2018年1月17日水曜日

「くじ」(シャーリイ・ジャクスン著、深町眞理子 訳 、ハヤカワ・ミステリ文庫、2016)

  半年ほど前に途中まで書いていた感想文だが、面倒なのでもう公開しちゃおう。

 昔住んでいた家は隣家の住人が庭に焼却炉を持っていて、毎晩ゴミを燃やしていた。僕の家の中からもその火が見えており、当時の僕はなんとも思わなかったが、今から思うとよくもまあ火事に遭わずに済んだと安堵する。僕の親もそれとなく燃やすのを止めてもらうように頼んだらしいが、隣家の人はそれに触れずにその後も焼却炉を使い続け、しかもなぜか庭がどんどん汚くなってますます火事を心配したよーと親から愚痴を聞いた。焼却炉と庭が汚くなったのは関連がない気がするが、でも言われてみたら隣家の庭が要塞みたいに僕の家の敷地から地面が見えなくなって、それでも相変わらず毎晩火が燃え続けていた。今から思い返して何よりも恐ろしいのは、その隣家の人って庭で犬を飼ってたから焼却炉の近くで犬がいたはずなんだ。犬の側で火を燃やすなんて今から考えるとちょっと変だったな。

 そんな感じで日常生活の不穏さを描いた短編集が、この「くじ」である。シャーリイ・ジャクスンの作品は怖いとか狂っているとか言われており、表題作の「くじ」もまた同様。発表された1950年頃は確かにこんなナンセンスと意地悪さと山なし意味なしオチなしな作品を好意的に見る人はいないだろうから騒動を起こして当然だろうが、21世紀も17年経った現在でそこまで嫌がる作品か? とは思う。特に比較のために読んだ「ずっとお城で暮らしてる」に比べると短編という形式で感情移入がしにくい分、感情を動かされることも少なかったし。
 そう、本書は短編集なんだけど、大きく4つにわかれ、それぞれ前説が書かれている。この前説も深読みできるんだよな。


「酔い痴れて」。子供の意味不明さ……なんだろうけど、酒癖の悪い親父がパーティ主催主の若い娘にちょっかいを出して煙に巻かれたよくある話としか思えなかった。
「魔性の恋人」。2chまとめサイトで似た話とか男女逆転の話とか読んだことがある……。この作品のキモは町の人々が新郎を探す花嫁に対して妙に冷たいという点であり、でも似たエピソードってネットの大海にゴロゴロ転がっているよ。
「おふくろの味」。うだつの上がらない(たぶん)男性が、恋人を家に招いて夕食をご馳走しようとしたが、恋人の恋人のような人がやって来て勝手に食べ始める。しかも恋人は良い格好をしたいのか、主人公の男性が作った夕食を自分が作ったと偽り、2人きりの時間を過ごすために主人公を家から追い出すというストーリー。主人公は自分の家(マンションの1室)から追い出され、恋人の家に仕方なく行くんだっけ。読んでいる最中は主人公の主体性のなさに苛立ったが、でも読み返すとリアルにありそうである。
「決闘裁判」。なぜか他人の部屋に入って物を盗もうとする老婦人とそれを嫌がる引っ越したての女性のお話。盗まれる品はあまり価値がないものの、ついに怒って老婦人の部屋に入ってしまう主人公の女性が追い詰められた雰囲気が出て良かった。その行動、あなたが嫌う老婦人と同じですよ! 部屋に侵入したのを老婦人に見られ、今後も物を盗むよと暗黙の中で伝えられたと解釈できるラストが最高に不気味。結局、尻尾を掴まれたのは主人公の女性なのだし。
「ヴィレッジの住人」。他人を騙ること。中古家具を買いにとある民家にやってきた(アメリカじゃそんな風習があるんだね)女性が、同じ民家にやってきた別のお客さんと鉢合わせし、その家の主を騙る、というお話。見栄を張り、さらにはその家が羨ましくなる心理は僕も経験したことがる。


「魔女」。電車で乗り合わせた煩わしい男の子がおじさんからお話を聞かされ大人しくなるが、よくその話を聞いてみると、とんでもない内容だったというストレートな怖い話。何というか、いかにもありそうなんだ。
「背教者」。現代日本の住人からすれば飼い方が悪いよ……以外の感想を思い浮かべなかった。動物話は時代に極めて左右されることがよく分かる作品の見本。
「どうぞお先に、アルフォンズ殿」。次の「チャールズ」のように子育て中に観察した内容を描いたのかな。大人にはわからない流行り言葉を口癖のように用いて笑う子どもたち同士の姿。微笑ましいが、大人にとっては多少苛立ちを感じ、その取るに足らない多少さがこの短編集の雰囲気とマッチしている。ちなみに人種差別がテーマであり、読者としては執拗に差別を行う母親を奇妙に思うべきなのだろうか。これも時代が異なっているので、作者が何を正常とみなしていたのかに左右される。
 「チャールズ」。読書会で聞いたのだが、これと同じお話が作者の子育てエッセイに収録されているらしい。「くじ」の文脈で読むとやんちゃをありもしない架空の友達のせいにする邪悪な子供、という感じ。一方で子育てエッセイの文脈で読むといたずら好きなやんちゃな子供という印象を受けるらしく、その違いが面白かった。
「麻服の午後」。これも時代によって解釈が異なるかも。僕は女の子の家族のどうしようもない無神経さとガサツさが嫌だったけど、人によっては嘘をつく女の子に違和感を感じる人もいるのだろうな。
「ドロシーと祖母と水兵たち」。自業自得としか思えなかった。


「対話」。非常に現代的なお話。教養がない人は、耳にした言葉の中から辛うじて自分にわかる単語を取り上げ、自分のわかる範囲で曲解するという内容。正直、こんな人と話し合うのは精神的に辛いだろうなと作中の医師に同情した。
「 伝統あるりっぱな事務所」覚えてない。
 「人形と腹話術師」。うーん、主人公のおばさん2人が下品で嫌だった。
 「曖昧の七つの型」。志賀直哉の「小僧の神様」のNGバージョンみたいなお話。教養はないけどお金のある人が、貧乏人の小僧がお金を貯めて買おうとした本を買ってしまうお話。ああ、知識を持っている小僧に嫉妬したんだなというのがわかる。正直、僕もこのような気持ちは感じるときもあり、教養のないおっさんの誰を責めることもできず嫌がらせをするしか行き場のない気持ちはわかった。
「アイルランドにきて踊れ」覚えてない。


 「もちろん」。厳しい教育ママは時として異様な信仰の徒に見えるということ。それに圧倒されるも、真っ白な雪を汚すように世俗の悪さを教える誘惑に勝てない隣家の母親の姿を描いた作品と理解した。映画が嫌う一家の子供をわざわざ映画に連れて行くなんて嫌がらせ以外の何物でもないではないか!
「塩の柱」覚えてない。
 「大きな靴の男たち」覚えてない。
「歯」覚えてない。
「ジミーからの手紙」覚えてない。
「くじ」、……実はあまり感銘を受けなかった。時代が時代だし……。今から読んでも、ねえ。確かに面白い作品ではあるけどね。

 こうして一覧にすると第三章は時代や風俗の影響を受けており、怖さを受け取りにくかった。第二章は子供に関するお話となっており、
 読書会で聞いたのだが、シャーリイ・ジャクスンは主婦業が長く、あまり世間に出なかったらしい。言われてみたら、全体的に日常を描いた作品はリアリティが十分にあった(意図的かどうかわからないが、「ずっとお城で暮らしてる」の現実感のない描写とは対照的)。