Tellurは、……現在色々物色中です。

「メアリと魔女の花」(スタジオポノック、2017)

2017年8月1日  2018年12月3日 
 ポストジブリ作品……という評価で良いのだろうか。
 リアルタイムで、しかも映画館でジブリ作品を見るのは覚えている限りでは初めてなのだ。

 原作は読んでないのだが、偶然手に入れた魔法の力で魔法の国へ行った女の子が嘘をついてしまい、それが引っ込みつかなくなって……というストーリー。現実世界で何の取り柄もないお年頃の主人公というのは、この前見た「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」に通じるものがあるが、本作はちゃんと冒険が終わると現実世界に戻り成長するので安心して見ていられる。
 ところで気になったのだが近年のファンタジー作品は、魔法世界と非魔法世界を比べた時、魔法世界もユートピアじゃなくて現実に通じる問題を抱えているんですよ~、という流れがあると思う。あまりファンタジーは読まないが、昔なら例えばナルニア物語だったら、世界を支配する悪のようなファンタジー的な問題だった。一方で近年では、というかハリー・ポッターなんだけど、魔法世界での問題というのは明らかに人種差別のメタファーだったりして変な意味で夢がない。いや、夢というよりリアリティか。正直、魔法を使える世界で必要以上に人々が対立したらすぐに血みどろ殺戮劇になると思うので止めた方が良い(その点を考えきったのが貴志祐介氏による「新世界より」である)。「セントールの悩み」(村山慶)を好む僕が言うのも何だけど、結局は矮小さなんだよなあ。魔法世界の問題ならあくまで魔法世界の問題になって欲しいのだ。もちろん現実世界と通じるのは仕方ないんだけど、魔法という個人が持つものとしては(現実世界に比べて)強力な力が引き起こす問題が現実世界レベルの問題なのか、と疑問がある。
 そんなことを変な意味で人間らしいこの映画の悪役たちを見てふと思ったのだ。

 ラストバトルはかなり好きである。どうせ主人公が魔法の力を使うんだろーと思っていたが、途中から主人公に魔法を使わせないよう使わせないよう伏線を張っていく。そう、主人公が魔法使いだと嘘をついてしまったことで始まった騒動なのだから、主人公が魔法を使わずに収めねばならない。同時にそれは魔法魔法と魔法に頼り切りになる悪役サイドへのカウンターともなっており、とても素晴らしいシナリオだった。もちろん最終的な解決は魔法になるんだけど、その魔法の唱えるまでの流れが良いのだ。

 良い作品であった。

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