Tellurは、……現在色々物色中です。

「竜のグリオールに絵を描いた男」(ルーシャス・シェパード、竹書房文庫、2018)

2018年10月29日  2018年10月29日 
 もしも我々の世界に、我々自身が認識できる形で人間を超えた存在がいたら? その存在はあまりにも巨大で、何の力を持っているかすらわからず、我々と意思疎通はできなく、されど完全な無機物とはみなせず意思を持つ存在と思えてしまう。要するに手垢のついた呼び方をすれば「神」なわけで、この本は「神」が人々の見えるところに鎮座している社会で起こった事件を描いた短編集である。
 歴史上、中世などでは神は身近に感じられてたと思われ、その感覚がこの本では中心のテーマとして描かれている。登場人物の思考は現実世界の人々に極めて近いため、ファンタジーを描いたというより神と共に暮らす社会のシミュレーションが作者はやりたかったのだなとわかる。

 そのような前提で読む前に、世界観の説明をすると、この世界には大昔に偉大な魔法使いに封じられた巨竜グリオールがいる。グリオールは身動き取れないが長年に渡り成長し続け、ついには土地のような巨体となる。人々もなぜか肥沃なグリオール近くの土地に住むが、実はグリオールは精神干渉の術を常に起こしており、周辺の村人やついには少し離れた崖の竜ですら意のままに操ってしまい……。

 表題作「竜のグリオールに絵を描いた男」は人生を1つの事柄に捧げてしまう狂気を主人公の男を通じて描いている。ちなみにその狂気は男だけではなく、男を支援する街全体にも感染している。巨大な竜に描かれる絵画のための絵の具や、絵を描くための足場や人足など、竜を殺したいのはわかるけどそこまで挙国一致するか? というレベルだからだ。そう、この物語はあくまで壮大なプロジェクトを進める主人公の人生を要所要所を通じて描いたものだが、その背景として膨大な人々の人生が狂わされ、殺されたことが仄めかされている。つまりはある種の政治体制とその帰結の途方もない愚行を「絵をもって竜を倒す村」を通じて描いているのだが、プロジェクトの音頭を取る絵描きはそこまでのカリスマ性を持たず、それを支援する村も取り立てて独裁的というわけでもなく、淡々と狂気をひた走るおぞましさが竜に絵を描くというファンタジックな題材の裏に隠されている。

 次の「鱗狩人の美しき娘」は事件に巻き込まれかけた妙齢の娘が竜の体内に逃げ込むことでその体内に住み着いていた寄生動物のような成れの果ての人間達と共に数年間過ごす物語。社会から疎外された主人公が逃げ込んだ先の社会にも馴染めず、袋小路に陥る絶望感が読んでてキツイ。これ、似たような経験したことある人にとってはトラウマを呼び起こしそう。実際のところ、主人公も全くの無実というわけではなく、過失とは言え悪人を殺してしまったのが竜の体内に逃げ込んだ原因であるため、ある種の刑務所物語とも読める。多感な時期を社会から隔離されると社会に戻ることが難しく、だから刑務所とか少年院での教育などが大切なんだと感じた。

 「始祖の石」は法廷ミステリー。竜を崇める宗教団体の教祖が普通の男に殺され、その理由として男の娘がこの教団に異様に入れ込んでいたためとわかり、一方で犯人の男は竜に操られたから自分は無実だと主張して……というあらすじを読んだだけでやっかいなお話。主人公は犯人の弁護を引き受けることになった若い男性で、彼が事件を調査するたびに変化する証言と読み進める内に変化する各キャラの印象がポイント。犯人の男からして娘を教祖に取られて逆上した血の気が多い男かと思いきや、人生に絶望した覇気のない顔を見せ、何か隠している風でもあり、もしかして娘のことを異様な目で見ているのではと読者に思わせ、ついにはほんとうの意味で真犯人だと確信させる。出てくるキャラクターがどいつもこいつも信用できなく、それに竜に操られる意思という主題が絡んだ盛り過ぎな作品。中途半端に知恵がついて竜によるマインドコントロールの知識を得た上、いっちょ前に裁判なんぞやりおったせいで竜に操られる人々は自由意志があるのか、罪を問えるのかという問題を生み出してしまった。今、再び人間に自由意志はないとした説も出ているが、将来的に社会への影響が出るのだろうか。

 ラストの「うそつきの館」。上3つの作品では竜が神のアナロジーであることはそこまで強調されていなかったが、この作品は冒頭で竜が超越的な存在だと明言してしまっている。そんな竜が戯れに1人の男と1匹の雌竜を操った挙げ句に男を「解放」する物語。人間と異形の異類婚姻譚は近年日本のサブカルチャーでも1つのジャンルを築いているが、それらとは一線を画す破滅的なストーリーは一読の価値あり。いや、もともと異類婚姻譚は物悲しい終わりになりがちなのだが、この作品は妻との別れの後で希望を抱かせ、それを同族である村人による処刑という形で潰し、その死は実は肉体からの自由だと希望めいたことを仄めかすんだけど、でもよく考えたら結局は竜の手の上だもんなあと暗鬱とした気分にさせる。そんなねじれ曲がった希望のない物語。竜が我々の世界でいう神と明言されているせいか、作者にとって神や自分の運命もこの作品の主人公のように暴力的でひねくれたものに見えているのかなと思った。


 そんなわけで現代版の神を信仰する人々の小説として読み、非常に面白かった。どれもスッキリとした単純なハッピーエンドにはならない作品。物語が尻切れトンボのように思えたり本当に破滅していたり(唯一完結した作品っぽかったのは主人公が最後に復讐心を抱く「始祖の石」というのも面白い)。竜という神に触れた人間どものちっぽけさが強調される。
 一方で、竜による精神操作というのも物語の設定として人々に共有されているだけで、実際に明確な出来事としてあるわけではない。そのためもしかしたら主人公やサブキャラクター含めた人々は単に妄想を抱いていただけでは? という疑念も生まれる(「始祖の石」で竜を恐れる陪審員と恐れない裁判官&検察という図式が印象的であった)。
 それも含めて面白い作品だった。恐らく読み直すと新たな発見があり、何度でも読める作品だと思う。
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