2014年6月10日火曜日

日曜日はロール&ロールステーションのゲーム定例会に行ったのだ

 遊んだのはパンデミックとル・アーブルとゲームマーケットの作品3種。
 ゲームマーケット産は当たり外れが大きいな。正直詰め込み過ぎのゲームもあった。プレイヤーが行うべきフェイズが5種以上だと頭のなかで整理できないことが判明。コンピュータゲームにすべき。あと文字の小ささやアイコンの描き分けは大事だと強く思った。
 ブラフ・推理系のゲームも遊んだ。1つ目は、推理すべき対象がゲームのルールそのもの(プレイヤーにはそれぞれ点数計算ルールのカードが配られる)で、初見じゃわからねえ。っていうか、ブラフゲームは数字とか色みたいな単純な情報だから成立するんだろう。点数計算ルールなんて仮に全部覚えていても頭の中でシミュレートできないからゲームとしては成り立たないなあ。一方、推理系2つ目はプレイヤーが推理する対象が限られているので安心。負けても勝利戦略が見えるので理不尽さは感じられない。

 パンデミックは何というかいつもながらの死にゲーだ。一番最初のプレイヤーフェイズでいきなりエピデミックを引き当てたのは笑った。結局詰んだが、そこそこ長い間持ちこたえられた。

 ル・アーブル。リソースマネージメントゲームってジャンルか(ところでワーカープレースメントとはどう違うの?)。コマを使った本格的なリソースマネージメントは初めてなのでドキドキ。結果は惨敗。まあ、効率プレイがわからないから仕方がないと負け惜しみを言っておこうか。ルールは複雑だけどやってみると遊びやすいのは名作と言われる所以か。

 結局、ル・アーブルとパンデミックのような評価が確立したゲームが面白かった。

2014年6月5日木曜日

これが本当の「おまえが言うな」か。

 本日の日経新聞。
 記事丸ごとはアップしないが、こんなん見つけた。

ドワンゴと角川の合体話。
 記事右下の方の赤傍線部にドワンゴの偉い人のセリフがあって、
「コンテンツ制作者が一方的に殴られ続けている」
とのこと。

 僕もきれいな身ではないが、それでも思った。
「おまえが言うな」。

 ドワンゴはやたらに政治にコミットしたりニュートンなどと教養番組作ったりして僕もお世話になってるけど、本質的に信用出来ないなと改めて感じた。
 ま、それでもプレミアム料支払いますけどね。

2014年6月4日水曜日

「リライト」(法条遥、ハヤカワ文庫JA、2013)

 うう、続編が出てしまって完全に旧聞の感想文だが。

 「時間改変」ってのが商売文句になるとは、良き時代になったものだと感じる。
(※この感想文書いた当時の心境。とは言え今もあまり変わってないので以下当時のままで書く)
 この手のSFネタが一般化したのはやっぱラノベ・エロゲのおかげなんだろうな。
 その性質上内容はネタバレになるのだが、僕がこの本を読んで感じたのは内容とは異なる部分だった。もちろん作品自体は面白い。なぜ事件が起こり、解決はどのようにされるのか。描写される内容はどのように真相に繋がるのかが過不足なく書かれており、読後に伏線と思わしき部分を何度か読むほどだった。

 それくらいには面白い、面白かったのだが……正直時間SFモノは面白い作品にはなり得ても傑作にはならないだろうという感覚も抱いてしまった。

 タイムリープでありがちなのが、時間旅行者が移動先の時間で過去/未来の自分と出くわした時どうなるかという問題だ。時間モノジャンルでもこの処理はバラバラで、目を合わせると時空間が吹っ飛んだり、時間を超えるのは精神なので過去の自分の体を乗っ取ったり、そもそも時間を超えるとパラレルワールドに飛ぶので問題自体が発生しなかったりとバラエティに富んでいる。タイムリープものの面白さの1つはこの異なる時間軸の自分と会わないようにする努力であり、ここをいかに設定するかで時間旅行者の行動を任意に制限をかけられるのだ。
 つまり、約束事が物語の大きな部分を占めており、面白さに直結するジャンルといえる。さらにミステリー仕立てであればその約束事が終盤になるまで読者からは見えなかったりする。今作もそうだった。
 そのような「ルール」の小出し・後出しってミステリー愛好者とは相性が良くないんじゃないかなと思う。当たるか否かはともかくとしても、世界のルールの探求や真犯人への推理を楽しみたい人たちだから……。正直、この本を読んでて僕は途中から単に物語を追うだけになってて全く何も考えることができなかった。

 まあ、これは僕の感性の問題で、ページを捲るたびに今作の時間改変の考察を行い最後のどんでん返しに驚いた、みたいな人だって当然いるだろう。でも、僕はそんな良き読者ではないので受け身になって読むには面白いのだが、能動的には読み辛い本である。
 ちなみにここまでミステリーとしての側面を意識的に書いたが、SFとしてどうなのかと問われると、良くも悪くもないレベル。タイプワープの設定はおおむねオーソドックスな内容である。鏡明氏の「不確定世界の探偵物語」みたいな度肝を抜かれるようなものではない。ちなみに「不確定世界の探偵物語」を読むと客観としては警察とか推理とか調査というシステムが崩壊しているように思え、ミステリーが成り立たなさそう。だから一人称で書かれたのだろう(そして一人称なら叙述トリックが使い放題にはなるのだが、僕は叙述トリックミステリーはそんなに数多く読みたくないな)。

 それで冒頭の時間SFモノは傑作になれないという結論に至る。

 今作は結局、タイムトラベルと聞いて読者が想像する知識を前提としており、その中で作者が一定範囲でルールを操ることで、ラストの衝撃を演出する。もちろんどんな小説も読者に何らかのリテラシーを要求するってのは当たり前なのだが、それでも例えば時間移動系の作品は事実が確定されていない分、作家の裁量が働きやすいという欠点が見えてしまったのだ。

「MM9―invasion―」(山本弘、創元SF文庫、2014)

第一作 http://tellur.blogspot.jp/2014/07/mm9sf2010.html
第三作 http://tellur.blogspot.jp/2014/10/mm9destructonsf2014.html

 やったぜ、みんな大好きMM9の続編が文庫になった!
 ……んだけど、主人公が若者か。僕は全く作品の概要を仕入れてないから読み始める前は設定的に大丈夫かと感じた。
 前作のMM9は登場人物が社会人ってことで人間的な成長をする必要がなく、純粋に怪獣と関われたのだ。
 でも今作は学生。知識も体術も持ち物も専門家集団の気特対にかなわないけど大丈夫か。
 また、今作って要はウルトラマン。ウルトラマンシリーズの怪獣って時代が新しくなるにつれ〇〇星人の1尖兵みたいなショボさになるんだよね。怪獣小説とウルトラマン型ヒーローって相反しそうだけど大丈夫か。しかもウルトラマンってテーマなら小説界隈では小林泰三氏(「こばやし やすみ」って読むんだね。「たいぞう」だと思ってた。ごめんなさい)の「AΩ」があって、それとどのように異なるのかが僕の関心ごとだった。


 感想は、作品の根幹を壊してしまってアレなんだけど、やっぱ主人公が高校生なのは辛いね。大人の世界(気特対)に関わるために小細工を弄する必要がある。一番最初の冬眠したヒメに出会う一連の流れなんて警備とか秘密事項がザルすぎる。今どき普通の企業でも外部からのお客さんはロビーでしか会わないぜ(なんとアポのない高校生=亜紀子まで研究室の中に入れてしまうのであった。テロリストだったらどうするんだ?)。前作は細かいところまで覚えてないから後で読み返すけど、この手のくだらなくとも大事なツッコミ部分はなかったと思う。
 それと高校生の年代って小説のテーマ以外に描写すべきものがありすぎて(特に恋愛とか、進路とか)散漫になりかねない。あと恋愛が絡むととたんにチープになるのをクリエイター業の人は覚えておいたほうが良いと思う。今の日本の映画を含めた映像コンテンツが面白くないとか言われてるのは、1つには何でも恋愛要素をぶちこんでしまって、くっついただの別れたので物語を動かして見終わっての感想が「ジャンル:ラブコメ」としか印象に残らないからだ。パシフィック・リムの「ハリウッド映画は主人公とヒロインがくっつくのがノルマだからそうしとくよ」的な投げやり感は、見終わった時は恋愛部分がゴミだと思ってたが、今から考えると怪獣モノの作り手として真面目だったんだなと思わずにはいられない。

 また、出てくる怪獣が前作に比べて少ない(前作5匹、今作2匹。日常会話に字数を割き過ぎだ)。内容的にも怪獣モノというよりもファーストコンタクトものに分類したほうが良いのでは?
 ただしファーストコンタクトにしてもラノベ的なジャンルのお約束を知ってる人向けみたいな省略箇所が多すぎるのが帯に短し何とやら。具体的にはヒメに取り憑いた宇宙人が俗っぽく(這いよれニャル子さんのニャル子を連想した)、90年前に存在しなかった言葉は理解できない描写があるのに秋葉原に対しては比較的ギャップが少ないように見えるのはご都合主義的というか。一騎とヒメと亜紀子の会話のテンポが良すぎるので(そしてヒメに取り憑いた宇宙人の設定を語る必要があるので)リソースがそっちに取られた感がある。

 それで結局、肝心の怪獣描写および迎え撃つ人間どもの姿はというと、今ひとつ。ヒメが怪獣と戦うには自衛隊・気特対がゴミになるような性能の高い敵怪獣を出さなければならず、それってウルトラマンシリーズが通った道なんだよね。今作での気特対は分析にしても迎撃にしても存在感がない。そーもそーも怪獣に対して物理法則が効かない/効きにくいとした時点で、そしてクトウリュウに打ち勝ったヒメをウルトラマンにした時点で人間技術がゴミになるのは避けられなかった。正直、僕はMM9シリーズを、怪獣がなぜ存在できるか・怪獣がもし現れたら今の人類はどのように対処するかのシミュレーション小説(かつて山本氏が批判した空想科学読本のパロディ)として認識していたため、この方向で進むのは勘弁してほしい。
 もしかしたら今後でウルトラマンタロウの最終話みたいにヒメに頼らず単身で怪獣を倒す気特対の勇姿が描かれるのかもしれないが、設定的に今後も科学で説明のつかない2つの存在(ヒメと宇宙人)が人間を見守る単なるヒーローものになってしまうので、正直がっかりした(そういやこの作品は怒れる超人間的な存在とそれを鎮める救世主という宗教界隈でお馴染みの構図がそのまま表れていて興味深い)。
 というか、今後人類が生き延びるには正義のために戦ってくれるボランティア宇宙人か、それとも神話宇宙の徹底的な排除しかないんじゃないの? 物理攻撃が効かない敵がいつ現れるかわからない状況なら人間側でできる手段はその原因(=神話宇宙観)の根絶しか残されていないと思う。

 今作の評価で一番困ったのはウルトラマン的存在の描写がそれこそ前述の「AΩ」に届かないことだ。「AΩ」は終盤まで人間とウルトラマン的存在が会話するシーンがない。さらに超人と融合し怪獣と戦う羽目になった人間の肉体の損耗すら描いていたのに……。両者の設定が違うのではなく、今作の根幹の部分、怪獣に対してはリアリティをもって描いているのに、ウルトラマン的存在(というか、わざと低俗に書くならば「空から落ちてきた正義の美少女戦士」だ)に対してはお約束のシチュエーション・描写になっている部分に拘りの熱差があるのかなと思った。


 SF設定はさすが山本弘氏、という出来栄え。怪獣モノは怪獣という自然には存在できない生物を成り立たせるために怪獣=異世界の侵略者程度の設定で納得せざるを得ないのだが、そこは山本氏、無理のない荒唐無稽さを解説してくれる。個人的にはMM9シリーズの神話宇宙とビッグバン宇宙のなんやかんやは映像としては面白くないので(ただしこの2つの世界観が「混ざり合った」なら映像映えすると思う)、悲しいかな今後の映像作品への影響はないだろう。たとえるならば現実世界に怪獣を存在させる理屈をどのようにつけるかという問いに対してすっごく面白い答えを返されたのだが、別にこの問い自体なくても問題ないんだよね、って感じ。MM9レベルまでこだわりを持って怪獣の存在根拠を求める受け手はそんなに多くないと思うがいかがだろう。
 昔、僕も小説の道を指を咥えて眺めたことがあったが、今作の設定を見せられると本気にならなくて良かったと思う。こんなの勝てないよ。せいぜいが舞台を借りて二次創作が限度だな。
 そうそう、MM9で一番感心したのはその世界観。異様に拡張性が高い。怪獣・妖怪・心霊・宇宙人・古代のホニャララやコロボックルが出てくるメルヘンまで対応可能という万能性は素晴らしい。今作で宇宙から美少女が落ちても問題ない包容力を見せたところで、さあ、二次創作にレッツゴーだ。

 前作が大人の鑑賞に耐えられるウルトラ警備隊とすれば、今作は悪い意味の「あそびにいくヨ!」だと感じた。
 で、調べたら僕は無印MM9とAΩの感想を書いていないではないか!
 是非とも書きますです。