2016年4月20日水曜日

キングスマン(マシュー・ヴォーン監督、Marv Films、2015)

 キック・アスの制作陣が集ったと聞いてある意味で納得した。クライマックス……の一歩手前で厳かな曲が流れ、派手な映像で逆転を演出する。キック・アスのあのシーンも、このキングスマンのあのシーンも、ノリは一緒で、されどキングスマンには笑い出してしまうユーモアも同時に持っている。よく考えると凄惨な光景だがこんなに楽しく描ける制作陣は素晴らしいな、と。
 そもそもこの映画でアクションシーンは売りの1つで、しかも音楽やカットの切り替わりもあいまって何となく明るいのだ。ナイフを体に刺したり銃を撃ってはいるが、流血シーンは最小限なので全然痛くなく、むしろ軽快なダンスを踊っているかのようで笑ってしまう。なんで面白いのかわからないけど、こんな感じの軽妙なシーンを撮れるのはやはり才能なんだろうな。

 映画の内容は古きスパイ映画へのオマージュと時代に即したネタという感じだ。正直、スパイ映画自体全く見たことないのだが、昔のスパイ映画はこんな感じなのか? どちらかというとアメコミヒーロー+ルパン三世的な印象を受けた。「ひみつ道具」という言葉に弱い人は絶対に観るべき。
 監督がイギリス人という先入観があったが、それに違うことなく、定職のない若者・大学という階級・昼間からパブへたむろする男たちとイメージ通りのイギリス人をこれでもかというほど描いている。あとはクラブってやつがあれば完璧だった。キングスマンという組織が(恐らくイギリスの公的機関と同様)基本的には大卒のエリートたちから構成されており、そしていわゆる労働者階級を見下し、ついには敵に迎合する輩も現れる様(少しネタバレ)はイギリスの階級社会に対する批判的な視線が読み取れる。キングスマンにとって守るべき平和というのは自分たちエスタブリッシュが属する社会なのではないかと思わせられるシーンがちらほらとあるからだ。
 そんな中で主人公及び味方サイドは階級的な先入観がない人というお決まりのパターンで、敵側はどれもこれも選民思想を持った方々。ま、2時間の尺であまり深いところまでは描けないよね。物語中の敵はスティーブ・ジョブズ! もとい、アメリカ人のIT企業家。ジョブズというよりもエリック・シュミットの方かも。伊藤計劃の「虐殺器官」のような発想と手段を元に人間は地球にとって悪玉なので人減らしを試みるというデビルガンダムのようなことをやらかす。正直、発想の割には手段がみみっちいしスケールも小さいので、もしや制作陣はアメリカIT企業がとことんまで嫌いなのかなと思ってしまう。普通、もっと国家規模の事件にするだろう!
 もっとも、この映画の設定は結構隙だらけなのでどうでも良かったり。例えば虐殺システムはIT企業家が常に掌紋認証し続けないと動かないのだが、全自動にしろよ、とか。ツッコミ部分をスルーできるかで評価が分かれると思う。

 そして描かれる「あの」シーン! 絶体絶命のピンチの中、敵のシステムを見事に利用した逆転劇のはずだが、威風堂々をBGMにスローモーションで頭を爆発させる(流血なし)ギャグシーンとしたのは狂ってるとしか思えない! ちなみに爆発の煙は人によって異なり、赤とかオレンジとかカラフルで綺麗である。……冷静に考えると頭を爆発させるsimカードを受け込む時に火薬も色々取り揃えたってことだから、敵のIT企業家も狂ってやがる。

 そんなこんなで事件を解決して母親を救いに行く主人公で幕を下ろすのだが、あまりにも紳士的な立ち振舞で少し困惑した。個人的に主人公はスターウォーズのジェダイ社会で言うとオビ=ワン・ケノービ的と思っていて、育ちも良くなく規則を破る人間だと勝手に考えていたので、パリッとしたスーツに身を包んだ紳士っぽい姿は何か違うと思ったけど、まあ細かい話です。

 どこまで本気でやっているかがわからない作品。もしかして本気で全編コメディとして作ってるのか? と思うほど。とりあえずBGMも素晴らしく切れの良いアクションは必見。何度でも観れる。

「12人の蒐集家/ティーショップ」(ゾラン・ジヴコヴィッチ、東京創元社、2015)

 面白い。ブラックとまでは行かないものの、一筋縄ではいかない不思議な読後感。何よりもコレクターの不条理な感覚が再現されている。
 コレクションを集めるというのは最初は楽しいのだが、途中で義務的になり自分の意思では止められなくなる。もしコレクションの対象物に飽きてしまったら、新たに集めずに今まで貯めたコレクションを楽しい思い出として愛でればそれはそれで幸せに暮らせるのだが、集めること自体が目的になっている場合は悲劇だ。なぜ集めているのか自分でもわからずひたすら貯め続けるだけになる。ある意味でこの本に出てくるコレクターはそんな人達ばかり。

 「12人の蒐集家」に出てくるコレクターはある種の人間コレクションをしている。夢や希望、思い出を集めるコレクターは、はっきり言ってこの手の作品では定番だと思うけど、それが11種類も出てくれば圧巻。そして人間をコレクションするという見る/見られる関係の非対称性がコレクションという比喩を越え、例えば男性の女性に対する視線とか(定番だけど)の現実世界へリンクしたものになっている。最終話でそれを(物語を発展させず)あっさりと捨てるのだからコレクターの習性を熟知していると唸ってしまった。何を隠そう僕も今までに色々集めては飽きたら捨てるを繰り返した人間で、最近ようやく飽きないためにそもそも気軽に集めないという解決策を学んだのだ。そんなコレクターの冷徹さ、人間を見る視線の非人間性を描いた素晴らしい作品である。

 中編の「ティーショップ」も面白い。物語に惹かれる終わりのない感覚を端的に描いた作品だ。主人公の女性は物語のお茶というメニューを頼んだことで喫茶店にいる人々から次々にお話を聞かされ、ついには彼女も語り手の1人になるストーリーだが、語られる物語というのがループ構造となっていて読んでて面白い。物語のお茶として語られるそれぞれのお話の主人公と、それを紡ぐ語り部はたぶん性別・年齢が一致しており恐らく語り部の人生が物語のお茶の中でエピソードの1つになっていると想像している。さて、この中編の主人公である女性は、ループしている物語のお茶の中でどのような立ち位置になったのだろうか。読者である我々は続きが気になり……それは主人公の女性が物語のお茶を飲み続けたのと同じなのだ。彼女が物語のお茶に捕らえられたのと同じようにこの中編の続きが気になる我々は確かにこの作品に捕らえられている。もし語り部の1員になってしまったらどのような物語を紡ぐのだろうと考えてしまう作品だ。
 「ティーショップ」は「12人の蒐集家」とは直接の繋がりはないが、物語=語り部の人生そのもののコレクションとして考えると多少は関連が見えてくる。「ティーショップ」で物語の聞き手が語り手に取り込まれたように、「12人の蒐集家」でコレクターはコレクションされる対象の人間に深く関わり、そんなコレクターたちもさらなる上位のコレクターの蒐集物になってしまった。そして「ティーショップ」「12人の蒐集家」ですらこの書籍として客体化されるという入れ子構造になっており、では読者である我々は……という疑問を抱かせてくれる。

 とはいえ単に空想世界のお話として読んでも面白い。何かに似ていると思っていたが、星新一のショートショートの後味である。少し不思議な、幻想的なお話。ただ、せっかく似たモチーフでまとまっているのだから共通点を見出すともっと面白く読めると思いこのような感想文にした。

2016年4月3日日曜日

「ひつじのショーン スペシャル ~いたずらラマがやってきた~」(アードマン・アニメーションズ、2016)

 選り抜き傑作選と新話の合同上映。ひつじのショーン自体は面白いので「ああ、こんな話があったなあ」と懐かしむ目的で楽しめる。

 冷静に考えて、動物を擬人化したこの世界で家畜の売買ネタってなかなかにブラックだなーと感じた作品。
 おとなしいラマを競売所で偶然買うことになったけど、そのラマ3匹は実はとんでもないいたずら好き・・・・・・というか暴れん坊で、何とかおとなしくなるよう催眠にかけて再び競売所で売りに出す、というストーリー。
 人間と同じように動物も感情を持つこの世界でラマや他の家畜を売買するのって大昔の奴隷売買と同じ感じがし、見方によっては相当危うい作品である。それもあって、今回ラマに被害を受けてもあまり牧場主には同情できなかった。ラマが乱暴者とは言え、飼い主の都合で催眠をかけられ売買される奴隷の悲劇といったものを感じてしまったよ。
 また、今回のショーンは空気が読めず自分勝手だった。仲間に迷惑をかけてもそれを感じ取れないいやーな面が強調されており、いつものショーンらしくないなと思った。なお、ストーリーの最初から最後までセリフなしの仕様なので、当然仲間からの抗議も言葉で行われず、ある種の空気を読む才能が必要な映画である。

 あと、これはたぶんうがち過ぎな見方だけど、平和だったコミュニティによそ者がやってきて、秩序が乱されるというストーリーは時節柄今のシリア難民とかをイメージしてしまった。この映画では最後までラマ達と牧場主達はわかりあえなく、解決策は催眠術をかけて競売所に売る(=難民を送り返すに近い)ことだったが、ご都合主義と言われようとこの映画くらいはラマと牧場主が多少は心を通わせる描写を入れて欲しかったなあと思った。もしそんなストーリーだったら、ご都合主義だと文句を言うと思うけど(笑)。