Tellurは、……現在色々物色中です。

ニッセイオペラの「魔笛」

2018年6月25日  2018年6月25日 
 6/17日に行ってきたぜ。恥ずかしながら観たことなかった作品で、ファンタジー的な題材で面白かった。コミカルなトリックスターも、憎たらしい悪役も、それから敵なのか味方なのかわからないのもいてエンターテイメントしていた。
 今作は台本を現代チックに多少アレンジしたっぽく、これはこれで新鮮。で、アレンジしたから地の台詞があるのかなと思ってたが、帰ってから調べてみたら、原作でも地の台詞があるっぽい。ジングシュピールっていうのか。僕としてはオペラは常に音楽が鳴り響いて、音楽に台詞を乗っけてほしかったのでちょっと残念。ただ、演劇として見ると、地の台詞があるおかげで台本をアレンジする余地があるため純粋な歌劇オペラよりも現代には合ってると思う。

 劇場のパンフレットを少々予備知識を仕入れたのだが、確かに第一幕と第二幕で善悪の勢力が逆転している。というか、唐突感がある。台本のアレンジの影響なのかもしれないが、第二幕で善玉となる神殿……というか太陽の教団も男尊女卑傾向があり(パンフレットを読むと現代風にするためにあえて強調した模様)、その試練に付き合う王子も単純な善の主人公では(現代の視点から見ると)ない。本公演のアレンジは、あたかも宝物のように敵を倒した報酬として与えられるお姫様を象徴としたモノ扱いされる女性という問題を強調としており、その舞台が理性と感情の対立という構造で、どちらが明確な善なのかはわからないようになっている。姫をモノ扱いし自立を拒む夜の女王と姫をモノ扱いし男尊女卑な昼の神殿か。
 そんな現代的な世界を旅する主人公とお付きの野生児、そしてお姫様もどこかアレな感じ。最大に引っかかる点は、簡単に王子に恋する姫もまた昼の神殿のキャラクターに過ぎないことだ。王子様は優等生的でお姫様を求める以外に自分を持っていない気がするし、主人公と共に旅する野生児(トリックスター)は面白いんだけど一貫性がない。怖いの嫌だーと言ったり、享楽的だったり、恋人を欲したり、トリックスターってそんなものと言われればそうなのだが、そもそも主人公に着いてくる動機が薄いので最後までこの人はどういう人間なのかわからなかった(いやまあ、トリックスターってそういうものだが)。
 そのため彼ら主人公3人もまた自分を持っていない人々とみなすこともでき、本公演では明確な善悪の違いなんて存在しないなと思った。
 もともとの原作でも神殿と女王の立ち位置がひっくり返るのだから、それに合わせて登場人物もひっくり返してみたと言ったところか?
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