Tellurは、……現在色々物色中です。

「ゴーレム100」(アルフレッド・ベスター著・渡辺佐智江訳、国書刊行会、2007)

2017年10月10日  2017年10月10日 
 先に書いておくと、タイトルである「ゴーレム100」の「100」は百乗である。だから本来は「ゴーレム100」なんだけど、面倒だからこの記事では「ゴーレム100」と表記する。
さて、アルフレッド・ベスターの作品はタイポグラフィや言葉遊び、イラストが用いられる傾向がある。ある、と断言したが、実は僕は彼の作品は「ゴーレム100」しか読んだことがないのでその小説としての面白さまではわからない(「虎よ、虎よ!」は立ち読みでタイポグラフィだけ見て満足しちゃった)。
奇抜な表現は「ゴーレム100」でも多く使用されており、文体だけでもスラング混じりのガフ語に加え、蜜蜂レディは7人も8人もそれぞれ語尾やフォントいじりで個性を表現し、ラストはジョイス語で締めるというありさま。もちろん際立って目立つもの以外にも多分文体模写とかやってると思う。当たり前のようにイラストが出てき、最初に悪魔を召喚するシーンでは祈祷を表現するのに楽譜が用いられる(ちゃんと悪魔の返答も書かれるが、祈祷が完全に終わってからというのがミソ)。
実のところ、突飛な表現もじっくり読むと本文中に解説されており、見た目の異常さに反し意外とわかりやすい(いや、理解出来るのではなく、作者のやろうとしていることが想像できるという意味ね)。意味不明に思えるイラストも解説シーンがあって読者の負担にならないようにしているし(むしろあっさりと解説してしまって不思議さが薄れてしまっている)、イラストもシーンに合わせてテイストを変えている……はず。どれもこれも中途半端に抽象画入った作風なので自信はないが。

ストーリーは極めて単純で、連続殺人事件の犯人を追うのだが、追っているはずなのだが、何かどんどん脱線していくんだよな。犯人は超自然的な存在だと割りと始めの方でわかり、それから残された痕跡を辿って蜜蜂レディに潜入し、人間の精神を覚醒させるようなドラッグを打ったことでトリップしている内に大量に連続殺人が起き、人間の超自我が犯人だったとわかり、再びドラッグを打ち記録しようとしたところで主人公の1人が超自我に乗っ取られる、というか乗っ取られていたことがわかる。その超自我はアップデートされゴーレム101(101乗)になるのだが、あらすじ書いてもまったくネタバレにならないのはこの小説の利点である。むしろストーリーを知っていたほうが文体などを堪能できて楽しめるかもしれない。
地の文はガフ語頻出の会話文とは違い、大人しいが、ドラッグでトリップし始めたところから文章のテンポが上がってくる。お祭りの中で人が犯されて殺されるって内容なんだけど、パターン化された文言で何回も何回もほとんど同じ内容が書かれて読者も半ばトリップする。大量のモブキャラが現れてそれが大量に殺されるシーンなのだが、まるで本当にカーニバルのようにわちゃわちゃしていて面白い。

解説も裏話感があって面白い。なんと山形浩生氏による解説だ。初めて本書のあらすじを聞いた時はフロイト理論を使っているのか……とがっかりしたが、解説を読むと何でフロイトなのかがわかる。そして作者アルフレッド・ベスターが本書を書く前に長いブランクがあったことも。

こうやって感想文書いている今でも細部はわかっておらず、ついでに内容をどんどん忘れていってる。さらに自分の理解も表面的だと自覚しており、連続殺人犯を追うのは良いが突飛な展開が多く他人には勧め辛い小説でもある。1980年台に書かれたらしいが、まさに未来の文学なので、できれば多くの人が買ってくれることを願う。

どうやら、この本が出版された時、トークショーが行われたらしい。ああ、行きたかったなあ!
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