Tellurは、……現在色々物色中です。

「バッドアート展」

2019年1月10日  2019年1月10日 
 東京ドームシティ内で開催されている「バッドアート展」なるものに年末行ってきた。恥ずかしながら、このような収集が真面目に行われていると知らず、また海の向こうでこの手の作品だけで美術館を作ったことも知らなかった。
 どういった作品があるのか興味があって行ったわけだが……。

 バッドアートの定義がわからないので正直、ムーブメントにはならないだろうなと感じた。一応、美術館の運営者はそれなりの基準を持っているらしく子供の作品は対象外だし(アール・ブリュットでまとめられるアウトサイダーアートも同様に対象外ということか)、地方のお土産なども対象外らしい(雑誌の宝島とかでネタになるあの手のやつを除外するためか)が、テーマも技法もレベルもバラバラの作品を見比べても正直数作見終わったらあとは惰性で眺めてただけだった。それぞれの作品に付けられる受けを狙った説明文は絵画という文化に対し軽薄な印象を与え、せめてどんな意図で収集したのか真面目に解説すればバッドアートを集める意義も出るんだけど、と残念である。マルセル・デュシャンの「泉」など本場のアート作品でもバッドアート展示物と同程度かそれ未満の作品は多数存在するが、それらはアーティスト自身による解説やアート界隈の評判などで底上げしてもらえて羨ましいという気になる。
 そう、ここで言われるバッドアートって、製作者が無名だったり知られなかったりで好意的な評価を得られなかっただけなんじゃないか。バッドアート展で展示されている作品の中にはそれ単体でも質が高く感じる作品もわずかながらあったため、それらがアートと言われるもの(例えば村上隆氏の作品とか)と何が異なるのかを探求とかしてみても良かったのではないかと思う。
 まあ、そんな不満を美術館側が聞いたら、そういうのも含めてバッドアートを通して考えてください、みたいに主張するのかもしれないけど、作品をそのまま展示して終わりにするのであれば美術館じゃなくてもできるから。作品の背景の追求とそれを大衆に向けて解説するのが美術館の役割と考えており、それがなかったらそれこそ雑誌のVOWにしか過ぎないわけで、バッドアート美術館の人はもう少し自分らが収集するものが何なのかを考えるべきだと思った。

 そうそう、今展覧会はカタログ(パンフレット)の類がなかった。仕方ないか。売れなさそうだし……。
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