2016年4月20日水曜日

「12人の蒐集家/ティーショップ」(ゾラン・ジヴコヴィッチ、東京創元社、2015)

 面白い。ブラックとまでは行かないものの、一筋縄ではいかない不思議な読後感。何よりもコレクターの不条理な感覚が再現されている。
 コレクションを集めるというのは最初は楽しいのだが、途中で義務的になり自分の意思では止められなくなる。もしコレクションの対象物に飽きてしまったら、新たに集めずに今まで貯めたコレクションを楽しい思い出として愛でればそれはそれで幸せに暮らせるのだが、集めること自体が目的になっている場合は悲劇だ。なぜ集めているのか自分でもわからずひたすら貯め続けるだけになる。ある意味でこの本に出てくるコレクターはそんな人達ばかり。

 「12人の蒐集家」に出てくるコレクターはある種の人間コレクションをしている。夢や希望、思い出を集めるコレクターは、はっきり言ってこの手の作品では定番だと思うけど、それが11種類も出てくれば圧巻。そして人間をコレクションするという見る/見られる関係の非対称性がコレクションという比喩を越え、例えば男性の女性に対する視線とか(定番だけど)の現実世界へリンクしたものになっている。最終話でそれを(物語を発展させず)あっさりと捨てるのだからコレクターの習性を熟知していると唸ってしまった。何を隠そう僕も今までに色々集めては飽きたら捨てるを繰り返した人間で、最近ようやく飽きないためにそもそも気軽に集めないという解決策を学んだのだ。そんなコレクターの冷徹さ、人間を見る視線の非人間性を描いた素晴らしい作品である。

 中編の「ティーショップ」も面白い。物語に惹かれる終わりのない感覚を端的に描いた作品だ。主人公の女性は物語のお茶というメニューを頼んだことで喫茶店にいる人々から次々にお話を聞かされ、ついには彼女も語り手の1人になるストーリーだが、語られる物語というのがループ構造となっていて読んでて面白い。物語のお茶として語られるそれぞれのお話の主人公と、それを紡ぐ語り部はたぶん性別・年齢が一致しており恐らく語り部の人生が物語のお茶の中でエピソードの1つになっていると想像している。さて、この中編の主人公である女性は、ループしている物語のお茶の中でどのような立ち位置になったのだろうか。読者である我々は続きが気になり……それは主人公の女性が物語のお茶を飲み続けたのと同じなのだ。彼女が物語のお茶に捕らえられたのと同じようにこの中編の続きが気になる我々は確かにこの作品に捕らえられている。もし語り部の1員になってしまったらどのような物語を紡ぐのだろうと考えてしまう作品だ。
 「ティーショップ」は「12人の蒐集家」とは直接の繋がりはないが、物語=語り部の人生そのもののコレクションとして考えると多少は関連が見えてくる。「ティーショップ」で物語の聞き手が語り手に取り込まれたように、「12人の蒐集家」でコレクターはコレクションされる対象の人間に深く関わり、そんなコレクターたちもさらなる上位のコレクターの蒐集物になってしまった。そして「ティーショップ」「12人の蒐集家」ですらこの書籍として客体化されるという入れ子構造になっており、では読者である我々は……という疑問を抱かせてくれる。

 とはいえ単に空想世界のお話として読んでも面白い。何かに似ていると思っていたが、星新一のショートショートの後味である。少し不思議な、幻想的なお話。ただ、せっかく似たモチーフでまとまっているのだから共通点を見出すともっと面白く読めると思いこのような感想文にした。