Tellurは、……現在色々物色中です。

「NOVA 2019年春号」(大森 望 責任編集、河出文庫、2018)

2019年1月10日  2019年1月10日 
 なんか懐かしい名前だ。最後のNOVAはもう10年ほど前なのか……。日本を代表するSFアンソロジーの1つだったイメージがあるので、今後も続いてほしい。
 最初の「やおよろず神様承ります」(新井素子)。どうも僕は新井氏の一人称文体とは相性が悪いことがわかった。短編集のテーマ以前に文体が合わなかった。いちいち地の文でツッコミが入って痛い上に話が進まなくてつまらない。玄関の呼び鈴が鳴って2、3会話して不思議ちゃんだったからとりあえず扉を開けるだけの描写で3ページ使うのって無駄じゃない? 昔はスレイヤーズとかその亜種の一人称小説を読んでいたが、この作品が無理ということはもはや当時夢中になって読んだスレイヤーズなどももう読めないに違いない……、と少し悲しい。それはともかく、小説としては家事に追われる主婦が「優先順位の神様」を知ることで生活にゆとりが出るお話で、この程度のことも自力じゃできないなんて昨今のマニュアル人間はどうしようもないと感じた。たぶん作者は主人公の主婦に同情的だと思うんだけど、会社員やってたなら仕事の順番付けは基本だと思う。
 「七十人の翻訳者たち」(小川哲)は歴史を絡めた物語論。作中で描かれている「物語ゲノム」ってどこまでが現実の理屈なんだろう。SFとしてのギミックは神の描写をした原点の聖書を解読すると、神が見えてしまうという”感染する言葉”的なアレ。同じように歴史とSFを融合させた小説だと、「円」(「折りたたみ中国」収録)が挙げられるが、「円」に登場するキャラクターが極力時代的な違和感を感じさせないように描写されていたのとは異なり本作では紀元前のエジプトで現代用語がガンガンに使われていたのが萎えた。
 次の「ジェリーウォーカー」(佐藤究)は普通のパニックSF。正直、ある程度ジャンル小説を読んだ人間なら最初の数ページを読んだところでラストとオチまで予想できてしまう。予想がどう覆るのかが楽しみで読んだら、まさに予想通りだった。これはこれで想像つかなかった。なお、2018年から3、40年後なのに未だにダークウェブが捜査の手が及ばないアングラ世界とするのはリアリティに欠ける。あのWinnyですら、そしてShareですら解析され、Warez鯖は多分盛り上がってないのだからダークウェブも10数年したら下火になると思う。むしろ、警察が些細な犯罪を見逃すのが暗黙とされ、実名で違法データをやり取りする未来の方がそれっぽいよ。
 「まず牛を球とします。」(柞刈湯葉)は良い意味で予想外だった。最初読んだときは反食肉運動に当てつけた培養肉SF(そんなジャンルはないけど)かあ、と思っていたが、遺伝子工学が人間の存在意義に与える影響にまで言及される瞬間はゾクゾクする。培養肉そのものは実験でできているし(これ読むと実用化も秒読み段階?)目新しいものではないです。
 「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」(赤野工作)は自分に合わなかった。オタクはキモい。SFとしては、本当に対戦ゲームが決定論の世界であるなら(同時に想定外のミスで勝敗が変わるカオスな世界なら)、その内容をもっと全面に出すべきでは? と感じた。徹頭徹尾ゲームから発展しない内容で、作者のキャラ的にはそれを求められるのかもしれないけど、SFアンソロジーの1作としては内容が薄すぎる。
 「クラリッサ殺し」(小林泰三)は仮想世界の仮想世界的ネタ。レンズマンシリーズは知らなかったが、特に違和感なく読めた。この世界が仮想世界かもしれない! 的なテーマはP. K. ディックでお馴染みのテーマでレンズマンというテーマから主人公たちの世界は仮想世界だというのが我々読者にとっては確定なんだけど、そのことにいつ気付くんだろうと楽しめた。なお、ミステリーのトリックとしてVR使うのは興が冷めるからやめたほうが良いと感じた。VRという凶器は何でもありすぎる。話は変わるが、一人称小説なら「やおよろず神様承ります」よりこっちの方が好み。ただし「クラリッサ殺し」は典型的な女言葉が時々出てきてそのわざとらしさに萎える。「やおよろず神様承ります」の文体で「クラリッサ殺し」のボリュームが理想である。
 次の「キャット・ポイント」(高島雄哉)は発想的な意味で一番SFっぽかったように感じた。というか本短編集は全体的に正統派なSFテーマを盛り込むとディテールがアレな感じに思えるので、この作品のような少し・不思議の方が安心できる。猫の集まるところは広告が注目されやすいという発想は面白かったし、その事実を発見(観測)してしまったことで猫が消え去ったというシュレーディンガーの猫と絡めた展開も巧みだった。
 「お行儀ねこちゃん」(片瀬二郎)は多少小説読んでる人にとって、物語的なオチは序盤から見えてくる(2パターンあって、主人公かその恋人のどちらかが死ぬんだろうなーとわかる)。それに向けた展開として、猫の死骸を動かすプログラミングが生命そのものだと主人公が認識するのだが、ルンバは生きている的なヨタと変わらなかったな。本当にある機械を見て生きていると誤認するならそっちを突き詰めてほしいし、操り人形のちょっと複雑な代物レベルで生命だと勘違いするのは妄想でも混ざっているか暑さで頭がやられたとか考えないと納得できなかった。
 「母の法律」(宮部みゆき)は本短編集中第三の女性一人称小説……まあもう一人称の文体でグチグチ言うのは止めよう。内容は、被虐待児を救う架空の法律「マザー法」を巡って外面の幸福とドロドロした中身を描いている。この小説の設定として、SFとしてのキモは被虐待児に処せられる記憶調整措置。虐待の連鎖を防ぐため、虐待の記憶が蘇って感情が不安定になることを防ぐために虐待された記憶と、虐待した親に関する記憶をすべて封じるという乱暴な施術。記憶の改ざんは「子どもの頃の思い出は本物か: 記憶に裏切られるとき」にも書かれているように割と簡単に起こりやすく、それだけにリアリティのある設定である。物語は「マザー法」によって温かい家庭を得た主人公が養母の死と共にそれまでの家庭を離れ、反マザー法の活動家から実の母が犯罪者だと教えられ、不安に思う中会いに行ってしまうというもの。おっさんである僕からすれば、そもそも思い出せもしない実母に会いに行く意味ないのでは? と思ったし、主人公にとっての破局を引き起こしたのは物語で悪役として描かれた反マザー法活動家でなくおせっかいな姉だったので主人公に恨みでもあるのでは? と勘ぐってしまった。いや、主人公の語りからすれば実母に会う理由なんてないわけで、トラウマ(バターナリズムな記憶調整だが、その意義や調整内容はそこそこ市民に明かされてるっぽい)に自分から近づいてトラウマになるんだから世話ないなと思った。まあ子供だから仕方ない。
 ラストの「流下の日」(飛浩隆)。おお、結構政治に踏み込んだ内容だ。「美しい国」っぽいスローガンの元、「家族」の概念を拡張することで日本経済を、社会を再生させた政府。それは一方で、国民を管理する生体コンピュータが利便性を与えると共にアンケートなどの形で個人の思考を収集することで成り立っており、反旗の日を伺う人々がいる……という物語。SFとしては普通の管理社会・ディストピアモノなんだけど、個人的に一番面白かったのは「家族」の拡張だな。2018年現在、この作品中最大の虚構。「美しい国」っぽいスローガンを謳う総理が性自認が男性の肉体は女性で、女性を妻とし、クラウドの養子(これって名義だけってこと?)を推奨し、まあ色々と現実の日本と正反対のことをやっているわけだが、もちろん現実の日本で「家族」を強調する人々とは真逆の考えのわけで。「家族」の概念は拡張されたと言うけれど、でも基本になっているのは伝統的と見られてる家族観なのだ。特に子供は各家庭で育てましょう、みたいな。この作品の設定として子供をたくさん生んで育てれば偉いという価値観があるんだけど、現代人なりのの教育とかを行うなら家庭だけで育てるのって難しい気がする。いっそ子供は国家が取り上げて集団で育てるとかの方が設定との齟齬は少ない気がするなあ。どうせ現実の日本での美しい家族と作中の「家族」とはかけ離れてるんだし。


 というわけで、2019年だ! 最新だ! 見たことない! という作品は少なかったが、面白い作品は本当に面白かった。ベスト作品は猫の集会所と観測行為と広告を繋げた「キャット・ポイント」かな。発想も素晴らしいし理屈が面白かった。そこでシュレーディンガーの猫を使うのか、と。「まず牛を球とします。」は最初はただの培養肉小説かと思っていたがいつの間にか人類の黄昏的な物哀しい物語になるのが良かった。
 多少SFを読み慣れた人からすると物足りない部分もあるが、2018年~2019年のテーマとして参考になった。
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