2016年3月18日金曜日

「帰ってきたヒトラー」(ティムール・ヴェルメシュ、河出書房新社、2014)

 なかなかブラックだと聞いていたが、噂に違わぬ内容だった。
 「ヒトラーが現代に蘇った」らこんな事態になってしまうとは。

 この作品の肝は現代のネオナチを批判しているわけではないことだ。むしろ、もしも1933~45年当時のヒトラーが蘇ったら、当然現代はナチスもヒトラーもドイツでは規制されているが、果たしてヒトラーの思考そのものは規制されるのか、というテーマが主題である。現代に展開された彼の思想をドイツ市民は受け入れる余地があるのではないかとおだやかに批判している。

 読者はこの本を読み始めると、ヒトラーがあまりにも人間的に描写されすぎており驚く。ヒトラーの一人称で書かれているが、彼の思考はまさしく我々が知るナチスのもの。キオスクのトルコ人に助けられ、後ほど恩を返すヒトラー。地の文でユダヤ人を悪し様に罵るが、ユダヤ人に価値を一切認めていないためか人前では口にするのも汚らわしそうにユダヤ人ネタを切り捨てるヒトラー(物語中でも切り捨てることが結果的にブービートラップを回避し、大衆の支持を得るシーンは圧巻だ)。愛国心に溢れているせいでネオナチを愛国者でないと宣言し、逆にネオナチの襲撃を受けるヒトラー(どこの国でも、日本でも、戦前の伝統的価値感をそのまま現代に蘇らせようとして愛国とはズレていく様が皮肉られている)。行動自体は多少血の気の多い庶民的な正義感を持つオヤジそのもの
 だが彼は確かにヒトラー。彼の語る内容全てはナチズム(というよりヒトラーの思想そのもの)に浸されている。四六時中ナチズムを語り、周囲の人はそれを「芸」と認識する様は今でこそトランプ旋風みたいな形で具体的なイメージとなったが当時ここまで想像していたとは。差別も突き抜け、そして批判を恐れず繰り返し差別すれば、勝手に理解してくれて行動に制限が付かなくなるということか。この小説内ではもちろんヒトラーは本気でナチズムを信じているので、批判に負けず、結果として論争相手すら魅了してしまう。秘書のユダヤ人女性をも説得出来るヒトラーは変な感じだが痛快であった。そして、恐らく、当時のヒトラーもこのように人間的な魅力に溢れ、普通の人は説得されてしまうのだろうと怖くなる。

 ラストシーンのあの文章。ネットの感想では怖いという印象を持った人がいるらしい。確かに怖い。原題の「Er ist wieder da (彼が帰ってきた)が匂わせる恐怖を最もよく表している。「帰ってきたヒトラー」というタイトルは内容がわかる良いものだが、この何かわからない恐怖をあおるラストシーンのためにあえて「彼が帰ってきた」とぼかすのも良かったかも。
 話を戻すと、あの文章が恐ろしいのは、ヒトラーのようなものが再来した時、果たして対抗できる人はどのくらいいるのだろうかと想像してしまえるからだ。最近再放送のあった映像の世紀を見ればわかるが、ヒトラー台頭時、アメリカですらイギリスすらも賛同する人がいた。フランスは占領時にナチスに協力した人がいた。イタリアと日本は知っての通り。もちろんこの批判は今の視点から断罪したものだ。当時はわからなかった。そのとおり。だから、ヒトラーに似たものがやってきた時、渦中にいる人々は判断できないだろうと容易に想像してしまえる。その恐怖が、あの1文に繋がるのだろう。

 なお、各章のサブタイトルは笑える。小説は読み進めるごとに笑いが引きつるが、サブタイトルは脳天気に笑えて良いガス抜きだった。
 また、映画化され、2015年に公開されたようで、早く日本で放送して欲しい。


 日本公開が決まったんだって。