「ジュラシック・ワールド/炎の王国」(J・A・バヨナ監督、ユニバーサルピクチャーズ、2018)
久しぶりの感想文。きっかけは、ひょんなことから当時映画館で見られなかった「ジュラシック・ワールド/炎の王国」を見たため。映画館で見なかったのは単純に忙しかったからで、ジュラシック・ワールドの次作も、インディ・ジョーンズの近年の作品もまだ見ていないので、いつかは見なければと思っている。思っているのだが、結局、この作品を見なかったのが正解なのかなあとちょっと後悔している。
世間でのこの映画の評判は全然調べていないのだが、少なくとも僕には合わなかった。
僕にとってジュラシック・パークシリーズは、様々な恐竜が大自然の中に暮らしており、そこに人間が入り込んでコンタクトを取る、そういう作品である。いわば図鑑的、ドキュメンタリー的な役割に多少のサスペンス要素を加えて、でも全体を俯瞰すると恐竜に対する憧れを刺激する映画、といったものを求めていた。
そのため、今作の、恐竜が田舎の屋敷で大暴れ! 兵器として使われる人工恐竜! 恐竜の暮らす光景はせいぜいが前半のみ! しかも出てくる恐竜の種類も少ない……ってのは僕が見たかったジュラシック・パークシリーズではない。正直、島から脱出パートである前半を除けば、「恐竜」ではなく「ライオンと熊を合体させた究極生体兵器」としても違和感がなかったと思う(もう1つ文句をいうと、島から脱出する前半と恐竜が田舎の屋敷で大暴れする後半は1つの映画にまとめるには雰囲気が違いすぎており、前半と後半ではぶつ切り感が半端ない。もう少し要素を足して前半もしくは後半のみで1本の映画にすべきだった。)。
さらに、この映画はラスボスとして人工的に作ったインドラプトルという人工恐竜をテーマにしているが、物語内で色々煽ってはいるものの所詮恐竜……という印象を視聴者に植え付ける。だってインドラプトル、何回も狩り(主人公たちを襲う)に失敗しているのだ。もちろん成功されて、シリーズで出ているキャラが唐突に殺されてもそれはそれで反応に困るが、それでも人間1人、下手すると子供1人狩るのに全然成功しないのは果たしてインドラプトルの恐ろしさに疑問を持たざるを得ない。シリーズ1作目のヴェロキラプトルの方が遥かに怖かったぞ。そもそもインドラプトルは大きさが中途半端だ。前作のインドレックスは、ティラノサウルスの大きさなので単純に恐怖心が半端じゃなかった。シリーズ1作目のヴェロキラプトルは複数で狩りをすることもあり、狡猾で俊敏なハンターといった印象があった。対して今作のインドラプトルは中途半端に大きいため頭も身体能力も悪そうな印象を与え、作中の描写もそれを補強していた。僕としては、インドラプトルが見えるのは赤外線ということにして、暗闇から赤外線を頼りに人間を襲っていれば人工恐竜らしさがあって良かったと思った。
恐竜をテーマにするなら人工恐竜が前に出すぎだし、人工恐竜をテーマにするなら人工恐竜の恐ろしさが全然伝わって来ない、そんな印象を受けた。
恐竜の恐ろしさは外界と隔絶された島だから恐ろしいのであって、本土に上陸してあの体たらくなのは、KY活動とかの不足なだけで、登場人物が食われたら軍隊が動員されて恐竜はなすすべなく皆殺しになるレベルだよなぁ、所詮恐竜だしなぁ、という感想が終始頭をよぎっていた。
そうそう、それまでのシリーズであんなに怖さを描かれていたヴェロキラプトルが今作ではついにターミネーター2のT-800レベルの話の通じなさと心強さを持つ「味方」となってしまったのは、今後のシリーズの展開を考える上で良かったのだろうか。余計な心配をしてしまう。
なお、ストーリー面はもちろんリアリティラインでの齟齬が大量にあり、いちいち指摘するのも時間の無駄だから割愛する。
正直、恐竜を悪用しようとして失敗するお話はどこかで見たので、今回くらいは登場人物たちが徹底的に「善人」で、そんな「善人」たちが恐竜パニックを引き起こす映画にしてほしかった。
総評としては、恐竜映画としての楽しさが変に凝ったストーリーのせいでしっちゃかめっちゃかにされたと思う。