2010年8月28日土曜日

なんでもスパロボの新作が発表されたらしい

風の噂にて。
参戦作品は可もなく不可もなく。いや、最近の作品がわからないからだけど。
某ブログとかでは種ウゼエとか言われてるけど、別に……。
個人的にはそろそろUCから脱却する時分だから歓迎すべきことかな。腐っても種・運命・諸々の外伝と作られたからボリュームはたっぷり。
携帯ゲーム機でもトップを狙えとか出てほしいなあと思うけど、エヴァが来たから良しとしようか。
ストーリーはどうでもいいや。

2010年8月22日日曜日

「夜露死苦現代詩」(都築響一、ちくま文庫、2010)

†「庶民感覚」と「専門バカ」。そして知ったかぶりをする庶民と専門家を非難する庶民

 最近の敬語の特徴として「ら抜き」言葉があった。うん、すでに古いよね。まあ今時これを間違っているとかで対面で愚痴愚痴言われることはないと思うけど、どうも必ずしもこれって間違っているとは言えないらしいってのをどこかで聞いた。日本語の尊敬語は受身と同じ活用だけど、「ら」ありだと可能形と混乱するらしい(e.g.「見られる」=受身・可能・尊敬。「見れる」=可能のみ)。だから「ら抜き」も正しい日本語の進化として認めても良いんじゃね? ってのがその時話していた人の主張だった。ふーん。マスコミとかじゃ一方的に「ら抜き」が間違っている風だったけど、話はそこまで単純じゃないんだね。庶民は意外と専門家ぶりをしたがるっぽい。

 「夜露死苦現代詩」は庶民の詩を大切にしている。今や「詩」は限られた人が内輪向けの代物をもてはやしているが、その外で僕たちは自分たちの心にフィットした詩を作ってきたのだ。珍走団しかり、客引きの前口上しかり、エロ川柳や誤変換までも。もっと玄人共は庶民感覚を大切にするべきだ!
 でもこの構図って今じゃよく見る光景だよね。ゲームもゲーオタとライトゲーマーが対立したり(まあ、ゲームはハードの能力アップというわかりやすい指標があるから別としても)、音楽だって芝居だって小説だって映画だって、玄人好みのよりも「普通」で「わかりやすく」て、されど「何か語ってる」っぽい作品の方が大衆受けするよね。ベストセラーを自称本読みが鼻で笑う光景なんてよくある話。うん、僕のことか。まあでもそれって裾野が広がっているだけであってね。
 一方で、この本に顕著なんだけど、ある程度知っている人は玄人好みの作品を「庶民感覚の欠如」とか批判するけれど、それって妥当なのかな。いや、玄人作品への信頼が根底にあって、それでアンチとして言ってるだけだと思うんだけど、でも真に受ける人がいたらやっかいなんだよね。特にネットに多そう……。
 僕の考えだけど、玄人好みの作品の意義は表現の範囲を広げるためなんだよね。いや、現代詩では庶民こそが色々な素材を使って表現してるっぽい? この本を読むとそう見える?
 それは違うんじゃないかな。それは、現代詩の場合だけど、言葉を庶民も使いこなしているだけであって(歴史的に見れば庶民も言葉を使いこなせる時代になったのだ!)、表現の範囲を広げていない。100年待っても散文詩なんて出てこないし、歯が痛いをネタにしたラリった言語感覚の詩を作ったりはできないと思う。
 玄人作品はそのジャンルの持つ形式を破壊し、表現を広げようとするんだよね。そして破壊したことを周知させる。この、「夜露死苦現代詩」だって先人たちの破壊のあとでいろんな物を「詩」として認めてるんじゃないかな。それこそが前衛芸術と呼ばれるものなんだろうね。

 最後に、障害者(神経系)の詩を紹介してたけど、一般的にはそれってアウトサイダーアートと呼ばれて、玄人こそが好んでたり評価してたりするよ。念のため書いておこう。

2010年8月18日水曜日

「そこはぼくらの問題ですから」(桂明日香、太田出版、2006)

 太田出版って僕にとっては買いにくいのだ。一方では駕籠真太郎みたいなマニアックな本もあって、そしてもう一方はオノ・ナツメみないな非マニアックがある。あ、ちなみにマイナーとメジャーでないことに注意。あくまでもマニアックか否かで。
 で、「そこはぼくらの問題ですから」なんだけど……マニアックな本で良いよね? 一応撲殺天使ドクロちゃんとかそっち方面のネタも多いし。内容も内容だし。
 そんなわけでストーリーは、変態と普通のカップルのスラップスティック。非常に省略したけど内容は間違っていないはず。

 まあ、僕が今まで読んできたラブコメって高橋留美子のめぞん一刻~らんま1/2までと、あとはちぇりーそふとなどのエロゲかな。すっげえサンプル数が少ないことをわかって書くけど、

ラブコメってカップルの心の距離が近くなって終わりな作品って多すぎないかな。

 何というか「色々あったけど、彼ら彼女らはお互いのことが理解できて二人は末永く幸せに暮らしました」みたいな終わり方なんだよね。終わり方が綺麗過ぎると言っても良い。いや、だから僕なんかは感動するし、泣いたりする作品も多いんだけど、それってそとから眺めているから美しいんだよね。二人は末永く~テイストの作品って微妙に二人の問題が解決されなかったりするからねえ……。

 それに対して「そこはぼくらの問題ですから」ははっきりしているんだ。二人の距離は開いたまま。お互いを少しは理解したかもしれないけど、でも歩み寄ってはいない。絶対的な他者なんだよね。でも僕はそういう関係に憧れるんだよな、変態性を除けば。
 たぶん今後も二人は些細なことで喧嘩するかもしれないけど、それを乗り越えることができそうなんだ。それが「そこはぼくらの問題ですから」の素晴らしいと思ったところかな。

2010年8月17日火曜日

ブルーマンショーに行ってきた

ブルーマン

 結構テレビCMで有名だったらしいけど、僕にとっては劇場で見るのが初めて。事前知識全くなかったからすげえ楽しめたよ。
 仏頂面でドラムに顔料入れて、黄色とか赤とか紫の霧を吹き上げる広告で興味を持ったのでそのシーンが出てきたときは大興奮したね。音楽も迫力あったし。今までこの手のパフォーマンスものを見たことなかったんだけど、他のライブとかもサーカスみたいに芸とか電飾服着たりとかするのかな。本当に観客の目の前で芸ってできるんだねーと変なところで関心した。
 僕が一番驚いたのは、ローカライズされているところかな。背景の漢字とか、ナレーションとか、小ネタも日本人が知っているネタを持ってきていたね。
 それから観客も巻き込んでのパフォーマンスで、客の1人を舞台に上げて色々いじるんだ。あのライブ感がやっぱりその場にいなければ味わえないんだなーと思ったよ。
 まあ個人的に口を使った芸はコーンフレークとマシュマロが嫌悪感を感じてしまったからアレだけど。でも体色が青だからそこまで汚くは思えなかったね。
 ブルーマンってやっぱり常に青インクを塗ってるんだよね。確かブルーマンのペイントが服につく云々って言っていたから。
 途中、証明が激しく点滅するシーンがあったけど、あれが少し僕は苦手だった。

 最後に、トイレの逆流をインタラクティブと呼ぶそのネタは素晴らしいと思います。

2010年8月16日月曜日

「現代語裏辞典」(筒井康隆、文藝春秋、2010)

 つい最近のことだ。会社の近くの丸善で本を物色していた時のこと。文芸コーナーに野球マネージャー本があって、堀江貴文と藤原正彦本が両隣にあった。その側に「現代語裏辞典」があった。
 筒井康隆の本を読むのは久しぶりで、今はどんな立ち位置の作家なんだろうか。僕の知っている頃は前衛作家という印象があったので(だけど2000年代だから、その僕の認識も時代遅れではある)、今の「巨匠」的扱われ方からすると本人にとって幸せなのかなあ。
 で、「現代語裏辞典」。辞典型風刺というのだろうか、今勝手に僕が作ったネーミングだけど古きはA・ビアスに始まってちょこちょこと傑作が出たりするジャンルだ。一般的な辞書に見せかけて皮肉とか風刺とか、ひたすらおふざけを書き連ねる本だね。個人的には、それを大真面目にジャーナリスティックに行うと、モネスティエの「大全」シリーズになると考えているがそれはどうでも良いや。
 もともと僕もA・ビアスの「悪魔の辞典」が好きだから、「現代語裏辞典」は名前を見ただけで「悪魔の辞典」系の作品だとわかった。著者が筒井康隆でもう、ビンゴ。それで読んだのだけど……。

 うーん。うーーん。
 どうしよう。
 ネットで検索すると面白いと言っている人が多いしなあ。
 僕にとっては「悪魔の辞典」の思い出が濃すぎて素直に楽しめなかった。いや、もっと言うとつまらなかったんだ。項目1万語以上あります! はうれしいのだけど、多すぎて説明が短い。週刊アスキーとかファミ通とかの大喜利ライクなネタ集に成り下がっているっぽい(そういえば週刊アスキーにはデジタル用語を解説する連載「松井のおもしろゼミナール(松井のIT用語)」"松井英樹" というものがあってだな。内容的に毒のない「現代語裏辞典」なのだよ。つまりそれこそ本当の内容自体はともかくとしても、外見が週刊アスキーレベルになってしまうということで。だからこそA・ビアスが偏執的に用意した濃すぎる例文が光るわけだ)。
 これって辞典を辞典せしめている要素がないんだよね。その言葉が名詞なのか形容詞なのか、それとも副詞? 活用は何? 用法・例文・類語などは? そして50音の見出しがないのもダメ。
 それらを書かずに言葉の説明に終始してしまっている感じが拭えなかった。僕の今言った要素は「悪魔の辞典」そのものの特徴なので、差別化をはかろうとしたのかもしれないけど、僕にとっては辞典ものに必要なリアリティを欠かした内容になってしまった気がする。
 特に僕にとって致命的と感じたのは例文がなかったことだ。上にも書いているが、語句の定義と例文が辞典としての肝だと思っている。その定義が短い上に(ついでに筒井康隆の本を知らないと楽しめないネタも出てきているし内容は……いや、ここでは語るまい)、例文が皆無。どんな文脈で言葉を使っているのだろう。どうして面白いのだろう。なぜわざわざこんな定義としたのだろう。その欠如こそが「現代語裏辞典」の問題点である。何度も書くが、A・ビアスはなぜその言葉にその説明を当てはめたのかを証明するためにわざわざねちっこく例文を描写しているのである。
 ただ、「悪魔の辞典」は何だかんだ言っても古いのだ。そしてキリスト教の影響がプンプン漂っている。日本に合った現代風の「悪魔の辞典」を読みたければ是非どうぞ。決してA・ビアスの「悪魔の辞典」と読み比べないこと。

 ところでレビュアーの人たちって「悪魔の辞典」と比べたりしなかったのだろうか。一応筒井康隆は「悪魔の辞典」の翻訳をしてるっぽいし、「悪魔の辞典」自体有名だと思うんだけどな。「現代語裏辞典」がそこまで褒められるほど、「決定版」(from Amazonレビュー)だとは僕には思えないことだけは書いておこう。









 僕はこの連載を生で読んでいないのだが、後書きの方に「現代語裏辞典」はネットの会議所で作られたみたいなことが示唆されている。そして協力者の名前が列挙されている。もしかして今までの僕は完全に勘違いしていたのではあるまいか? 辞書としての擬態がなされていないのは問題外としても、内容の薄さと短さはネタ元が大勢(しばしば素人を大量に含んで)いたからではないだろうか。素人川柳とか大喜利みたいな感じで。それならどう仕様も無い。

2010年8月14日土曜日

「アリスへの決別」(山本弘、ハヤカワ文庫、2010)

 問題作だね、僕にとってだけど。
 短編集で、内容は下記の通り。

  • アリスへの決別:ⅰ参照
  • リトルガールふたたび:ⅱ参照
  • 七歩跳んだ男:月面ミステリ
  • 地獄はここに:ⅲ参照
  • 地球から来た男:ⅳ参照
  • オルダーセンの世界:マトリックスみたいなの(一番わかり易い言い方)
  • 夢幻潜航艇:マトリックスに筒井康隆混ぜてみたなう


 訳あって現在初歩のジェンダー論やら何やらを読んでいるんだ(もちろんネットでw)。ネットの利点としては、もちろんダメな意見はひたすら参考にならないレベルでしょうもないんだけど「当事者の私的意見」と「不特定多数が参加する議論」が含まれていることがあると思う。一般大衆の生活に基づいた希望ってやつだね。書籍は理論を学ぶには一番費用対効果が高いけど、現実的な解決策を考えるには足りないのだ。
 これぞネットと思わされるネタは、やはり非実在青少年のアレだろう。人によって猫から杓子ほど主張が違うのも珍しい。
 僕個人的には以前は絶対反対であった。
・根拠・効果が曖昧
・規制範囲が曖昧で任意に適用でき、拡大解釈可能
・つーかもっと他に酷い表現のが以下略
 上記3つの欠点はフォローできないな。まあ、規制賛成派が本当にそれを信じているならまだしも、本音が透けて漏れてるから嫌われるだけであって。
・キモいから存在してほしくない
・ポルノ読む連中は犯罪者の雛に違いない
・自分に必要ないから消しておk

 でも最近は規制賛成派の意見も理解できるようになってきた。たぶん彼女欲しいとか結婚したいとかそういう俗な願望を抱いてるからだと思う。小さい子供が見たら何と思うだろうとか、ポルノを堂々と肯定する人を見る女性とか、「人並み」の気持ちが理解できるんだ。子供を持てる年齢になって、子供を健全に育てる必要性も感じている。こう書くと、子供は決して大人が考えるほど純粋ではないだの反論が来るが、そんなのはわかってるよ。でもね、子供はやはり大人ではないんだ。それを大人の秩序や倫理を教えて、社会に適応させる必要があると思う。そのためにはそんな、ポルノを読ませてはならないんだ。コアマガジンとか茜新社とかはやはり子供に与える教材としては不適切だよ。
 だからといってポルノの規制は賛成できない。それこそ必要性がないのだ。だから僕は修正なんて消して良いと思うし、それに従っての流通や販売での規制が正しいと思う。ぶっちゃけ、ポルノを欲しいと思うならば免許制みたいな形が最適かなあと思う。いや、別にポルノだけでなくて、酒とかタバコとか、いわゆる一般的に年齢制限のあるものだけど。
 あとはロリポルノ。誰かがロリコンは病気だとすれば良いみたいなことを言っていた気がするけど、それが一番よいアイデアかもね。ロリコン治療師によって計画立ててロリ萌えポルノを処方されるわけだ。
 これくらいの不便があって初めて「自由」を叫ぶべきかもしれんと思い始めたんだ。想像の世界だから良い? うん、良いかも。でも「アリスへの決別」で唯一引っかかったことがある。彼にとっては紛れもなく真実だったらしい、想像ではなくて。
「アリスは実在の人間と同じぐらい大切な人だということを。彼女を消し去るのは一種の殺人だということを。」
では、それが「現実」に進出するのではないか。彼にとって現実であることこそが規制賛成派が忌むべきことであった。たかがキャラクター。僕の理解では規制反対派は、愛着はあるしこれから新しいネタが入らないのは辛いけど、あくまでもそれはキャラクターである。決して現実ではないし、だからこそどんな待遇をしても誰も現実では傷つかないというスタンスをとっていたはずだ。この「アリスへの決別」では純愛という形ではあるが、規制賛成派の想定している通り(=オタは現実と空想の区別がつかなくて、いつか妄想をリアル世界で実行してしまうのではないか)になってる気がする。
 あれがただ記憶を消すのではなくて、ロリコンを治療するならばハッピーエンドだったんだけど。

参考:こういう記事を読んで、僕は今の考えに至りました。
俺はエロゲによって生かされてきた
児童ポルノは社会のお目こぼしのなかにのみ存在できる
世界中に存在する「あなた」たちへ


 田中芳樹の銀英伝で腐った民主主義と正しき絶対王政、どちらが良いかという趣旨の文があった。これはナンセンスだろう。絶対王政が一人の清廉潔白で公明正大な人間によって正しく行われ、暴走などしない例なんてないのだから。逆にとちらも暴走したときにより被害を防ぐことができるのが民主主義……銀英伝の結論も確か同じだった気がする。
 ただし僕が腐った民主主義論で信じられないのは、そこまで今の人民って暴走できるかな、と。うん、信頼しすぎ? ドイツやアメリカの例を思い出せ? でもあの頃とは事情が違うよ。日本は周辺諸国+世界の裏の国との交流がなければこの生活を維持できないし、しかも輸出で稼いでる企業もたくさんあるのだ。果たして中国やアメリカが本気で嫌がる真似ってできるのかな。しかも原爆まで落として。
 それはともかく、僕が「リトルガールふたたび」で感心したのは構成である。最初は山本弘十八番のネトウヨ&バカ叩きかと思ったよ。でも、なんか違う。叩き方が気持ち悪い。ネトウヨよりも叩いている生徒のほうがヤバいのでは? とも思ったほどだ。そしてラストの軍帥閣下。あー、山本弘は全方位に対して攻撃しているんだなと。彼の良心を感じたし、そしてプロは違うねと思った。小説読んでここまで敗北感があるのは久しぶりな気がする。


 ミステリとして読むと、半分いかないうちに犯人が読めます。登場人物も少ないしね。
 僕たちは自分の経験から子供が純粋無垢じゃないことを知っている。性もあるいは嘘をつくことも、空気を読んで他人に何も施さないことも知っている。大人と違って本音と建前の壁が薄いので、行動がより残酷になってしまうことも知っている。
 また、世の中にはどうやら本当に気の狂った人、理性のタガが緩んでいる人、隙あらば人を傷つけてしまう人がいるのも知っている。なぜ人を殺すのか。それは美味しそうだったから、ただ何となく、殺してみたかった、そんな理由が本当なのも知っているんだ。
 でも普通は電車で自分の目の前に座っている学生がそんな類の人物だとは思わないし、自分の行動範囲でそんな連中がいるとは思っていない。そして知り合いが事件に巻き込まれてしまうとは想像すらできないのだ。安全なところから平穏な日常を脅かされた代償、ニュースを読んで不快な気分にさせられた落とし前、安全対策を意識させられるコスト、勝手に被害者に感情移入して罰を与えたい気分を満足させるだけだ。
 彼ら/彼女らは多分人生を恨んで、とかそんな負の感情に染まった人よりも始末が悪いと思う。捕まえて昔のように爪を剥ぎ足の裏を山羊に舐めさせ針を刺し焼きごてを押し付けて車裂きにしたって殺した理由がないもの。のれんに腕押し。「地獄はここに」では悪魔だの鬼だの書かれていたが、僕は妖怪に近いと思う。口裂け女みたいに彼ら/彼女らに目を付けられなければ逃げ切れる。そして殺される理由はよくわからない。何年かに1度世間に現れるのもそれっぽいね。
 だから僕は、知り合いが不幸な事件に巻き込まれないのを祈るしかないのだ、ただの脇役なのだから。


 大塚英志の「多重人格探偵サイコ」は今やよくわからない世界に入っている。12巻くらいまでは面白かったんだけどな。そこで天皇を出すのか!? みたいに。大塚英志も異常に執着した人で、どこかの本でいわゆる保守的論壇人が実は天皇擁護派ではないみたいなことを書いてあった。さもありなむ。美濃部達吉の天皇機関説だって、そういうことを考える土壌があり、そして公開したのだろう。一般人はともかくとしても、ある程度以上の知的水準を持った人は天皇の役割って人格ではなくて存在とか機関とかを重視するんじゃないかな。
 だから、僕にとっては「地球から来た男」って古いネタではある。でも、あの世継ぎ問題とかを抽象化して物語にしてしまう手口・SFの凄さを見ることができた。これってかなり高等なテクニックだよ。

2010年8月12日木曜日

「チーム★アメリカ ワールドポリス」(トレイ・パーカー&マット・ストーン、パラマウント映画、2004)

†セックスとゲロと首飛びの人形劇

 人形劇って見たことなかったんだ。それとか紙芝居とかも。僕らの時代は順調に空き地や公園が狭くなっていき近所の人との交流も薄れて受験勉強とマンガとゲームが発展した時代だけど別にその事自体は悪くはないのだ。僕の親も今時の若い子は……と年寄りの文句を垂れるけど、でも社会が発展したらどうしてもできないことが出てくるわけであって(と自分を擁護してみる)、むしろ裕福になった証なのだ。だからアニメやドラマ、SFX満載の映画に没頭してても不満に思わなかったのだ、これを見るまでは。
 「チーム★アメリカ」はサウスパークを制作した人が音頭を取っているために、風刺とお下劣なネタがてんこ盛りである。人形同士のセックスが出てくるし(しかも体位のバリエーションが細かくて、上に乗ってる人形がカクカク動いてるよ……)最後の方のアクションシーンは断面を描くくらいグロい。主人公は酒場で良くわからん下品な喩え話で正義に目覚めるし、チーム★アメリカはカイロでイスラム教徒の建物をこれでもかというほど壊しまくる。ちなみにイスラム教徒は当然「ドゥーカ・ドゥーカ・ジハード」としか言わない。ここらへんはロシア語の表現として「ラスプーチン・ボルシチ・ペレストロイカ・グラードー」などとしゃべらせるのと同じかな(あれ、どこかの映画かアニメかゲームか忘れたけどマジでそんな表現してたのがなかったっけ。もしかしたらドイツ語として「ソーセージ・ビスマルク以下略」てな流れだったかも)。
 ついでにストーリーもかなりチープである。そしてこのチープさが良い。いや、恐らくわざとこういうプロットにしているのだろう。前述した主人公の正義の目覚めシーン、僕は何度見てもなぜ主人公が敵の本拠地に行こうとしたのかわからない。ヒロインが主人公に惚れるのも唐突すぎる。サングラスマンは何のイベントで過去のトラウマを乗り越えたのだろう、あの程度で主人公のことが信じられるのか? そして何でフェラで主人公が信頼に値する人間となるんだ!?
 まあ、そんなことはどうでもよく、表情がよく動くのでついつい人形であることを忘れてしまいそうだった。一応釣り糸が映っているのだが、あれはわざとだな。ピアノ線を見せないと「これはCGじゃね?」みたいなクレームが来るから映してるだけだと主張してみる。というか、どうやってあんな複雑な動きをさせてるんだろう。背景も日本の特撮みたい。そしてカイロのカーチェイス。すげえ。人形劇? 下手な映画なんぞ見る気が失せたぜ。マトリックスなんて屁の河童だぜhahaha!
 そしてひたすら悪趣味なグロシーン。人形だからとことんやってやろうとする気概が伝わってきて素晴らしい。一例を挙げるとサメに喰われて水死体となって首切りはもちろん頭部破裂と体中炎上って氏賀Y太と並ぶシチュエーションだ。
 あとは中々似ている金正日とかサンダー★バードなチーム★アメリカとかマイケル★ムーアとか少しオタ入っている人間なら笑えるシーン満載だろう。たぶん僕が気づいていないシーンでも大量にあるんじゃないかな。

 ただ、この作品を風刺とか思想とかの文脈で読むのも面白いけど(そう、製作者がアメリカの現状を憂いておりそれに対する皮肉として見ると激烈に面白いのだ)、ただの人形劇として見るのが良いのではないかと思う。人形劇として多分非常にレベルが高い作品だと思うよ(それはまぐろ帝國の「マンガなぜなに」を風刺として読まない方が楽しめるのと同じで)。正直この手の作品が出てくると何らかの政治的スタンスがあるみたいな風潮にはうんざりしているんだ。まあそんなことを思った僕が一番政治を重ねてしまった証拠だけど。ナオユキの馬鹿!

2010年8月9日月曜日

iPad釣られ隊になり鯛

 日経ビジネスでiPadの記事が出てた。
第一話(クラウドだぜ)
第二話(ビジネス書類を編集してえ)
第三話(プレゼンだーい)
 そういや以前どこかでiPadに興味を持つのはできの悪い社員……もといプライドの高いエリートなんて記事があったっけ。Wired経由で読んだのかな。なぜかそんなことを思い出してしまった。
 なんていうか、これを読んだ限りでは自分のPC持参OKで社内文書をその中に入れて持ち出し可能みたいな。僕の勤めている会社が真っ向正反対なのもあって違和感が異様にある。果たして日経ビジネスみたいな会社が主流なのか、それとも僕の会社の方が普通なのか。
 長々書くのもアレなので言ってしまうと、この記事に対する不満は2点ある。

・ある程度情報漏洩に気を配っている会社の姿とは異なる社風。というか僕にとって「時間にしばられなく」て「仕事が属人的」と見なされている記者がiPadを持ち上げるためにでっちあげたんじゃないかなとしか思えないのだ。うん、世の中にはiPadを使って仕事をするサラリーマンもいるのは知っている。会社がiPadを支給することもあるだろう。でもさあ。少なくない数の会社は情報漏洩対策として外部メモリの持ち込みを(守られるかは別として)認めていないはずだし、さらに残業・自宅勤務対策として仕事の持ち帰りや書類の持ち出しを禁止していると思う。それは会社内で作ったものをメールで自宅に送る行為も含めてだ。
 さらに日経ビジネスなどはソフトバンクなど情報漏洩をした会社の検証記事を出したりしたことを忘れてはならない。「ウイルスに感染したiPadでDropboxを使用したことにより顧客情報が流出」とかになったらどうするのだろう。提灯持ちの責任は取るのだろうか。

・二つ目はより感情的なもので、iPadはビジネスとは無関係なものであってほしいなーと思うからだ。勝手な意見だけど。それは嫌儲的なものもあるんだけど、何でもかんでもネタにしてしまうビジネス世界の浅ましさが嫌いだからだ。iPadは別にクラウドでもスタイリッシュな小型PCでも、それだけではない。自己完結可能な機械と、Appleファンがおもちゃを与えられて作りだしたアプリの数々がiPadなのだ。それをビジネスとか枠を課せられても……。まあ僕の勝手な意見だけど。
 あ、ちなみにiPadがビジネス用として不適な理由はもう一つあって、アプリの挙動が不安定なのも挙げられる。特にファームウェアをアップデートしたら起動しなくなったとか、インストール出来ないとか、まあ色々。

2010年8月8日日曜日

文房具偏愛記

 文房具が趣味と答えた時の微妙な空気がたまらなく嫌だったり楽しかったり。
 突っ込みづらいネタを出すこと自体が空気を読んでいないというか、「趣味は何ですか?」という質問の意図を根本的に勘違いしてるよなーと思ったりもする。うん、他人に趣味のことを聞かれたら、会話のネタを提供する意味で具体的&一般的な話題にしてあげよう。。。
 そんな感じで趣味は文房具である。

 非常に説明が難しいのだが、別に文房具を集めるのが好きなわけではない。むしろひとつの文房具を延々と使いたいので、ハズレを引くと舌打ちしてしまう。世の中には新たな文房具を手に入れることが極上の喜びみたいな人もいるので(つーか、世に言う「文房具ブログ」の大半はそんな人達ばかりか? もっとも記事を書くために嫌々買いまくっているだけかもしれんが。むしろ彼らが積極的にレビューしないと使えるか否かがわからんのだよ)、なかなか説明できない。
 そして文房具が好きだからといってライフハックやらGTDやらそっち方面のマニアでもない。……うん、世の中の文房具レビュアーの少なくない人がライフハック系の記事も書いてたりするので(略。

 じゃあ僕にとってどのような行為が文房具的趣味なのかというと、やはり使うこと・使い続けることだと思う。それも毎日使って最低1年、長ければ長いほどよし。
 個人的なノートの取り方やメモなどは社会人になって数回変わり、現在使っている方式で1年たった。ただしたかが1年。3つ目の難関を越えたばかりだ(最初は3日目、次が1カ月が僕にとっての試練の時期)。まだまだ飽きが来ない。僕にあった方式だと思われる。 読書感想の方式は、京大式カード方式を検討中。

 ところで思ったのだが、文房具ブログの人達はよくもまああんな色々な種類の文房具を買う気になれるなーと常々思う。あんなに取り替えまくってて真剣に使う暇あるの? ノートやペンなんて半年以上使わなければ、耐久性やペン先の馴染みやすさ、紙質、携帯性が自分に合っているのかわからないと思うんだ。最初は物珍しさで使い続けてても微妙な重さが通勤の途中で邪魔になったり(経験談)、自分は紙質なんて気にしないぜと思ってたら実はかなり気にする性格だったり(経験談)、あとは大きさかな。A5のシステム手帳よりもA5のノートカバーの方が僕にとっては使いやすかったのだ。ちなみに大きさはあまり変わらない。
 これは僕自身が文房具に対して長く使い続けたい欲望を持っているせいもあるが……。どうだろう。そんなにめぐるましくノートを取り替えても紙に慣れるのに大変なだけだよ。僕もそうだけど、紙質が気にならない人なんていないのだから。多分気にしていない人は、幸運なことに質の良い紙を使い続けてたが、最悪の紙に出会っていないだけかと思われる。後者の代表はモールスキンかな。慣れてたからあの裏写りも我慢できたけど、一度Lifeの紙とか使うと戻れなくなってしまう。
 今ではA5のニーモシネ(切取可なのもポイント高し)を普段使いにしている。
 こんな感じで。
 ちなみに手を加えており、左隅と右隅にページ数を、左の方に罫線を引いている。ぶっちゃけ手間がかかりすぎるけど、使いやすいのだ。この手のノートを待っている人は多いと思うのだけどな。特にページ数。これは切り取れるからページ数振らないのも理解できるが、何で市販のノートはリング留めしてたり糊付けしてるのにページ数がないんだろう。7不思議だ。


 ちなみに手帳のカバーはTHEME。ノートとメモパッドが入る。meedのパッドを使っているが、ああそうか、ページを切り取るタイプのノートはmeedがあるのか。ニーモシネは別に普通のノートタイプでも良さそう。


 ペン。上からLamy2000、Zebraの3本ペン、Pelikan1000。Zebraのは電車内で使用。落としてもそこまでダメージはないぜ。


 メモはRHODIA。カバーは名刺入れの機能もある。確かAssist Onで買ったっけ。他の名刺入れも持ってたが、今ではこれしか持ち歩かないな。

2010年8月1日日曜日

終焉の王アーケイオンを作る2&3

参考:終焉の王アーケイオンを作る1

 えーと、仕事がかなり忙しい間にこんな企画のことをすっかり忘れてしまっていた。
 そしてこっそりとサフを吹いたのにその写真がないまま色塗りの中盤に差し掛かっていたよ?

 というわけでアーケイオンの色塗り続き。
 こんな感じで塗ってみた。
 白サフ吹いたあとで馬は黒と紫のウォッシュカラーでステイニング。その後、青黒い色を作ってひたすら塗った後で青白い色でブレンディング。多分、
4日以上かかったはず。
 アーケイオン御本体はボルトガンメタルをベタ塗りした後、コデックスグレー&黒を水で薄めてアーマーウォッシュ。これでウォッシングを5~6回。それで赤でエッジを際立たせて細かい部分に色つけてからボルトガンメタルでドライブラシ。筆にほとんど色を付けないのがポイント。
 マントは白サフを活かすために赤のウォッシングインクで何重にもステイニング。ステイニングで色を濃くすれば自然とグラデーションになるのが旨い。ここまでで5日前後?

 とりあえずできた部分までを公開した。あとは土台と剣・盾の模様と馬の毛、細かい部分の修正かな。これが一番めんどうだけど。

 次回を待て!(あるかわからんけど)

SNSについての雑感

†僕の勤めている会社でSNSを導入した。会社の平均年齢は40前後。当然というか、上司などはほとんど利用せず若者~中堅社員の飲み会告知用と化していた。参加者数は当初の見込みに比べてどうなのだろう。少なくとも1割は越えている。

 わざわざ今の時期に微妙じゃないかなーと思うんだ、社内SNSとかいう奴は。もっと言うとmixiクローンだね。まあそれは僕がmixiの絶頂期からブーム終焉までの課程をリアルタイムで見聞きしていたせいもあるんだが。
 ただ、少なくとも会社内で使うのに会員制の社内SNSなんて意味ないと思うぞ。情報システム部長はどっかの雑誌にインタビューされて、強制参加にしないために会員制にした云々と語っていたが、本当に社員同士のコミュニケーションを促進しようと考えていたなら強制参加にした方が良かったかもね。
 ついでに今既に某グループウェア(スケジューラ+掲示板+メッセージ送付機能付き。ただし大多数の人はスケジューラしか使っていないと思われ)が浸透しているのにSNSなんて競合するだけでしょ。複数の管理画面・サイトを多数作ったからといって全部使いこなせるわけないのだから。しかも社内SNSなんて勤務時間中に使えるような雰囲気じゃなのだし(一応、仕事関係のトピックもあるため明確に禁止されているわけじゃないけど。でも、ね……。使い辛いよねー)。あと、噂ではかつて社内メッセンジャーを入れてたそうな。そりゃメールよりはスピーディになるかもしれんが、仕事の邪魔なだけだったみたい。社内SNSの末路もそうなりそうな予感がする。
 とは言え、実際に使っている人からすると面白いんだろうな。僕の知る範囲でまともに日記を書いている人はいないのだが、でもそれなりに更新している人の話は聞いているし。コミュニティも作って飲み会やっているっぽいし。わざわざmixiクローンを導入した結果がそれかよ、と思ったりもするがw