2018年1月29日月曜日

無限PKの思い出【UO日記】

 もう時効(と勝手に考える)だから告白するけど、一時期、無限でPKを行っていたことがある。2010年前半だろうか。その頃はまだ無限にも人がチラホラといた。
 無限は2007年だか2008年だかに初めて足を踏み入れ、ヘイブン墓場でステハイ狐変身弓に殺された思い出が強かった。忍者PKギルドのIGAが精力的に活動していた時期だった。
 本当にPKerがいるんだと驚き、どうしてか無限でのPK行為に憧れを抱くようになってしまった。当時は無限新興としてのPK行為が宣伝されていたこともあった。
この人が当時の僕。初赤になった瞬間。

 とは言え、そもそも本格的に移住する気もなく、当然資産もないため、買えるものも限られてくる。無限は1キャラしか持てないので、PKerが狩りをしようとしても効率が良くない。せいぜいパワスク110を導入するのが関の山だった。こんなのじゃ百戦錬磨の無限民から返り討ちにあってしまう。
 不便なら不便なりに創意工夫を施すわけで、僕が取った戦略は、買い物客殺し。ルナ店をチェックして、誰か買い物してる人がいればアタックするという単純な方法である。それも戦士は相手しない(というか、戦士を正面から相手すると勝てない)。まあ、無限で遊ぶのが毎晩1時間程度なのでそもそも他プレイヤーに会う機会がほとんどなく、遊んだ期間の割にはPKした数は多くはない。失敗してお店から@バンされることもあったし。

 実は、PvPにはもともと興味があった。出雲でもジェロームのアリーナやヘイブンのアリーナで練習している人たちに混ぜてもらったこともあったが、メイジは自分に合わなかった。反射神経が追いつかない。たぶん練習すればなんとかなるんだろうけど、このまま年を取った時、詠唱戦はついて行けないと感じた。戦士同士の対決はマイナーだったものの、楽しかった。ほんの数回しか参加しなかったが、走る方法や回復など、基礎的なことを教えてもらい、やはり歴戦の対人プレイヤーは強いと感じた。時々ロストランドの対人戦に単騎で挑んでボロボロにされたりした。ただし、一般シャードでの対人は緊張感があるわけではなく、そして当時は仕事が非常に忙しくなっていったこともあり、一度無断でアリーナを休んでしまうと顔を合わせ辛くなり、UO自体小休止状態になった。次にUOに復帰した時、無限で戦士を完成させた。


 初めて他プレイヤーを殺した時は手が震えた、と色々なところで様々な人が語っていた。百戦錬磨のPKer上がりの人もどこかの日記でそう書いていた。実際にやってみて、確かに心臓に悪いと思った。何というか、NPC殺すのとは全く異なる。画面の無効に自分と同じ意思を持った人間がいると意識するだけで動悸がした。ガード圏に近いとか、たぶん逃げられるとか理由をつけて初めてのPKを先延ばしにすること数回。返り討ちにされたら恥ずかしいという気持ちもあったのだが、見ず知らずの他人に対してネガティブプレイを行うことへの抵抗感を強く感じた。PKでこれなら詐欺とか対人シーフは相当きついだろう。

 最初のPKは今でも覚えている。なぜか会社が休みだったので朝からUOにログインしてて、ルナのお店でお客さんを見つけてしまったのだ。無防備な上動かなかったので、放置だと思った。PKしない言い訳も見つからなかったため、覚悟を決めてアタック。相手は動かず、あっけなく僕の最初のPKは終わった。微動だにしなかったので正直、全く罪悪感を抱かなかった。死体の持ち物を吟味する時間すらあった。それから僕はPK街道を邁進した……と書きたいところだが、そもそもプレイヤーが多くもなく、しかも狩キャラとは言え本気の戦士やメイジ、テイマーに狙われると即殺されるレベルだったため、自分が死なないことと相手を殺しきれることを優先に考えた結果、PKできないことの方が多かった。そのため結局、最後までPK行為に慣れなかった。
確かこの後、蘇生してあげたんだっけ。

 一番印象に残っているのはこれもルナのお店にいた人。のんびりと歩いていたので、ドキドキしながら走って追いかけつつアタック。慌てて逃げようとした彼ないし彼女だが、何とか追いついて殺した。めぼしいものを持っていないか探す中、画面端に見えるIGAの文字。それもベテラン戦士だったため、慌ててルナ城の外に逃げる。IGAの人は死体を見つけると一旦止まり、それからこちらを追ってきた。何とか撒いて殺されずに済んだが、人の少ない無限とは言えPKを行うのはリスクもあるんだと学んだ。PKerは自分が生き残ることを最優先にすべきという哲学をこの頃考えた。
この直後、IGAメンに追いかけられました。

 こういうこともあった。
 どこかの寂れた銀行で詠唱音が響き渡っていた。ああ、スキル上げね。と思って近寄ると、明らかに放置上げ。こいつはいかんとアタック。ガード圏内ではあったが無事に殺せた。PK行為に一切後ろめたさなくやり遂げられたのは後にも先にもこのときだけだった。
わかりにくいが銀行内である。

 PKerから足を洗ったのは再び仕事が忙しくなり休止状態になったこともあったが、それだけではない。
 ある日、ユーあたりのムーンゲートに入ろうとした時、ハイドしてる人がいた。リヴィールさせても動かないのでアタックして無事に殺した。この時はそれだけだった。
しかし後日、何の理由かは忘れたが、僕も同じようにどこかのムーンゲートでハイドしたまま離席せざるを得なかったことがあった。戻ってきた時、ログに残っていたのは、自分を発見したIGAの生産キャラがインビジで隠してくれたこと。その時はすでに赤ネームだったのでわざわざインビジをかける必要はなかったのに、だ。その人はIGAだったため、赤ネームに対して贔屓する感覚もあったのだろう。ただ、無限みたいな環境で知り合いでもないPKerの利益になる行為をわざわざ行うことに衝撃を受けた。


 ルナにPKerが出現するという情報も広まってしまったのだろう。僕が遊ぶ時間はステハイですらルナにはいなかった。そして僕も、PKerとして活動するには自分の中で理屈を見つけられず、UOの休止と同時にPK行為も飽きてしまった。
 最近UOに復帰したけど、無限の戦士はどう育てようかな。

ゲームプレイ日記についての雑感【UO日記】

 最近UO熱が復活して、戻ってきたが、仕様を確かめるため色々なブログやホームページを回ってリンク切れやサービス終了でショックを受けたり、昔ハマっていたUOサイトがまだ生きていて感動したりしている。
 僕がUOを遊び始めたのはそうしたUO日記、UOマンガの影響であり、感慨深い。もっとも、僕が読んでいた時はすでにブログ最盛期であり、相当古い時代のUOが「思い出」として語られていた。当時の僕はネットゲームのパブリッシュについてわかっておらず、ゲームソフトを買うように仕様が大幅には変更しないものだと思っていた。UOマンガやUO日記に憧れてブリタニアの世界に降りようとしていた僕は、さすがにトラメルとフェルッカに分かれていたことは知っていたが、お金稼ぎが大変だとかハルバードが木こりも戦闘にも使えそうだとか、そういうことを考えていた。そのためキャラクター選択画面の「忍者」という単語が理解できなかった。

 UOに一番初めにログインすると、ヘイブンに出た。UOマンガの中では青いゴキブリに驚いていたところ、僕は白い狼やへんてこりんな鶴、やたらにでっかいトカゲに驚かされた。後にそれぞれクーシー、レッサーヒリュウ、乗りドラだとわかった。UOマンガやUO日記で書かれていなかった武士道や忍術、さらには織成呪文というスキルに戸惑った。当時のヘイブンはまだ活気があったため、そこらに佇んでいる人に聞いてみたら、僕が憧れていたブリタニアはとっくの昔にパブリッシュのかなたに消えていたことがわかった。面白いことに、あんなに憧れていたゼロディレイやPKerの世界と違っていても僕は大してショックを受けず、そのままUOを遊び始めてしまったのだ。

 ブリタニア観光案内所は当然時代遅れになっており、パラリシャンも半分更新を停止したため、リアルタイムのUOの仕様を学ぶにブログを片っ端から読み漁った。僕のUOブログ熱はここから始まった(実際に体験するより他人の感想文に熱中するのは自分でも難儀な性格だとわかっている。他人の書評も旅行記も結構好きなんだよね)。
 色々読み漁る中で、ぼんやりとわかったことがあって、文章力というかプレイ日記(マンガは除く)の上手さ下手さは実際ににあるということだった。大まかに書くと、客観的に書かれていたり冷静だと読みやすいし普通に面白くなる。恐らく、客観的に書くことで読者から見た面白さを意識できるのではないかと考えている(僕も@反省)。読者を意識して書かれたコンテンツは読んでいてもそういう努力の跡がわかった。
 加えて日記を書いた時期と日記に書かれた時期に大きく差が開くと記憶が整理されるためかストーリーができあがっていて面白い。リアルタイムの日記はどうしても些細なことまで取り上げがちで雑多な情報が多くなると思う。
 さらに漠然とした日記より特定のコンテンツ(ルーンビートルとバケキツネのコンビでボスに挑むとか、純戦士タイマンだとか、対人シーフとか、マゲ=カタなどとか)に特化していると仕様を勉強する意味でも面白いし、日記としてもエキセントリックな内容になりがちで面白い。
 そしてネガティブなプレイ内容であれば、つまりは詐欺・PK・対人シーフプレイやUOでお金を稼いでRMT業者に売って生計を立てる日記などは僕自身にそんな勇気がないから未知の世界を読んでいて面白かった。

 一方で、同じ対人バトルにしてもYGWやリアルタイムでのギルド単位での戦争はあまり興味をそそられなかったし、今読んでもやっぱり面白くない。たぶん、日記の内容が「1被」や「1get」など記録になっているためだと思う。そしてギルド戦争を通じてメンバーの関係性が変わるとか、そういったストーリーがリアルタイムの日記だと見え辛い(というかない)のできつい。さらに、そのような戦争日記は同じく戦争している相手とブログ戦争をやりあったりするため、余計に読みにくかったり。でも僕が引っかかったのは、こいつらがやっているのはスポーツでしかないってこと。いや、外野が口を出すことではないのだ。文句をつける気はまったくない。
 僕の言いたいことは、単純にコンテンツとして面白いのはPK日記だったり、ギルド戦争やってるところに乱入するアレな内容だったりしたのだ。そういう本当に嫌がられるプレイがリアルタイムの日記としてわくわくし、すでにUOを引退した人が書く思い出としてもストーリー性が出て読み甲斐があった。これはもう何となくの感覚だけど、嫌らしい遊び方をわざわざ日記なり思い出として文章にする人は、文章が上手いと思う。文章が上手いというか、ストーリーなりRPとしての理屈なりがしっかりしており、被害に遭った人はともかくとして何の関係もない読者にプレイ内容の割に嫌悪感を抱かせない傾向があると思う。

 そもそもUOにおける対人は、PKとPvPは意識の上で雲泥の差があるからね。システムが許す上でどんなに卑劣な手段を使ってでも他プレイヤーを殺して自分は死なないのが最優先のPKに対して、対戦ゲームもどきのPvP。正直、ギルド戦争は自分が死ぬのが当たり前というか戦術に入っているわけで、PKの緊張感がないんだよね……(その割にact週◯日とか掛け持ち禁止とかお気楽でもないし)。


 そういうことをつらつらと昨日、久しぶりにガッツリとUOを遊んでいる中で考えていた。

2018年1月28日日曜日

ガーゴイルチャレンジ!(Pub98.2時点)【UO日記】

 UOのキャラクターをガーゴイルに変えてみた。そこで気付いたのが、装備が少ないこと。ベンダーにもオークションにも売っていない。ガーゴイルは一応、変成という手段があるが、現在のPub98.2でどこまで変わっているのかわからない。
 という訳で、試してみた。


①素材強化と変成
 スタッド鎧を用意する。

 赤皮で強化する。

 ここまでは普通の素材強化。

 これを変成する。

 Horned Stone Leggingsなどというひどい名前の装備になってしまった。

 なお、さすがにこの状況から色付き石での素材強化は不可能であった。

 一方、変成済の装備に素材強化は……?(もちろん色付き石である)

 成功!

 つまり、素材強化品→変成は可能、N素材→変成→素材強化も可能であった。
 ちゃんと素材の色が着いている(上の装備がH皮の色である)。


②向きと変成
 こっち向きのスタッドチュニック(スタッドチュニックには変成できる向きがある)

 やっぱりスタッドチュニックの変成には向きを注意すべき。

 プレート鎧は……?(プレート鎧の変成に向きは必要ない)

 こっちは問題なし。

 つまり、変成する際の向きについてはUO職人の部屋の仕様が生きている。


③変成と強化剤
 適当に用意した元スタッド腕。変成済である。

 ご覧の通りスタッド強化剤である。

 怒られた。

 ならばスタッド足に強化剤をふりかけて変成してみよう。

 そこそこ高級な強化剤だった。これを変成しようとすると

 やはり怒られた。

 ならば、変成後スタッド足に

 石鎧の強化剤をふりかけよう。

 成功!

 つまり、変成品(特にスタッドやボーン→石)は変成後の強化剤でないと受け付けない。


④変成できない……?
 色々変成実験をしていると、変成できない品に出会った。
 例えばこの骨胴。

 これはダメらしい。

 こっちのスタッド足も

 怒られた。

 はっきりとしたことはわからないが、どうやら短命プロパが怪しそうである。PrizedやCursedは上の図でもちゃんと変成できている。短命なんて普通は使わないから誰も実験したことないよね。


⑤おまけ
 命中靴ことShanty's Waders

 靴は向きが関係ないので、変成成功。

 つまり、命中靴と回避靴は変成できる、はず。

2018年1月17日水曜日

「行き先は特異点」(大森望/日下三蔵 編、東京創元文庫、2017)

 去年途中まで書いた感想文だけど、このまま熟成させても完成しないから公開しちゃおう。

 2016年に発表された日本SFの短編の精鋭を集めたアンソロジー。僕は確か2010年位まで買ってたはずだが、それ以降買っていなく、久々に購入。やはり素晴らしかった。
 トップを飾る表題作の藤井太洋「行き先は特異点」。現実と地続きのフィクションであり、実のところ世界を揺るがす事件が起こったりするわけではないのだが、生活に必要な技術が少しエラーを起こして地味だが致命的な事件をこっそりと引き起こす描写が極めてリアルに描かれている。これって現実でも起るの? 読んだあともどこまで現実に起るのか、どこまでの技術が現在実現できているのかの境界が見えにくく、作品に書かれていた事件を読者に想像させる力が強い。しかし、多分10年後は古びているのが予想できるので、この感想文も含めて生モノなんだろうなと思わざるを得ない。リアルな小説だが、どこかのシンクタンクが発表した近未来速報をストーリー仕立てにした小説な印象を受けた。
 次の円城塔「バベル・タワー」。「行き先は特異点」とは180度転換した奇想小説。「行き先は特異点」の次に「バベル・タワー」が配置される並びは絶対にわざとだろう。本書を読んで驚愕するが良いという編者の顔が目に浮かぶようだ。歴史改変というか、何というか、縦籠家と横箱家の来歴を読むのが楽しく、主人公が登場してそんな小説だったと思い出すレベル。ラストシーンはエレベーター(縦)を人類の進化に見立て、それをガイドする(横)という形で縦籠家と横箱家が結婚したシーンとして妥当。できれば縦と横で宇宙を支配する~、みたいなノリになったらもっと面白かった。
 弐瓶勉「人形の国」。やはり真っ白だ。これってマンガ本編に収録する予定はあるのだろうか。個人的には人形の国ってSFというより異世界でのヒーロー物な感覚があったのでこのアンソロジーに載るとは思わなかった。「人形の国」本編知ってる人は面白く読めるだろうが、知らない人は設定とかストーリーとか楽しめるのかな?
 宮内悠介「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は半分奇想で半分まっとうなSF。ガス上の生命体というのは面白い着目点。固形の肉体を持った存在(=人間)を生命体と認識できず、人間に取り憑いて騒動を引き起こすあらすじ。分量的には短いんだけど、事件とその解明と驚きの事実がきちんと描かれていて読みごたえがある。ラストシーンは地味に感動したハートウォーミングな作品である。でもSF読んでてこんな小市民的な感動を覚えるのは個人的には良くないことと思う。
 眉村卓「幻影の攻勢」は人類の進化系SFというか幻想小説。個人的にこの手のテーマが好きなので本作品も大好き。事件を詳しく説明しすぎないので余計に神秘的な雰囲気が出る。突き放したようなラストシーンが印象深かった。
 石黒正数「性なる侵入」。バカバカしいが面白い。大真面目な(結構笑える作品が多いけど)SFアンソロジーの清涼剤ともなっている。下手なSFより理屈を考えているのが内容のしょうもなさとの対比になっていた。
 高山羽根子「太陽の側の島」。様々な短編集でいつも最低1つは現れる個人的に入り込めなかった作品。たぶん集中力切れなんだろう。申し訳ないが、書簡小説ということで、一見して読むのが飽きてしまった。たぶんそれぞれの手紙にさり気なく小説世界の驚異が描かれているはずなのだが……。飽きてしまったので覚えていないのである。
 小林泰三「玩具」はエロティック小説のつもりで書いたらしい。もともとは作家仲間のエロティック小説アンソロジーに寄稿したらしいが、後書きを読むと当時は全員が自分の作品がエロくて他人は通常運行だと思っていたらしい。うん、僕もそう思う。もう1作もそうなんだけど、これ本気でフランス書院みたいな官能小説を書こうとしたつもりなら小説家として失敗したことを露わにしており(つまり文体模写とかもできないってことだから)、その意味でわざとなんだろうな。
 山本弘「悪夢はまだ終わらない」は茂木清香氏の「眠れる森のカロン」だ! これはもうそっくりで、犯罪者が反省しても社会に戻されない=反省する意味がなく復讐心を満足させるだけってところまで似ている。この手のテーマを小説にすると似てしまうんだな。しかし短編だけあって、作品としてテーマの深さが「眠れる森のカロン」に及んでいないのが惜しい。
 山田胡瓜「海の住人」。SFマンガで爽やかな読後感。でも、この助手の女の子ってAIなのか。説明されねばわからなかった。。。その後、この作品が収録された「AIの遺電子」を読んだが、非常に面白い。2010年以降のトピックが盛り込まれ、それがSFとして展開している。この作品に出会えたのは、本書を読んで良かったと思った1つ。
 飛浩隆「洋服」。写真から小説を作った作品。短編で終わるので読者に想像を任せれて良い。この小説の設定だと、このくらいの分量が良い感じに幻想的で美しいと思う。もう少し長くなると説明がくどくなる気がする。
 秋永真琴「古本屋のしょうじょ」。何だか格好良い。ファンタジーだ。そして少しいい話だ。本が好きな人が興奮する作品。
 倉田タカシ「二本の足で」。スパムメールが歩いてきたら~という作品。正直、実現するにはコストが掛かりすぎると思うので、その意味では現実には起こり得ない作品(シリーウォーカーと呼ばれる実体化したスパムは、実体化しているがゆえにいっぺんに何人にも送れないし、場所取るから一定数以上は送れないし)。読んでて思ったけど、むしろ人間か否かがわからない不気味な感覚、それも都市伝説的な不気味さを醸し出そうとしていると思った。ところで、ゴスリムだけどgothic+muslimなので、ニホン的なネーミングだと思う。
諏訪哲史「点点点丸転転丸」。短い。そしてギャグだ。しかも実話ですか。とりあえず短いので面白く思える!
北野勇作「鰻」。北野勇作氏だからやはり動物ものなのか。
牧野修「電波の武者」。覚えてなーい。
谷甲州「スティクニー」。覚えてなーい。
上田早夕里「プテロス」は僕にとっては初めてだが待望の上田早夕里氏作品である。近年の僕は極力日本の作家を読まないという誓いを立てており、上田早夕里氏は興味があるけど買うのを後回しにしていた。どこかのアンソロジーで試し読みして買おうかと思ってたけど、今まで買わなかったのを損だと思う。何でもこれって短編集の「夢みる葦笛」ってのに収録されているらしいので、少なくとも「夢みる葦笛」は買うつもりでいる。地球とは異なる惑星で、その星の生物の生態を描き、そして人類とは異なる知性のあり方を考える作品で、短いながらもSFの全てが入っていると言って過言ではない。
酉島伝法「ブロッコリー神殿」。贅沢を承知で言うと、面白いんだけど、この作風にも飽きてしまった。僕が知ってる限り、酉島氏はこの作風(造語まみれの異世界描写)しかないので、普通の文体や描写も見てみたい。これはやはり酉島氏が極めて力があるからこその贅沢なおねだりなんだろうな。読み進めていくと微妙に理解できてしまうのがアレ。
久永実木彦「七十四秒の旋律と孤独」。覚えてなーい。

 公開するまで感想どうしようと思っていたが、これで肩の荷が降りる!

「くじ」(シャーリイ・ジャクスン著、深町眞理子 訳 、ハヤカワ・ミステリ文庫、2016)

  半年ほど前に途中まで書いていた感想文だが、面倒なのでもう公開しちゃおう。

 昔住んでいた家は隣家の住人が庭に焼却炉を持っていて、毎晩ゴミを燃やしていた。僕の家の中からもその火が見えており、当時の僕はなんとも思わなかったが、今から思うとよくもまあ火事に遭わずに済んだと安堵する。僕の親もそれとなく燃やすのを止めてもらうように頼んだらしいが、隣家の人はそれに触れずにその後も焼却炉を使い続け、しかもなぜか庭がどんどん汚くなってますます火事を心配したよーと親から愚痴を聞いた。焼却炉と庭が汚くなったのは関連がない気がするが、でも言われてみたら隣家の庭が要塞みたいに僕の家の敷地から地面が見えなくなって、それでも相変わらず毎晩火が燃え続けていた。今から思い返して何よりも恐ろしいのは、その隣家の人って庭で犬を飼ってたから焼却炉の近くで犬がいたはずなんだ。犬の側で火を燃やすなんて今から考えるとちょっと変だったな。

 そんな感じで日常生活の不穏さを描いた短編集が、この「くじ」である。シャーリイ・ジャクスンの作品は怖いとか狂っているとか言われており、表題作の「くじ」もまた同様。発表された1950年頃は確かにこんなナンセンスと意地悪さと山なし意味なしオチなしな作品を好意的に見る人はいないだろうから騒動を起こして当然だろうが、21世紀も17年経った現在でそこまで嫌がる作品か? とは思う。特に比較のために読んだ「ずっとお城で暮らしてる」に比べると短編という形式で感情移入がしにくい分、感情を動かされることも少なかったし。
 そう、本書は短編集なんだけど、大きく4つにわかれ、それぞれ前説が書かれている。この前説も深読みできるんだよな。


「酔い痴れて」。子供の意味不明さ……なんだろうけど、酒癖の悪い親父がパーティ主催主の若い娘にちょっかいを出して煙に巻かれたよくある話としか思えなかった。
「魔性の恋人」。2chまとめサイトで似た話とか男女逆転の話とか読んだことがある……。この作品のキモは町の人々が新郎を探す花嫁に対して妙に冷たいという点であり、でも似たエピソードってネットの大海にゴロゴロ転がっているよ。
「おふくろの味」。うだつの上がらない(たぶん)男性が、恋人を家に招いて夕食をご馳走しようとしたが、恋人の恋人のような人がやって来て勝手に食べ始める。しかも恋人は良い格好をしたいのか、主人公の男性が作った夕食を自分が作ったと偽り、2人きりの時間を過ごすために主人公を家から追い出すというストーリー。主人公は自分の家(マンションの1室)から追い出され、恋人の家に仕方なく行くんだっけ。読んでいる最中は主人公の主体性のなさに苛立ったが、でも読み返すとリアルにありそうである。
「決闘裁判」。なぜか他人の部屋に入って物を盗もうとする老婦人とそれを嫌がる引っ越したての女性のお話。盗まれる品はあまり価値がないものの、ついに怒って老婦人の部屋に入ってしまう主人公の女性が追い詰められた雰囲気が出て良かった。その行動、あなたが嫌う老婦人と同じですよ! 部屋に侵入したのを老婦人に見られ、今後も物を盗むよと暗黙の中で伝えられたと解釈できるラストが最高に不気味。結局、尻尾を掴まれたのは主人公の女性なのだし。
「ヴィレッジの住人」。他人を騙ること。中古家具を買いにとある民家にやってきた(アメリカじゃそんな風習があるんだね)女性が、同じ民家にやってきた別のお客さんと鉢合わせし、その家の主を騙る、というお話。見栄を張り、さらにはその家が羨ましくなる心理は僕も経験したことがる。


「魔女」。電車で乗り合わせた煩わしい男の子がおじさんからお話を聞かされ大人しくなるが、よくその話を聞いてみると、とんでもない内容だったというストレートな怖い話。何というか、いかにもありそうなんだ。
「背教者」。現代日本の住人からすれば飼い方が悪いよ……以外の感想を思い浮かべなかった。動物話は時代に極めて左右されることがよく分かる作品の見本。
「どうぞお先に、アルフォンズ殿」。次の「チャールズ」のように子育て中に観察した内容を描いたのかな。大人にはわからない流行り言葉を口癖のように用いて笑う子どもたち同士の姿。微笑ましいが、大人にとっては多少苛立ちを感じ、その取るに足らない多少さがこの短編集の雰囲気とマッチしている。ちなみに人種差別がテーマであり、読者としては執拗に差別を行う母親を奇妙に思うべきなのだろうか。これも時代が異なっているので、作者が何を正常とみなしていたのかに左右される。
 「チャールズ」。読書会で聞いたのだが、これと同じお話が作者の子育てエッセイに収録されているらしい。「くじ」の文脈で読むとやんちゃをありもしない架空の友達のせいにする邪悪な子供、という感じ。一方で子育てエッセイの文脈で読むといたずら好きなやんちゃな子供という印象を受けるらしく、その違いが面白かった。
「麻服の午後」。これも時代によって解釈が異なるかも。僕は女の子の家族のどうしようもない無神経さとガサツさが嫌だったけど、人によっては嘘をつく女の子に違和感を感じる人もいるのだろうな。
「ドロシーと祖母と水兵たち」。自業自得としか思えなかった。


「対話」。非常に現代的なお話。教養がない人は、耳にした言葉の中から辛うじて自分にわかる単語を取り上げ、自分のわかる範囲で曲解するという内容。正直、こんな人と話し合うのは精神的に辛いだろうなと作中の医師に同情した。
「 伝統あるりっぱな事務所」覚えてない。
 「人形と腹話術師」。うーん、主人公のおばさん2人が下品で嫌だった。
 「曖昧の七つの型」。志賀直哉の「小僧の神様」のNGバージョンみたいなお話。教養はないけどお金のある人が、貧乏人の小僧がお金を貯めて買おうとした本を買ってしまうお話。ああ、知識を持っている小僧に嫉妬したんだなというのがわかる。正直、僕もこのような気持ちは感じるときもあり、教養のないおっさんの誰を責めることもできず嫌がらせをするしか行き場のない気持ちはわかった。
「アイルランドにきて踊れ」覚えてない。


 「もちろん」。厳しい教育ママは時として異様な信仰の徒に見えるということ。それに圧倒されるも、真っ白な雪を汚すように世俗の悪さを教える誘惑に勝てない隣家の母親の姿を描いた作品と理解した。映画が嫌う一家の子供をわざわざ映画に連れて行くなんて嫌がらせ以外の何物でもないではないか!
「塩の柱」覚えてない。
 「大きな靴の男たち」覚えてない。
「歯」覚えてない。
「ジミーからの手紙」覚えてない。
「くじ」、……実はあまり感銘を受けなかった。時代が時代だし……。今から読んでも、ねえ。確かに面白い作品ではあるけどね。

 こうして一覧にすると第三章は時代や風俗の影響を受けており、怖さを受け取りにくかった。第二章は子供に関するお話となっており、
 読書会で聞いたのだが、シャーリイ・ジャクスンは主婦業が長く、あまり世間に出なかったらしい。言われてみたら、全体的に日常を描いた作品はリアリティが十分にあった(意図的かどうかわからないが、「ずっとお城で暮らしてる」の現実感のない描写とは対照的)。

ルサルカ(Rusalka)(日生オペラ)

 多少昔の話になったが、2017年11月にルサルカを見てきた。前回のラ・ボエームは全て日本語だったけど、今回はチェコ語。相変わらず他のオペラに比べて安い癖にパンフレットが豪華でありがたい。異種婚姻話で~というのも何となくで見ているとわからなかったため、ちゃんとパンフレットで解説があった助かる。
 お話としてはアンデルセンの人魚姫に近く、比較的わかりやすい。演出も凝っていたと思うし、ちょこちょことギャグよりのシーンがあって悲劇なんだけど、笑いが起きた。
 舞台も決して安っぽくなく、十分にオペラを見た楽しさを味わえる。やはり日生オペラは素晴らしいと思った。

Development Meet and Greet in January(無限)【UO日記】


 Mesannaへ陳情するというイベントが2018年1月16日、無限シャードで開かれていた。簡単だけど、質問の一覧と返答をメモしてみる。
 項番は出た質問順、「→」以降にMesannaの回答。「()」は僕の補足。基本的にこの場では確定したことを言っておらず、ニュースレター見てねということだった。

1.(個人的なバグフィックスに関することなので割愛)
2.ブラックソンキャプテンがメンテナンス過ぎると強化される(抵抗増加)→把握してないが見てみる。
3.バルクオーダーブックを家にロックダウンしたままバルクを出し入れできるようにして欲しい→次のパブで少し変更加えるよ。
4.ベンダー検索やステータスバーの青丸を押して出てくる現在使用中の状態のところがカーソルを合わせても表示されるまでに3秒以上の時間がかかる→クライアントによるものかな見てみるね。
5.エクソダスダンジョンの周囲にパズルが合ってSP・無限だけが数年前から消えたまま→見てみるね。
6.数ヶ月前、日本の別のシャードのデブミでUOのオフィシャルtwitterの更新が止まっていると報告し見ておくと言われてそのままになっている→見るね、フェイスブックとの連動が壊れてるっぽいね
7.ベンダーの給料が今現在高い(無限)→今回は予定していない。
8.エルフにも夜景が見れるよう、ナイトサイトをオフにするポーションが欲しい→可能。議論するよ。(この提案は初めて聞いたよ、とMesannaも言ってた)
9.2Dクライアントのチャットで2つのチャンネル同時に入りたい→エンジニアに聞かないとわからない。可能だったらニュースレターで回答するよ。
10.デイビーズロッカーにバルクオーダーブックのようなソート機能を付けて欲しい→エンジニアに聞いてニュースレターに言うよ。
11.市政ストーンに各市民が好きなボーナスを選べるようドロップダウンメニューを追加して欲しい→市民が選べるようにする予定はない。
12.ゴブリンアイテムをUOストアに追加して欲しい→3月頃ゴブリンスタチューが追加されるよ。
13.テルマー博物館にMLボススタチューがあるけど、チェンジリングをトラベスティに変えて欲しい→意味不明、だけど見てみるよ(EMさんから名前をチェンジリングからトラベスティに変えるよう促されていた)
14.PUBG(世界的な人気になってるサバイバルゲームらしい)のようなデスマッチコンテンツの追加をして欲しい→意味不明(他のプレイヤーからもだったらそのゲームやれよ、と言われていた)。
15.iPadなどタブレット端末で遊べるようにして欲しい→根本からの変更が必要なのでできないです。
16.UOTD導入当初ユニコーンは専用のグラフィックがなく純白馬だった。純白馬が好きなのでまた沸くようにして欲しい→TDがないので無理です。(チャットでは白いエセ馬を販売するように提案すれば良かったとの声が挙がった)
17.家が腐り始めた途端に共有やフレンドが一斉に解除されるのを止めて欲しい。友人宅の荷物確保をしたい→家の荷物を保全するためフレンドリストを消している。課金が切れて90日あるから余裕をもってくれ。
18.クラシックハウスのステップ部分を横に拡張できるようにして欲しい→(僕も言っている意味がよくわからなかった)→(家のカスタマイズと理解されたようで)できないよ。
19.ブラックソンAFに新しい見た目のアイテムを加えて欲しい(熊マスクとかTOLドレスとか)→考えてみるよ。
20.料理スキルで作れるものをもう少し増やして欲しい(茶葉があるから緑茶以外に紅茶とか、そもそも茶葉の栽培をさせて欲しい)→農業スキルなどという話題がEMから出た→見てみるね!

 ちなみに我らがMesanna様は狂気のアイテムを装備しており、

こんなのは序の口で、もっと狂っているのは
これじゃ。
 さすが開発の偉い人である。

質問者たちもちんまりと整列してて可愛らしかった(テレポーターが質問者列)。
 そうそう、この場では発言ができなくなっており、全員このデブミ用のチャットに入って雑談していた。コミュニケーションクリスタルでMesannaと質問者と翻訳のEMさんの会話を傍聴席に伝える形だった。

 色んな変更が実行されて欲しいな。



※2018/1/17 見直すとかなり誤り、または意図不明な文章だったので、修正した。

2018年1月12日金曜日

「スチーム・ガール」(エリザベス・ベア著、赤尾秀子訳、東京創元社、2017)

 面白い作品である。タイトルからスチームパンクな世界とわかるが、実はあまりそこら辺のテクノロジーに重きを置かれていない。
 史実とは微妙に異なる発展を遂げたアメリカが舞台なのだが、著者があとがきで色々元ネタを語っているように、蒸気技術の発展と史実を元ネタにしたキャラクターや地理が良い感じで混ざっており、不自然さを感じない。むしろ、あらすじに書かれている「蒸気駆動の甲冑機械」とやらを期待したら裏切られるだろう。読み進めて時々現れるオーバーテクノロジーに、この作品がスチームパンク系の世界だと改めて思ったほどだ。

 本書はマイノリティのごった煮のような作品だ。マダムは黒人の血が流れており、プリヤはインド系、黒人の保安官にネイティブアメリカンの助手、中国系のハンター。主人公のカレンも完全な白人アメリカ人ではなかったし(アイリッシュだったっけ?)、彼女が所属する娼館はゲイやMtF(だっけ?)も仲間として信頼されている。ついでにカレン(女性)はプリヤ(女性)にごく当たり前のように恋をする。男性だけどロシア人もいるし終盤にはインド系がたくさん出てくる。こうなると薄々わかるが、ストレートの白人アメリカ男性は当然敵である。
 本書を読んでいるとアメリカは昔からある種の多様性が尊重されているとも思えたが、著者が言うには社会から阻害された人々らしい(訳者あとがきの中盤参照)。とは言え、主人公の勤める娼館にはお得意様が市長な娼婦もおり、相手にしている客のレベルも高いので市の社会から阻害された悲壮感は感じられない。安心して読めるんだけど、物足りない感もあった。(なお、当時のアメリカの多様性はここに書かれているが、主流から排除されつつも色んな人種がいたらしい)。

 また、最大の特徴は、娼館が舞台で主人公も娼婦で、作中何回か体を売っていると思われるのだが、そこら辺の描写は一切ないことである。何と言っても主人公の勤める娼館が高級路線であり、どうも食事をしたりパーティを行ったりするのがメインだからと思われる。そのため主人公の境遇に悲惨さも生々しさもなく安心して読んでいられるんだが、当時のアメリカでどこまで真実なのかがわからん。ワタクシ勉強不足な上に世間知らずなので、こういう世界があるのかしら(現代日本だと高級なキャバクラに近いとして理解していた)。よって、カレンのプリヤへの恋はかなりロマンティックに、プラトニックに描かれる形になっており、これ何かに読後感が似てるなと思っていたらあれだった。恋愛シミュレーションゲーム。
 恋愛シミュレーションゲームは極めて理想化された恋愛を主題にしているが、この作品も同じではないかと思ったのだ。良くも悪くも主人公の立場は本書の世界の中では恵まれており、日々の「仕事」とは別に恋愛にうつつを抜かせる立場にあるわけで、上澄みの恋愛を楽しむようなジュブナイル物なのかなあと読んでて思ったのだ。これは否定的な意味ではなく、「現実」に汚されてない光景を、「現実」に疲れた人やこれから「現実」に飛び込む人が楽しく読むための本だと感じた。
 とは言え、この作品はカレンの手記という設定なので、単純に言いたくないから書かなかっただけかも。僕が真剣に考えたような理由もないかもしれぬ。

 他には、頭の悪い登場人物やご都合主義の展開もなかったのは高ポイント。物語を展開させるため主人公を猪突猛進にして困難を降りかからせたりする作品があるが、そういう展開って決まって主人公の頭の悪さに反感を覚えるんだよね。本書では、マダムから事件の深入りを禁止された主人公は何と言いつけを守る。もちろん裏でコソコソ動くんだけど、一応はほとぼりが覚めるまでじっとしているのに好印象。主人公、賢いじゃん。
 そのため物語を展開させるのは敵からのアクションということになる。それも、最序盤に主人公が何の気なしに放った一言が気に障ったという理由。いやもう器がちっちゃい、ちっちゃいんだけど、そもそも敵は陰湿でねちっこくて性格が悪いという設定になっており、小娘の発言を延々と恨む描写で納得したので中々伏線の張り方が上手い。この敵の描写だけでも作者の別の作品を読んでみようかなと思えた。


 と、かなり楽しく読めた。連続殺人事件が起きるは、敵のアジトへ潜入するは、百合展開(レズビアンというほど現実感はない気がするけどどうでしょう)、蒸気の甲冑(というか作中では半ばガンダムみたいな巨大ロボットのような印象を受けた)を着て戦うは、潜水艦から脱出するは、最期には大ダコと戦う! こんな冒険物語にマイノリティや性別の問題を絡めるんだから極めて意欲的で、でも見事に成功していると思う。SF臭はほとんどしないので、SF嫌いの人にもおすすめ。スチームパンク要素は主人公が戦って勝利するために設定されたと思われる。
 ところで、作中に出てきたマッドサイエンティスト税の文字列を見るたびにエンターテイメントしてるんだなあと感じた。