2011年9月20日火曜日

妖怪HUNTER(井上淳哉、新潮社、2011)

 諸星大二郎氏の稗田礼二郎シリーズのリメイク。そういえば諸星氏は妖怪ハンターという名称を嫌っていたはずなんだけど、タイトルになってしまって大丈夫なのかな。

 この作品は井上淳哉氏の手によって「闇の客人」がリメイクされたものだ。極めて今風な作画となり、もともと1話完結作品だったものが1冊3話になったために原作にないシーンもたくさん出る。まあ、諸星氏というか稗田礼二郎シリーズはどれもかなりネタが詰め込まれてすぎて半分アイデア集同然になってしまっているために純粋にすばらしいと思う。ただ……かなり線のはっきりしたタッチであるため、原作にあった背筋がゾクゾクするような描写が消えてしまったのは悲しい。
 僕にとって一番受け入れがたかったのは最初の方の稗田礼二郎の講義だな。パンチラとか萌え展開とかそんなのはどうでも良い。覚悟はしていた。しかし諸星氏に描く稗田礼二郎は確かに一般的とは言いがたい学説を主張しているが、オカルトまで足は突っ込んでなかった。「海竜祭の夜」で確認した所、神話に出てくるキャラクターと妖怪や民話を結びつけたために妖怪ハンターと称された経緯があるが一応オカルトとは手を結んでいなかった。それに対して井上氏の稗田礼二郎はいきなり異界の存在がいると電波を発信してしまっている。細かいながらも稗田礼二郎の性格が全く違っていることの現れだ。ちなみに稗田礼二郎自体はシリーズを通して色々不思議な体験をしているのだが学説としてオカルトめいた主張はしていない。つーか、井上版稗田礼二郎の主張ってのは一般的な神秘主義者に過ぎないんだよね、「神の力は実際にあったと信じています」(p.10)ってのは。諸星版稗田礼二郎ならば「魔障ヶ岳」みたいに神でも悪魔でもあるマナが存在するってな言い方になるだろう。

 それはともかくとして、ネタばれしても問題ない気がするから原作を要約しよう。
 豊穣のために鬼や神を招く儀式を題材に取っている。ある地域ではかつて毎年神を招く儀式で人死が発生していた。今では途絶えてしまっていたが、村起こしのために今風に復活させた。実はその儀式は豊穣を呼ぶために招いていた存在への生贄という面もあった。異界より現れる存在を人間がより好みをすることはできない。だからそれが悪しき存在であれば慰めるために生贄を与える必要があったという。また、村は余りにも貧しかったために豊穣がやってくる異界へ行ってしまう人もいて、それが神隠しとして伝えられていた。そして伝統通りでない儀式を行ったために、大事件となってしまう。そんな物語だ。
 井上版も大筋は原作に準拠しているのだが、細かい点が、しかし物語の肝心な部分が違っている。そのために微妙に内容が変わってしまっているのだ。
 大きいのはラストシーンだろう。痴呆気味だった老人(ヒロインの祖父。諸星版にはヒロインなんて出てこないけど)が鬼を異界に誘導し、そのまま居なくなるのだが、何と異界に入ると痴呆が治ってしまうではないか。しかも物語中で死んだ重要登場人物が異界の中で復活している、というオチまでついている。諸星版ではこのシーンは老人が異界に行ったまま消え去るという神隠しを想起させるのだが、これでは意味が180度違ってしまっている。諸星版は人間に対して中庸な存在を描いていたのだが……。そして諸星版で異界に消え去るってのは純粋に現世の貧しさからの逃避として描かれていたのだった。
 これ以外にも、井上版は異形・異界=人間の敵と考えている節があちこちに見られる。例えば78ページ「本物の客人!?(中略)やはり異形のモノは実存した……(中略)これが……祭りが危険たる所以だったのだ……」とか98ページ「しかもこの神は人を襲う……悲劇はくり返される……」みたいな、諸星版を知ってると違和感がかなりあった。
 別にリメイクの是非を言っているわけではなくて、原作との乖離があり、しかもそれが物語の重要な部分にかかってるのが問題なのだ。この作品が稗田礼二郎とは全く関係がなければ、現代的な伝奇ホラーとして評価できたと思う。その意味では諸星大二郎というブランドに負けたということか。諸星氏はオカルトに対してかなり中立的な描き方をしているから違和感が大きかったということで。何度も言うけど、オリジナルの作品なら素晴らしいんだけど。

「地球移動作戦 上下」(山本弘、ハヤカワ文庫、2011)

 記事を書いたつもりだったが、どうも投稿していないようなので今さらながら。

 僕はハードカバーの本を買わないんだけど、こんなに面白い本が2年も前に出てたのならチェックするべきだったなあ、と思わせる内容だった。
 あらすじとか中身は著者本人のサイトに書かれている。一読して受けた印象は、初音ミク風味マクロス+アイマス+FSS+現代SFまとめ+陰謀論+トップをねらえ+人工知能+隕石モノ。この本に出てくるすべての要素をキーワードにしてみた。意外と的を射てると思うけど、どうだろう。
 僕にとって一番面白く感じたのは、社会の描写だ。グレッグ・イーガンとかで親しんだ現代SFの要素がこれでもかというほど詰め込まれているものの、人間性への疑問とかそこまで行き着かない距離の良さが心地良かった。いや、僕は数多く読んでいる読者ではないが、現代SFの多くはテクノロジーの発達により「人間」の条件に疑問を投げかける小説が多いんだよ。むしろその手の人間性について考えさせられるから良い小説として翻訳されるのか? とにかく、面白いものの非常に疲れる小説も多かった。
 山本弘氏のすごいところはその手の小難しい部分を飛ばして、社会を描いたんだよね。彼自身は「アリスへの決別」でちゃんと描写できる力があるにも関わらず(むしろ暑苦しく語れるだろう)、主題に合わない部分を削ってしまえるのだ。物語の中盤で魅波とユーナが討論するシーンがあるが、もっと気合を入れて長ったらしく――例えば「神は沈黙せず」での物語の主題に関係ないのに記された南京事件議論みたいに――書くことはできたはずだ。いや、逆にこの討論こそがアースシフト計画の要となる要素だからもっと粘着的に書いても問題はなかった気がする。特にこの小説はラスト近くのバトルが思想的にもあっさりしているのだから。それをあえて、手塚治虫めいた人間賛歌の主張で魅波に勝たせるのが僕にとって目から鱗だったのだ。
 ACOM(電脳世界の人工知能)の存在もかなり味がある。人間に極めて似ているが、どこか違う行動原理を有する存在をここまで丁寧に記せた小説は初めてだった。下巻が頭の「殺人」。あれっぽっちの描写で冷徹さ(つまり迷いの感情がないって意味)を表現したのは素晴らしい。それでも人間が好きと言い張るACOM。マスターロスという概念。ACOM同士でなら本音を言い合うが近くに人間がいると本音を言わなくなることを当然と受け入れる態度(これは少し違うか。「本音」というのは人間に対する興味とと言い換えられる。意志を有しているとしか思えないACOMにとって人間は姿が似ているものの行動原理が異なる存在であり、常に分析を進めており、その中の疑問点が「本音」となる)。人工知能の描き方の新たなスタンダードになりそう。
 同時にこのACOMってFSSのファティマに似ているとも思った。ただの印象だから具体的な共通点が思い浮かばないのだが、自分たちが人間に仕えるために生まれたのを知りながら人間を慈しみ見守る態度ってファティマっぽいなと。日本人かつオタクにとってのある種の神様、そして母親なのかもしれない。

 この作品って恐らく、福島原発事故の前後で異なる読まれ方をされるだろう。それは日本に地震や津波が襲いかかる描写という意味ではない。数十年後という想像もつかないほどの遠い未来に起こる破滅を防ぐために目の前の欲望を我慢しつつ何十年も目標に向かって着々と進み続ける人々の姿……福島原発事故後の僕はその視点で読んでしまった。
 原発を今後続けるのか否かに関わらず、起きてしまった原発事故に対しては後始末をする必要があるし、さらに原発を止めるなら石油などによる/原発を続けるなら安全に対しての投資という巨額の費用がかかるだろう。多分何だかんだで僕達の家計にコストは跳ね返るんじゃないかなと予想している。
 単なる東北大震災の復興だけでなく(地震からの復興は阪神大震災だって経験している)、一銭にもならないゴミの片づけ。しかも危険と言われながらも詳しいことは何だか良くわからんときた。そして悪影響が出るのは何十年後、しかも癌の疾病率が数%上がるとかそんな抽象的な内容。「よくわからないけど/よくわからないから不安」と騒ぐ人が多かったことを考えると、「よくわからないけど/よくわからないからこれ以上核廃棄物のお守りをしなくて良いじゃん」と思う人がいても不思議ではない。僕たちは飽きっぽいし緊張を持続する体力もない。

 まあそんな感想はどうでも良いか。個人的に気になったのは人々がセカンドアース計画から離れることになった理由。僕としてはセカンドアースってのはかなり真面目に考慮するに値すると思っていたのだが、それがあんな下らない(と言ってしまう)理由で却下されちゃうのか、うーん困ったなあ。僕が「神は沈黙せず」みたいなサイバースペース系のSFが好きだから余計にそう思えるのかもしれないけど、さすがに強引すぎると思うんだ。ある種のSFならば逆にセカンドアースこそが人類の救世主とされてもおかしくない。
 ネタバレありで書くと、ACOMの犯した殺人とその動機、そして当のACOMの自殺は一般ピープルが理解できる範疇を越えていただけだった。非常に合理的な理由だったと僕は思う。まさに必要があったから殺人を犯しました、でもその動機が知られるとまずいので自殺しましたって感じ。それが人間の行動原理とはかけ離れているためにセカンドアースを手放す理由になってしまうとは。
 使えるリソースが限られるセカンドアースにとってACOMの思考における合理性は必須だと思うんだけどな。まあ、死にたくないけど目の前の快楽を享受したいと考える連中が感情のままに支持した計画だからこれくらい惨めに描かないと説得力がないのかもね。まるっきり選民性のノアの箱舟だし。これが人類のほとんどを救う計画ならセカンドアースもある程度の理性を持つ人間が支持しただろうに。

 ただ、さっきの話に戻るけど、地球人類全員が黙って貧乏に耐え忍ぶとは思えないな。双極割引って考えが近年の経済学の流行りだけど、その手のアイデアが入っていればもっと違う結果になったかもしれない。いや、これは双極割引を投入した伊藤計劃の慧眼に驚くべきか。

 どちらにせよ、ただのSFとしても面白いし、萌え要素もたっぷり入っている。そして「大プロジェクト」というものを考えるためにはもってこいの本だと思う。

2011年9月5日月曜日

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