2018年4月10日火曜日

民泊の思い出

 もう10年以上も前、学生の頃にオランダに1人旅行をした。
 細かい日付は忘れたが、4月のある日で女王の誕生日だった。当時はユースホステルを常用しており、当然ユースホステルも取れず、現地で探せば良いと考え、そのまま行ってしまった。
 当然、宿が取れず、途方に暮れていたところに現地の人の家に泊まったのだ。近年報道される民泊のニュースを見て、こんな記憶が甦ったので忘れないようメモしておこうと思う。

 アムステルダム初日は夜、宿が取れなかったため、レッドライト街で1晩過ごしたと思う。駅で野宿(というか駅泊)できたかは定かではない。3泊くらいの旅行を計画していたため、初日は何とかなったが2日目の夜が大変だった。
 そんな中、2人組みの男に出会った。見るからに怪しく、欧州系とは思えない外見で、英語もイントネーションが独特だった。もちろん当時も今も僕は欧州系の外見なんて知らないも同然なので、特に当時はそんなことは気にしなかった。英語だって、オランダは英語ネイティブの国ではないし、訛りがあっても気にならない。とは言え、ホテルに勤めてないような服装で「Hotel?」と客引きをする姿はまともな商売じゃないんだろうな、と思わされた。
 それにも関わらず彼らの「ホテル」に泊まったのは、さすがに2晩続けて徹夜は辛かったためだ。今では考えられないが、当時は僕も若く無謀だった。思い返せば、自分なりに警戒したとは言え、よくもまあ何も盗られず命も無事だったろうと思う。

 彼らの「ホテル」は普通のアパートの1室。家具は備えてあるが、使うのが怖く、ベッドで寝ただけだった。それももしかしたら何か盗られたりするんじゃないかと思いながら。当然寝不足で頭痛がする中、宿泊代はユースホステルの2倍くらいを請求された。泊まるときに予め聞いておけば良かったなと思いながら支払った。正直、受けたサービスに比べて異様に値段が高かった。今から思えばこれが民泊の走りだったのだろう。

 そんなこんなで3日目だが、観光どころではない。3日目も宿が取れず、夜ハンバーガー屋で佇んでいると、店内にいた1人の男性から声をかけられた。学生である僕より年上だったが、若々しく、昨日の2人組みのような怪しい雰囲気は出していなかった。
 適当に世間話をしつつ
 ――どうした、どこに泊まるんだ? 泊まるところがないのか?
と聞かれ、Yesと言ったところ、じゃあ自分の家においでよと言われて、ついて行ってしまった。前日、半ばボッタクリのような民泊に遭ったにも関わらず。無謀さって怖い。

 彼は芸術家だったらしい。名前は忘れてしまったが、彼の家に入ると彫刻とかがあった。彼は僕をもてなすため、馴染みの店に連れて行くという。せっかく泊めてもらったので、ありがたくついて行ったら、そこは何とゲイが集まる店だった。
 どうやら彼はゲイらしい。もちろんお店に入った1階は普通のバーで、ゲイビデオが放送されているのを除けばロンドンとかにあるバーと変わらない。ただ、どうも2階はゲイが出会うそういう空間らしい。僕自身はストレートではあるものの、そこまで偏見がないつもりだったのだが、頭でそう考えていても突然のことでフリーズし誰とも話せなくなってしまった。彼はしばらく友達と会話していて、やがて僕の姿を見て、どうやら僕が完全にストレートだと気付いたらしい。たぶんまだ夜は早かったものの、僕を連れて帰った。今から思うと別に危ないわけでもないのだから、僕はもっと他人と交流すれば良かったのだ。

 翌日彼とは分かれた。彼はお金も要求せず、本当に好意で僕を泊めてくれたのだった。
 たぶん、世間の中でもとびっきり優しい人だったのだろうと今では想像できる。彼としても、どこの馬の骨ともしれない観光客を泊めるのは勇気がいただろう。

 僕はそれからというもの民泊のような宿は利用せず、今後も民泊に泊まる気はない。「民泊」というとビジネスライクな響きがあるが、上で書いたような怪しさや欲望がつきまとう印象が強いためだ。僕自身はそのようなリスクを受け止める覚悟はできていない。