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「怖い女 怪談、ホラー、都市伝説の女の神話学」(沖田瑞穂、原書房、2018)

2019年3月18日  2019年3月18日 
 「怖い女」、というより、「女性の怖さ」とはどのような要素なのかについて世界中の神話や日本の神話・言い伝えを元に考察した論説。女性の怖さ=底なしの母性であることが最後に明かされるのだが、世界各地の神話を参考にその母性の描かれ方を紹介している。もちろん神話が言い伝えられた文明の概略などは書かれていないので神話の記述が文明特有のものなのか判別がつかないのだが、それでも同じようなモチーフ・ストーリーが地理的に遠いと思われるところでも見られるさまは圧巻。神話をネタにした本でしばしば見られる日本神話や北欧神話、ギリシア神話、インド神話はもちろんのこと、スラブや南米、東南アジアの神話も収録されている(数は多くはないが、確かアフリカの神話もあったはず)。ボリューム的にも多少神話に興味を持った程度の人が楽しく読めるような内容。そのため神話マニアには物足りないと思われるが、そういう人は専門書を読んでくれ、という話なのだろう。女神転生シリーズなどで女神に興味を持った人にも最適。神話に興味を持った人が特定のテーマを調べる取っ掛かりとして良い本だと思う。



 と、ここまで大絶賛したのだけど、ちょっと引っかかる部分もいくつかある。
 僕が一番気になったのは、長年言い伝えられた神話や伝承と作者がわかっている創作小説や現代都市伝説が全て並行に扱われている点。もちろん、江戸時代の怪談などは創作小説とは言え神話や伝承の仲間にして良いと思う。
 しかし現代の都市伝説や小説を神話として扱ってしまって良いのか? 例えば都市伝説は、つまり多くの人が興味を持つお話は、多くの人に興味を持たせるために今で言うコピペも改変も行われて新たなバリエーションになることが多いのだが(都市伝説愛好家はそういうのも含めて好きなのだ)、オリジナルを見極めないとその都市伝説のもともとの要素が読み取れないことに注意しなければならない。無数のバージョンがある中で、本書の主張に合うバージョンも探せばあるし現在進行系で新たなバージョンが作られているわけで、なぜそのバージョンを取り上げるのかを考えねばならないと思う。
 また、現代小説で言えば、スター・ウォーズが神話の手法を参考にしているように、現代の創作はそれまでの神話や伝説をエッセンスとして取り込んでいるのだから、神話が作られた時代に考えられた怖い女像を取り込んでいる可能性はないのだろうか? 現代の感覚として妥当なのだろうか?

 本書の中には「ひきこさん」という都市伝説が取り上げられている。口裂け女やカシマレイコさんと同じような女妖怪……なのかな? このヒキコさん、いわゆる都市伝説としてはかなり眉唾モノではないかと僕は考えている。都市伝説好きにはたぶん知られているはずなのだが、このお話って創作の可能性が指摘されているのだ。このサイトで「ひきこさん」を調べると経緯が載っている。初出のサイトもほぼ特定されているし、広まった時期もわかっている。何より、「ひきこさん」のお話ってコピペが広まっているみたいで、つまり掲示板などに書き込まれた文字情報が「ひきこさん」の話題っぽいのだ(以上、全て前述サイトより。そして本書でも「ひきこさん」のお話は伝わっているコピペの内容とほぼ同じ……)。もちろん僕は前述サイトの検証内容を確認していないので、当該サイトが誤っている可能性もなくはないのだが、かなりディテールがはっきりしているので検証内容が正しいと判断している。少なくとも、「ひきこさん」のお話は口裂け女みたいな本当に自然発生して口頭で語り継がれたものとは異なるため、創作怪談の可能性の指摘くらいはすべきだと思う。
 もう1ついちゃもんをつけると、カシマレイコさんって言い伝えのバリエーションはかなり多い。本書でも簡単に紹介されているが(紹介内容のディテールの抽象さと2パターンのお話は「ひきこさん」の紹介のされ方とは正反対であることに注目)、電車に轢かれたり乱暴されたりして脚を失って夢の中で現れるってのが一般的なんだろうけど、トイレで出てきたり、腕がなくなったりと別の都市伝説と混ざっているのでは? とも思えるお話も多い。都市伝説のそういう側面を指摘せず論評するのは扱いが雑なのではないかと思う。

 現代小説を元に元来の神話と共通した女性の怖さを語ろうとするのは正直論外である。江戸時代とかは新生児の死亡率も今とは比べ物にならないほど多かったし、明治や大正時代ですら親が生活のために子供を売ることだって当たり前だったわけで、そういう時代と現代を比較して「こういうところが女性って怖い」と言われても、その怖さの意味が異なるのではないかと僕は考えている。はっきり言うと、現代小説は商業的な成果が求められるのでホラーと称するジャンルであれば過剰なまでの残虐描写が求められるのだ。本書で挙げられた現代小説ではそこらへんの事情に考慮せずミステリー系もホラー系もまとめて論評しているが(もちろんストーリーのエッセンスで考察しているから個々の描写は関係ありませんと言われたらそうなんだけど)、残虐表現として一般的な範疇のミステリー系と過激さを要求されるホラー系と人が殺されてもその描写があっさりしている旧来の神話を比較してもそれって意味あるの? と思う。本書が現代小説の書評であれば問題ないのだが、神話との共通点を挙げ女性の怖さを一般化しだすと、話半分に聞かざるを得なくなる。

 というわけで、神話や口頭伝承を比較しているだけなら面白かったのだが、現代のお話をターゲットにした途端怪しくなった印象を受ける。著者も、昔の幽霊などの女の祟りは特定の人物のみを対象にしていたが、現代の小説は無差別だ、と書くのであれば、それ単にホラーとジャンル分けされ過激さが求められただけなのではと疑って検証して欲しかった。
 ついでに、最後の方でユング派の学説が出てきたときは笑ってしまった。精神分析って、特に伝統的なタイプのフロイトやらユングやらって結構誤った部分も多くて臨床的には使えないはずなのだが……。というか、フロイトやユングって心理学以外の人からの人気が高い印象を受けるのだが、何で彼らはここまで怪しい学問に取り憑かれているのだろう?
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