Tellurは、……現在色々物色中です。

「夜の夢見の川」(シオドア・スタージョン/G・K・チェスタトン 他、中村融 編、創元社推理文庫、2017)

2017年7月27日  2017年7月27日 
 この前感想文を書いた「街角の書店」の第二弾。今回も不思議なお話盛り沢山だよ。

 トップを飾るのはクリストファー・ファウラー「麻酔」。タイトルの段階では歯医者で麻酔を忘れられた/途中できれて阿鼻叫喚、と思いきや、麻酔はかかったんだけど、医者がマッドな素人で色んなところを手術され芸術作品にされてしまったという内容。グロテスクな作品のはずだが、終盤がぶっ飛んでおり、描写の割には嫌な感じが少ない。読者にダメージを与えるなら、いかにもなシチュエーションであり得そうな痛い描写をするはずだから、これは意図されたものかな。半分ギャグにもなっている「手術後」からすると、おそらくこの作品は読者を怖がらせようとするよりも単に悪趣味的な悪ノリを楽しんでたのかな―と思える。奇妙な味のアンソロジーとしてはなかなかの始まり。
 ハーヴィー・ジェイコブズ「バラと手袋」。不思議なモノを売るお店というジャンルで、本書の場合は子供の頃の思い出の詰まったガラクタ。傍目からは単なるゴミにしか思えない物のために、昔いじめていた相手の下で働いている人たちが半ばゾンビ化されたみたいで怖い。読んでて引くのは、主人公はこのガラクタ屋を、いじめてはいなかったが、明らかに見下しており、今でもそれを隠そうとしていない。ガラクタ屋の方も主人公を恨んでるわけではなく、復讐する様子もなく、淡々と主人公の思い出について交渉するのが変な緊張感がある(しかも「中性子爆弾のPRをしろ!」だって)。
 結局、主人公は無事に買い取ることができ、そしてお金以外の代償を払っておらず、ガラクタ屋がいじめられっ子だったことに物語的にケリをつけてないんだけど、そこのチグハグさが僕にとっては奇妙に感じた。

 キット・リードの「お待ち」。性の通過儀礼モノ……と書いてて今フッとわかったのだが、少女から女性に変わるってのは作中では「病気」として描かれていたのか! 読んでる時はこのことに気付かなかったのでいまいち印象がぱっとしなかったが、理解できたら名作に思える。
 母子家庭の母と娘が2人っきりの旅で不思議な街に行く。そこの人々は病気になると広場で自分を見せ、街の一般人から適切な治療を受けていた。母が病気になり、この街に留まる中、娘は親切な一家に泊めてもらう。母の病気が治らず滞在期間が延びる中、娘は18歳(結婚適齢期)になり、他の街の娘と共に広場とは別の場所で自分を見せることになった。昔ながらのモラルを押し付ける母に嫌気がするものの、娘は抗えきれず街のしきたりに身を任せ、醜い老男に「治療」(*作中では明言されない)されるのを待つ……。
 というあらすじ。最初はお母さんが病気になって、変な街でさあ大変って感じなのだが、徐々に母親の支配的な態度や街の若い女性に対する態度に違和感を感じ始める。そして、上記に書いたように少女から女性になる儀式が街の人からしたらロマンあるっぽいのだが、読者や主人公である娘からしたらモノ扱いされており、一方で主人公の母は貞淑さなど古びたモラルをよりによってこの街で押し付け、結果として娘は貧乏くじを引きまくることになる。ジェンダーと世代という問題をわかりやすく扱っている。

 フィリス・アイゼンシュタイン「終わりの始まり」。ゴースト・ストーリー。奇妙な味か? と聞かれると奇妙じゃないなあと思う。兄と妹の確執を亡き母が仲裁する内容なのだが、この程度で仲違いが治まるのだろうか。問題の根深さに比べて母親があまりにも軽く仲直りを勧めており説得力に欠ける。冷静に考えると、母親が生きていることを知った違和感は妹だけではなく兄も抱かなくてはならないはずだが、読む限りでは兄は違和感を感じていないようで、そこの非対称性が気になる。
 エドワード・ブライアント「ハイウェイ漂泊」はあまり心に残らなかった。感想文を書こうと思っても何も書けないや。
 ケイト・ウィルヘルム「銀の猟犬」はこれぞ奇妙な味という作品。主人公である女性にひっつく2匹の銀色の猟犬は何の象徴なのか。猟犬が現れてから主人公の夫に対する不満が爆発し、さらに父親の記憶を思い出す。猟犬が不気味なのは、この手の存在って普通は登場人物に危害を加えるのが物語の常なんだけど、この作品ではその手のわかりやすい危機は起こらず、消えてしまう。残ったのは猟犬によって現れた主人公と夫の間のしこりだったり、主人公が子どもたちから舐められていることだったり。物語は終わるんだけど、むしろこの後の人生のほうが気になる。もしかしたら、猟犬とは人生の転機の暗喩かもしれないと今考えたけど、それだと2匹いる意味はないか。やっぱりわからん。
 シオドア・スタージョン「心臓」。非常に短いながら意外性に溢れたラスト。奇妙さは抜群。あまりにも短く、ネタに依存した作品なので感想すら書けないが、ぜひとも読むべき。面白い。
 フィリップ・ホセ・ファーマー「アケロンの大騒動」はオチがすっきりしていて、奇妙な味ではないのだろうが、どんでん返しがあって苦い作品。個人的にはミステリーの味わいがあり、好青年と思われた人が実は……とか、怪しげな雰囲気を抱いた博士が単なる……だったりと真相が明らかになる楽しさがあった。死者が蘇ったら迷惑なので金をもらうってのが皮肉が効いてて良い。奇妙さはないけどよくできている。

 ロバート・エイクマンの「剣」は、作品の完成度とは別に大好きな雰囲気である。主人公がある街に行き、そこで興行されたショーの看板娘に惹かれ手に入れるも、娘の体に幻滅した、という作品。薄暗いサーカスの中で残酷な出し物が行われる中、出演した少女に惹かれるのはいかにもありそうな筋立てで、それが性的な関心にすり替わるのもあり得るお話。最終的に、少女はもしかして自動人形みたいな存在だったのではなかろうかと思わせる(もちろん別の解釈もできる)。何にせよ、観客の手で体に剣を刺されても血を流さないし、剣を刺され終わると1人ずつキスをして解散って描写と、興行師と共に主人公と3人で食事を共にするオフの雰囲気のギャップ、そしてベッドに入って様子がおかしいなと思っていたら手首が取れてしまうのがある種のエロティシズムを感じさせるのだった。
 G・K・チェスタトン「怒りの歩道──悪夢」も心に残らなかった。読み返してもいまいちピンとこない。
 ヒラリー・ベイリー「イズリントンの犬」。犬が喋ることで家庭が崩壊するお話なんだけど、冷静に考えると犬が喋らなくても詰んでいたわけで、実は犬の会話の有無は物語に影響しないと考えると奇妙なのかもしれない。犬に言葉を教えた女中は本来ならキーキャラクターのはずだが(それこそ一家の子供とかよりも)、途中から存在感を失うなど、読んでて手際の悪い部分が見られた。犬が喋るならもっと喋った恐怖を見せてほしかった。
 表題作であるカール・エドワード・ワグナー「夜の夢見の川」。確かに奇妙な作品だ。護送車の事故によって逃げ出した女囚人が駆け込んだお屋敷。そこで出会う女主人と妙齢のメイドは主人公である女囚人を怪しまずに受け入れ、逆に屋敷から逃がそうとしない。かつてこの屋敷に住んでいたことが示唆される女主人の娘、女主人は主人公をどうやら娘と重ね合わせてるみたいで、メイドは主人公にちょっかいを出す。一連の流れが架空の書物と重なり、真実は何なのか?
 館モノで百合あり、BDSMありの盛り込まれた作品でもある。というか、ホラー作品として認識してしまえば真実なんて気にならなく、怪しい雰囲気の三角関係に浸れて良い。奇妙な味ではあるんだけど、それ以外のフックがあまりにも大きすぎて普通の小説として感じられた。しっかしタイトルが美しくて良いなあ。「The River of Night's Dreaming」、格好良い。

 しかし、調べていたら、この作品ってクトゥルー関係という情報を発見したが本当なの?

 前作「街角の書店」よりは収録数が少なくなっており、その分1作あたりのページ数は増えたと思う。濃い物語を描けるようにはなったものの、合わない作品はひたすら合わないままページをめくるので良し悪しが別れるだろう。オチがわかったり、奇妙さがない作品も多く収録されているので、奇妙な味に抵抗を持つ人にも読んでほしいなあ。
 ぜひとも次のアンソロジーが出て欲しい。
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