2017年2月7日火曜日

「銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件」(アンドリュー・カウフマン、東京創元社、2013)

 不思議な不思議な、物語である。幻想的というか、明らかに比喩の塊で、単に文章を読むだけではこの本を楽しめないだろうと予感させる。

 この本は、銀行強盗、つまり人生の大切なものを奪われた人たちの顛末を描いた物語だ。ただし、その大切なものは今の現状では失われた存在であることが示唆されている。語り手である「僕」の「妻」も夫との出会うきっかけのものを大切に身に付けているが、夫との関係はギクシャクしている。現状で人生にとって欠如しているものが強盗に奪われた大切なものに象徴され、その人生の欠如を回復しなければ不思議な出来事によって破滅してしまう、そんな物語なのだ。
 とはいえ、上にも書いたように物語自体は非常に抽象的で破滅の様子も何かの寓話を読んでいるよう。夫が雪だるまになったエピソードは子供向け絵本のようだし、母が大量に分裂して一斉に風に飛ばされたエピソードはたぶんバッドエンドなんだろうが何となくウキウキする楽しさまで感じさせられる。1つ1つのエピソードはマザーグースのようなよくわからない終わり方をしている。1度本を読んだ後、彼ら彼女らが何を失っていて、その結果どんな終わり方になったのか解き明かすのも面白い(考えてみたら、この謎解き遊びは甲田学人氏の「断章のグリム」に似ている)。

 そんな中で描かれる「僕」と「妻」の顛末は場違いなほどリアリティがある。「妻」は夫である「僕」との夫婦関係がうまく行っておらず、銀行強盗によって(なぜか)縮んでしまう。当初「僕」は問題視していなかったが(恐らく面倒なことを考えたくなかったので問題視しないように努めていたんじゃないかな)、「妻」は解決策を探りさらには自分が消えてしまう日まで計算する。そして、何を思ったか、「僕」にも自分の子にもそのことを伝えていないのだ。
 実は僕も自分の大切な人を数年の闘病後に亡くしており、その人が実はかなり重症だったらしいが誰にも言ってなかった、という経験がある。実は今でもなぜ誰にも言わなかったかわからない。心配させたくなかったのかもしれないが、周りの人からすれば突然亡くなったように見えるわけで、それはそれで辛いのだ。何にせよ、病状を言うか言わないかはその人の選択で、僕は自分の経験をこの本に重ねながら読んでいたのだった。

 実際の所、「妻」のエピソードはある意味わかりやすい。詳細に書かれているので何が「妻」の人生に欠落し何が得られたのかがイメージしやすいのだ。特に地の文は夫である「僕」の語りとなっていて、「妻」を見る視点が徐々に変わっていくのを感じ取れる。「妻」が消えてしまう最終日は、恐らく「僕」も彼らの子供も最後の日だとわかっていなかったはずなのだが、触れ合う時間を大切にしようとする。子供がひたすら「妻」に甘え、「妻」も自分の身を顧みず子供をあやすのは母親ってそうなんだよねと感じる。結果として、心が通じ合え、「妻」は消えずに済んだ。

 そんなわけでハッピーエンド気味ではあるのだが……。同時に不満もある。結局、一家がバラバラにならなかったのは「妻」の死を身近に感じたからであり、何となくこれで良いのかなという気にさせられる。誰かが死の危機に瀕しなきゃ家族はまとまらないの? そうしてまとまった家族をハッピーエンドとして取り上げるべきなの? 個人的にはラストシーンは感動したものの、今挙げた不満があるので、「妻」はこのまま消えて「僕」に後悔させるべきだったと考えている。
 実は物語的にも「妻」は特別な位置付けをされている。実は「妻」は唯一消える日がわかっている人物なのだ。他のエピソードでは消え去るタイミングが唐突に見え、回避は不可能に感じる。もしかしたら注意深く考えれば他の人々も消える日を予見できたかもしれない。しかし、作中では「妻」だけがいつ自分が消えるのかを知っており、そのためにたぶん心の準備もしただろうし、行動にも現れていたと思う。そうして得られたハッピーエンドは果たして良いものなのか考える必要はあるだろう。

 でも、そんなことは重箱の隅を突くようなもので、この作品の肝は不条理なエピソードの数々と「妻」の一家を襲うリアルな喪失の様子だろう。「妻」の消滅が現実のものとして理解する過程、それに伴う行動の変化、家族の葛藤を味わうだけでも十分に満足できる。