2018年4月24日火曜日

「メカ・サムライ・エンパイア」(ピーター・トライアス著、中原尚哉訳、早川書房、2018/4/18)

 ワタクシ、前作に惹かれてしまい、早速この作品も買ったのだ。それも銀背で。文庫本に小ささは魅力的だが、分冊になるくらいなら銀背1冊の方が取扱いが良くて便利だと思う。

 ともかく、ピーター・トライアスのメカ・サムライ・エンパイア(ナカグロ多いな)、前作が軍人と特高警察のバディものだったのに対し、今作は学園モノになって青春劇に変わった。今まで読んできたのが偏ってたのかもしれないけど、欧米作品で学園モノってかなり新鮮。登場人物も、落ちこぼれの主人公に、悪友に、ヒロイン力の高い優等生に、ごきげんようを操るお嬢様と隙のない作品になってる! そうそう、忘れてたが、当然今作は巨大ロボットに乗って戦うシーンが豊富にある。前作は巨大ロボットのシーン、いらないとまで書いてしまったが、それとは正反対だ! 主人公が巨大ロボットに乗る! 巨大ロボット同士で戦う! 正統派のヒロインがいて敵味方に分かれてしまう! サブヒロインもよりどりみどり!
 日本の深夜アニメフォーマットに限りなく近いんだけど、これ、アメリカでヒットできたんだ……。

 本作では学校と呼べるものは3つあり、最初の舞台はジョックスとナードが出てきそうなコテコテのアメリカの高校、次にスターシップ・トゥルーパーズ的な軍隊学校、最後にエリート士官学校とシチュエーション豊か。主人公の立ち位置も落ちこぼれて挫折(事件発生)→努力と根性で一人前に(事件発生)→経験豊かでそこそこ強い(最後の事件発生)と徐々に強くなる感じ。それでも「最強」と呼べるほどではなく、ラストバトルではある種お荷物だったわけで、簡単に無双をさせないという筆者の決意を感じさせる。ストーリー的には、学校に入って事件が発生して、主人公がそれに対峙して強くなるという形で話が進むのでダメダメな主人公に感情移入してても唐突に強くなった感じはない。むしろリアル世界で取り柄のない人間こそ、今作の絶妙な強くなり方(モブより強いけど、最強チームの中では最弱)に惹かれると思う。

①A・NI・ME!
 キャラクターの配置が深夜アニメを彷彿とさせる。巨大ロボットにしても作中世界の技術にしても映像映えしそうである。とは言え、訳文の関係なのか、キャラクターがかなり類型的なアニメキャラなので実写はキツイかも。
 特に民間軍事会社に入った後は年齢にそこそこバラツキがあるはずなのに、学園モノとしてお約束が踏まえられてるのは面白い。ヒロインも常に数パターン出てきて、彼女らの「属性」通りに振舞う。
 擬似的に三部構成にしてあるためか、ヒロイン・サブヒロインとの関係は学校ごとのシチュエーションが異なる。ヒロインとして丁寧に描かれる第一部、群像劇ながら先生やら親友の彼女が登場しそこに正ヒロインが現れる第二部、第三部に至ってはエリート学園に入学して半ばハーレムに……。
 しかもこの作品はもちろんヒロインとのお話だけでなく、ちゃんと巨大ロボットに乗って戦ってる。前作はなぜか巨大ロボットのシーンが少なく、007的なスパイアクション気味であった。確か前作の感想文では一部の巨大ロボットのシーンはいらないとか暴言吐いた気がする。今作は主人公の成長が巨大ロボットに乗ること、乗って強くなることと同意なので、ストレートに巨大ロボットモノとして楽しむことができる。……その代わり思想面では多少の後退が見られるのだが。

②ナチスVS大日本帝国
 ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン(USJ)というアメリカナイズされた大日本帝国を、占領されたアメリカの地から皮肉な目線で眺めていた前作に比べると、今作は大日本帝国への皮相な視線は見られない。それは、今作がナチス対大日本帝国ってことで日本側が前作ほどには悪し様に描かれてないのだ。USJもすでに長い時が経っており大日本帝国によるアメリカ大陸占領も当たり前のようになっている。個人的には前作のUSJを通じてアメリカの理念を問い直す作風が好きだったので今作でアメリカ的思想が影も形もなくなったのは悲しいけど、仕方がないのか。面白いのは、大日本帝国が意外と徳の高そうな統治をしているのに対し、ナチスは人種差別がひどく総統崇拝者は狂人っぽく描かれていること。ナチスは否定せねばならないが、大日本帝国はそこそこオッケーなのか? イデオロギーの衝突がなくなったため、エンタメ性は上がったが、深さは薄れたと思う。

 先の話に関連するが、もともとアメリカに住んでた白人の様子は描いていない。今作で登場する白人はナチス関連のアーリア人。もちろん主人公の階級が学生だからってこともあるけど、バリエーション豊富なアジア人のラインナップに比べるとわざとだとわかる。USJはアジア系がマジョリティとしてちゃんぽんになって、アジア人にとっては天国みたいな形で描かれるんだけど少し大日本帝国を美化し過ぎな気がする。それとも、現実のアメリカがアジア人差別がひどいと著者が考えており、それに対するカウンターとして描いているのかな。
 ただし描写が少ないけど主人公らの優雅な立ち位置はエリート兵士の卵だからってのを要所要所で書かれる。一般の労働者が出てこないストーリーだから作中の大日本帝国の負の側面は見えないんだけど、前作を踏まえると一般市民にとっては生きづらい社会であり、しかしそれが巧妙に隠されているのが今作での皮肉な視点と言ったところか。そもそも兵士は使い捨てられるシーンが繰り返し描かれ、主人公が強くなっても兵士である以上は所詮は歯車でしかなく、物語の最後に主人公は仲間と共に軍に反抗するんだけど、それすら恐らくもっと権力を持った人の手の平の中っぽいことが暗示される。
 続編は大日本帝国のユートピアを描いて、いきなりドン底に叩き落とす作風になってほしい。作中の大日本帝国はアジア人からすればある種の理想かもしれないけど、天皇への忠誠が必須で、生活は特高に監視され人体実験も行われている世界であるため歪みは広がってると思う。9.11みたいにテロが起こって、巨大ロボットが絡み、最終的にUSJの理念を否定するストーリーを読みたい!

③巨大ロボット
 前作は表紙詐欺で……いや、もうウジウジと過ぎたことを言うのをやめよう。今作は素晴らしいものになったではないか。
 世界観としては巨大ロボットが普通に兵器となっている世界で、戦車とか戦闘機は一切出てこない(と記憶している)。大日本帝国はメカ=巨大ロボットを運用しており、表紙とか見ると二足歩行のように思えるのだが(シルエットを見てガンダムみたいと思った人は多いだろう)、カニ型だったり、カモシカ級(どういう姿だ)やニホンザル級(これもなんなのだ)などとてつもない巨大ロボットが色々出てくる。武器だって剣や短剣、槍の他に分銅や鞭などよりどりみどり。対するナチスはエヴァンゲリオ……ではなく細胞を使用した生体巨大ロボット。作中の描写からは半ば死体を利用したサイボーグのような存在で、表紙を見るとその姿はまるっきりKAIJU。正統派の巨大ロボットものであるこの小説のせいで「パシフィック・リム:アップライジング」が吹き飛んでしまった。ハハッ、残念だったな。
 そればかりではない。この作品は戦争に巨大ロボットが実用化されているという設定のため、シミュレーションや訓練シーンや操作の様子、果ては各人に割り当てられた試作機をカスタムするなど巨大ロボットモノに関連する戦闘以外の要素をフェティッシュなまでに丁寧に書いている。操縦席は頭にあるけど、頭が破壊されたら操縦席が自動的に腹部に退避するため、頭を破壊したら即腹部も破壊する訓練……ってそんなマニアックな設定は必要だったのだろうか。もちろん巨大ロボットファンは喜ぶ。こういう細かな設定を見てると、やっぱりアニメっぽいというか、この手のお約束がわかっている人へのアピールポイントにしてるんだなあと思う。



 総合的な感想としては、ぜひとも読んだほうが良い。できれば前作「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」を読んでからがベスト。ツイッターとかでは最初に今作「メカ・サムライ・エンパイア」を推す人が多いけど、USJの成り立ちや葛藤を知らないままエンタメ性高い今作を受け入れるのはまずいと思う。解説では大日本帝国のディストピア云々と書かれているが、それは前作を読んだ人だから行間から受け取れるわけで、今作単体だと大日本帝国が勝利した歴史改変美少女巨大ロボット学園モノとしか認識できないと思う。
 それはともかく、さんざんアニメみたいだなんだと書いたけど、全体的な印象としてはコアなオタク向けではなく、普通の小説読みを対象にしていると思う。ストーリーは王道で挫折して乗り越えるという流れ出し、ご都合主義的なキャラはいない。上でマニア向けとか書いてたシーンは非オタクにとってはリアリティを出すための要素でしかない。なんだけど、オタクからしたら俺たち向けの匂いを感じ取れるわけだ。かなり巧妙な作品だと思う。

 そうそう、メカ・サムライ・エンパイアも前作ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパンも登場人物の名前の漢字はどうやって決めてるんだろう。なんとなく著者も漢字の選定に関わってるイメージだけど……。少なくともクジラはもうあの漢字の並びじゃないと世界観が感じ取れなくなってしまった。

「パシフィック・リム:アップライジング」(スティーヴン・S・デナイト監督、レジェンダリー・ピクチャーズ、2018年)

 「パシフィック・リム」の続編だ、いえ~い! ……いえーい。 ……いえ……い?
 これが前作のファン(少なくとも僕)の感想である。

 シナリオは前作の感想文でさんざんけなしていたため、正直そこまで期待していなかったが、後述する続編ということも相まってなおさらひどかった。もう1つ後述するが、今作は怪獣と巨大ロボット(イエーガー)とそのパイロットのキャラ立ても不完全のためジャンル映画としても失敗した印象を受けている。

【「続編」という悲劇】
 前作でストーリー的には完全に終わっていたのだ。そこに付け足しても蛇足にしかならない。そもそもなぜ太平洋の裂け目を閉じたのにイエーガーパイロットの訓練をしているのだろう。今作を見終わった後だと、イエーガーを配置しようとしたからそこを侵略者に付け込まれて怪獣が召喚したって構図なので、イエーガーを廃棄すれば良かったのに……という感想しか浮かばない。
 あと、エイリアン3でもそうだったんだけど、前作の登場人物を殺すことで物語を展開するのはやめよう。やめようよ……。
 前作で怪獣とドリフトしてしまった博士が黒幕になるのは捻った展開で面白かったんだけど、黒幕すぎて視聴者へ危機感を与えることが出来なかったのは問題だと思う。前作は何だかんだで地球の危機ということで多少の粗を吹き飛ばす勢いがあった。

【キャラ立て不足感】
 さて質問です。今作で新たに登場したイエーガーは3体ありますが(ブレーサー・フェニックス、セイバー・アテナ、ガーディアン・ブラーボ)、それぞれパイロットは誰が乗ったでしょう? さらに、それぞれのパイロットってどういう経歴でどんな関係だったでしょう?

 この質問に即座に答えられる人はどれくらいいるだろうか。正解はWikipediaの当該項目を参照。パイロットで印象深いのって、主人公であるジェイク・ペントコスト、顎おっさんのネイサン、一応ヒロインのアマーラ、整形外科医の息子、ロシア人の女、怪獣の血を浴びて怪我した男くらいであり、僕はパイロットの半数近くをモブとしてしか認識していなかった。
 前作の場合、ロシア夫婦と中国3兄弟は大破シーンもある上、夫婦や兄弟として認識できるので、人数の割にキャラ立ての不足感は感じなかった。それに対して今作は、そもそも主人公の紹介シーンが長い(と言っても前作と同じくらいだけど)割に、新たなパイロットが大量投入されて余計にモブパイロットの影が薄くなってしまった。前作の主人公ペアを据え置きしちゃいけなかったのかなあ。
 モブパイロットが覚えられない問題に対しては、スーサイド・スクワッドと反対のメソッドで、各パイロットのキャラを立てるシーンを序盤に入れたほうが良かったと思う。時間に余裕があればイエーガーも。今作はジプシー・アベンジャーですら印象が薄いからなあ。アクションフィギュア買うかと聞かれたら、拒否するレベル。
 怪獣に至ってはもはや言葉も記憶も出ない。今作は絶対怪獣映画じゃないよ。今作の怪獣って特殊能力があったっけ?

【設定の破綻】
 これが最大の問題なのだが、はっきり言って設定が破綻しているとしか思えない。イエーガーの肝であるドリフト(ブレインシェイク)なんだけど、前作では夫婦や親子、兄弟の方が心を重ね合わせやすく、前作の感想文で主人公とヒロインがろくなイベントもなくドリフトできたのに文句を言った覚えがある。今作では誰も彼も訓練所で顔を合わせだだけの連中が簡単にドリフトしている。技術の発展? 訓練の効率化? うーん、そういうことにしても良いのだけど、ドリフトに適合するパイロットが少ないからイエーガーを大量に運用できないはずなんだけど、ゴニョゴニョ。
 ついでに最後のシーンもあれだよね。超デッカイ怪獣を倒すのが成層圏からの自由落下。え、これで倒せちゃうの? しかもこれでジプシー・アベンジャー壊れちゃうの? 前作ではバーニアを吹かしてたとは言え、同じ様に空から自由落下するシーンがあったため、ジプシー・アベンジャーってジプシー・デンジャーより脆い印象を受けた。ラスボス怪獣を倒すのといい、もうちょっと創意工夫をだね……。



 と、文句を言っていたらキリがない。偶然、同じ時期に「メカ・サムライ・エンパイア」読んでたけど、そっちのほうが巨大ロボットものとして魅力的だったなあ。そういや「メカ・サムライ・エンパイア」のバイオメカって怪獣としても読めるから「メカ・サムライ・エンパイア」の印象が「パシフィック・リム:アップライジング」を上書きしておる。
 真面目な話、ふと思ったが、もしかしたら「パシフィック・リム」の設定で描ける要素ってもしかしたら1作目の時点で相当消費してしまったのではないかと感じた。パートナーとの対立、パイロットの過去とその克服、ライバルのイエーガー、チーム戦、空を飛べないイエーガーが空を飛ぶ方法、怪獣、カミカゼアタック……etc。「パシフィック・リム:アップライジング」は前作で足りないと不満を言われていたシーンを色々入れたらしいが、自家パロディにしかなってないのが何ともかんとも。ヒロインであるアマーラの過去なんぞ前作の森マコそのものなので、本気でパロディにしているのか偶然似ただけなのか今でも首を捻っている。
 最後に、この作品で僕が一番唖然としたのは、最後の決戦の舞台は東京なんだけど、そこにガンダム像が出てきてストーリーに一切絡まないこと。直前のシーンでイエーガーが破壊されていたため、てっきり実はガンダム像がイエーガーだった! と盛り上げるのかと思ってた。全くストーリーに絡まないあのガンダムの意味ってなんなんだろう。

2018年4月23日月曜日

人生と連動したランス10

 ツイッターでちょこちょこ書いたが、今年の春から公私共に生活が激変した。みんな、プライベートの時間がなくなるとか自由なお金がなくなる、趣味が続けられなくなる、と言う理由がわかった。こりゃ今まで通りの生活は無理だ。僕はUOにお金を払い続けるつもりだが、ログイン時間はほぼなくなったし、今後は今までのペースでは遊べないだろうな。少なくとも有料アイテムの購入はできなくなるだろう。たぶん、こうやって趣味から足を洗う人が多いのだと思う。

 そんな中で僕が幸せだったのは、比較的時間に余裕のあるときにランス10を遊べたこと。ランス10は長い間遊び続けていたランスシリーズ最終作という思い入れもあったのだが、個人的にはゲームの内容と自分の人生がリンクする感覚があり、余計に熱中した。
 特に第二部。ランスの子供がみんなで旅に出て、1人1人の思い出を作り、人生を楽しいものだと学んでいく物語。それが僕にとっては今までの自分の人生を思い出してしまい無常観に襲われるのだ。これからの新しい生活が楽しみでないわけがない。でも、ある程度の歳まで好き放題やってしまい、好き放題やることに慣れた人間としてはなくなってしまうものもまた大きいなあと思う次第。それはどうもお互いにそう思っているらしく、ならどっちも不満は相殺されるから良かった良かった。
 このブログも元々あまり書いてはないけれど、さらに更新する頻度が少なくなるのではなかろうか。実際、4月からアニメは見てないし、読書のペースも下がっている。

 そういう時、ランス10の第二部を何となく思い返して、心を慰める。プレイヤーが操作して進める大きな出来事もあれば、アドベンチャーシーンで数クリックでしか語られない事件もある。それでも1つ1つが「あなた」の……つまりは「わたし」だ……経験した思い出であり、ゲームを越えて現実世界の「僕」が形を変えてこれから経験するかもしれない出来事なのだ。「あなた」とプレイヤーに語りかけたのはルドラサウムを隠すためのシナリオ上のテクニックだったのかもしれない。でも無数のプレイヤーの中で、少なくとも僕は単なるゲーム以上に人生に対する勇気をもらった。僕はあまり人付き合いが得意な方ではないけど、それでも友情って良いなあと素直に思え、今も残っている人間関係を大切にしようと思ったのだ。思いもよらなかったが、サブカルチャーをこのように愛好できるのは幸せなことだと思った。
 まだ全てのイベントを見てないまま新しい生活に入ってしまったが、次に遊べるのはいつなんだろうか。

2018年4月10日火曜日

民泊の思い出

 もう10年以上も前、学生の頃にオランダに1人旅行をした。
 細かい日付は忘れたが、4月のある日で女王の誕生日だった。当時はユースホステルを常用しており、当然ユースホステルも取れず、現地で探せば良いと考え、そのまま行ってしまった。
 当然、宿が取れず、途方に暮れていたところに現地の人の家に泊まったのだ。近年報道される民泊のニュースを見て、こんな記憶が甦ったので忘れないようメモしておこうと思う。

 アムステルダム初日は夜、宿が取れなかったため、レッドライト街で1晩過ごしたと思う。駅で野宿(というか駅泊)できたかは定かではない。3泊くらいの旅行を計画していたため、初日は何とかなったが2日目の夜が大変だった。
 そんな中、2人組みの男に出会った。見るからに怪しく、欧州系とは思えない外見で、英語もイントネーションが独特だった。もちろん当時も今も僕は欧州系の外見なんて知らないも同然なので、特に当時はそんなことは気にしなかった。英語だって、オランダは英語ネイティブの国ではないし、訛りがあっても気にならない。とは言え、ホテルに勤めてないような服装で「Hotel?」と客引きをする姿はまともな商売じゃないんだろうな、と思わされた。
 それにも関わらず彼らの「ホテル」に泊まったのは、さすがに2晩続けて徹夜は辛かったためだ。今では考えられないが、当時は僕も若く無謀だった。思い返せば、自分なりに警戒したとは言え、よくもまあ何も盗られず命も無事だったろうと思う。

 彼らの「ホテル」は普通のアパートの1室。家具は備えてあるが、使うのが怖く、ベッドで寝ただけだった。それももしかしたら何か盗られたりするんじゃないかと思いながら。当然寝不足で頭痛がする中、宿泊代はユースホステルの2倍くらいを請求された。泊まるときに予め聞いておけば良かったなと思いながら支払った。正直、受けたサービスに比べて異様に値段が高かった。今から思えばこれが民泊の走りだったのだろう。

 そんなこんなで3日目だが、観光どころではない。3日目も宿が取れず、夜ハンバーガー屋で佇んでいると、店内にいた1人の男性から声をかけられた。学生である僕より年上だったが、若々しく、昨日の2人組みのような怪しい雰囲気は出していなかった。
 適当に世間話をしつつ
 ――どうした、どこに泊まるんだ? 泊まるところがないのか?
と聞かれ、Yesと言ったところ、じゃあ自分の家においでよと言われて、ついて行ってしまった。前日、半ばボッタクリのような民泊に遭ったにも関わらず。無謀さって怖い。

 彼は芸術家だったらしい。名前は忘れてしまったが、彼の家に入ると彫刻とかがあった。彼は僕をもてなすため、馴染みの店に連れて行くという。せっかく泊めてもらったので、ありがたくついて行ったら、そこは何とゲイが集まる店だった。
 どうやら彼はゲイらしい。もちろんお店に入った1階は普通のバーで、ゲイビデオが放送されているのを除けばロンドンとかにあるバーと変わらない。ただ、どうも2階はゲイが出会うそういう空間らしい。僕自身はストレートではあるものの、そこまで偏見がないつもりだったのだが、頭でそう考えていても突然のことでフリーズし誰とも話せなくなってしまった。彼はしばらく友達と会話していて、やがて僕の姿を見て、どうやら僕が完全にストレートだと気付いたらしい。たぶんまだ夜は早かったものの、僕を連れて帰った。今から思うと別に危ないわけでもないのだから、僕はもっと他人と交流すれば良かったのだ。

 翌日彼とは分かれた。彼はお金も要求せず、本当に好意で僕を泊めてくれたのだった。
 たぶん、世間の中でもとびっきり優しい人だったのだろうと今では想像できる。彼としても、どこの馬の骨ともしれない観光客を泊めるのは勇気がいただろう。

 僕はそれからというもの民泊のような宿は利用せず、今後も民泊に泊まる気はない。「民泊」というとビジネスライクな響きがあるが、上で書いたような怪しさや欲望がつきまとう印象が強いためだ。僕自身はそのようなリスクを受け止める覚悟はできていない。