Tellurは、……現在色々物色中です。

「多重人格探偵サイコ」(原作:大塚英志・作画:田島昭宇、角川書店、2016、全24巻)

2017年9月13日  2017年9月13日 
 この作品はなかなか感想を書くのが難しく、世間的には有害図書指定を受けた、と説明するのが一番簡単かな? 僕にとっては一時期大塚英志氏の評論が好きで、その創作論の具体例として読んでいた。
 とは言え、リアルタイムで単行本を買っていた時はストーリーがとっちらかっていると理解した記憶がある。当ブログでも記事にしており、ここで書いた文句の大半は全巻通して読んだ今現在も感想としては変わっていない。とは言え、本作品が完結して全巻読んでみた感想でも遅まきながら書いてみよう。

 まず自分でも驚いたのはむかし16巻くらいまで読んでたはずなのに途中から全く覚えていなかったこと。飛行機で船に突っ込むシーンってまだ物語半ばだったんだ。それこそ15、16巻くらいの記憶になっていた。こう言っては何だが、前半主人公ってキャラクターが立ちすぎていて、完全に後半主人公を食ってるんだよね。前半の主人公は多重人格という謎を持っており、読者が感情移入しやすい人格や冷酷な人格があって、その正体について読書の興味をかきたてる。後半の主人公は、前半主人公の性格を分解したような優しい担当とか冷酷担当みたいなペラペラのキャラであり、特に神秘さも感じせず、それがエピソードやページ数の割に印象が薄れる原因だったと思う。
 また、10巻くらいで既にガクソの陰謀(暗躍)と多重人格者のオンパレードの様式が完成されており、しかも限られた人物で物語を発展させてるので、誰も彼もが黒幕であるガクソ関係者で場合によっては人格のコピーされた人というワンパターンな作劇となっている(読んでて一番アレだったのは、「◯◯という人物が実は××だった!」というのは1回目は驚くんだけど、その後「でも××ですらなくて、実は△△だったのです!」とひっくり返される点。キャラクターに対するイメージが混乱するので止めて欲しかった。というか、最初からわかりやすい伏線を張って欲しかった。この作品の世界観として、ある人物の肉体的または精神的なスペアが自分でも知らずに別人として暮らしてるという設定があるんだけど、この設定のせいで「□□というキャラクターは**というキャラクターのスペアだった!」という展開が何回も出てきており、それもあって食傷気味である。このネタをほぼ全ての登場人物でやられたら、さすがに飽きるよ。)。原作者がどういう方法を用いて各エピソードを組み立てていたのかはわからないけど、どうしても大塚英志氏なのでタロットカードを用いているのではないかと思ってしまう。それほど個々の要素の組み合わせを変えまくったような似たような内容だった。

 全巻通して読んでて思ったのが、物語の世界観としてガクソ自体行き当たりばったりとしか思えないし、有力者のスペアが多すぎて作中世界の日本は政治家とかに後始末させた方が良いのでは? と思えてくる。以前書いた感想ではガクソに思想があるみたいなことを書いたのだが、ちゃんと読むとガクソも一枚岩ではないし、興味本位で手を広げたということが明確に書かれている。なので、読者からすると悪役とまでは認識できないし、それはラスボスですら何がやりたかったのかわからない読後感をもたらす。人間のスペアやら人格の再生やらにからめて、天皇の純粋化(?)やキリストの復活や太古の昔から延々と体を乗り移っていたラスボスやらが風呂敷を広げるが、結局は具体的な内容が書かれるわけではないし……。それよりもラスボスが太古の昔から人格コピーしてたんなら、わざわざガクソを隠れ蓑にせずにさっさと行動すれば良かったのではないか? と思った。
 あとは前半主人公の復活。普通のエンターテイメント作品なら感動的なシーンだが、大塚英志氏は以前にマンガにおける死ぬ体みたいなことを語っており、だから前半主人公を殺してそれがわかるように解剖シーンを入れた、とどこかで語っていた。僕がその発言を読んだのはもう10年近く前だと思うので、多重人格探偵サイコの連載終盤とは事情が異なるのかもしれないが、結局その作品論の失敗ということとなり、大塚英志氏の創作論として読んでいた僕にとっては何だかな~と思ってしまった。よくよく考えると、ひたすらスペアやら人格の復活やらが描かれる本作品で死んでしまう体なんて絵に描かれた餅にしかならないだろう。先に書いたように天皇やキリスト関連のような現実とのリンクが失敗していることからも考えると、大塚英志氏の創作論・作劇論の評価をかなり落とさざるを得ないと思う。

 とまあ一気読みした割には色々文句を言ってしまった。何だろうなあ。初期のバーコード殺人者を追い求めるエピソード集が一番良くできているので、単なる探偵ものにした方が良かったと思う。下手にガクソのような悪の組織や日本を巻き込む陰謀を考えだしたために、現実で陰謀や悪の組織のリアリティがなくなっていくのに作品にはマンガ的な悪役が存在するという半分ギャグみたいな作品になってしまったと思う。そして悪役ということで風呂敷を広げすぎて作中世界が何でもかんでもガクソに紐付いてしまい、それだけの技術を持ってながら何でガクソは目的を達成できてないの? という疑問を読者に抱かせた。以前の感想文では「陰謀論めいた話になってしまい現実に追い越されたチャチさ」と表現したが、今回最後まで読むとまさにチャチく終わったと思う。
 僕のように大塚英志論として読む人はどれくらいいるのかわからないけど、何かの参考になれば幸いです。
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