2018年6月7日木曜日

「不思議屋/ダイヤモンドのレンズ」(フィッツ=ジェイムズ・オブライエン、光文社古典新訳文庫、2014)

 読書会の課題図書だったから読んでみた。
 ジャンルも、定番のガジェットもなかった頃だからできた幻想的なごちゃ混ぜ小説の数々。一見、怪奇小説や幻想小説かと思うが、科学を含む理屈が(かなり怪しいながら)根底に流れており単に不思議な話なわけではない。考えてみれば、本書に収められた小説のいくつかは当時の具体的な地名・具体的な人名や話題が記されており、当時の読者は小説の世界が現実と地続きに感じられたのではないかと思われる。実のところ、創作の中に実在する固有名詞を入れ込む手法は僕にとっては戦後スポ根マンガの印象が強くリアリティ確保の手法という印象があるのだが、本書の小説が書かれた当時はもしかしたら完全に架空の世界を描いた小説は少ないあるいはなかったはずなので、小説の世界と現実は本当の意味で地続きだから現実の固有名詞を出したのかなとも思えてくる。テーマは非現実的なんだけど、そのくらい現実味のある作品たちであった。
 「ダイヤモンドのレンズ」はなんとな~く知っているというか、自分だけにしか見えない存在に恋焦がれて廃人になるジャンルの作品だ。その意味で今から読んでも目新しくはないのだが(今だったら怪しげな占い師のお婆さんをもっと物語に関わらせないと面白くはないだろう)ジャンルの元祖、なんだろうなあ。個人的には訳者の方が興奮するほどには入れ込めなかった。
 「チューリップの鉢」は半分サスペンス混じりのゴーストストーリー。当時の科学とオカルトが混じり合った理屈の付け方が面白い。当時は大真面目なサスペンスだったのかもしれないが、幽霊が科学の主流から外れた今となっては古き良き時代を感じさせる作品である。
「あれは何だったのか?──1つの謎──」は透明人間のような存在を描いたモンスターもの。目的も正体もわからない(時代的にまだそこらへんの理屈を考えようとも思わなかったかも)怪物が現れて捕獲されるだけなんだけど、妙に淡々とした流れがリアリティを感じる。
 「なくした部屋」はこれは一体何だったのだろうかというような不思議な作品。幽霊に騙されて部屋を盗られた、というシンプルな物語なのだが、今の視点から見るとそもそも盗られた部屋は本当にあったのだろうかみたいな深読みすらできてしまうのが面白い。それとか、物語としては善良な主人公が幽霊に騙される話なのだが、実は主人公は悪事を働いて部屋を得ており、幽霊たちはその復讐だったのではないかみたいな……。ストーリーのパターンが読めてしまうのはジャンル化の弊害だが、この作品ではむしろパターンが思い浮かぶのが「深読みしがいがある」と評価の対象になると思う。
「墓を愛した少年」。個人的にはあまりおもしろくは読めなかったなー。
 ロボットモノの古典とされる「不思議屋」は確かにロボットだった。とはいえまだ本作品の時代は人間の命令に従うだけの存在であり、使い魔とか式神とあまり変わらない。最終的にロボットの操り手は不注意からロボットに殺されるんだが、ロボットモノの主要テーマであるロボットの反逆とかじゃ全くなく、単なる自滅だな。それもかなりご都合主義感が高い。善き人々である囚われの少女と障害者の青年では悪人どもを倒す手段が見つからなかった模様。
 「手品師ピョウ・ルーが持っているドラゴンの牙」は中国モノ、らしい。ワタクシ、白人作家の書く中国モノとやらに詳しくないので、面白く読んだ。確かに中国要素は味付けレベルしかない……というより風俗文化の描写が薄いので無国籍な世界感がある。「ダイヤモンドのレンズ」でも「不思議屋」でも、描写のディティールをなくせばこんなもんになるのでは? 聊斎志異とかに比べると登場人物の行動などで中国要素がないんだなと思った。
 最後の「ハンフリー公の晩餐」。金持ちのボンボンが金の大切さを知らずに破滅しかけたけど救われるお話。主人公である元金持ち2人が自業自得感があって入り込めなかった。彼らにお金がなくなったら生きていけないはずなのに何か切迫していなく、悲劇の主人公的なナルシズムが入っていると思う。演劇的な会話と食事の演技に至っては健気というより楽しそうだなあ、と思ってしまった。そんな中で終盤手を伸ばされる救いは、むしろ2人が死んだほうが物語が美しく終わったと思う。頭の中で作った悲劇的なシチュエーションって感じ。

 古いけど逆に新しい部分があり、かと思うとやっぱり古びてしまったと思わせられる部分もある。これが中世レベルまで古ければむしろ面白かったのだが中途半端に古いので古さを余計に感じた結果となった。