Tellurは、……現在色々物色中です。

「親がうるさいので後輩(♀)と偽装結婚してみた。」(コダマナオコ、一迅社、2018)

2019年1月18日  2019年1月18日 
 正直、僕が昨今の百合ブームに乗れないなと思っているのは、百合というものが単なる萌え族のおかずでしかないことが透けて見えるからなのだ。
 アメリカを中心に起こっている性的マイノリティのムーブメントは現実問題として性的マイノリティがマジョリティよりも権利を制限されていることに発しており、その運動は重要だと思う。それに比べて日本の百合ブームはどんなに性的マイノリティを肯定的に描いていてもマジョリティ(いわゆるヘテロセクシュアル)のおもちゃという枠組みが強固に残っているし、そもそも彼女らが直面している現実的な問題を描く気がなく「萌え」として消費している(女性キャラだけが出てくると期待されたアニメに男性キャラが出てくるだけで侮辱的なあだ名を付けられることを考えたらオタクが本気で女性同士の愛だの恋だのを考える気なんてないとわかるだろう。ちなみに「ケムリクサ」を念頭に置いてます)。
 それは百合をプッシュし続けて長い一迅社であっても同じで、「百合男子」について文句を書いたことがある。この作品が描かれたのは昔である上、僕は2巻以降読んでないわけだが、それでもこんな偏見垂れ流しまくりの作品を出版してしまうなんて信用できないなと思っていた。

 本作を読んで驚いたのは、そんな一迅社にしてはなかなかやるじゃないってこと。この作者が描いてアニメ化になった「捏造トラップ-NTR-」はそこそこ頭の良い女子高生が主人公なのに途中から体を売って生活しているような描写が出てきてどこまでリアリティがあるのか、そもそもドロドロの展開にするために最悪手を選び続けているのではないかと思っていた(アウティングという問題が現実には起こってはいるけど、現代ってまだ女性同士の関係をバラすことが脅しになるっていう時代なの? 今どきはそういうのバラしたほうが叩かれると思っていた)。

 本作はそれとは打って変わって明るい作品で、それでも物語の背景として女性が直面している生き辛さを描いており、はっきり言ってしまうとそういう問題に物語中で答えを出しているわけではないのだが、その軽さ・明るさが今後の社会を作る上で必要じゃないかと思ったのだ。悲劇の恋愛にすると物語的な起伏もあって面白いのは確かだが、性的マイノリティの問題ってそういう風にマジョリティからネタにされるものではないから。問題はまだまだ山積みだけど明るく、希望を持って、そういうものだと描いて、そういうポジティブさで社会を変えて行くのもまた必要なんだろうなと思った次第。

 「無酸素恋愛」は表題連作とは別の短編。若くしてアイデンティティを失うって大変だなあと他人事のように感じた。まあでも、スポーツやる学生は実績出せなかったときのことを早めに考えた方が良いと思う。勉強って結構早い段階で自分が対して頭の良くないことがわかってしまうんだけど、スポーツやってる人って何でそういうのがわからないのか今まで不思議だったし、今後も僕は不思議に思うだろう。自分が空っぽになって他人を求める感覚がわからず、この主人公の気持ちがそこまでわからなかった僕は恋愛に向いてないと痛烈に感じた。
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