2018年5月28日月曜日

「コララインとボタンの魔女」(ヘンリー・セリック監督、スタジオライカ、2010)

 「KUBO」繋がりで見たスタジオライカ作品。
 調べると結構前の作品だったんだな。ストップモーションアニメなのでCGと違い技術に左右されなく、映像美が楽しめる。特に、キャラクターが歩いたりするシーンでは、本当にストップモーションなの? と思えるほど自然に動いていた。

 親から構われず不満を持つ少女が引越し先で怪しい人形を手にしたことで、理想の生活ができる異世界に行くんだけど、当然裏があってどうやって逃げる? というストーリー。登場人物がどいつもこいつもちょっと変な人たちばかりで、こりゃ異世界に逃避して当然かなと思った。良い人なんだけど変人なんだよねー、主人公の親。多少ネグレクト気味で、仕事の都合で友達からも引き離されて引っ越しするはめになった主人公が不満を持つのもわからんではない。とはいえ、どう考えてもヤバそうな異世界に耽溺するのは見ていて辛いものがあった。異世界って目がボタンになっててかなり不気味なんだよね。
 その不気味さはオープニングで少女の人形を解体してリニューアル(?)するシーンで感じ取れるのだが。異世界の冒険でキーになるアイテムも目に関連したものが多く、「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」ばりに目玉が乱舞する作品になるかと覚悟していたら、目が単なる光る石とマイルドに処理されてホッとする半面、石だから手荒に扱われてやっぱりヤバい雰囲気だった。
 そんな少しゾッとする感じが最高潮に達するのが異世界での家族の団らん。現実と正反対の優しいお父さんとお母さんなんて絶対罠だよ……もしくは主人公が見てる走馬灯とかだとハラハラドキドキ。主人公に都合の良いように動き、しかも目がボタンというビジュアルでヤバい感じを視聴者に与えてくれる。

 まあ、結局は子供向けと言うか過度にショッキングなシーンもストーリーもないんだけど、子どもにありがちな現実逃避でしっぺ返しを喰らうという設定は夢もキボーもない気にさせてくれる。いやちょっとくらい幸せな夢見たって良いじゃん……。主人公が異世界の幸せな家族を堪能するのは、単なるおっさんである僕が子供向けのアニメを見て楽しむのと同じだから……。

2018年5月1日火曜日

「レディ・プレイヤー1」(スティーヴン・スピルバーグ監督、ワーナー・ブラザース、2018)

 長いよ。でも退屈になるということはなく、見ごたえがあった。ただし長いしネタが往年のサブカルチャーと偏っているので合わない人には合わないだろう作品。

 個人的には一番気になったのは世界観の方だ。スラムめいたところなのに1日中ゲームに没頭してられる余裕。主人公の育ての父は引っ越しの貯金をゲームに費やしてしまうダメ人間なんだけど、別に引っ越せないからといって生きるか死ぬかの瀬戸際的悲壮感があまり感じられなかった。スラムで育ったはずの主人公ですら割と簡単に通販が行えており、それなりに金があるじゃないか。映画冒頭のトレーラーが縦にスタックする中、主人公が地上に降りるシーンは幻想的でかなりワクワクしたんだけど、物語が展開して以降は全くスタックされたトレーラーは出てこなかった。ゲームの世界はいわゆる普通のゲーム世界なのでわくわく感がない。ちゃんと(映画の)現実世界でアクションしようぜ。
 この「現実世界」、本作でも重要なテーマとなってるんだけど、僕としてはこの映画はゲームに耽溺するのは格好悪いと主張するために作られたんじゃないかと疑っている。だって、出てくるゲーマーはかなり格好悪いもの。Gガンダムのモビルトレースシステムみたいにわざわざ体を動かさないとならないゲームシステム。映画のように第三者から見ると、ゲームを遊んでいる光景はかなり不気味である。
 そしてゲームでロストしたため発狂する社会人や学生共。挙句の果てには悪のサードパーティ企業でスーツを着た中年のおっさんが部下を侍らせ大真面目にVRゲームにダイブ! その悪の企業ではゲーム世界を支配するために奴隷をこき使って……いわゆるファーミングしてるんだけど、それなりに名前が知れてる会社でも特にゲーム世界を支配できてるようには思えない体たらく! 10年ほど前の日本のMMOブームの方がファーミングの害はひどかったと思う。スター・ウォーズの帝国軍じゃないんだから、安易にハン・ソロをのさばらせちゃいかんよ。
 「レディ・プレイヤー1」はこんな感じで設定が薄いんだよね。単に固有名詞を借りてキャラクターを集結させるのではなくて、もう少し物語の根幹から「登場」させてくれれば嬉しかったんだけど。

 もう1つ気になったのは、ゲームのテーマであるイースターエッグ探しがどいつもこいつも単なるシステムでしかないってこと。特に1つ目のレース、誰か試してみる人はいなかったの? イースターエッグを仕込んだ人は自由が好きだったとのことだけど、その意思を継いだプレイヤー共はバグを見つけて道を切り開くようなガッツは受け継がれなかったようで。この点、同じゲーム的仮想世界を描いた傑作「百万畳ラビリンス」(たかみち、少年画報社、2015くらい)とは比較にならない。そういや映画内でもゲームを遊んでた連中は与えられたシステムの範疇でしか遊んでなかったっぽいからなあ。ウルティマオンラインのプレイヤー的な遊びを生み出す知恵といたずら心は消え去っている模様。

 んー、面白く観たんだけど、改めて感想文を作るとなると批判が多くなる。これは、映画としての設定・ストーリーが薄いもしくは駆け足気味である一方で、ご都合主義とか言われる部分を懐かしのキャラ・青春の輝いていたキャラを出すことによって回避をしてるんだけど、当然出ているだけでしかないからであろう(もちろんサブカルチャーに対する愛もあるんだろうけど)。場面場面で見ると面白いんだ。よく見るとこんなキャラが出てる! 的な宝探しの要素もあるし。でも1本の映画としては厳しいものがあった。
 この手の作品で単に「◯◯が出た! 戦った! おもしろーい! でもそれだけー」で終わらせないためには、設定とかをちゃんと作り込むべきだと思った。



 その他細々した感想:
・アメリカ人って有名になったら、そんなに顔を売りたいの? 僕は有名になったからと言って人々の前に出ていって「いえ~い」ってやる文化は理解できないな。
・ゲームの世界ですら対人でVRディアブロ的なバトルゲームやって生き甲斐感じるのってかなりディストピア感満載なんだけど……。アメリカ人ってこういうのに憧れがあるの?
・ゲームバランスをぶっ壊すようなアイテムを作り出してはいけない。っていうか、全くバランス取れてないと思うんだけど、本当にこのゲーム面白いの?
・今まで文句を言ったが、この映画で良かった点はアクションシーンでスローモーションになる場面がなかった(または気にならなかった)ところ。SAT(スローモーション・アクション・テスト:ダサい映画はスローモーションのアクションが入っているのでこのテストを考えついだのだ)には合格した。え、「パシフィック・リム:アップライジング」? 当然不合格だった。
・クライマックスが衆人環視の中で1人用ゲームをプレイするオタク(タトゥーが過剰であまり格好良くないアバター)という地獄絵図を生み出したスピルバーグ監督は天才だと感じた。
・主人公周りでネカマやってる人がいないのはなぜ?