Tellurは、……現在色々物色中です。

「ゲイルズバーグの春を愛す」(ジャック・フィニイ著、福島正実訳、ハヤカワ文庫)

2018年7月6日  2018年7月6日 
 某読書会課題図書。
 SFでもなくホラーでもなく、かといってファンタジーというほどリアルな世界から遠ざかっていない……。それでいてガジェットは幽霊だったり時間移動だったり、魔法のような道具だったりする。こういう作風をなんと呼ぶべきかわからないが、ネットで検索したところ「『世にも奇妙な物語』風」というなかなか本質を突いた表現を見つけたので、それをお借りしよう。
 ジャック・フィニイの作品は初めて読んだが、現実に立脚していながら、その現実を越えたファンタジー(大塚英志氏の言葉を借りるならマンガ的リアリズム)に惹かれた作家だと読めた。解説によると古き良き時代への現実逃避とあるが、現実逃避? 確かにノスタルジックな作風なんだけど、逃避しているようには読めなかったなあ。日常に潜む少し不思議(S・F)さを昔を舞台にして描く傾向が強く、単なる昔は良かっただけの作品だとは思えない。筆者の興味はあくまでも今後・未来に向かっていると思うんだけど……。

 「ゲイルズバーグの春を愛す」。表題作。ゲイルズバーグの街でとっくになくなったはずの昔の電車や車が目撃される事件が起き、調べてみると街そのものが近代化に抵抗して起こったらしい、という内容。ちなみに上記あらすじだけでこの短編の全てを表している。時間移動に加え、街(共同体)のような概念が意思を持つというテーマ。まあ、過去への郷愁なんだろう。とはいえ、冷静に考えてみたら、過去を知らない若い住人も現れる中で単純に過去の光景を映すだけでは不気味としか受け取られないわけで、事実この短編でも過去へのロマンよりも奇怪な現象として書かれていた。ノスタルジーに浸らせない冷静な視点が、作者の特徴だと気付かされた作品。
 そんなわけでジャック・フィニイの魅力を自分なりにわかったところで2作目の「悪の魔力」。無名の骨董店で男が買ったメガネは服を透かし裸体を見ることができる魔法の道具だった。スケベ心が暴走しメガネで女性を物色しまくり、ついには着けた者を言いなりにする腕輪まで買う始末。しかし腕輪を着けたのが外見が悪い女性で、惚れられてしまい、逆に女性が骨董店で買った媚薬で男をモノにするという物語。これ、エロマンガでよくあるパターンだ! ドラえもん的というか、道具に頼ってズルするダメ男が欲望を暴走させ、しっぺ返しを食らうというお馴染みの物語である。面白かったのは主人公も外見が悪い女性も散策が好きという設定が冒頭に書かれているが、中盤以降は特に何の伏線にもなっていないところ。外見が悪い女性が無名の骨董店を知っていた理由として、つじつま合わせに追加されたのかなと邪推してしまった。
 「クルーエット夫妻の家」は打って変わって「ゲイルズバーグの春を愛す」みたいなノスタルジックなお話。今度は家が過去の思い出を映すよ。19世紀に建てられた家の建築図面で新たに建てた家が、当時の所有者の姿を映し出し、現在の所有者夫妻は次第に19世紀当時の姿に生活スタイルになっていく様子が非常に不気味である。ぶっちゃけ、不思議要素がなかったら単なる狂人の物語なわけで、単純な昔へのロマンとは言い難い気持ちの悪いお話。
 「おい、こっちをむけ!」。中島敦の「山月記」とテーマは同じ。芸術家志望の若者が大成できないまま死んでしまい、幽霊になった後で自分を芸術家と書いて墓石を掘るというストーリー。古今東西、こういう若者はいたんだなと納得。芸術は魔物である。
 次の「もう一人の大統領候補」はガラリと変わってユーモア小説。不思議なことを実際に起こしてしまう少年の巧みな手口が語られる。一種のミステリーである。読者はどうやってこの少年が虎に催眠術をかけたのかというトリックをハラハラしながら読むが、ラストで周囲の大人を騙したテクニックが政治家の資質とされ、それを見抜いた主人公を金で釣って仲間にする手口など皮肉が効いた作品である。
 「独房ファンタジア」はなかなかの泣かせる作品。死刑が目前に迫った囚人が独房の壁に面会や食事を忘れるほど魂を込めて絵を描いた。死刑執行の直前、無実の罪だったことがわかり、元死刑囚は出ていったが、壁の絵は男を待ちわびた家だった。あまりにもリアルな絵なので、描かれた家の扉を開けたら本当に独房の壁も開いてしまう系の作品かと思っていたが、きれいな終わり方だった。
時に境界なし」も時間移動のミステリー。そこそこの犯罪を犯した容疑者の足取りを追う警察官がそれに関わる学者(主人公)に話を聞く内に、時間移動で過去に連れて行ったとわかり、主人公に彼らを逮捕させるように強要する、というお話。ラストはその警察官が直々に過去に行って罪を償わせようとするものの、主人公の策によってそれが叶わない……のだが、小説として警察官を必要以上に憎たらしく描いたのがご都合主義的である。そもそも主人公は黙っていれば良いのに自分から過去に連れて行ったことを白状するわけで、それで警察官に脅されるのは自業自得である。しかもその後の対応も保身を考えたもので倫理的にどうかと。恐らく主人公に対する反感を和らげようとした結果が狂信じみた警察官となったのではないかと考えている。
大胆不敵な気球乗り」は次の「コイン・コレクション」でも見られる現実逃避ロマンスモノ。気球という非日常の閉鎖空間でロマンスが芽生えるけど日常に戻ってしまう切なさを描いている。「コイン・コレクション」と比較すると日常に戻るのは健全だなー、と思いました。
コイン・コレクション」は平行世界モノ。世の中には時々平行世界からのコインが紛れ込んでおり、それを使うと平行世界に行ける(自分の世界のコインを使うことで無事に帰ってこれる)。主人公はこの設定で何をしたかというと、倦怠期の奥さんに対する浮気であり、平行世界では元カノと結婚しているので自分の世界の奥さんに飽きたら平行世界に行こう! という構図。正直、平行世界への旅に何のリスクも書かれてないので(今の作品なら平行世界から連続殺人犯の自分が来てしまったとか、平行世界から来たことがバレるとか破急を付けると思う)、特殊能力を持った主人公による浮気物語以外の何物にもなってない。面倒になったら逃げ出せば気分も面倒な出来事もリセットできるという幼稚な現実逃避である(この作品が小賢しいのは、世の中の現実逃避作品はパッケージなどから現実逃避ジャンルだと主張し、その評価を甘んじて受け入れてるのに対し、「コイン・コレクション」は微妙な言い訳を延々と積み重ねてやってることは単なる現実逃避でしかないってこと)。
愛の手紙」も時間移動もの。古い机を買ったら、その中がタイムトンネルみたいになっており、元の机の所有者である薄幸の女性と手紙の交換を行うというもの。よくあるテーマであり、絶対に会えないとわかっているからこそ相手に恋でき、美化できるんだよね。この構図は相手が二次元であっても、顕微鏡で見た水滴の中の存在であっても同じ。この手のジャンルの王道なのでロマンティックな気分に浸れる。

 驚くべきことに、後から思い返しても全て内容を覚えている。どれもつまらない小説ではないというのがこの短編集の特徴である。ジャック・フィニイも「ゲイルズバーグの春を愛す」も初めてだが、SFとしての側面をことさら強調せずに物語の味付けとしてSF的要素を盛り込む手法は新鮮である。SFとしては、それぞれ時間旅行モノや平行世界モノなど1テーマごとに書かれ、王道の展開となるため、最近の作品に慣れた人からだと少し物足りない。もちろんジャック・フィニイがSFの始祖の1人ではあるのだが。最近の読者だと手塚治虫や藤子不二雄のSF短編集の方が親しんでいると思われるが、その原典なんだと改めて感じた。
ー記事をシェアするー
B!
タグ