2010年12月30日木曜日

ある地方でのこと

 先日、職場の下戸同士で集まり夕食会を開いたときに、偶然住んでいる場所の話題となった。
 たまたまその場に集まった皆は同じ県に住んでいた。僕が一番会社(東京)に近く、他の人達はかなり遠いらしい。まあ1人は交通の便が悪いことで有名なN市だし、そもそもみんな通勤に2時間とかかかっているかならーと思っていた。いつしか地元の田舎自慢となったため、かつて中高の頃住んでいた町を思い出した。
「駅の周りにもコンビニがないから町に不良すらいないんですよねー」
 そう発言したら、みんなからそれはないとかコンビニがないなんてありえないとか酷い言われようだった。え、田舎というか地方というか、都会じゃない所ってそんなもんじゃないの? つーかボロクソに言ってくれるが、かつて僕の住んでいたそこはこれでも住宅地だったんだぜ? 東京まで電車に乗っている時間はこの場にいる先輩たちよりも短かったはずだ。終電が10時半とかそんな連中にド田舎なんて言われたくねーよw どうやら田舎と言っても東京から時間がかかるという意味での田舎と、文化や民度が低いという意味での田舎と、2つの意味があることをただ一人で知った。
 そんな感じでまた1つ世間を味わった中で、少し考えてみた。でも駅周りにコンビニがないのが田舎の条件だと思うけど……。

 人によって田舎とか地方とかのイメージは違うと思うが、僕は住みたくない。非常にストレートな物言いだけどそれなりの理由がある。別に僕の経験が田舎全てに当てはまるわけはない(つーか、一応は住宅地に住んでいたんだから「田舎暮らし」という言葉から思い浮かぶ世界ではないんだよな)。でも都会化から漏れてしまった地域の、それも2chですら書き込む対象ではない世界の姿を記録しておくのは僕にとっては意味のあることなんだ。


 僕は転勤族の子供で、小学校~高校までは関東地方の某所に住んでいた。ちょうど東京駅から電車で1時間程度で最寄り駅まで行くことができる。ボカして書いてるけど、一応は首都圏に入っている。バブルの頃は家の値段も相当高かったらしいのだが、いかんせんこの不況で価値が暴落してしまった。そんな田舎町だ。

 上に書いてしまったが、僕がその頃住んでいた町は駅の周辺にコンビニすらない有様だった。引っ越したバブル末期時には数年したら開発されるとか甘い言葉があったけど、それから10年しても全く変わらない町だった。駅から少し離れた場所に旧商店街+旧住宅街があり、そこから広大な田んぼが広がり、田んぼの真中に小学校・中学校がある。さらに駅から離れると、僕の住んでいた住宅街とゴルフ場が田んぼの中にぽつんと存在する――そんな世界だった。当然ながらテレビの映りは悪く、衛星放送もNHKのBS程度しか、携帯電話なんて電波が入らない感じだ。インターネット? なんだそれは。その当時(2002年くらい)でも東京から少し離れるとそんな住宅街があったのだ。
 誤解されるといけないから書いておくと、住宅地の規模としては多分小さくはなかったはずだ。4丁目まであり、それぞれ150軒以上の家があったはず。最低でも500以上の世帯はあったと思う。一時期はスーパーマーケットが近所に出店したくらいなのだ。小学校だって新しく建てられたし、色々と売りポイントはある。「広い間取りの家、近所に広大な公園があり、テニスができます。ゴルフ場だって歩いて行ける距離だし、近くに川もあるので釣りができます。なにより住宅地の中心に小学校があり、さらに子供たちの遊び場も多数」。あ、書いててどんどん田舎っぽさが出てきた。
 そんな環境だったが、僕が成長するにつれて「限界住宅地」っぽい雰囲気を醸しだしてきた。
 最大の問題点は、交通の不便さが挙げられる。住宅地から最寄り駅まで徒歩1時間半以上。自転車だと田んぼのど真ん中を突っ切ります。ゆえに車やバイクが必須になる。バス? ラッシュ時でも1時間で3・4本しかなかったはずだぜ。そんな艱難辛苦を乗り越えると電車がラッシュ時で1時間3本程度という試練が待っている。
 それでもバブルと崩壊後の数年は良かったのだ。いつか開発される、今を乗り越えれば電車が東京駅まで直通になる、そんな幻想を抱くことができたんだ。でも頭を冷やす余裕が生まれた頃に発見したのは、利便性の高い隣町に住宅街が開発されて失敗作を掴まされた自分たちの姿であった。余りにも田んぼのど真ん中を電車が通るから風雨の強い日は電車が動かなくなったりするしな。

 そんなこんなで人口流入の減少が大きな影響を与えた。バブル最後にスーパーマーケットが建てられたものの、それ以降の商業施設が全く作られなくなった。確かめようがないが、住宅地周辺への商業施設建築を反対する動きが、その当時あったはずだ。今となっては理由はわからない。
 公民館や図書館がついに駅の近く(家から歩いて1時間半)にしかなかった。現在(と言っても数年前だけど)見に行ったら、ついにスーパーが閉店し、代わりにシルバーケアがあったぞ。
 住人の意識も悪化した。長く住むにつれて近所ともなあなあで付き合う。するとすべての意味でだらしなくなるんだ。車は道路に出しっぱなし。庭の手入れも行わない。飼い犬は犬小屋に閉じ込めて散歩しないので、延々と鳴きっぱなし。なぜか週末の朝は10時頃でも誰も外に出ていない。ゴーストタウンみたいだ。
 僕の当時の隣人もまたとんでもない人で、今で言うゴミ屋敷な家だった。しかも毎日庭で何か燃やしている。僕の家中の電気を消すと炎が見えるんだ。10年近く住んでいたんだが、ボヤすら起こらなかったのは奇跡だと思う。

 そして、何よりも問題だったのは教育環境だった。僕が子供だったからそういう視点で見ていたわけだが。住居環境的に車必須であるため普通に暴走族(つーか珍走団と呼んだほうが近いかも)が誕生する。ヤクザとかになるわけではないが(僕が知らなかっただけかもしれないけど、そもそもヤクザが出て来るほど利益のある産業すら存在しなかった。さすがに田んぼじゃヤクザも困るよねえ。道路工事だってほとんどなかったし)、昼間は高校をサボって隣町まで出かけてうろつき、夜はバイクで一っ走りな陽気な人々が多かった。
 近所にできたスーパーには本屋はあったが、有名雑誌+マンガしか置いていなかった。教科書すら売っていなかっただろう。しかもマクドナルドとゲームコーナー付き。住民の数は多いはずだが、それでもペイしないと判断されたのか、カラオケのような娯楽はついになかった。
 僕の同級生は小学校で100人ほどいたが、その内10人前後は中学受験。いや、非常に多いほうだ。しかもみんなそれなりの中学校に入ったし。中学受験をしなかった連中は、近所の公立へ。そこから一部はちゃんと高校へ行き大学やら就職をするらしいが、一部は高校で暴走族となる。行き着く先は親の脛齧り。中学受験組も地元の友達と遊んでて気がつくと大学まで保証されてるのに一人は明治→体育大学だし、一人は系列中学→別の高校と。何のルート脱線だ? 恋愛ADVならびっくりだ。
 そして中学受験組の家庭は良くわからないけど同じ中学受験組の家庭と交流するのを好む傾向があるっぽい。近所とかが切れてしまうんだね。これって藤子不二雄の短編集で見た砂漠の町を脱出するマンガを思い出してしまうが……。確かに近くの公立中学と私立中学だと高校進学なども含めて話題が違い過ぎる。
 結局は可能性の欠如なのかもしれない。刺激と書くと別の意味も混じるが、要は中学・高校と色んな物を吸収して考えることのできる時期に、小学校でも見た代わり映えのないものを延々と見せられて、それでも年齢相応にバイクが解禁される。将来性なんてどん底だから親も焦るべきだが、周りを見ると意外と同じような行動をしている子供は多いのだ。だから子供は刹那的に生きるし親だって何も言わない。
 団地ができて長くても15年程度だったことも楽観視していた理由の一つだろう。子どもが5歳の時に引っ越しても20歳になったばかり。もう少ししたら大人になって、就職もするさ。周りの家族だって同じような状況だし。それに我々(親)だってまだ若いからパラサイトを飼う余裕はあるさ。

 とにかくそんな町、もとい住宅街だった。周囲から隔絶され、引越しによる流入が少ない上に新しく開発された番地に住むために価値観が固まってしまう。番地ごとに子供の年代、そして親の年代がある程度揃っている環境。周囲に娯楽施設が、ビデオ屋・カラオケ・書店などがない上にテレビもろくに見れない、ネットも常時接続できない(断っておくが2000年代の話だ)ため、時間の持て余した人々は井戸端会議か近所のスーパーでバイト(これも最終的には店員と客が顔見知りなので雑談所状態だった)に精を出す始末。悪しき田舎の雰囲気がピンピンとしていた。
 その一方で都会人特有の悪しき身勝手さも大いに発揮された。ゴミ捨て、生協、まあ色々とそれはもう自己中心的に動く人も数としては少なかったものの一部ではいた。路上駐車は当たり前。まあ邪魔だからどかしてくれと「お願い」すれば応答するだけマシだとも言えないことはない。本当にどうしようもない連中は逆ギレするらしいから。
 そうそう、家の外壁塗装もネタだった。以前に楳図かずおのシマシマハウスが話題になったが、シマシマまではいかなくとも周囲がクリーム色の中に一軒パステルグリーンとか、なかなかやってくれる家が増えていた。いや、これをもって都会人はとか田舎者はとか言う気はないが、庭や駐車場から雑草を生やしてるのに家だけを塗り替えても、ね。それくらいしか楽しみはないのだろう。
 極めつけは住人の存在感の薄さ。周囲に道路がないから活気がないこともあるが、それにしても閑散とした雰囲気だった。いや、人はいるのだ。理由はわからないが、引越して出て行く人はいないため、住んではいるはずだ。でも外で人を見かけない。大学受験勉強をしていた頃、気分転換に外に出たりしたが、犬の散歩ですら滅多に出会わなかった。今住んでいるところは昼間は当然のこと、早朝も夜中も犬の散歩にであるので、やはり異常だったのかもしれない。

 最終的に僕の家族は引っ越した。中学から地元を離れ、コンビニとか本屋とかに触れ合っていたから(大げさだけどw)未練は全くなかった。当時、新築を買うとバブル期の1/5以下の価格。中古物件はそれ以下で手放された。僕の小学生時代はそんな交通の便の悪い中で育ったということか。
 数年前にふと見に行ったときが最後だった。今どうなっているのか知らない。あれからリーマンショックなど色々景気の上下があったけど住人に影響を与えているとは思えない。
 風の便りだが僕の同級生は3兄弟そろって暴走族のリーダーとなったらしい。周囲の子供(女の子)持ちは怯えているそうだ。僕自身は小学校時代の彼を知っているから意外ではないものの警察のお世話になるとまでは考えていない。でも世間の水準ではDQNと呼ばれる種族なんだろうな。
 引越しをしてから数年後、かつて町は隣の市に吸収合併された。前々から話は出ていたがやっと実現したらしい。町の名前は駅名として残っているから、その点ラッキーだろう。そういえば駅周りの再開発も行われ、駅から徒歩15分の距離にコンビニができた。……あれ? 駅を利用している人には意味ないよね? 住宅街にあったスーパーは撤退し、駅近くに新たなスーパーができた。その代わりシルバーケアハウスと薬屋と精神病院が住宅街に建設された。個人病院ですら相変わらず駅まで行かなけりゃない。
 冬の午前中だったが、道路に人の影が見えず、晴れていたのに暗かったことしか覚えていない。

 別にこの経験から何かを結論つけることはしない。逆に、生々しすぎて一般論として当てはめる気になれないんだ。「田舎が嫌」からスタートした回想だが、僕が普通に会社員になってオタク生活を満喫出来ているのは運が良かっただけだ。教育環境への絶望・中学受験・引越し・大学受験。全ては親のおかげで今ではこうして元地元を馬鹿に出来る身分になった。
 都会ではないが田舎ではない、田舎にすらなれない、そんな見放された世界を書き留めたかった。バブルの乱開発によって田んぼの真ん中に住宅地を作り、住宅の中だけで生活をする。土地を持っていた人たちとの交流は全くないため、開発も優先されない。今の時勢、田舎ですら店やコンビニはあるが、それは旧商店街に出店され、住宅地には何の影響もない。話だけなら田舎だけど、でも家と家主は一応は都会の行動様式で動いている。そんな田舎ですらない忘れられた島。10年もすると当時のサラリーマンの多くは定年になり、その後病院すらない環境でどうやって生活するのか想像もつかない場所。住民が2chとか使えないから誰も知らないだけで、東京周辺は実はこんな場所がいくらでもあると思うんだ。
 ただ一つ学んだのは、子供への教育の必要性。そして路上駐車・ゴミ出し・夜中にゴミを燃やす家の有無を確認してから家を買おう、と誓ったことだけだ。

最近のUO

 やっぱみんな帰省とかしてんのかな。ヘイブンにも人が少ないしIRCも少ないや。酒場も年末年始はほぼおやすみだし。


 えっと、12月の壱の市にむらさきうにさんがやってきたよ、の図。一応UO内では有名人だからすげえと思いつつ、普通の宵闇な会話をしていたのであった。


 ベインイベントで妖精特効の刀をゲット。なぜか青骨デーモン2匹目で出現。それからは全くでないけど。


 ……えーとサンタイベント、の関連ネタ。サンタイベントの宣伝用(?)としてブリにこいつがいた。イベント自体は見れなかったけど、喋る内容が中々カオスだったのでこれはこれで元を取った感がある。
「あ、ありのままを話すぜ」
「先生、脳内彼女が恥ずかしがって脳から出てきてくれません!」
「バレンタインの時と同じ失敗は繰り返さない……絶対にだ!!」
 10数分毎に同じ会話を繰り返していたがそれもあって異様な雰囲気だった。


 サンタイベントとの関連がわからないけど、コンパニオンイベントが開かれた。ヘイブンの街は久々のイベントにワクワクする連中が集まっていた。その後ただの料理体験だと知って去る人々が続出……。


シニアコンパニオンの方を激写。シニアコンパニオンさんのローブはアイテム扱いじゃないのか。プロパが見れなかった。仕方がないからランタンでも見よう。


 そして宵闇亭。マスターがいなかったせいか、ユキマルさんがまさかの白帽子装備。


 で、クリスタル集めなう。吸血鬼になってひたすら狩る。ラジエントシミターを最初使っていたが、Dメイスの方が殲滅効率が高いことに気付く。高かったのに……。

2010年12月29日水曜日

今日の私

†本日は会社の最終日。世間の人々が休みなのに何で会社に……とか思って電車に乗ったら、結構な人ごみだった。あれ、最近ラッシュが激しい? とか思ってたら、ああ、学生は休みね。僕の使っている電車は某米帝ネズミーランドの駅を通るため、夏休みや春休みのほうが学校のある時期よりも混雑するというジレンマに直面しているのであった。つーかカップル大杉。爆発ry。

†会社。やったことは大掃除・伝票出力、そして11時から4時間ほど大宴会。おいおい、それだけのために人を呼び出すんじゃねーよ。しかも一応は経費節約の辞令が交付されているだろうに。つーか営業の方が質素倹約しているのはどういうこっちゃ。うちの会社は相当古い体質だと思ってたけど、さすがに今の時勢でこんなことやってるのはまずくないか?

†帰り道。電車でふと起きたら、目の前にでっかい袋を持っているこれまたでっかい男がいた。袋は肌色だった。水色ぱんつも描かれていた。……そっか、今日は大祭か。またの名をコミケとも言う。ビッグサイトで開かれているが、JRの最寄り駅が僕の使っている電車のとある駅なのであった。
 電車という公共スペースで自らの性的嗜好をおおっぴらにするその心意気は、世間体を捨て去り二次元のみへの帰属を高らかに宣言する行為としてオタクとしては見上げたものだと思う。しかしそれでもここは電車だ。君がフランドールが好きとかそんなことはどうでも良いのだ。ぱんつはやめろ。つーかオタク絵はできれば隠せ。こちらまで赤面してしまう。ん、まさかこのキャラがフランドールだとわかる香具師を炙り出す踏み絵として使っているのか?

†つい先日ゴールデンエッグスの第一話を見た。なぜか心が暖かくなった。んーすべってる? まあシュール系のギャグって合わなかったら悲惨だしね。ツボが違ったんだろ。他の作品を見よう。

†氏賀Y太というマンガ家がいる。グロマンガと呼ばれるジャンルの作品をコンスタントに書いていた日本でも唯一の作家だ。グロさ自体はは千之ナイフをはじめとするホラー漫画家や駕籠真太郎とかアート系の作家が描いたりしていたのだが、氏賀Y太のエポックメイキングなところはエロマンガとして発表したのだ。要は性的な意味での男性向け18禁マンガ雑誌に掲載してそのまま性的な意味での18禁マンガとして単行本化された。2004年頃が一番流行ってたかな。色々な人々にトラウマを与えまくったが、気がつくと商業の表舞台からはいなくなっていた。
 つい先日の東京都ポルノ規制条例も成立したことだし、彼のようなマンガ家が消えるのは残念だなーと思った。いや、消えたかどうかは知らん。サイト持ってるはずだが見に行く気がおきん。だってグロいんだもん。

2010年12月27日月曜日

「ハンニャハラミタ」(駕籠真太郎、集英社、2005)

 駕籠真太郎のマンガをレビューしていた当ブログだが、意外と抜けがあるらしい。この記事で書こうとしている「ハンニャハラミタ」に初の一般向け作品である「パラノイアストリート」など。一応駕籠真太郎の商業単行本は全て持っているので一刻も早く感想文を書こうと決意。

 さて、「ハンニャハラミタ」だが、集英社「ヤングジャンプ」に掲載された作品群である。さらに比較的古い作品が多い。そのためキャラクターも士郎正宗的可愛さがあり、しかもスカトロとか下品系ではないネタ。普通にSFしてるよ、どうしようって感じである。作品の感想は以下のとおり。

・仰ゲバ尊し
 ストーリー:小学校が鎖国化され、生徒は一生小学校の中で暮らし、学ばねばならなくなった世界。生徒たちは小学校に入ってから外を見たことがないため、何があるのかわからない。ちなみに小学校は先生が権力者であるため、生徒たちは日々を怯えて過ごしているのだ。
 要はある種のディストピアだ。ちなみに以下「動物の王国」までがこの単行本のディストピアシリーズね。小学校というのはどうしても体に叩き込むという教育をしがちだが、それを延々と大人になるまで引きずるとどんなになるかなーと、それがこの作品だ。別に教師も、教育制度も批判していない。それは黒幕が実はただの小学生で、こんな事件を起こした理由が「永久の小学生をやっていたかったから」みたいなセリフからも読み取れる。みんな流されっぱなしかもしれないが誰にも悪意はなく、結果として目を覆いたくなるようなディストピアとなった。ただそれだけだ。そして最後に主人公達は外の世界へ「卒業」するが、他の学校も鎖国してしまい、しかも主人公達は外の世界を全く知らないため生きて行けるのかどうかすら怪しい。希望も何もない終わり方だけど、外に出ることに情熱を燃やす主人公は救いを見いだせる。ってこれって少女革命ウテナ(それも劇場版)の一つのバージョンじゃないのかい?

・DEMON SEED
 ストーリー:異形化した人間に傷つけられウイルスに寄生されると、異形化してしまう。主人公は異形と化した人間を殺すハンターだが、恋人もまた寄生されていた。恋人は逃げ出すがその時に主人公もウイルスに寄生されてしまう。主人公は自殺する勇気もなく仲間のハンターと共に異形人間を殺すが、ある日自分が完全に異形になっていることに気づく。寄生されても思考は普段のままとわかる主人公だが、かつての仲間は主人公を殺そうとする。主人公は人間よりも異形人間達を選ぶ。
 要は吸血鬼だよね、異形人間は。それも一時期流行った社会に適応するタイプの吸血鬼モノか。つまり吸血鬼は人間の上位互換であり、人間から吸血鬼に変身するが、闇雲に血を吸うと生態系のバランスが崩れる。そのため吸血鬼の社会では人間世界に溶け込む掟があり、その一つとして滅多に人間を襲わないってな感じ。吸血鬼系の作品を余り知らなかったら面白いかも。特に終わりの方で寄生されていることに気付いた主人公の同僚が手を返して主人公を殺そうとするのは、吸血鬼モノのお約束とは言え、悲しい物があるよ。

・ハンニャ ハラミタ
 ストーリー:「菩薩」と呼ばれる製品により幸福感を感じることができるようになった。これを合法化しようとする組織とドラッグとみなし弾圧しようとする当局。「菩薩」によって恐怖感も紛れ、どんなに傷を負わされても非暴力運動を行うことができる。しかし新しくロボット警備員が導入され、躊躇なくデモ隊を殺すことができるようになった。デモ当日、「菩薩」合法化運動を行う組織の面々は次々に殺される。「菩薩」はもちろん無力だった。
 はい、「菩薩」に「イデオロギー」と入れてください。ああ、そういう読みは邪道かな。でもこの「菩薩」って奴はストーリーを作る上で何にでも置き換えることができるマジックワードなんだ。そんなことを思いながら読んだ。物語自体には別に目新しいものはないだろう。若気の至りは怖いねえ、しかも思想に肉体の快楽がからんでくると――な感じ。

・動物の王国
 ストーリー:生類憐れみの令が社会の理想となった世界。人間との共生はもちろん不可能であり、お互いを傷つけつつ、生き物を守る思想は廃れていった。
 「ハンニャハラミタ」に出てくるディストピアの究極系か。現実でも2010年度はシー・シェパードとか自然との共生がテーマになったから、その意味でこの作品はまだ光り輝いている。何というか、どのような倫理も政治の思想の道具になれば「良いこと」の一言では済まされなくなってしまう。理想を見栄のために支持する大衆、理想にしばしば反してしまう現実、理由はどうあれ理想を守れなかった人間に対する大衆からのバッシング、理想に政治が絡むととたんに湧いてくる金の匂い。さらに行き過ぎた理想に対するバックラッシュ、そしてバックラッシュを支持する運動家は世間から理解されないためカルト化する傾向にある。理想を守るための犠牲が現実の生活でどのくらいかを見せつけられると、とたんに文句を言い始める大衆。これだけの短い作品の中で「理想」というイデオロギーをめぐる全てのゴタゴタが描かれている手腕は素晴らしいとしか言えない。

・ataraxia
 太田出版の六識転送アタラクシアの元になった作品。異世界へ旅立つってのは児童文学でもよく見られるフォーマットだが(それこそハリポタが有名だよね)、現実での辛い出来事を忘れるためという側面があるのだ。児童文学での旅立ちってその手の「喪失の保管」(この場合はポッカリと空いた心を取り戻すという意味で)がかなり多いよね。
 で、この作品も見事に当てはまる。主人公が精神世界に行くのはイジメからの逃避。しかも逃避しても微妙に馴染めないとかイジメを解決しようとしても最終的に自分に被害が及ぶとかそんな因果応報オチも用意されている。
 それにしても精神世界の表現は面白かった。サイバーパンクSFでは電脳世界・精神世界は小説上で表現されるが、実際に絵にすることってまずないからね。その意味でこんな表現もあったのかと感動した。こりゃ次に精神世界を表現する人は大変だぞ。

・描きおろし(飛んで目に入る夏の虫・尻尾考)
 小ネタ。感想省略。


 内容が濃かった。作品の濃度もそうなんだが、いろんなテーマ・題材からの借用があるのだ。さすがに〇〇の基礎知識みたいな辞典を単行本にくっつける作者だぜ。
 駕籠真太郎の古い作品、しかも一般向けということで、王道のSFばかりが集まった感じがする。ところで駕籠真太郎ってディストピアとか反体制とかが好きなのね、としみじみ思った。しかもサヨクとか今の日本では理想とされる社会が容赦なくディストピアとして切られているのだ。これが少し昔の作家であればここまでメッタ切りにされなかっただろうに……。やはり駕籠真太郎はソ連崩壊以後の人間なんだね。
 まあそんなことを思いながら書き上げてみた。

2010年12月26日日曜日

なぜかへんかんできない……

 あい・えむ・いー さんが こわれた わけじゃないけど、もじがなにか おかしくなりました。
 でも にちゃんぬるには ぜんごのかんじが ちゃんとへんかんできてるのに いちぶだけ おかしくなってる しょうじょうのひとびとがいるので まだまだ なおなお(いちにんしょう)のは だいじょうぶだなとおもいました。
 よく「ふいんき(なぜかへんかんできない)」とかあるけど べつに「ふいんき」は みすたいぷ するひと いないとおもいます。 どちらかといえば
「げんいん」を「げいいん」とか、「ぜんいん」を「ぜいいん」、「こういう」と「こうゆう」とかにしたほうが ねたっぽさがでて おもしろいんじゃないかな とおもいます。 ちなみに なおなお(いちにんしょう) のぐーぐるあい・えむ・いーは なぜかへんかんできないねたが いっぱつででました。 さすがにいんたーねっつのぶんしょうを かるくほそんするていどの のうりょくの おやだま。 はやっているねたは だいいちこうほに してくれるとは あなどれない。 こうゆうの(なぜかへんかんry)を こーぱす ってゆうんでしたっけ。
 なおなお(いちにんしょう) てきに なぜかへんかんできないけいは うえの「ぜんいん」などのほかに
「そのとおり」→「そのとうり」
「じしん」→「ぢしん」
「いずも」→「いづも」
みたいなものがふさわしいと おもいます。 ってこれはただの しょうがくせいの こくごのれんしゅうではないですか。どうも なおなお(いちにんしょう) てきには ぢ と じ のまちがいとかが すきなようです。

 ふう。ひらがなだらけって つかれますね。 ぼくのばあい ひらがなだけのぶんしょうは すっごいむかしに とあるきゃらの ぱろでぃとして たようしていたじきがありました。 いちにんしょうを なおなお にするのも そこからきたねた。 じつは ひらがなだけだと ことばのえらびを すこしくふうするひつようが あります。 たとえば「とあるきゃら」とかきましたが かんじまじりのぶんだったら 「ぼうきゃら」いったくなんですよね。 でもひらがなで 「ぼうきゃら」だと ぜったいなんのことだがわからないので 「とある」におきかえました。ああ、ここは「ちかんしました」なんてかきませんけど。
 また このぶんしょうもそうですが てきとうなぶんせつで すぺーす をあけています。 これは「わかちがき」といいまして ひとむかしまえの げーむなどでよくみられていたとおもいます。 ひらがながつづいており よみにくくなったときに ひともじあけて しにんせいをかくほするのが おもなもくてき。 こうすると あらふしぎ。 この げしゅたるとほうかい しそうなぶんしょうも よみやすくなるなる。

2010年12月23日木曜日

サロゲート(Surrogates)

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 何だかよくわからん映画だった。ストーリーに納得できなかった。僕の理解が間違っている可能性があるので、完全ネタバレで書く。

【ストーリー】
 身代わりロボット(サロゲート)によって社会生活を行う世界。生身の人間は自宅に引きこもり、寝っ転がりながらサロゲートを操縦していた。既に生身の肉体同士が顔を合わせる機会が全くなく、逆にサロゲート使用者にとって生身の肉体は嫌悪感を催すものになっている(注:映画のいくつかの描写からそう感じた。設定的にも合ってると思う)。サロゲートの最大の特徴は交通事故などにあっても生身の肉体には何ら影響がないこと、また自分の理想とするボディになるため犯罪が激減すること(注:なぜかは不明w)だった。
 しかしある日、サロゲートが殺される事件が起こる。特異なのは使用者も同時に殺されていた点。この不可解な犯行を解明するためFBIのグリアー捜査官が極秘に捜査を行う。
 殺されたのはサロゲートを開発したキャンター博士の息子。キャンター博士はサロゲート技術を開発し、世界のサロゲートを独占する巨大企業を作るが会社から追い出された。キャンター博士の息子は博士のサロゲート(イケメン)を秘密裏に用いてクラブでナンパしたところを博士と勘違いされて殺されたらしい。ざまあみろ。
 グリアー捜査官は犯罪に用いられた武器が反サロゲート運動家の手に渡ったと知り、突撃し、反撃を受ける。実はその武器は軍がサロゲート無力化の兵器として開発し、実は中の人間まで殺すとわかり廃棄されたものだった。サロゲートの会社は、実は反サロゲート運動を行なっているキャンター博士が目障りになって殺そうとしたものの、最終的には反サロゲート運動指導者(予言者)=キャンター博士の手に入り、息子を殺されアヒャったキャンター博士が全サロゲートに向けて武器を用いようとするがグリアー捜査官によって危機一髪阻止された。しかし結果として全サロゲートは壊れ、人間はサロゲートを今後も使い続けるのか、それともサロゲートを捨てるのか。課題を残し終わる。
 ハリウッドお馴染みの夫婦の問題、一匹狼となり所属するFBIからも追われる主人公、とってつけたような人間の根本に関わる主題も盛り込んだよ。

【感想】
 生身の肉体を捨てて、仮の姿(アバター)で社会生活を行うネタってのは、諸星大二郎「夢見る機械」がもろに当てはまり、攻殻機動隊やサイレントメビウスに要素としてあるし、マトリックスもある意味そうだろう。まあ、マトリックスは生身の肉体に戻れないから外すとしても……。要はサイバーパンク系の活字・マンガSFなら既に使い古されたテーマである。そういえば篠房六郎のMMORPGネタマンガもまさにサロゲートのような作品だったかも。
 なのでSFにある程度親和性のある人ならガンガンと突っ込むことができる。
・社会生活上ロボットを操縦してまで避ける危機って何だろう
・強制的に生身の肉体に戻らざるを得ない(例えば性行為)時はどうしてるんだろ
・ここまで技術が発達しているならば肉体改造もできると思う、というか肉体改造の方がメリットあるよ
・引き篭っている生身の肉体は絶対にヨボヨボになってるよねー
・サロゲートの五感は生身の肉体にフィードバックされるのだろうか。そうしたら事故にあっても痛みを感じるぞ(ここらの技術上の理屈がわからないからイマイチ危機感がない)
・ジェニファー捜査官のサロゲートに入るグリアー捜査官。え、サロゲートって生体認証とか全く行ってなかったんだ
・グリアー捜査官の息子って一体なんだったの? そもそも存在してたの?
・全人口の98%まで普及……は置いておくとして、アメリカ大都市全ての人に普及ってありえないと思うんだ
・犯罪が減る理屈がわからん。サロゲートの維持に金がかかるから余計に犯罪が増える気がする
・いくら身代わりロボットがあっても寝てる間や、直接生身の肉体を叩かれれば終わりだから意味ないよ
と、軽く考えただけでもこのくらいある。念のためググッてみたが、やはり考えることは皆同じで。犯罪が減るなんて嘘だよねーという声は大きかったな。
 まあしかし、どうでも良いことを突っ込むと叩かれるからよそう。何と言ってもAmazonレビュー
・という事で (1)B・ウィリス主演 (2)SF (3)89分で完結 を大前提にエンジョイしましょう!!
がこの映画の全てを表しているのだから。

 というわけで、内容のツッコミ。
 たぶん主題は人と人とのコミュニケーションのはずだ。主人公のグリアー捜査官が妻に向かってサロゲートではなく、生身の肉体で自分と向きあって欲しいと叫ぶシーンとかにそれが現れている。でもさあ、それって別にコミュニケーションの本質ではないのでは? ググるとサロゲートを携帯電話とかに関連つける人もいるみたいだが、どちらかと言えば整形・化粧・サイボーグ化とかそっちの技術に当たるのではないだろうか。サロゲート同士でコミュニケーションをしても身振りや表情は必須っぽいし。少なくとも今の現実で使われている意味でのコミュニケーション不全であるわけじゃないと思う。
 僕がストーリー上引っかかったのはここなんだ。サロゲートが悪だと言われる根拠がわからないのだ。強いて挙げれば先程のコミュニケーションの問題となるだろう。でも生活が劇的に変わっている様子はないし……。街中が美男美女だらけになったら人と人が向き合っていないことになるのだろうか。
 映画の中では、サロゲートは身体の不自由な人のために作った→健常者が使うのはケシカラン!!→サロゲートは悪だ! という理屈も紹介されているが、これはまあ筆が盛大に滑ったのだろう。この理屈を主張するのはキャンター博士1人な上に他に主張する人がいなかったものだから。
 それからサロゲートを開発した会社の黒い話。そしてサロゲート自体の欠陥も上げられる。映画の中で人々がサロゲートについて考え出すきっかけがこの事件を通したサロゲートの欠陥だからだ。でも、事件(実際にはテロだけど)が起こったのは軍が破棄した計画を不正に流用した結果であり、防ぎ様がないと思うが。例えるならば軍で保管されている毒ガスが都市部でばらまかれた→軍はイクナイ! にはならんだろう。不謹慎だが、9・11テロで飛行機が使われたり、オウムのサリン事件で地下鉄が犯行現場になったからと言って飛行機や地下鉄に対して反対した人はいなかったはず。サロゲートを開発した会社も「普通」の企業っぽいし。サロゲートを使って寝ている人々を利用して発電したり、サロゲートが知能を持って人類に反抗させるよう仕向けたりとかみたいなわかりやすい悪じゃないため、スケールも反サロゲートの根拠も薄いのだ。
  最終的に、サロゲートを悪と断言する根拠は恐怖心なんじゃないかな。カルトと言っても良い。劇中で反サロゲート運動家たちがたいした理由もなく「予言者」と呼ばれる人間に賛同したり、事件を犯したりするなんて現実世界の某事件とかを彷彿とさせるものだった。「一般人」と呼ばれる立ち位置の人々もサロゲートが全て動かなくなった後、憑き物が落ちたような顔をして、恐らくサロゲートを捨てて生身の肉体に戻るだろう。ラストシーンのレポーターのセリフからも伺える。事件自体の考察も待たずに空気によって流される姿がここにある。サロゲートを使っている人々も、それに反対する人々も理性を使って選択した結果でないわけだ。これもまた現実世界で思い出されるものがあるだろう。脚本家がここまで考えたかは知らないけど、この映画はサロゲートの良し悪しよりも、技術とそれに流される人々を描き出したのかもしれない。今、この記事を書いててそう感じた。

 まあ、そんなことはさて置いて。シナリオが意味不明だった。なぜキャンター博士は予言者だったのか。キャンター博士を殺すにしてももう少し合法的な技はなかったのか。そもそもキャンター博士が全サロゲートを生身の人間もろとも壊す理屈がなりたたない、などわからない部分が多数。シナリオを通すとさっぱりなので、上の僕の理解も合ってるのか心配。助けて。

 僕個人の意見だが、サロゲートには大賛成である。反対する根拠が見つからん。まあ、もっと進めて全身の機械化とかの方がメリットが大きいと思うけど、サロゲートか生身の肉体の選択をするならばサロゲートということで。ただしサロゲートが普及すれば同時に整形など肉体改造も普及するだろう。だって夫婦生活とか絶対にサロゲートを脱ぐ時が来るのだから。美人の基準が人工皮膚に覆われたサロゲートとなってしまうのだから生身がどこまで綺麗だったとしても整形に走る人々が出るだろう。でもお金を持っていない連中はサロゲートはあるものの、生身を整えることはできない社会となる。そこまで行き着いたら「美」の財産化として社会問題になるのかもしれない。少し前にYouTubeかどこかでブスを守る会ってのがあって問題となったけど、それのさらに深刻なことになる。
 ただしどこまで行ってもそれは人間による人間自身の問題だ。サロゲートにはパーツによって人間の性能を越えることができるため(映画に描写されている)、そんなパーツを使う人が増えるに連れ従来の倫理観が壊れるとか、そっちに向かうならまだしも、ただのカルトの戦いだからねえ。もう一歩深くなってほしい作品だった。

2010年12月22日水曜日

最近の私

†UO:よーし、お父さんヒーラー作っちゃうぞー。げ、獣医ってどうやって上げるんだ→放置
  よーし、お父さんベイン倒しちゃうぞー。げ、青いでっかいの強すぎ。勝てないよ→放置
  わークールすぎー

†iTunes:ガメラ3邪神覚醒をハケーン。でもレンタル……。200円と安いんだけど、2G近くダウンロードして視聴期間が限られるのって何となく納得いかん。でも近所のレンタルビデオ屋にガメラ3はないし。

†Golden Eggs:つい最近知り合いから勧められた。以前ニコニコ動画で寄せて上げるブラネタを見て、DVD買いたいと思ってたが……値段高すぎ。これはファン度を測る試金石ですね、わかりたくありません。

†ボドゲレビュー:やっぱりというか、レビューの更新は止まりましたね。すいません、許してください。実はカタンとカルカソンヌが自分的にイマイチだったので、マイルドな表現を探すうちに更新をやめてしまいました。

†マンガ:モテキとかカラスヤサトシとか色々読んだけど、感想を書く気力がないや→放置

†ポケモン:夢島ポイントメンドクセ→放(ry

 ここまで盛大に放置してるとネトゲだったらアカバンされるんじゃね?

ゴジラVSビオランテ

『ゴジラvsビオランテ』(ゴジラたいビオランテ、または、ゴジラ ブイエス ビオランテ)は1989年12月16日に公開された日本映画で、ゴジラシリーズの第17作である。観客動員数は200万人、配給収入は10億4千万円
Wikipedia:ゴジラvsビオランテより)
 まて。1989年……だと? 僕が物心全くついていないころかよ。そこまで昔の作品だったとは思えなかったが……。

 今作は所謂平成ゴジラと呼ばれる作品の第2作目。敵がゴジラ細胞から誕生したとか、ゴジラが災害だとか(山本弘のMM9だよね)自衛隊の超兵器とか、遺伝子工学とか、超能力とか、そもそもストーリーの主軸が科学技術をめぐる組織対組織の争いでありゴジラは味付け海苔程度だとか、もうそれまでのゴジラからは明らかに転換を図っていた。しかも後のゴジラ作品を含めてもかなり特異な立ち位置にいる。
 要はゴジラ、意味ねえなみたいなものなんだが。ゴジラ細胞、そしてそれから作られた抗核エネルギーバクテリアは核を分解することができるため、核兵器がもはや最終兵器ではなくなり世界のパワーバランスが崩れるのだ。核兵器の威力を保持し続けようとするアメリカ・バイオメジャー。対G細胞を組み込んだ小麦を使いアメリカを越える農業国になろうとする中東サラジア(しかしなぜサラジアが抗核エネルギーバクテリア争奪戦にまで参加するのか、意味不明!)。表向きはゴジラを倒すため、裏では色々黒い考えを持っている日本。この3者が謀略を図る怪獣風サスペンス、が一応のストーリーである。うん、ゴジラは空気。
 まーこのころってサブカルの地位が上がってた最中だったはずで、世界情勢とか組み込むのも今から見てもかっこ良いなあと素朴な感想を抱いたり抱かなかったり。ストーリー面で社会派へ頑張ってるのがわかって面白い。
 確かにビオランテとのバトルが全く盛り上がらないためゴジラ・怪獣映画としては失格な気がするけど、1989年製作としては最高傑作だと思う。こりゃ平成ゴジラシリーズ中No1と叫ぶ人がいるわけだ。


 ……と思っていた。ちなみにこの作品はバブル真っ最中に作られていた。
 劇中で抗核エネルギーバクテリアの研究を推進する社長(大河内誠剛:日本勢力)がこんな感じで言う。
抗核エネルギーバクテリアが必要な理由はゴジラの災害から日本を守るためだ。(抗核エネルギーバクテリアにより最強の兵器を日本が入手することに対して)日本はかつてアメリカから核で被害を被った。日本が核を越える兵器を手にしても良いではないか

 あくまで大河内は悪役としてわかりやすいセリフを吐いただけだ。劇中でも主人公に反対されるは計画が台無しになるはで3流悪役っぷりを見せつけていた。
 しかしこの映画が作られた時代はこの手の思想がそれでも社会的にある種の立ち位置を持っていたんだね。それがびっくりした。時は既に三菱地所がロックフェラーを買い取ったとか何とかやってた頃。高度経済成長は軍事でアメリカに勝てなかったものの、今度は経済で戦争をしかけたーーみたいな言説が時々見かけるが、まさにそれを具現化したキャラだったんだなと感じた。そしてバブルを生きたある年代の人々は打倒アメリカをそれなりに信じてたみたいで、その後の時代を生きている僕なんかは思わず笑ってしまったよ。
 でもよく考えるならば、今の僕らの時代は自衛隊がイラクに行ってみたり、米軍に補給をしてみたりと昔の常識では考えられない事態が起こっている。言論だって北朝鮮に対する先制攻撃とか核武装論とか米軍追い出し(これはすでに消えたのかな)とか昔とは全く違う。
 月並みだけど、時代は変わるものだねーとオモタ。


 良く解らんのだが、何でサラジアが抗核エネルギーバクテリア争奪戦に参加したんだ。さっぱりわからん。

2010年12月19日日曜日

音楽

 最近iTuneで色々音楽を買っている。まあポケモンと東方だけじゃいかんかなと思ったんだ。とりあえずLady GaGaと少女時代を。
 で、これって好きなのか嫌いなのかイマイチわからんなーと感じた。
 というか、僕は音楽の好みのセンスが殆ど無いらしい。別に好きでもないけど、だからと言って買って損したとも思ってない。多分僕の興味からは外れているけど、でも聞くことは苦じゃない。恐らく、中高生の頃、勉強するときに音楽を全くつけなかったからそれで好みとかを育てられなかったのかもね。

 これと対称的に、僕は小説・マンガにはかなり好き嫌いが激しい。最初と最後を読んで面白いか否か決めたり、後書きや解説がなかったら本の魅力が下がるみたいなセリフを吐いてたりする。まーだってねー。この年になって新しいジャンルとか手を出す気もないしねー。自分の好きな世界で完結してしまっても問題ないよ。それでなくても乱読してるほうだから、本に関してはより好みしてオッケーと決めている。
 でも音楽に関しては全くわからない。何となく聞いていて心地良い曲はある。MOSAIC.WAVのアルバムを全部買ってるけど、2~3アルバム中で1曲ほどは他と比べて再生率が段違いのものがある。ぶっちゃけそれだけ延々とリピートしているみたいな感じ。だから本来はアルバムなんて買わずに、試聴してから気に入ったもののみを買えば良いのだ。ちょうどiTunesは試し聞きができるんだから。ちなみに僕はファーストインプレッションで永久リピートリストが決定すると、他の曲を聞いても聴き続けたいとか思わなかったりもする。それもあって試聴をするべきとあれほど言っ(ry。

 恐らく、音楽のことが全くわからないからこそ、出されたものを全部平らげるべきと考えてしまうんだろうね。本などは自分で勝手がわかるから与えられた中から適当に取捨できるんだけど、音楽は好き嫌いがいまいち自分でも自覚していない上に、ジャンルとかがわからないので好きそうな似た曲が見つからないという情けなさ。自分でもどうかと思うよw

mixiで中高の同窓生を(大学はコミュニティに入ってるからどうでも良い)

 僕の職場には高校の先輩がいる。少し前に発覚。ついでに取引先には中学・高校の先輩がいた。これはかなり前に発覚。かがくのちからってすげー。
 いつの間にかmixiにも同窓生を検索する機能がついていて、マイミク申請したいなーとか思ってたけど、普通に卒業して7年程度。全くコンタクトとっていなかったのだ。そんなレベルでいきなりマイミク依頼が来たら、やっぱマルチ商法か宗教勧誘か、投票依頼とかそっちの路線で考えるよね、ありえねーwwwみたいに思ってた。
 いやでも今のテンションならいけるかも、と言い訳をしつつブログ更新。ここの記事ってmixi日記に出てたらしい。昨日はじめて知ったよ!? 駕籠真太郎ネタとかボドゲネタとかを延々とmixiで晒してる僕って気持ちわりい。いやでも我々の業界にとっては御褒美です。

2010年12月16日木曜日

今日の日記

青少年育成条例がついに可決されたか。
でも税制改正のほうがもっと大切だぜ!

2010年12月15日水曜日

つれづれ

†ネットで実名か匿名かの議論って一昔前に流行ったみたい。はてな界隈には疎いから気付かなかったよ。実名云々の議論は人それぞれだと思うからかなりどうでも良いんだけど、なぜか僕自身は匿名を使えなかったりする。最近2chまとめを読んでてわかったんだけど、自分が発言するときは何らかのハンドルネームを付けようとしてしまうらしい。2chスタイルの完全匿名主義(名無し)だと書き込めないっぽい。読むだけなら小説みたいに何も感じないんだけどね。
 別に匿名じゃ書き込めないからと言って、「オカダナオユキ」or「Tellur」しか使わないわけじゃない。一回しか書き込まないような場所ではその場その場で適当にハンドルネームを作ったりする(その経験自体めったにないけど)。別に「通りすがり」とかでも良いけど、自分なりに意味のある言葉にしたいんだよね。
 仮に僕が2chに書きこむとしたら、初回は名無しになるかもしれないけど、2回目以降はレス番号を名前にする気がする。よくわからんこだわり。

†iPod TouchとiPadでボドゲアプリ使ってるんだけど、カルカソンヌとカタンには相性が悪いらしい。クニツィアのケルトはそこそこ楽しめるけど。何が決め手なんだろう。

†最近買ったマンガ。モテキ。カラスヤサトシ。道満晴明の秋田書店本。まかまか。現在積んでいる。

2010年12月14日火曜日

失恋した

※今回の記事はいつもより激しくオナニー度が高くなるので注意。キモイのが嫌いな人は回避推奨。しかもリアルで僕のことを知っている人が見れば気付かれるかもしれないけど、誰にも言ってないからいっか。

 つい先日というか昨日、失恋した。多分向こうはこのブログ読んでいないと思うから詳しく書いちゃうけど、同期の女性で意識してから大体1年くらい想い続けて、玉砕。それはもう見事だった。後で書くけど、2chまとめとかでそれなりに友人として良い関係を築けていてそれでも恋人関係にはなれないみたいな片思いからすると怒られそうなほど清々しい散り際であった。根暗人間バンザイ。
 僕は完全に非コミュとかそっちの方の人間で、その子とも全くメールとかしない関係。唯一課外活動で週一で会うか会わないか程度だった。要はこの状態で告白しても高確率で駄目だったんだよね。それは自分でもわかっていた。しかも僕は自分からコンタクトなどは一切せずに、僕としてはそれでも満足だったんだけど、意識し続けてそろそろ1年。いい加減に進退を決めないと僕自身も限界になったんだ。
 特に職場的に出会いがないから婚活とかするならするで決めないといけなかったのだが、片思い中だったので完全にその女性以外の人に魅力を感じず、動く意志がなかったのだ。だからそろそろどのような返事を得るにしろ告白しようと思っていた。大体年末の飲み会で意識して、1年ほどたった昨日が調度良い日だった。
 でも自分でも泣きたくなるけど、僕はこれが初恋であって、全く告白とか自然な関係を築くとか、そういった行動がわからなかったんだ。もう25にもなって恋愛沙汰がわからないなんてどんな馬鹿だよ。
 やったことは飲み会でその女性ともう一人の女性と帰りが一緒になったときに「前から好きでした。付き合ってください」と言っただけ。その前後の友人としての段階とかをすっ飛ばしてだよ。しかもその場にいたもう一人の女性が気を使って先に帰ってしまう事態に。orzorzorz

 結果は言わずもがな。見事にふられた。告白しようかどうしようか迷っていた期間に、そこら辺の覚悟は出来ていたからやっぱりねーみたいな気分で帰った。個人的には中途半端に返事を伸ばされるよりも即断ってくれたからそっちの方が嬉しかったりした。だって生まれて初めて気になった人が自分の為に言葉を考えてくれたんだぜ。

 で、なんつーかこれを書いている間、この感覚が何かに似てるなーと思ってたんだけど……。
 これか。
暇なのでキモメールを送ろう
 うげぇ。今ならわかるよ、こいつらの気持ちが。いや、僕がキモメールを送りたいとかじゃなくて、人間関係が破綻してしまうのにも関わらず、送ってしまう連中の気分が理解できた。以前は何こいつらキンモーとか思ってたけどわかってしまった。
 多分だけど、キモメールを送ってしまう奴らって、その女性に惚れてるんだよな。でも関係が全く進展しない。だからこそ変なメールを送ってどうにかバランスを崩したいんじゃないかな。それが僕みたいな(場にそぐわなくとも仮にも)告白なんかじゃなくて、キモメールになっちゃうのは相手の女性に真剣になってほしい……からなのかも? 全然自信ないけど。ちなみに電脳ポトラッチさんでは小学生の嫌がらせと同じという指摘だった。やーい、ばっかでー。
 少なくとも断られる一瞬だけは相手が自分に向きあってくれて嬉しかったからつらつらと思った。

 以下蛇足。
 でさあ、個人的に一番ショックだったのは振られた瞬間全く動じなかったんだよね。告白したときは足ガクガクで一番緊張したけど、それ以降は別に気にしなかったというか。告白したことも自分の感情にケリをつけたいという勝手な動機だったからなあ。
 マンガとか読んでるともっとショックで、さすがに泣くとかそんな訳はないと思うけど、夜眠れないんじゃないかなーと思ってたけど、そんなことは一切なかった。いつも通りに普通に生活してたんだよね。何かこの1年間の僕の気持ちってこんな程度なのかなと情けなく思ったよ。
 あの時、ちゃんと笑えてたのかな。人生で一番大切な時期に仏頂面なんかだと笑うに笑えないよ。昔、どこかのマンガ家が自分の泣き顔すら鏡で観察してスケッチをするーーなんてエピソードを描いてたけど、僕は振られたときの自分の顔を見る勇気がなかった。
 さらに、一番ダメダメなのはこの期に及んで自分のことしか書いていない僕の心持ちだよね。今から思うともう少しタイミングとかを考えてあげなよ、と思うんだ。いくらこの気を逃せないと焦ってたからと言って、告白するときに第3者の目の前ってのはどうかと思わずにはいられないよ、僕の馬鹿。



 最後に、多分ここを読んでいない誰かに対して。
 ちゃんとお返事が聞けて嬉しかったです。しかもフォローまでいただいてしまい、告白して良かったと思えました。今後も良き仲間としてお会いしましょう。貴女の幸せを心より祈っております。ありがとうございました。

2010年12月5日日曜日

最近の日記

†マンガ強化週間
 モテキやらアザゼルさんやら最近の作品を読み始めた。面白い面白い。

†ポケモン
 夢特性で狙っているのがポイント高すぎ。計算では数ヶ月かかるっぽい。

†UO
 テイマー育成中。キャラをほぼ北極に放置する日々。せめて102に上がれば即クーシーを捕まえに行くんだけどなー。ああ、ML世代だからクーシーにあこがれを持ってるの。

†iPad
 いつの間にか映画がiTunesで買えるようになった。ガメラがレンタルしか出来ないけど何の嫌がらせ? 買いたいぜ。

「アナモルフォシスの冥獣」(駕籠真太郎、コアマガジン、2010)

 前回のエントリーで、「フラクション」に対してあまり面白くないなーという感想を書いた。今でもそれは変わっていない。しかし今回読んだ「アナモルフォシスの冥獣」は面白かった。方向性は「フラクション」と同じ叙述ミステリー(のマンガ版)なのにどこが僕の琴線に触れたのだろうかと色々考えていた。

 そもそもこの作品って実のところ駕籠真太郎の作品の中では定番のシチュエーションだったりする。通りすがりの人に怪獣の着ぐるみを着せてミニチュアの町に放り込むなんて「健康の設計」で似たような短編があったぞ。また、怪獣に踏み潰される人間視点の作品は「超電脳パラタクシス」を始めとしてそれこそ様々。そんな訳でシチュエーション自体の意外性は全くない。強いて言えば、駕籠真太郎がストーリー長編を書く珍しさはある。超電脳・アタラクシア・フラクション、他にあったっけ。絶対数が少ないから楽しめたというのはあるかもしれない。
 ただしこんな感想は駕籠真太郎のマンガを読んでる人間からの視点であって、普通はわけがわからんよなあ。冒頭で紹介されるドッキリカメラの解説なんて常識からすれば突込みどころ満載だし。
 ストーリーは、殺人現場を再現して我慢大会を開くことに情熱を注いでいたイカれた資産家が、ドッキリカメラ撮影中に死んだ俳優のシチュエーションを再現させ、参加者が呪いで殺される中、俳優の死の真相が明らかにされる――だ。かなりきれいにまとめてみた。このあらすじを読んだ感想と実際のストーリーは全く違うが、何せトリックに関わることなので。
 さて、今作は一種のミステリーで、最終章がトリックの解決編という形になっている。前作フラクションとは全く違うトリックが斬新だった。フラクションは良くも悪くも駕籠ワールドな展開で、まさか輪切りの正体はそれかよ、みたいな落ちだった。予想はしてなかったが、ミステリーにそのトリックはまずいだろう、な感じで。今作はより現実性のあるトリック。つーか「リアリティのある」と言い換えても良い。それが災いして一部の伏線が上手に回収されていない気がするが気のせいだろう。何せ「叙述」だとこっちが読みきれてないのか作品が失敗したのかはっきりとわからないからね。現実では成立しないものの、でももしかしたら……と思わせるさじ加減が絶妙だった。

 表題作の他、幾つか短編も収録されている。「うぶモード」に連載されたらしい、ってそんな雑誌を今初めて知ったよ。
 この短編集だが、個人的に大好きだ。最近の駕籠真太郎ってスカトロネタがメインの印象を持っていたから久しぶりにキレのある彼を見た感じ。僕自身がスカトロネタ嫌いなのもあるんだけど、強い刺激の物ってすぐに飽きるからスカトロメインの駕籠真太郎を評価できなかったんだ。いやー久しぶりに駕籠真太郎を初めて読んだワクワク感が蘇ったなあ。ただし小ネタがメインであり、駅前〇〇みたいな密度の濃さはない。そんな中で「改造」が中々ブラックで素敵だった。駕籠真太郎お得意の超人ネタをこのように持ってきますか。この手のイタズラ(あえて嫌がらせとは言わない)は誰でもやろうとしたことはあるだろう。マンガの中だから最終的には殺人までいきついてしまうが、軽い嫌がらせめいた行為はむしろやっていない人の方が少ないのではないかと思いたい。僕は覚えている限りで数回行った。フォローするなら子供の頃の話で……って言い訳すると格好悪いか。まあ子供はまだ他人というのがあまりわからないから、その意味で変な攻撃性を実際に発揮してしまうのかもねと読んでて思った。後味の悪さも含めて最近の駕籠真太郎の中では大好き。

 で、回収されていない伏線だけど、幽霊とか呪いとかってやっぱりあったんだよね。それから執事と坊主は犬死したんだよね。