Tellurは、……現在色々物色中です。

「通し狂言 妹背山婦女庭訓」

2019年5月14日  2019年5月14日 
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2019/5124.html
 ちょくちょく文楽は鑑賞していたが、先日初めて1日まるごと文楽に費やした。座り続けてるの、さすがに疲れたぜい。
 この作品を見て驚くのは、舞台が飛鳥時代(大化の改新頃)のはずなのに、考え方や風俗習慣が完全に江戸時代であること。天智天皇や蘇我入鹿はお公家さんっぽい服を着ているが、彼らの部下は侍だよね……? そういえば武家とか大名の娘とか言ってた気がする。江戸時代の庶民がそもそも貴族の服や飛鳥時代のことをどれくらい知っていたのだろう? 最初は庶民に親しみを持ってもらうため、わざと江戸時代に寄せているのだろうと思っていたが、考えてみるともしかしたら庶民も江戸時代の延長でしか想像できなかったのかもしれない。

 ストーリーは天皇の地位を狙う蘇我入鹿と、それに対抗する藤原鎌足勢の争いといったところか。蘇我入鹿はまるで魔王のように描かれ、滅するために超常のアイテムが必要なほど。それを得るために男女の悲恋が絡み、ついに藤原鎌足はそれを用いて蘇我入鹿を打ち倒す、らしい。今回演じられたのは蘇我入鹿を倒す必殺笛を手に入れたところまでで、倒すのは割愛されてた。
 一段と三段、二段と四段がそれぞれストーリー的に対になっており、特定のキャラクターに感情移入して観るとストーリーがぶつ切りになるが、この作品は群像劇的に観るのが正解なのだろう。キャラクターも二段で重要な役割だった人がその後出てこなかったりと、現代の小説などとは大きく違う作りである。
 対といえば、三段の妹山背山の対比は見事。仲が悪い2つの家を舞台にした男女の悲恋なのだが、男女で交互に物語が進み、最終的に悲劇の合唱になる。クライマックスの太夫の合唱は本当にすごかった。半日くらいかけて物語を進めてきたからこそ観客も心を動かされるわけで、通しで見て良かった。
 道中恋苧環は三味線五人囃子で豪華。

 それにしても、江戸時代の人って名誉と義理を大事にして死ぬことを喜ぶけど、一応子を失った悲しみは感じてるんだね。物語的に妹山背山にしても三輪にしても、主人公各の人を殺すのは当時の人々が可哀そうフェチだったからとかなのだろうか。死の感覚が現代とはまるで異なっており、三輪の最期にしても、入鹿を倒す手段になるから喜べとか、喜べないよ。それで妹山背山では死んだ後で悲しみの合唱を行うのだからマッチポンプみたいに思えた。本当、当時に生まれなくて良かった。

 その他、何となく身分の感覚がない。町娘に過ぎない三輪が蘇我入鹿を知ってたり、一般市民に身をやつした武士のパターンが多い。なんか面白い。

 頑張って一日作って見てよかったと思う。面白いとか楽しいとかではなく、江戸時代の人々の感覚が体感できた。こういうのを見て笑ってたんだ、ってわかった。何度か繰り返し書いたが、現代とは感覚が異なっており、ストーリーに入り込めない部分も多々あったが、それも含めて日本の文化とはこういうものだと知るのは良いことである。そして、この作品で書かれたプライドやら名誉やらの少なくない部分は現代にも受け継がれてるんだろうな……。
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