2018年4月23日月曜日

人生と連動したランス10

 ツイッターでちょこちょこ書いたが、今年の春から公私共に生活が激変した。みんな、プライベートの時間がなくなるとか自由なお金がなくなる、趣味が続けられなくなる、と言う理由がわかった。こりゃ今まで通りの生活は無理だ。僕はUOにお金を払い続けるつもりだが、ログイン時間はほぼなくなったし、今後は今までのペースでは遊べないだろうな。少なくとも有料アイテムの購入はできなくなるだろう。たぶん、こうやって趣味から足を洗う人が多いのだと思う。

 そんな中で僕が幸せだったのは、比較的時間に余裕のあるときにランス10を遊べたこと。ランス10は長い間遊び続けていたランスシリーズ最終作という思い入れもあったのだが、個人的にはゲームの内容と自分の人生がリンクする感覚があり、余計に熱中した。
 特に第二部。ランスの子供がみんなで旅に出て、1人1人の思い出を作り、人生を楽しいものだと学んでいく物語。それが僕にとっては今までの自分の人生を思い出してしまい無常観に襲われるのだ。これからの新しい生活が楽しみでないわけがない。でも、ある程度の歳まで好き放題やってしまい、好き放題やることに慣れた人間としてはなくなってしまうものもまた大きいなあと思う次第。それはどうもお互いにそう思っているらしく、ならどっちも不満は相殺されるから良かった良かった。
 このブログも元々あまり書いてはないけれど、さらに更新する頻度が少なくなるのではなかろうか。実際、4月からアニメは見てないし、読書のペースも下がっている。

 そういう時、ランス10の第二部を何となく思い返して、心を慰める。プレイヤーが操作して進める大きな出来事もあれば、アドベンチャーシーンで数クリックでしか語られない事件もある。それでも1つ1つが「あなた」の……つまりは「わたし」だ……経験した思い出であり、ゲームを越えて現実世界の「僕」が形を変えてこれから経験するかもしれない出来事なのだ。「あなた」とプレイヤーに語りかけたのはルドラサウムを隠すためのシナリオ上のテクニックだったのかもしれない。でも無数のプレイヤーの中で、少なくとも僕は単なるゲーム以上に人生に対する勇気をもらった。僕はあまり人付き合いが得意な方ではないけど、それでも友情って良いなあと素直に思え、今も残っている人間関係を大切にしようと思ったのだ。思いもよらなかったが、サブカルチャーをこのように愛好できるのは幸せなことだと思った。
 まだ全てのイベントを見てないまま新しい生活に入ってしまったが、次に遊べるのはいつなんだろうか。