://tellur.blogspot.jp/2014/06/mm9invasionsf2014.html

 前作は不満を色々とぶちまけたが、今作ははじめから正義のヒーローものとして読んだから楽しくいただけた。
 宇宙人が認知されたことで「もしも現実世界に怪獣が現れたら?」というコンセプトからどんどんと外れていってるが、これはこれで面白い。ただ、この路線で進むのならば人間の出番がなくなるわけだが。
 前作の不満として、高校生を主役にしたため第一作目の仕事小説的ストイックさがなくなったと書いたが、今作では逆に高校生とか日本を裏で守っている巫女とか……今の世の中で表に出れない立場の人間を活躍させるフォーマットとしてヒーロー物は最適だと感じた。何度も書くが、それは第一作目の雰囲気とは離れるが。

 物語としては非常に王道。宇宙からの侵略者に立ち向かうもののヒーローが敗れる。古代の伝説を解き明かしヒーローの復活とパワーアップを行い、さらに過去に人間と敵対した奴らが地球を守るために現れ、勝利する。
 多少ともこのフォーマットに親しんだ人なら先の展開が読めて、ピンチになるシーンや最終的な勝利が予測でき、安心して読める。これは別に悪口ではなく、丁寧にわかりやすく伏線がはられているってこと。実は並行して「僕は友達が少ない」の11巻を読んでおり、「はがない」の急カーブのようなストーリーに比べて落ち着いて読めた(念の為に書くと、「はがない」はキャラ造形のエクストリームさからストーリーの破急が生まれているので「はがない」のストーリーが悪いとかではない。むしろ「MM9-destructon-」がどこまでもヒーロー物の王道の要素で構成されているという褒め言葉なのだ)。ストーリーは本当に読めばわかる。

 さて、今作の目玉であるヒメの正体。各地の神話と怪獣を結びつける手法は知ってる人は知ってるだろう。はっきり言って、語感だけで言語間の共通性を見出すのはトンデモ理論の基礎であり言語学とかではNGにされてるはずなのだがこの作品ではこれこそがラストバトルの鍵となる。ま、まあ、小説のガジェットと作者の思想は別だと言うし。正直、僕は劇中で古代伝承の解説ネタが出たあと途中まであの記述は罠だと思っていた。


 で、作者はあとがきで怪獣大決戦だと書いていたが、僕はウルトラセブン&おとものカプセル怪獣VS悪の怪獣軍団だと思うの。そしてこの作品がヒーロー物になってしまうのがある意味では残念なのだ。だってヒーローは別に古代から蘇ろうが宇宙から遣わされようがヒトが造り上げた最終決戦兵器だろうが、ヒーロー周りの設定がいくら突飛であってもヒーローの存在には影響がないからだ。逆に設定の突飛さはヒーローがこの地球上で特異な強さを持つ根拠となってしまう。今作でもその萌芽が見える。僕が前作で不満を持っていたのもそれが理由で、突出しすぎると他を緻密に作ってもほころびてしまう。

 考えてみれば、ヒメは一貫として人間を殺さなかった。
 無邪気な怪獣という悪意の欠如は物語のスパイスとして良い風味となったが、怪獣なのに過失でも人を殺さない、そして絶対に人間を守るという態度はもはやヒーローでしかない。使い古されたテーマであるが、怪獣はいくら人間の味方でも人を巻き込んでしまう。多くの怪獣はもっと無頓着なので食って寝て、それで人間に被害を与える。その無慈悲さから自然災害のメタファーと捉えることもできるし、事実何らかの災害・事件の結果(象徴)として怪獣が現れるというのが1つのフォーマットになっている。
 その中で外見が人間らしく行動も人間らしい巨大生物はもはや怪獣ではないのだ。

 別にMM9シリーズがつまらなくなったわけではない。次作が出れば買う。順調に怪獣小説から外れてるってだけ。
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