Tellurは、……現在色々物色中です。

「おうむの夢と操り人形 年刊日本SF傑作選」(大森望編、創元SF文庫、2019)

2019年9月30日  2019年9月30日 
 このシリーズも今巻で終わり。結構当たり作が多かったアンソロジーシリーズなので寂しい。ラストなので丁寧に読み込もうと思いつつ、集中力が切れた作品はつまらないと思ってしまうのだ。
 始めの「わたしとワタシ」(宮部みゆき)はSF的にはタイムスリップなんだけど、人工知能かなんかによる過去の自分の模写との対話と表現したほうが実態に近い。だって過去の自分が未来にタイムスリップしたなら、未来の自分(=現在の自分)が覚えていないほうがおかしいもん。このタイムパラドックスを回避するために色々な作品で平行世界だとかタイムスリップで経験したことは元の時代に戻ると忘れてしまうとか理屈を付けているわけで、そこらへんの努力すらない今作は時間旅行モノとは認められないな。そんなわけで過去の自分が過去から見た未来である現在の自分に色々文句を付けたり幻滅したりするのを、年を経た現在の自分が若いなーと朗らかな気持ちで眺めているストーリーと要約できる。そりゃまあ20年ほど前の自分なんてもう赤の他人だからね。僕だって20年前の自分の行動や考えを思い出してしまいなんでこんなことしたんだろうとジタバタするときもあるし。SF的なテーマは自分というものの非連続性、かな。個人的には日常によく似た異世界の品が紛れ込んでいて、間違えてそれを手に取ると異世界に移動する描写は手垢がついているけどやっぱりワクワクした。
 2作目の「リヴァイアさん」(斉藤直子)は少し不思議な生き物をテーマにした作品である。ちなみに「わたしとワタシ」と共に女性一人称文体の作品であり、その対比が面白い。「わたしとワタシ」はセルフツッコミ要素が薄く、文体にギャグの要素はないが、この作品は地の文(主人公の思考)が実際に声に出されている描写からギャグ寄りである。まあ、その手の設定も今はありきたりであり、他の登場人物が地の文にツッコミを入れるギミックが面白かったのも最初の数ページくらいだったんだけど。スカイフィッシュという空を泳いで化学製品を食べる生き物が実際にいたら面白いだろうな。
 「レオノーラの卵」(日高トモキチ)は幻想小説っぽい作品。登場人物の行動やストーリーはわかりやすいんだけど、なぜ登場人物がその行動をとっているのか、目的がよくわからなかったので当惑してしまった。ネットで感想を見てると僕以外の人はそこそこ大丈夫なようで、この感覚は僕だけのものなのかもしれない。顔見知りの女性が産む子供(卵)は男か女か、いやどっちでも良いじゃん。ところで、卵を生んだりする世界で男と女だけしかいないの?
 「永世中立棋星」(肋骨凹介)はマンガ。AI将棋棋士という存在についての作品。多少AIの擬人化が過ぎている気がするが、それでも十分不思議感があった。
 「検疫官」(柴田勝家)は物語が悪しき感染症とみなされた国を描いた作品。正直、最初は「物語」というのが単に神話や小説やマンガなどの創作物を対象としてるだけだろうとバカにしながら読んでいたのだが、あれよあれよという間に記憶だとか体験だとか因果を結びつけてしまう人間の認知能力だとかまで話が膨らんだだめかなりしっかりした作品だと思えるようになったのだ。物語を生み出さないよう名前などの固有名詞すら生まれた通りなど意味付けを回避しようとするも、そのことがかえって物語化してしまう矛盾を見事に描き出している。そして物語を忌避する人たちすら気を抜くと憶測という形で物語を生み出してしまうし、物語を取り締まる仕事に長く就いていると物語に汚染される。この作品はディストピア社会を描いた正統な作品なんだけど、一般的なディストピアとは異なり、物語を排除する動機というのはそれなりに説得力があるんだよな。現実の世界を見ても物語は人々を扇動し嘘を生み出し古き理不尽な制度を温存する。それも含めて人間社会ではあるのだが、時々物語が嫌になるような人たちに、息抜きを与えつつ物語を排除することが不可能だと教えてくれる今作は非常に素晴らしい作品だと思う。ちなみに検疫官が名をつけた子供が、その検疫官が心を壊し酒に溺れている頃大統領になることに因果関係を見出すことこそ物語に感染していると言える。
 「おうむの夢と操り人形」(藤井太洋)は現在・現実に存在するロボットとAIを少し発展させてみた世界をリアルに描いた作品。この作家は「NOVA 2019年秋号」に収録された「破れたリンカーンの肖像」のような空想世界も描ける上、「行き先は特異点」のような極めて同時代性の高いリアルな作品も描ける人だと認識している。もっとも、あまりにも同時代性が強すぎて数年後は古びており、20年くらい経って過去を思い出すため再評価されるような感じがあるのだが。テーマ的にもオチも面白いんだけど、今すぐに実現しそうなリアル感がたまらない。小説としての面白さというより、優れた企画書内のシナリオを読んでいる気分になる。ペッパーくんと搭載されたAIが社長になる日も近いのか!? 実際、ロボットやAIを無理に人間社会に合わせるより、人間がロボットやAIに合わせるほうが良いというお話は山形浩生氏も語っており(確か人間はロボットの掃除役になるとか)、その思想を企画書に書かれるようなストーリー仕立てにした作品という印象を受けた。
 「東京の鈴木」(西崎憲)は「検疫官」で描かれた物語ることについて描いた作品だと理解した。ストーリー的には、「奇妙な予告があり、その後予告に関連すると思われる奇妙な事件が起こる。そんな流れが数回続き、ある日ピタッと止まる。その後、模倣犯が現れることを示唆する」というお話。作品内でも予告と事件の間の因果関係は匂わすだけに留められており(ただし短編なので予告と事件しか描かれておらず読者から見れば関係しているとミスリードさせられるけど)、何にでも因果関係を見出したくなる人間の本能を上手に描いていると思う。とはいえ僕が理解したこのテーマなら、中編または長編にして様々なジャンクワードを並べてもうちょっと予告と事件の因果関係を薄めるほうが面白かった。このへんてこりんな事件と曖昧な結末の読後感、何かに似てると思ったら、奇妙なお話系のホラーだ。
 「アルモニカ」(水見稜)は歴史上の人物が行う音楽療法が治療効果があるのかみたいな問題をあっさり目に描いた作品、なのか? 幻想風味の入った作品だが、僕は単純に治療効果があるかないか的な作品としてしか理解できてない。こんなお話に近い歴史があったんだねー、と。
 「四つのリング」(古橋秀之)は伝説の名作「百万光年のちょっと先」の1エピソードみたいな作品。みたいというか、1エピソードなんだけど。僕は「百万光年のちょっと先」が好きだから(感想文書いてないけど)、この短編を読めてよかった。
 「三蔵法師殺人事件」(田中啓文)は……まあいつもの田中氏だね。「宇宙サメ戦争」を読んだ後なのであまりにも読後感が同じでびっくりした。田中氏のギャグ作品を読むときはある程度日にちを空けたほうが良さそう。
 「スノーホワイトホワイトアウト」(三方行成)はこの程度? という感想。「トランスヒューマンガンマ線バースト童話集」が大絶賛されてたのでいつか読みたいなと思ってたら、今回読む機会ができたのだが、思ったより普通。白雪姫を元にしているらしいけど、白雪姫である必要はあるの? という感じで、白雪姫関係ない小説とするとストーリーを進ませる面白さがイマイチ足りない。ジャンルは異なるけど、童話を元にした作品なら「断章のグリム」みたいな見立てと解説的なことは様式美としてやってほしいなと思った。
 「応為」(道満清明)は今アンソロジー2作目のマンガ。ワニマガ時代より少し清いけど相変わらず笑いどころに緩急あって面白い。ひたすらギャグを詰め込む「三蔵法師殺人事件」も面白いけど、表立ってギャグだと言わずボケ倒す「応為」の方が僕は好きだな。
 「クローム再襲撃」(宮内悠介)はたぶん面白いんだろうけどイマイチ乗れなかった。ごめんなさい。としか書かないのもアレなので、僕がそう思った理由を書くと、SF的なガジェットが地味で世界観に馴染んでいるので派手な読後感でないこと。ストーリーも僕はそこまで興味をそそられなかったため、こんな感想になってしまった。
 「大熊座」(坂永雄一)は半ばファンタジー作品。人間(?)が火を使えず、熊が火を使えるようになったことが読みすすめるとわかるのだが、半ば童話のような雰囲気から「……それで?」と思ってしまった。
 「「方霊船」始末」(飛浩隆)はすっごく面白い! 中国とか韓国っぽい科学の発達した漢字エキゾチック世界で、女学生が異世界から来た(と言っても作中ではごく当たり前の出来事らしい)女学生と出会い、異質な文化に触れてハマり、事件を引き起こした顛末を数十年後から回想するっていうストーリー。回想している今現在とかインタビュー形式の文体とかは正直どうでも良くて、描かれる異世界の文化(神話)とテクノロジーが魅力的だった。仮面を被ることで神話の登場人物になりきり、神話を演劇で再現する。作中の断片的な描写から想像するに、その演劇化された神話はおそらく特撮モノ! いや、怪獣だとか電送人間とかガス人間と言った単語がバッチリ出てくるのだ(なお、「電送」や「ガス」などの漢字は変えられている)。でも本当にこの作品がすごいのは、単に特撮が神話だったというアイデアを小説にしたら普通はパロディ小説にしかならないと思うんだけど、この作品は「ウルトラマン」などの毎週敵を倒すというエンターテイメント性を西遊記のような毎回敵を倒す神話性と読み替えているところだ。すごい! で、調べてみたらこの作品は長編「零號琴」のスピンオフらしく、「零號琴」自体同じようなノリで日本のサブカルチャーを作中の神話化するような作品らしい。単行本らしいけど、読まねばならないか。
 「幻字」(円城塔)はごめんなさい、集中力が尽きて読めなかった。独自の文字とかの話だから面白いはずだけどイマイチ入り込めなかった。どうも僕は円城氏の作品とは合わないっぽい。
 「1カップの世界」(長谷敏司)はどこかのアニメの前日譚らしい。病気のためコールドスリープに入った少女が未来の世界で覚醒し、常識も技術も元いた時代より異なる中、思春期的潔癖性から疎外感を強めて世界を滅ぼすことを決意する(?)ストーリー。世界を滅ぼすことにしたかどうかは定かでないが、僕はこの主人公なら世界を滅ぼそうとするだろうと思った。まああれだね、コールドスリープしたのがそこそこ社会を経験した大人だったら浦島太郎状態で古代人扱いされながらも生きていく術を見つけられたと思うんだけど、まだ若い少女でそのくせ何でもできる資金を手にしちゃったものだから癇癪を起こして取り返しのつかない方向へ走ってしまったのだろう。IT技術が廃れやすいことを面白おかしく描いており、常識も技術とともに大きく変わり、そして未来人であっても過去の常識を理解することは難しいことを短いながら上手く書いている。目覚めた時代の人々は勉強不足だけどそこまで悪意がなく、そして少女ももう少しその時代の常識を身につける素振りを見せておけば楽しく暮らせたのになあ。
 「グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行」(高野史緒)はSFというにはノスタルジックな作品だな、序盤に出てくる量子コンピュータのガジェットも似合ってないなと思っている中で、特に世界の存続に関わったり人類の進化に大きく影響するわけじゃないのだけど、不思議な出来事が起こりましたあれは何だったのだろうと思い返すような作品で、よくよく考えてみたら怪談話だと思いあたった。そういや昔の飛行船が見えるという話のつかみからして幽霊話ではないか。そして量子コンピュータが導く死者の語りかけ(原理は平行世界でもなんでも良いと思う)を経て現世に戻ってくる流れは行きて帰りし物語なんだなあと思った。現代のはずだけど何となくレトロな雰囲気が独特。
 ラストの「サンギータ」(アマサワトキオ)は最近いろんなところで読む仏教SFの1つ。「プロジェクト:シャーロック」の「天駆せよ法勝寺」と異なるのは、「天駆せよ法勝寺」は舞台が宇宙? だけど「サンギータ」は現実に近いネパール。1つだけ現実と異なるのはバイオハックという生体改造技術が一般的になっており、これを用いて獣人のようにケモノ耳を生やしたり尻尾を生やしたりしている人が多いらしいこと。たぶんその気になれば腕や脚を増やすことも可能っぽい。この技術を使って、単なる信仰の対象でしかない少女が経典に書かれている女神の特徴(ケモノのような肉体を持つ的なアレです)をその身に実現させようとし、神性を取り戻そうとするのがストーリー。中盤くらいまでは実は本当に少女が仏の使いで、手術後は超常の力を発揮できるのかと思っていたが、実はそんなことはなかったのが最高に面白い。ネパールという日本人にとってはエキゾチックな文化と仏教という感覚的に想像のつく世界観にねじ込まれるバイオテクノロジーの西洋性。それまでさんざん神秘的な雰囲気をかきたてていたのにあっさりと霧散させる女神の神性。面白い。ちょくちょく出るバイオハックを受けた市民がゲテモノ大集合な感じで楽しかった。


 総合的にやはり面白いアンソロジーだった。読む前は分厚いな、多いなと思っていたが、読み始めるとどんどん読み終えてしまう。かつては毎年この手のアンソロジーを買うのも義務感を感じて疲れていたが、終わりが来ると寂しくなる。今作が最後になってしまって悲しいけど、今後は河出文庫のNOVAを楽しみにしろということか。
 なお、僕は毎年毎年集中力が切れて内容が理解できなくなる作品が2つ3つはあって、だからあまり好ましい読者ではなかったかもしれないが、ここ数年は絶対に買ってて良かった・新しい世界が見えたという作品にも出会っていた。これがアンソロジーの特性であろう。
 編者も作者も編集者も皆さんお疲れさまでした。また復活したらついていきますです。
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