2018年10月4日木曜日

「ミセス・ダウト」(クリス・コロンバス監督、20世紀フォックス、1993)

 ミセス・ダウトを今頃になって初めて見たが頭を抱えた。
 ブラックコメディと言い張ってもとにかくヤバい。今の基準からすればヤバさしかない。
 あらすじは、子煩脳で演技の才能はあるけどこだわりが強すぎて甲斐性のない役者の父親が、ついにフルタイムで働いてる母親をキレさせ離婚される。子供たちは父親に懐いてるが、父親が養えないので親権は母親に、父親は週に一度子供たちに面会できるのみ。母親も子供たちの世話ができないのでお手伝いさんを雇おうとするが、事前に聞かされていた父親は募集の広告をこっそり改竄(!)し、特殊メーキャップを用い妙齢の「ダウトファイア夫人」と偽りお手伝いさんとして侵入するのだった……という内容。
 今のアメリカだと似たような事件が起こりそうですね〜。広告の改竄なんて父親が精神的に危ないことが簡単にわかる良エピソード。実のところ、制作陣はラストに向かうに連れ父親の性格的な欠陥を描写し始め、周囲の人がそれに振り回される構図になっており、主人公である父親こそが危ないのは製作者の意図した通りだと言ってはいるが、それにしても度が過ぎる。

 この作品がダメなのは、実はヤバい父親の印象を視聴者に対して和らげるために母親を悪者に描いているところ。無邪気で子供目線の父親に比べ、母親は性格がきつく現実的で人間的に面白くない。離婚したらすぐに恋人(かつての元彼)もできる始末。子供たちも母親には懐いてないが、そりゃ甘やかし放題の父親なんだからみんな父親が好きだよね。
 母親を悪者にするというのはかなり徹底している。母親が収入を稼ぎ、父親が半ば主夫というのはこの時代にしては一見進んでるように見えるけど、実は父親は主婦業をろくに出来ず母親が結局は家の掃除など家事をしている。父親はあくまで子供たちの遊び相手であり、それもラストシーンでテレビで流れたダウトファイア夫人の姿を見た子供たちに笑みが戻った姿から、テレビと同等の価値しかないことが示されている。
 製作者は劇中で父親に対し「君は演技が上手いだけだね」みたいなセリフを裁判官に言わせており、父親のヤバさに自覚的だと見せているけど、母親に対する当たりの強さでマイナス。
 一方で母親の元彼は最初は視聴者に裏表のあるただの女ったらしに見せかけて、実は最後まで良い人物として描かれている。正直、母親自身より好印象。というか、母親に対してシナリオ上の歪を詰め込みすぎである。母親の魅力が薄いためどうしても父親へ感情移入をしがちである。この父親、母親(元妻)の元彼が唐辛子アレルギーと知ってこっそり料理に唐辛子を混ぜ痙攣を起こさせるようなヤバい行動をしているにも関わらず、だ。映画としても無邪気なエピソードと失敗として描かれているが、今の視点から見ると明確な殺意があったのでは……という疑念がつきまとう。
 そこらへんは本当に時代の成約なのかもしれないが、観ていて引いた。その他、そういえば父親が母親(妻)に対して愛してる系の発言をしていなかったなあ。母親の内面はダウトファイア夫人へ(元夫だと知らないときに)吐露されるが、父親は子供への執着以外感情を見せない。
 最終的に父親が赦されたのは僕はこの映画向きじゃないと思い知らされた。ラストシーン、父親が父親として再び家政婦になるのだが、そこはダウトファイア夫人であるべきだった。製作者がこの父親像を軽く観ているとよくわかったシーンである。