Tellurは、……現在色々物色中です。

「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」(2014)

2015年2月19日  2017年2月24日 
 コメディという前評判のみを聞いて見に行った。某映画館では1月下旬に公開されたのに2月中旬で公開終了となってしまう。皆がミュータント・タートルズに並ぶ中、たった1人この映画を見た。
 座席に座ると他人の会話が聞こえる。吸血鬼について一席ぶつ人、ホラー映画について延々と語る人、パンフレットを見ながらツッコミを入れる人。その内の半数弱が女性であったことに驚いた。話の内容は非常にマニアック。そうだよな、この時期にこの映画を見に来る奴は変人だよな。何で僕はこいつらに囲まれたのだろう。

 映画が始まると普通の映画と異なることに気付く。そう、この映画はフェイクドキュメンタリー形式なのだ。物語の所々に登場人物のインタビューが盛り込まれている。警察のガサ入れや登場人物の死という意図しなかったハプニングもある。前者は警察がカメラに気付き愛想笑いをする定番の展開、後者はカメラを止められる定番の展開。テンプテーションアイランドなどこの手のリアリティ番組が好きならニヤリとする場面も多いだろう。
 一方で物語の進み方は本物(という書き方も変だが)のフィクションと異なりメリハリがない。場面展開や事件の勃発が盛り上がりのないまま唐突に起こる。伏線という概念はない。パンフレットを読むと、この映画はほぼ全編アドリブで行われているらしく、それが原因なのだろうか。いくつかのシーンの寄せ集めという形になってしまい、それがドキュメンタリーっぽさなのかもしれないが、物語としては通し見がきつい。登場人物と設定を共有したスケッチを複数収録したシチェーションコメディ番組といった形だ。

 ギャグはクスリとさせられるものが多い。最終絶叫計画とは違い、ホラー映画のようなババーンとしたギャグやパロディはない。ふとした瞬間に波長の合う人だけ笑えるネタが多く、睡眠不足の時は見逃してしまうだろう。テーマが吸血鬼であるため流血シーンもあるが、そのショッキングさすらギャグとなっている。こびりついた血を汚く感じる吸血鬼を見ると現代人の過度な衛生観念に思いを馳せることになるだろう。

 映画の終わりも唐突である。クライマックスの爽快感が感じられなかったので時間が経つのが早かった。また、ドキュメンタリーという形式上、現在進行形で起きている問題は何も解決していないことは仕方ないと受け入れよう。とりあえず吸血鬼ハンターの結末はどうなった。それと町の吸血鬼協会との関係はどこまで修復できたのだろう。

 終わりなく続く日常ってこんなのだろうなとふと思う。死者が出たり仲間と喧嘩するも、その他のエピソードと並列の扱いで淡々と進む。盛り上がりもなくただひたすら生を謳歌する彼らはまさに裕福な死者である。
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