2018年4月24日火曜日

「メカ・サムライ・エンパイア」(ピーター・トライアス著、中原尚哉訳、早川書房、2018/4/18)

 ワタクシ、前作に惹かれてしまい、早速この作品も買ったのだ。それも銀背で。文庫本に小ささは魅力的だが、分冊になるくらいなら銀背1冊の方が取扱いが良くて便利だと思う。

 ともかく、ピーター・トライアスのメカ・サムライ・エンパイア(ナカグロ多いな)、前作が軍人と特高警察のバディものだったのに対し、今作は学園モノになって青春劇に変わった。今まで読んできたのが偏ってたのかもしれないけど、欧米作品で学園モノってかなり新鮮。登場人物も、落ちこぼれの主人公に、悪友に、ヒロイン力の高い優等生に、ごきげんようを操るお嬢様と隙のない作品になってる! そうそう、忘れてたが、当然今作は巨大ロボットに乗って戦うシーンが豊富にある。前作は巨大ロボットのシーン、いらないとまで書いてしまったが、それとは正反対だ! 主人公が巨大ロボットに乗る! 巨大ロボット同士で戦う! 正統派のヒロインがいて敵味方に分かれてしまう! サブヒロインもよりどりみどり!
 日本の深夜アニメフォーマットに限りなく近いんだけど、これ、アメリカでヒットできたんだ……。

 本作では学校と呼べるものは3つあり、最初の舞台はジョックスとナードが出てきそうなコテコテのアメリカの高校、次にスターシップ・トゥルーパーズ的な軍隊学校、最後にエリート士官学校とシチュエーション豊か。主人公の立ち位置も落ちこぼれて挫折(事件発生)→努力と根性で一人前に(事件発生)→経験豊かでそこそこ強い(最後の事件発生)と徐々に強くなる感じ。それでも「最強」と呼べるほどではなく、ラストバトルではある種お荷物だったわけで、簡単に無双をさせないという筆者の決意を感じさせる。ストーリー的には、学校に入って事件が発生して、主人公がそれに対峙して強くなるという形で話が進むのでダメダメな主人公に感情移入してても唐突に強くなった感じはない。むしろリアル世界で取り柄のない人間こそ、今作の絶妙な強くなり方(モブより強いけど、最強チームの中では最弱)に惹かれると思う。

①A・NI・ME!
 キャラクターの配置が深夜アニメを彷彿とさせる。巨大ロボットにしても作中世界の技術にしても映像映えしそうである。とは言え、訳文の関係なのか、キャラクターがかなり類型的なアニメキャラなので実写はキツイかも。
 特に民間軍事会社に入った後は年齢にそこそこバラツキがあるはずなのに、学園モノとしてお約束が踏まえられてるのは面白い。ヒロインも常に数パターン出てきて、彼女らの「属性」通りに振舞う。
 擬似的に三部構成にしてあるためか、ヒロイン・サブヒロインとの関係は学校ごとのシチュエーションが異なる。ヒロインとして丁寧に描かれる第一部、群像劇ながら先生やら親友の彼女が登場しそこに正ヒロインが現れる第二部、第三部に至ってはエリート学園に入学して半ばハーレムに……。
 しかもこの作品はもちろんヒロインとのお話だけでなく、ちゃんと巨大ロボットに乗って戦ってる。前作はなぜか巨大ロボットのシーンが少なく、007的なスパイアクション気味であった。確か前作の感想文では一部の巨大ロボットのシーンはいらないとか暴言吐いた気がする。今作は主人公の成長が巨大ロボットに乗ること、乗って強くなることと同意なので、ストレートに巨大ロボットモノとして楽しむことができる。……その代わり思想面では多少の後退が見られるのだが。

②ナチスVS大日本帝国
 ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン(USJ)というアメリカナイズされた大日本帝国を、占領されたアメリカの地から皮肉な目線で眺めていた前作に比べると、今作は大日本帝国への皮相な視線は見られない。それは、今作がナチス対大日本帝国ってことで日本側が前作ほどには悪し様に描かれてないのだ。USJもすでに長い時が経っており大日本帝国によるアメリカ大陸占領も当たり前のようになっている。個人的には前作のUSJを通じてアメリカの理念を問い直す作風が好きだったので今作でアメリカ的思想が影も形もなくなったのは悲しいけど、仕方がないのか。面白いのは、大日本帝国が意外と徳の高そうな統治をしているのに対し、ナチスは人種差別がひどく総統崇拝者は狂人っぽく描かれていること。ナチスは否定せねばならないが、大日本帝国はそこそこオッケーなのか? イデオロギーの衝突がなくなったため、エンタメ性は上がったが、深さは薄れたと思う。

 先の話に関連するが、もともとアメリカに住んでた白人の様子は描いていない。今作で登場する白人はナチス関連のアーリア人。もちろん主人公の階級が学生だからってこともあるけど、バリエーション豊富なアジア人のラインナップに比べるとわざとだとわかる。USJはアジア系がマジョリティとしてちゃんぽんになって、アジア人にとっては天国みたいな形で描かれるんだけど少し大日本帝国を美化し過ぎな気がする。それとも、現実のアメリカがアジア人差別がひどいと著者が考えており、それに対するカウンターとして描いているのかな。
 ただし描写が少ないけど主人公らの優雅な立ち位置はエリート兵士の卵だからってのを要所要所で書かれる。一般の労働者が出てこないストーリーだから作中の大日本帝国の負の側面は見えないんだけど、前作を踏まえると一般市民にとっては生きづらい社会であり、しかしそれが巧妙に隠されているのが今作での皮肉な視点と言ったところか。そもそも兵士は使い捨てられるシーンが繰り返し描かれ、主人公が強くなっても兵士である以上は所詮は歯車でしかなく、物語の最後に主人公は仲間と共に軍に反抗するんだけど、それすら恐らくもっと権力を持った人の手の平の中っぽいことが暗示される。
 続編は大日本帝国のユートピアを描いて、いきなりドン底に叩き落とす作風になってほしい。作中の大日本帝国はアジア人からすればある種の理想かもしれないけど、天皇への忠誠が必須で、生活は特高に監視され人体実験も行われている世界であるため歪みは広がってると思う。9.11みたいにテロが起こって、巨大ロボットが絡み、最終的にUSJの理念を否定するストーリーを読みたい!

③巨大ロボット
 前作は表紙詐欺で……いや、もうウジウジと過ぎたことを言うのをやめよう。今作は素晴らしいものになったではないか。
 世界観としては巨大ロボットが普通に兵器となっている世界で、戦車とか戦闘機は一切出てこない(と記憶している)。大日本帝国はメカ=巨大ロボットを運用しており、表紙とか見ると二足歩行のように思えるのだが(シルエットを見てガンダムみたいと思った人は多いだろう)、カニ型だったり、カモシカ級(どういう姿だ)やニホンザル級(これもなんなのだ)などとてつもない巨大ロボットが色々出てくる。武器だって剣や短剣、槍の他に分銅や鞭などよりどりみどり。対するナチスはエヴァンゲリオ……ではなく細胞を使用した生体巨大ロボット。作中の描写からは半ば死体を利用したサイボーグのような存在で、表紙を見るとその姿はまるっきりKAIJU。正統派の巨大ロボットものであるこの小説のせいで「パシフィック・リム:アップライジング」が吹き飛んでしまった。ハハッ、残念だったな。
 そればかりではない。この作品は戦争に巨大ロボットが実用化されているという設定のため、シミュレーションや訓練シーンや操作の様子、果ては各人に割り当てられた試作機をカスタムするなど巨大ロボットモノに関連する戦闘以外の要素をフェティッシュなまでに丁寧に書いている。操縦席は頭にあるけど、頭が破壊されたら操縦席が自動的に腹部に退避するため、頭を破壊したら即腹部も破壊する訓練……ってそんなマニアックな設定は必要だったのだろうか。もちろん巨大ロボットファンは喜ぶ。こういう細かな設定を見てると、やっぱりアニメっぽいというか、この手のお約束がわかっている人へのアピールポイントにしてるんだなあと思う。



 総合的な感想としては、ぜひとも読んだほうが良い。できれば前作「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」を読んでからがベスト。ツイッターとかでは最初に今作「メカ・サムライ・エンパイア」を推す人が多いけど、USJの成り立ちや葛藤を知らないままエンタメ性高い今作を受け入れるのはまずいと思う。解説では大日本帝国のディストピア云々と書かれているが、それは前作を読んだ人だから行間から受け取れるわけで、今作単体だと大日本帝国が勝利した歴史改変美少女巨大ロボット学園モノとしか認識できないと思う。
 それはともかく、さんざんアニメみたいだなんだと書いたけど、全体的な印象としてはコアなオタク向けではなく、普通の小説読みを対象にしていると思う。ストーリーは王道で挫折して乗り越えるという流れ出し、ご都合主義的なキャラはいない。上でマニア向けとか書いてたシーンは非オタクにとってはリアリティを出すための要素でしかない。なんだけど、オタクからしたら俺たち向けの匂いを感じ取れるわけだ。かなり巧妙な作品だと思う。

 そうそう、メカ・サムライ・エンパイアも前作ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパンも登場人物の名前の漢字はどうやって決めてるんだろう。なんとなく著者も漢字の選定に関わってるイメージだけど……。少なくともクジラはもうあの漢字の並びじゃないと世界観が感じ取れなくなってしまった。

「パシフィック・リム:アップライジング」(スティーヴン・S・デナイト監督、レジェンダリー・ピクチャーズ、2018年)

 「パシフィック・リム」の続編だ、いえ~い! ……いえーい。 ……いえ……い?
 これが前作のファン(少なくとも僕)の感想である。

 シナリオは前作の感想文でさんざんけなしていたため、正直そこまで期待していなかったが、後述する続編ということも相まってなおさらひどかった。もう1つ後述するが、今作は怪獣と巨大ロボット(イエーガー)とそのパイロットのキャラ立ても不完全のためジャンル映画としても失敗した印象を受けている。

【「続編」という悲劇】
 前作でストーリー的には完全に終わっていたのだ。そこに付け足しても蛇足にしかならない。そもそもなぜ太平洋の裂け目を閉じたのにイエーガーパイロットの訓練をしているのだろう。今作を見終わった後だと、イエーガーを配置しようとしたからそこを侵略者に付け込まれて怪獣が召喚したって構図なので、イエーガーを廃棄すれば良かったのに……という感想しか浮かばない。
 あと、エイリアン3でもそうだったんだけど、前作の登場人物を殺すことで物語を展開するのはやめよう。やめようよ……。
 前作で怪獣とドリフトしてしまった博士が黒幕になるのは捻った展開で面白かったんだけど、黒幕すぎて視聴者へ危機感を与えることが出来なかったのは問題だと思う。前作は何だかんだで地球の危機ということで多少の粗を吹き飛ばす勢いがあった。

【キャラ立て不足感】
 さて質問です。今作で新たに登場したイエーガーは3体ありますが(ブレーサー・フェニックス、セイバー・アテナ、ガーディアン・ブラーボ)、それぞれパイロットは誰が乗ったでしょう? さらに、それぞれのパイロットってどういう経歴でどんな関係だったでしょう?

 この質問に即座に答えられる人はどれくらいいるだろうか。正解はWikipediaの当該項目を参照。パイロットで印象深いのって、主人公であるジェイク・ペントコスト、顎おっさんのネイサン、一応ヒロインのアマーラ、整形外科医の息子、ロシア人の女、怪獣の血を浴びて怪我した男くらいであり、僕はパイロットの半数近くをモブとしてしか認識していなかった。
 前作の場合、ロシア夫婦と中国3兄弟は大破シーンもある上、夫婦や兄弟として認識できるので、人数の割にキャラ立ての不足感は感じなかった。それに対して今作は、そもそも主人公の紹介シーンが長い(と言っても前作と同じくらいだけど)割に、新たなパイロットが大量投入されて余計にモブパイロットの影が薄くなってしまった。前作の主人公ペアを据え置きしちゃいけなかったのかなあ。
 モブパイロットが覚えられない問題に対しては、スーサイド・スクワッドと反対のメソッドで、各パイロットのキャラを立てるシーンを序盤に入れたほうが良かったと思う。時間に余裕があればイエーガーも。今作はジプシー・アベンジャーですら印象が薄いからなあ。アクションフィギュア買うかと聞かれたら、拒否するレベル。
 怪獣に至ってはもはや言葉も記憶も出ない。今作は絶対怪獣映画じゃないよ。今作の怪獣って特殊能力があったっけ?

【設定の破綻】
 これが最大の問題なのだが、はっきり言って設定が破綻しているとしか思えない。イエーガーの肝であるドリフト(ブレインシェイク)なんだけど、前作では夫婦や親子、兄弟の方が心を重ね合わせやすく、前作の感想文で主人公とヒロインがろくなイベントもなくドリフトできたのに文句を言った覚えがある。今作では誰も彼も訓練所で顔を合わせだだけの連中が簡単にドリフトしている。技術の発展? 訓練の効率化? うーん、そういうことにしても良いのだけど、ドリフトに適合するパイロットが少ないからイエーガーを大量に運用できないはずなんだけど、ゴニョゴニョ。
 ついでに最後のシーンもあれだよね。超デッカイ怪獣を倒すのが成層圏からの自由落下。え、これで倒せちゃうの? しかもこれでジプシー・アベンジャー壊れちゃうの? 前作ではバーニアを吹かしてたとは言え、同じ様に空から自由落下するシーンがあったため、ジプシー・アベンジャーってジプシー・デンジャーより脆い印象を受けた。ラスボス怪獣を倒すのといい、もうちょっと創意工夫をだね……。



 と、文句を言っていたらキリがない。偶然、同じ時期に「メカ・サムライ・エンパイア」読んでたけど、そっちのほうが巨大ロボットものとして魅力的だったなあ。そういや「メカ・サムライ・エンパイア」のバイオメカって怪獣としても読めるから「メカ・サムライ・エンパイア」の印象が「パシフィック・リム:アップライジング」を上書きしておる。
 真面目な話、ふと思ったが、もしかしたら「パシフィック・リム」の設定で描ける要素ってもしかしたら1作目の時点で相当消費してしまったのではないかと感じた。パートナーとの対立、パイロットの過去とその克服、ライバルのイエーガー、チーム戦、空を飛べないイエーガーが空を飛ぶ方法、怪獣、カミカゼアタック……etc。「パシフィック・リム:アップライジング」は前作で足りないと不満を言われていたシーンを色々入れたらしいが、自家パロディにしかなってないのが何ともかんとも。ヒロインであるアマーラの過去なんぞ前作の森マコそのものなので、本気でパロディにしているのか偶然似ただけなのか今でも首を捻っている。
 最後に、この作品で僕が一番唖然としたのは、最後の決戦の舞台は東京なんだけど、そこにガンダム像が出てきてストーリーに一切絡まないこと。直前のシーンでイエーガーが破壊されていたため、てっきり実はガンダム像がイエーガーだった! と盛り上げるのかと思ってた。全くストーリーに絡まないあのガンダムの意味ってなんなんだろう。

2018年4月23日月曜日

人生と連動したランス10

 ツイッターでちょこちょこ書いたが、今年の春から公私共に生活が激変した。みんな、プライベートの時間がなくなるとか自由なお金がなくなる、趣味が続けられなくなる、と言う理由がわかった。こりゃ今まで通りの生活は無理だ。僕はUOにお金を払い続けるつもりだが、ログイン時間はほぼなくなったし、今後は今までのペースでは遊べないだろうな。少なくとも有料アイテムの購入はできなくなるだろう。たぶん、こうやって趣味から足を洗う人が多いのだと思う。

 そんな中で僕が幸せだったのは、比較的時間に余裕のあるときにランス10を遊べたこと。ランス10は長い間遊び続けていたランスシリーズ最終作という思い入れもあったのだが、個人的にはゲームの内容と自分の人生がリンクする感覚があり、余計に熱中した。
 特に第二部。ランスの子供がみんなで旅に出て、1人1人の思い出を作り、人生を楽しいものだと学んでいく物語。それが僕にとっては今までの自分の人生を思い出してしまい無常観に襲われるのだ。これからの新しい生活が楽しみでないわけがない。でも、ある程度の歳まで好き放題やってしまい、好き放題やることに慣れた人間としてはなくなってしまうものもまた大きいなあと思う次第。それはどうもお互いにそう思っているらしく、ならどっちも不満は相殺されるから良かった良かった。
 このブログも元々あまり書いてはないけれど、さらに更新する頻度が少なくなるのではなかろうか。実際、4月からアニメは見てないし、読書のペースも下がっている。

 そういう時、ランス10の第二部を何となく思い返して、心を慰める。プレイヤーが操作して進める大きな出来事もあれば、アドベンチャーシーンで数クリックでしか語られない事件もある。それでも1つ1つが「あなた」の……つまりは「わたし」だ……経験した思い出であり、ゲームを越えて現実世界の「僕」が形を変えてこれから経験するかもしれない出来事なのだ。「あなた」とプレイヤーに語りかけたのはルドラサウムを隠すためのシナリオ上のテクニックだったのかもしれない。でも無数のプレイヤーの中で、少なくとも僕は単なるゲーム以上に人生に対する勇気をもらった。僕はあまり人付き合いが得意な方ではないけど、それでも友情って良いなあと素直に思え、今も残っている人間関係を大切にしようと思ったのだ。思いもよらなかったが、サブカルチャーをこのように愛好できるのは幸せなことだと思った。
 まだ全てのイベントを見てないまま新しい生活に入ってしまったが、次に遊べるのはいつなんだろうか。

2018年4月10日火曜日

民泊の思い出

 もう10年以上も前、学生の頃にオランダに1人旅行をした。
 細かい日付は忘れたが、4月のある日で女王の誕生日だった。当時はユースホステルを常用しており、当然ユースホステルも取れず、現地で探せば良いと考え、そのまま行ってしまった。
 当然、宿が取れず、途方に暮れていたところに現地の人の家に泊まったのだ。近年報道される民泊のニュースを見て、こんな記憶が甦ったので忘れないようメモしておこうと思う。

 アムステルダム初日は夜、宿が取れなかったため、レッドライト街で1晩過ごしたと思う。駅で野宿(というか駅泊)できたかは定かではない。3泊くらいの旅行を計画していたため、初日は何とかなったが2日目の夜が大変だった。
 そんな中、2人組みの男に出会った。見るからに怪しく、欧州系とは思えない外見で、英語もイントネーションが独特だった。もちろん当時も今も僕は欧州系の外見なんて知らないも同然なので、特に当時はそんなことは気にしなかった。英語だって、オランダは英語ネイティブの国ではないし、訛りがあっても気にならない。とは言え、ホテルに勤めてないような服装で「Hotel?」と客引きをする姿はまともな商売じゃないんだろうな、と思わされた。
 それにも関わらず彼らの「ホテル」に泊まったのは、さすがに2晩続けて徹夜は辛かったためだ。今では考えられないが、当時は僕も若く無謀だった。思い返せば、自分なりに警戒したとは言え、よくもまあ何も盗られず命も無事だったろうと思う。

 彼らの「ホテル」は普通のアパートの1室。家具は備えてあるが、使うのが怖く、ベッドで寝ただけだった。それももしかしたら何か盗られたりするんじゃないかと思いながら。当然寝不足で頭痛がする中、宿泊代はユースホステルの2倍くらいを請求された。泊まるときに予め聞いておけば良かったなと思いながら支払った。正直、受けたサービスに比べて異様に値段が高かった。今から思えばこれが民泊の走りだったのだろう。

 そんなこんなで3日目だが、観光どころではない。3日目も宿が取れず、夜ハンバーガー屋で佇んでいると、店内にいた1人の男性から声をかけられた。学生である僕より年上だったが、若々しく、昨日の2人組みのような怪しい雰囲気は出していなかった。
 適当に世間話をしつつ
 ――どうした、どこに泊まるんだ? 泊まるところがないのか?
と聞かれ、Yesと言ったところ、じゃあ自分の家においでよと言われて、ついて行ってしまった。前日、半ばボッタクリのような民泊に遭ったにも関わらず。無謀さって怖い。

 彼は芸術家だったらしい。名前は忘れてしまったが、彼の家に入ると彫刻とかがあった。彼は僕をもてなすため、馴染みの店に連れて行くという。せっかく泊めてもらったので、ありがたくついて行ったら、そこは何とゲイが集まる店だった。
 どうやら彼はゲイらしい。もちろんお店に入った1階は普通のバーで、ゲイビデオが放送されているのを除けばロンドンとかにあるバーと変わらない。ただ、どうも2階はゲイが出会うそういう空間らしい。僕自身はストレートではあるものの、そこまで偏見がないつもりだったのだが、頭でそう考えていても突然のことでフリーズし誰とも話せなくなってしまった。彼はしばらく友達と会話していて、やがて僕の姿を見て、どうやら僕が完全にストレートだと気付いたらしい。たぶんまだ夜は早かったものの、僕を連れて帰った。今から思うと別に危ないわけでもないのだから、僕はもっと他人と交流すれば良かったのだ。

 翌日彼とは分かれた。彼はお金も要求せず、本当に好意で僕を泊めてくれたのだった。
 たぶん、世間の中でもとびっきり優しい人だったのだろうと今では想像できる。彼としても、どこの馬の骨ともしれない観光客を泊めるのは勇気がいただろう。

 僕はそれからというもの民泊のような宿は利用せず、今後も民泊に泊まる気はない。「民泊」というとビジネスライクな響きがあるが、上で書いたような怪しさや欲望がつきまとう印象が強いためだ。僕自身はそのようなリスクを受け止める覚悟はできていない。

2018年3月22日木曜日

「ランスX 決戦」(アリスソフト、2018)

※ネタバレしてます&普段はキャラクター名を出さずに感想を書く方針ですが、キャラクターの多いこの作品は名前を出さないと書ききれませんでした。。。

 ついに終わってしまったというべきか、やっと無事に完結できたと言うべきか……。思えば同じく横綱と呼ばれたelfが消える中、よくもまあ作り続けたものだと思う。
 本作ランスXは「平成を駆け抜けたゲーム」と評されることもあるシリーズだが、まさにあの時代に生まれた奇跡であり、今まで29年10作品一貫して同じ主人公・同一世界観・同じレギュラーキャラクターを登場させストーリーを紡ぎ続き、そして業界も徐々に衰退し日本のゲーム業界自体が変動する中でついに完結したとんでもない作品である。ランスシリーズは色々と他作品の追随を許さない特徴があるが、最大級の幸運は、エロゲー黎明期であるあの時代に生まれたことだと思う。
 ランスシリーズは、エロゲーはもとより、そこらのコンテンツでは太刀打ちできない設定量を誇るが、少し調べると分かる通り後付で継ぎ足され(ランス3時点では無敵結界がなかったしそのため魔剣カオスも強い剣程度であった)、時には製作中にいきなりストーリーが変更され(ランス3でパットンは死ぬ予定だったが、助けるためにハンティが作られた)、ファジーさと呼ばれるアリスソフト特有の設定のブレがあり(魔王トロス……)、そもそもストーリーに絡まないキャラクターはいるは忘れられたキャラクターはいるは(ランス1のヒカリはやっとランクエ=8で登場し、ノア・セーリングはランクエでノア・ハコブネという名前になっていたり)、ギャグとしてストーリーと合わないような設定も混じっており(ランクエ時のリズナの後日談=魔人化)、その癖無駄に設定だけは作り込み(フレッチャー・モーデルの過去とか)、そしてなんとシリーズの途中で一度完結編を作ってしまう(鬼畜王ランス)!
 そのせいで旧設定やら新設定やらいつの間にかの設定の変更が入り乱れ、設定ファンサイトの「ひつじ村別館」ではファンの議論がエライこととなっており、ランスシリーズ以外だと絶対にブーイングの嵐になることは容易に予想できる。逆に言えば、ランスシリーズだから、ランスシリーズは昔からそういうものとして設定の甘さをファンが好意的に脳内補完し、設定の厳密さよりも様々なキャラクターが自由に暴れることを望み、ファン人気が高い作品すら「番外編」として正史扱いせず、結末の1つが提示されていても前に進み続けたストーリーをファンが受け入れたという面はあろう。
 そこまで期待されていたランスXはどうだったかというと……。



 元々僕がランスシリーズに触れたのはそこまで早くなく、エロゲー歴的には10数作目、それもエスカレイヤー→大悪司→ランス5D→鬼畜王ランス→ランス6→それ以降とそれ以前のアリス作品という順だったと記憶している。順番が少し違うかもしれないけど。ラインナップ的には織音氏―むつみまさと氏時代を遊んでいた。最初はそこまで熱心なファンではなかったが、大悪司でアリスソフトの信者になり、今でも遊んでいる唯一のエロゲーメーカーとなっている。ファイブスター物語を好むような設定オタクでもあるため、ランスシリーズにはドハマリし(同時にアリスソフト特有の大らかさに度肝を抜かれ)今に至っている。
 つまり僕は別に昔からのアリスソフトのファンではなく、ランスシリーズもシリーズ中期(5D以降)のファンでしかない。最近のランス君はヌルいというか大人になったと言われているが、まさに大人になって以降の姿しか知らず(鬼畜王ランスは思い入れないし)、その完結編としてランスXにはとても興奮し睡眠時間を削って遊んでいた。
 舞台はヘルマン革命(ランス9)が終わって1年後。ついにケイブリス軍が人類へ攻めてくるところから始まる。前作ランス9は徹頭徹尾人間同士の物語となっており、魔人が絡まないのは意図はわかるが少々不足気味だと思っていたが納得。ランスXのこのボリュームを見ると下手にランス9で魔人を退場させたらつまらなくなる。プロモーションムービーの魔人の紹介ラッシュを見ると大興奮だ。これぞシリーズ最終作、と言わんばかり。1体でも1国の軍が束になってかかっても倒せない魔人が、9体も10体も紹介されて、どうやって戦うの? って感じ。
 (ゲーム世界の)常識では絶対にどうしようもない魔人だが、主人公であるランス君は類まれなる才能を発揮してなんと次々に撃破していく。これに興奮しなくて何を楽しむのだ。正直、設定的に多すぎるため初ランスシリーズが今作な人にはキツい気がするが(実際、ランス10攻略まとめwikiや先のひつじ村別館を見るとルドラサウムのことを知らなかったり、知ってても強いボス程度の認識の人も多そうだ)、過去1作でも遊んでいたら今作をプレイすると良い。

 ゲームジャンルは……なんと呼べば良いのだろう。スゴロク式のマップは、あくまでADV画面と分岐をプレイヤーにわかりやすく見せるためのもので、これ自体さり気なく画期的だが、戦闘システムは独自性の固まり。スマホカードゲームは全然知らないんだけど、今のカードゲームってこういうのなの? 膨大なキャラクターをカード集めで表現し、カードを集めることと味方を強くすることと戦闘キャラを選ぶことが見事に融合しててちょっと凄い。もしアリスソフト独自のシステムなら、まだまだアリスソフトは健在だと感じた。ちゃんとボードゲームを遊ぶようになってわかったが、ランス03のカードをオープンしてダンジョンを進むシステムとか、自分の手番で行える行動の上限が決まり敵も同じ様に行動する地域制圧型シミュレーションとか、大量のカードを集めることでランダム性を薄めて攻略の定石を作る今作のランスXとか、アリスの作品はボードゲームなんだなと改めてわかった。
 戦闘システムは見事でバランスが良い。もちろん、魔人を特殊条件で倒したり、一気に2体倒す(通称2枚抜き)なら攻略情報というか定石必須(それですら確定キャラだけで何とかクリアできそう)なんだけど、単純に力押しでも十分遊べ、戦闘システムへの理解が少しずつ深まるに連れ、様々な戦術を取れるのが素晴らしい。カードドロップ率の関係でセーブ&ロード必須の難易度なので(ここは不満。カードを集めて強くするシステムなら、100%ドロップで良かったと思う)、詰まれば攻略方法を変えてみてトライすることができるので攻略の楽しみがあったと思う。力押しだけじゃない攻略法を思いついた時、このゲームの奥の深さを感じると思う(僕がそう思ったきっかけは、魔人レイをタイマンで倒した時。正面から戦うとカウンターで負けるが、カオス投擲ランスを投入してみるとなんと簡単に勝てた)。

 一方で、システム周りは文章スキップはあれどシーンスキップはないので時間がかかるなど多少の不満はある。
 また、繰り返しプレイをする際、引継の仕様はちょっと足りなかったと思う。ランスXはセーブデータを駆使しても4周くらいはするはめになると思うのだが、お気に入りのカードを数枚でも良いから引き継げたり、食券イベントコンプリートでキャラクリが付くと繰り返しプレイのモチベーションは上がった。食券だけど、1プレイ当たり入手できる食券数に限りがあるので全てのイベントを見るには相当時間がかかる。しかも食券を投じれるキャラもランダムで決まるので、正直面倒だし同じ展開ばっかりで飽きる。大悪司の周回システムを参考にして欲しかった。
 ついでにべた褒めの戦闘システムだが、敵に応じてデッキ(ゲームの用語ではリーダー)を組み替える必要が何回もあるので、デッキを3つくらい記憶できれば手間が省けたと思う。ランクエでもパーティを3、4パターン記憶できたと思うので、パッチで実装されて欲しい。

 キャラボイス? 当然正史のランスシリーズだから付かない。大悪司ですら一部の戦闘ボイスに声があった(「ああーん」って言ってた 笑)から名実ともにボイスなし。というか、今どき完全ボイスレスゲームでここまで売上があって、話題になったのは凄い。

 音楽はPromotion Movie、魔物界、Normal Battle、Oh-Boss、underworld、天上、決戦、the end、Grand Ending Movieなど何度も聞きたい曲がありサントラまで買ってしまった。特に戦闘曲は雑魚戦ですら攻略方法を考える必要もあって、どれも印象に残った。Hシーンが我が栄光の日でないのが残念だったが、これはもしやクリアA最後のあのシーンのため? できれば最終作なので何度か我が栄光の日を聞きたかった。

 ストーリー的には、やはりランス君は世界のバグというか主人公なんだなと思った。メンタルが完全に他の登場人物と異なるというか、半ばプレイヤーと同化しているのだ。好戦的とも見えるんだけど、正確には常識や世界のシステムに挑戦し続け、最後にクリア方法を見つける存在なのだ。ルドラサウム視点では、主人公はルドラサウムでキャラクターは単なる登場人物でしかないが、でも実はランス君こそが主人公でルドラサウムですら登場人物の1つでしかないってのが今作を通しての印象だった。そう、だからランス君が主人公を降りたとき、ランス君はシィルちゃんに告白という独自の行動を取ってしまい、シリーズも完結してしまうしかなかったのだろう。
 エンディングもそこまでやるか! というレベル。美樹ちゃんが魔王に覚醒したり、ケイブリスが魔王になるシーンなんて当たり前。魔王問題を解決していない美樹ちゃんが元の世界に戻ってしまったり、神の国に殴り込むエンディングや、美樹ちゃんを氷漬けにして魔王化の解決策を探すエンディングなど様々なバッドエンドが用意されている。僕はクリアCからB、Aの順にクリアしていったので、余計にクリアAへの思い入れができた。エンディングのバリエーションというか、設定の語り具合は完全に鬼畜王ランスを超えている。

 衝撃的だったクリアAのエンディングもよくぞやってくれた、という展開だった。そもそもランス君のことを知ればシィルちゃんが弱点で、そして意外にシィルちゃんの扱いはぞんざい(身の安全的に)だということがわかる。魔軍との戦争中はランス君も主人公補正があったが、では主人公補正がなかったら……? というのがあのエンディングだ。元々世界観的には簡単に人が死んでおり、ギャグとは言えランス君も簡単に人を殺す(ずざー!→ぎゃあー! のテキストの流れで処理されるシーンが今までのシリーズで何度あったことか)。客観的に見て、ランス君は良いことも極めて悪いこともいっぱい行っており、恨まれる人には事欠かない。ランスXで英雄としての側面が強調されれば強調されるほど忘れていた負の側面の存在が大きくなり、復讐されるのだ。シィルちゃんを殺したのが魔人でもミネバみたいな敵役でもなく、顔見知りの雑魚でしかないバードであったのは完全に意図的だろう。戦争中ランス君は何度も運良く切り抜けていたが、そのような主人公的な振る舞いをすればするほど、正史となるシィルちゃんの死亡が大きな印象を与えるわけで。



 賛否の入り乱れる「第二部」。無邪気で冷酷な創造神であるルドラサウムが1人の人間としてこの世界を旅し、家族と出会い、友達を作り、楽しさを見つけて人間に愛着を持たせ世界の終焉を阻止するという本当の結末まで(それこそ鬼畜王ランスよりもさらに踏み込んで)描いたエピソードであり、ランス君がシィルちゃんに愛の告白をするというこれまた結末を描いてもあり、子供=ルドラサウム=プレイヤーから見た偉大な大人=ランスシリーズに「自分らはもうロートルだ」と言わせランスシリーズからの卒業を促し(ひつじ村ではアリスソフト内の世代交代の比喩でもあると書かれており、確かにそうかもしれない)、スタッフロールでランス君の大往生を描くことでシリーズの完結を宣言する。そればかりでなく、ルドラサウムという無邪気な子供と評される創造神(そう言えば、ランス君も「大きな子供」と呼ばれていて、ルドラサウムが対比されている)が他人の遊びを外部から眺めるよりも自分で遊んだほうが面白く愛着が持てると気付くゲームをテーマにしたメタ性もあるし、ランス君の子どもたちというランス君のいない旅を描くことでランス君がいかに魅力的だったかプレイヤーに思い出させる内容でもあった(第二部は途中まで薄いとか類型的とか言われているが、クルックーの意図したゲームバランスであると共に、ランス君がいないことを強調した結果でもあるだろう。イブニクルみたいな珍道中にしなく、ほんわか感動ものなのは制作陣がわざとやってると思う。また、ご都合主義や幸運はランス君も普通にあったりするんだけどランス君だからで大目に見られているってことを改めてプレイヤーに感じさせる効果もあった)。
 だから、ランス君が正気を取り戻した以降の怒涛の展開、どう考えても勝てない相手に立ち向かってしまうありえなさ、そして見事に勝ててしまうとんでもなさは、改めてランス君の偉大さ、ひいては本当の意味でランス君はルドラサウム世界の主人公なのだとプレイヤーに気付かせるようにしているのだろう。血の記憶との戦いで「俺様の活躍を見てるか」というようなことを喋っていたが、子供たちに向けているようで、恐らく魔王の血を通して勘づいたかもしれないルドラサウムへのセリフでもあり、さらに第四の壁を破ってプレイヤーにも投げかけている。思い返せば、ランス6ではそのまんまのスキル「主人公」を持っていたり、ランスXでもアリオス戦で「俺様は主人公」という趣旨のセリフを吐いていたではないか。
 そのためルドラサウム世界のルールばかりか、最終的にコンピューターゲームの構造まで相手にしたランス君の冒険はこれ以上描くことはなくなってしまったわけで、物足りなく感じる面はあっても、あとはもう完結しかない。鬼畜王ランスの「冒険へ……」エンディングでお茶を濁すこともできただろうに、ここまで描ききってくれて良かった。まあ、調べると納得できない人は結構いるみたいだけど、むしろ言い訳できないくらい完結させてしまったことで自分たちの思い描いていた結末と違う不満なんだろうな。僕としてはこのエンディングを見てしまえば、事前に予想されていたエンディングは正直、ちゃちいというか、物語が小さいというか、ランス君の完結としてはつまらないと感じた。

 それにしても、個性も強烈で戦闘力も強いランス君の子どもたちに囲まれても存在感を失わない長田君は第二部の癒やしだった。主人公が最初に出会う人物が長田君、そしてロッキーであることは色々と深読みできてしまう。設定的にはモブでしかないキャラクターでも世界(ルドラサウム)を救うキーマンになれるというのは、第一部で魔軍を退けたランスを絶望に追いやったのが、プレイヤーすら忘れていたバードであったことと対比されてると思う。ランス君はある意味で第二部でも主人公を奪うくらい名実ともに主人公であったが、そんな主人公を別にすれば世界を変えるのは有象無象のその他大勢なんだよ、と言っているようだ。

 最後にスタッフロールで流れる本当の「その後」。最初見たときはショックを受けたが、暇があれば何度も見返して、始終楽しそうな冒険を続けるランス君にはやっぱり涙は似合わないなと思った。ランス君の冒険はここで終わったけど、スターシステムとして今後も別作品にゲストキャラで楽しそうに出るはずだから、それを楽しもうかな、と。
 ある意味では本当の意味での「純愛」をテーマにした作品だったんだろうな。ランス君が性欲に忠実で、手を出しまくるから見えにくかっただけで、シィルちゃんとの関係が特に今作ではストーリーに関わってくるのだから。



 まだ全部はクリアしてないけど、今はそんな感じ。これほどリアルタイムで遊んで良かったと思った作品はない。今はネットが発達しすぎて頭でっかちになりがちなので、変な先入観を仕入れる前に通り一遍でも楽しさを見出し、意味を見つけ、やり遂げて良かった。こんな作品を送り出してくれたアリスソフトをこれからも応援し続けようと思った。
 ところで、今作はグナガンとご褒美CGは出てこないのかな?

 印象に残ったキャラは、
ランス君:問答無用で大好き。大往生まで見せてくれた。
シィルちゃん:ヒロインというか、裏主人公。思えば、戦国ランスよりランクエ・マグナムを経てランス9の最後で復活するまで出番がなかったのだから、満を持しての展開となった。普通、囚われのヒロインや攫われのヒロインは出番が少なくなって印象が薄れるはずだが、ランスXではランス君はシィルちゃんが好きってのが前提なので存在感が大きいのが面白かった。
クエルプラン:裏ヒロイン。魔王システムを何とかするためには1級神以上の協力が必要のためヒロインに抜擢されたと思っている。何だかんだでランスシリーズには珍しい健気な子で可愛かった。
サテラ:言動が矛盾していて人間らしいと思った。第二部でランス君を魔王にしようとするんだけど、魔王化を拒否することに理解を示すホーネットがむしろ魔王に従うだけに過ぎないのが互いの立場をよく表してて良い。ランス君に対してちょっとバカだって言ってたけど、サテラも結構バカだよ……。そんなボケもツッコミもできるキャラだからヒロインとして抜擢されたんだろうね。
アリオス:良い意味で本物の道下。むしろ道下を極めたので1周回ってキャラが立ったと思う。プレイ中はものすごく同情した。それにしてもコーラからあんなに意味深なセリフを吐かれ続けてるんだから、少しは疑いなさいw
アールコート&ウルザ&クリーム:参謀ズ。この人らは秘書に欲しかったな。基本的には3人1組で動いてたけど、ランス君への態度や悲観的・楽観的・現実的な考え方の違いなど個性はあった。
パステル・カラー:へっぽこ女王で良い。泣き虫じゃなくなったけど、とにかくポンコツ。性質上、ギャグ要素を一手に引き受けていた。よく考えると、娘のリセットと共にランス君の夫婦家族としてはかなりの登場回数になるんだな。
リセット・カラー:第一部であまり登場する機会がないなと思ってたら、そういうことだったんだね。娘であり、かつみんなのお姉さんで、それでもダークランスの妹という新しい属性を切り開いたと思う。
魔想さん:第二部のキーパーソン。娘であり、父の代わりであり、ヒラミレモンであり……、とこれまた業の深い性癖を持ったお方。
かなみちゃん:こんなに強いかなみちゃんはかなみちゃんじゃないやい。娘は良かった。鈴女とはもちろん別人だが、ちゃんと忘れてなかったんだな、って。
ラ・ハウゼル:1周目の一番最初に挑んだ魔人で、ここまでギャグ要素が盛りだくさんの魔人戦で度肝を抜かれた。その後、ガルティア討伐に出かけてメディウサ放送とのギャップに驚いた。でもハウゼル可愛い。
レイ&メアリー:鬼畜王ランスからどういう風にアレンジされるかと思っていたが、2人共救われて良かった。戦闘でも使えて強くてお気に入り。

2018年3月20日火曜日

「折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー」(ケン・リュウ編、中原尚哉他訳、早川書房、2018)

 面白い。SF作家という領域でアジア系の作家(特に中国系)はほとんど興味を持ったことがなかったが、唯一の例外がケン・リュウで、そのケン・リュウが編んだアンソロジーということで本書を買ったのだ。編者であるケン・リュウは「紙の動物園」や「母の記憶に」で叙情性の高いSFを書いており、作品のモチーフやウェットさを考えると中国系というルーツにかなり自覚的な作家だと思う(もちろん1行なんかじゃ評ずることができないのはわかっているが)。そんなケン・リュウが、中国人が書いた知られざるSFをアメリカに紹介するために編んでいるわけで、嫌でも期待は高まってしまうだろう。
 そもそも中国におけるSFの地位は他ジャンルに比べて高くなくとも、すでに中国内ではSFファンもかなり多く、質の高い作品は多かったらしい。正直、僕がそのことを知らなかったのは単に勉強不足だったっぽく、確かに本書を読むと中国SFのトップは問題意識もテーマも欧米日本のSFと遜色がない。ケン・リュウによる序文や収録された作家による中国SFについてのエッセイ(筆者による解説みたいなものだった)によると中国では欧米SFの翻訳も行われそれを受けて中国内で自国語によるSFの発展が起こっているようだ。同じようなことは日本でも行われているのだが、それを外から眺めると、鍋の中で出汁が濃くなっていくようにもしかしたら変な方向に発展する可能性もあったのに、よくもまあ他国人から見てもSFとして普遍性を持つに至ったなあと感慨深い。中国ではネットの検閲があったり、グローバルなサービスが受けられず独自で発展したウェブサービスが多いことを聞いていると余計にそう思う。
 あえて傲慢な書き方をしたが、中国SFが何をもって中国SFとして成立しているかと考えたかったためだ。一応ケン・リュウは序文の中で、中国SFは三者三様で広がりもあり、国籍としての特徴はないみたいなことを書いており(アメリカSFの特徴を挙げるのと同じだって)、ポリティカル的にもケン・リュウのファンとしても本書の内容からわざわざ中国チックな特徴を見出すのは邪道だと思う。しかし、僕は全ての表現=コンテンツは社会の反映だと考えており、中国という属性を強調して編まれた本書から中国っぽさを入れずに評ずるのはむしろ不誠実だと思う(先のアメリカSFの例えは、そもそもSFがキリスト教的な真理の探究と科学技術の融合で生まれたジャンルであるため、欧米のある種のガジェットをテーマにした空想小説が他国から見てSFになると考えており、問い自体が矛盾してると思う)。もちろん本書1冊を読んだだけでは中国SFという広大な世界は見えてこないのだが、勇み足になることはわかっていながらも中国SFとは、ひいては日本SFとは何なのかを考えていきたい。


 それぞれの作品は、ケン・リュウによる著者略歴や作品解説が付いているが、作家の経歴も多彩で読み応えがある。
 恐らく本書は収録作品の順番も考慮されて編まれたのではないかと想像しているが、最初の「鼠年」(陳楸帆)はコテコテの中国らしさが溢れ出てSFらしさというより中国さの奔流に圧倒された作品である。遺伝子改造による肉体的な強化というガジェットはあれど、鼠害は蝗害と共に中国では歴史的に悩まされたネタであり、それを就職できなかった大卒を集めた軍隊が駆除するという筋立てに中国らしさを感じない人は感度の低さを反省すべきである。鼠を狩っているつもりがその実狩られ、それに気付くと共にこの世界の「ゲーム」のルールに気付く。この作品では軍隊という社会における鼠狩りというゲームだったが、少し見方を変えるだけで資本主義にも共産主義にも適用できる射程の広さには驚かされた。主人公が瀕死の怪我を負った挙げ句、単に自分が「ゲーム」の駒に過ぎないことを気付くだけって展開は涙を誘うのだが、そもそも現実では「ルール」すらもわからないことが多いわけで(僕もいまだにわからない)、それを悟った主人公は幸福だと思う。
 同じ作者の「麗江の魚」も、ある種の「ルール」や「ゲーム」に気付くという構図だ。GDPを上げるために時間感覚を圧縮する=セカセカさせる技術と、長命を実現させるために時間感覚を伸ばす技術という2つの技術をフックとして、それが社会に与えた影響とその技術は実は……というネタバラシがハイライト。懸命にも「ルール」に気付いた主人公は身の回りの全てが作り物だったと知ってしまうのだが、P・K・ディックみたいな感覚であった。関係ないけど、客室乗務員をナンパする描写が否定的に描かれていないことに驚いた。
 同じ作者の「沙嘴の花」。AR技術とフィルム型ディスプレイによりアップデートされた中国の雑多な民衆を描いた作品である。上位接続権限のある検索が上手い人を巫師と呼んでお金を払って占ってもらうのは中々皮肉が効いている。今作も、「実は作中のアレはAR技術だったのです」的な世界のルールを暴く(作中では主人公は騙す側だけど)お話だったりする。
 ハードSF・ソフトSFというジャンル分けがあれど、どちらにも該当しない作品やジャンルをまたいだり行き来する作品はどう呼ぶ? という問われたらどう返答するだろう。僕はそんなの幻想文学と呼べば良いじゃないかと思ってしまうのだが、「ポリッジ(おかゆ)SF」と名付けたのが夏笳という作家で、そのポリッジSFを体現したと思われるのが「百鬼夜行街」。読めばわかるがケン・リュウの「良い狩りを」「烏蘇里羆」的なファンタジーとSFの融合のようなことを行っている(そのものズバリは次の次「龍馬夜行」の方が近いけど)。しかし今作品は単なるファンタジーとSF的ガジェットの融合だけでなく、そこにAIの人格や「本物」の人間の条件という最先端の問題を組み込んでいる。
 「童童の夏」(夏笳)は介護問題を扱った作品。ザ・技術発展万歳、ハッキング万歳とも言うべき技術発展とそれがスタートアップで広がることで社会が変革していく有様を肯定的に捕らえていた。そもそも後の「神様の介護係」(劉慈欣)と共に親の介護は子が行うべきみたいな東アジア特有の儒教イズムが根底にあって、これが欧米SFならもっと違う展開になったと思う。それはともかく、少子高齢化により介護不足が深刻化する中、解決策がAIではなく中に人間が入ることによる遠隔操作型ロボット(ついでに子供のお守りもできます)というのはユニーク。これって寝たきりに近い四六時中面倒を見る必要のある老人には不向きだけど、さすがに中国でもそんな人らはケアハウスに預けるのだろうか、と気になった。この遠隔操作による介護ロボットという発想も面白いが、この作品では何とその先として介護ロボットを老人が遠隔操作することで老老介護を実現させるという手段に出てしまう。いや、作中ではなし崩しに肯定的に広まってるけど、介護業者として必要な安全面の保証とかされてない(はず)なので、実はヤバいだろう。……冒頭でハッキング万歳と評したのはそういうことで、技術を通じて社会を変革させることへの信頼感というか積極性が、この作品では前面に出ており、深センの発展とか合わせて考えるとこのイケイケムードが中国らしいと感じた。
 「龍馬夜行」(夏笳)は先に「童童の夏」で書いたようにスチームパンク的作品。人類が死滅した世界での機械仕掛けの龍馬と蝙蝠の行脚は、やはりAIの人格という問題を描いている。中国的や物語とSFガジェット満載なんだけどどことなく現実感のない龍馬と蝙蝠が語るお話。最終的に龍馬が天に召されるところも含めておとぎ話みたいな感覚があり、確かにこれはSFのポリッジなんだろうなと納得した。
 「沈黙都市」(馬伯庸)は一言で表すならディストピアSF。AIによる検閲効率を高めるため、インターネットの書き込みは禁止用語ならぬ使用可能語(作中では「健全語」と表現)しか使えず、さらには他人と会話するのも検閲機能がついたマスクを着用しなければならないというコテコテのディストピア物である。面白かったのは、ディストピア物は主人公などに身の危険まで迫ってきてディストピアを打ち破る展開が定番だと思うんだけど、この作品ではガス抜きができる秘密クラブを見つけてそこで満足してしまう所だ。その秘密クラブは実質上エリートによるエリートだけが入れる集まりで、会話だけでなく肉体的にも「自由」に交わすことができる。そのため主人公が恋愛感情に悩むなど日本で言う部活モノみたいな微笑ましい光景が中盤まで繰り広げられてしまう。外では検閲が行われているという世界観でだ。もちろんそれは終盤の急転直下な展開を際立たせるためのもの。皮肉にもプログラマーである主人公が開発した機械によって秘密クラブは知らぬ間に摘発され、ついには使用可能語も0となり、交わす言葉もない……というラスト。英米のSFならディストピアを聞くと反対運動を起こしたり、その気でなくとも反政府運動に取り込まれたりして体制と対峙する主人公/展開が定番と思っていたため、今の居心地が良ければそれで良いと言わんばかりに特段体制へのアクションを起こさない主人公は新鮮だった。将来的に使用可能語は0になるのは作中に示唆されており、それにも関わらず主人公は秘密クラブでガス抜きができる特権性。自分の身に体制の手が伸びて初めて反体制運動を考える(しかしその想像も具体性を欠いており僕から見たらかなり危うい)後手後手さは政治と暮らしが直接繋がって「いない」感覚を上手く表現しており、現在の中国の政治を考えるとまさに中国らしいと思う。とは言え、実は日本も政治と暮らしが分断されており、この作品が日本を舞台にしていても成立すると思うのだが。
 もちろん中国SFだからと言ってなんでもかんでも政治や体制と結びつけるのは間違いだし、つまらないわけで、「見えない惑星」(郝景芳)なんかはひたすら想像を広げ未知の惑星の姿を描いた作品と言えよう。ケン・リュウ的には「選抜宇宙種族の本づくり習性」「上級読者のための比較認知科学絵本」に似ている作品であり、マイクル・コーニイみたいに適度なストーリーとロマンを与えればSF要素も含めてかなりの傑作になりそうな異星の姿を複数ブチ込んでスタニスワフ・レムみたいなアイデア集SFにしてしまったのは、作者の自信の現れだと思った。作品の性質上、ストーリーというストーリーがないので紹介しようがないが、これでもかと不思議な惑星とその住人の生活が描かれ、読んでいて楽しかった。
 同じ作者が書いた表題作の「折りたたみ北京」(郝景芳)。これなんてまさに中国……とは言わなくとも、中国のような発展している国でなければリアリティがないと思うんだけど。人口問題を解決するため、時間帯によって都市が折りたたまれ広げられ、それぞれ活動できるグループが分けられている……分けられる基準は貧富というか身分の差だ。物語はお金を稼ぐため、一番貧しい第三層から最も裕福な第一層へ密入国(?)する男を描いているのだが、読み進めるに従ってそもそも第一層の住人もあまり幸せそうじゃないのではないかと思ってしまう。そもそも、第三層自体折りたたみ北京市に住めている点では住めなかった人々に比べてラッキーなわけで(折りたたみ北京市以外の人は作中で描かれないのは不気味だけど)、第三層の人々は貧しくても生きるか死ぬかレベルではなく、将来の展望や社会の把握ができるレベルでは教育を受けているみたいなのだ。もちろん第一層の人は第三層の人々に比べて食事も娯楽もとてつもなく贅沢なのだが、それでも折りたたまれる時間は活動していないはずで、しかも階層の異動は禁止されることも含めて自由が制限されている点では第三層と同じなのである。ディストピア社会において飢えさせず生活レベルをある程度保証し平等にディストピアを与えていれば知識人も労働者も大学生も企業家も警察も満足するみたいなテーマを感じた。ディストピアと書いたが、登場人物が自分たちの社会に一切の疑問を持たないのが特徴である(付記すると、正直、僕はこのような社会なら実現しても受け入れるかなと感じてしまった……)。
 「コールガール」(糖匪)はケン・リュウによる紹介によるとシュールレアルなイメージだの言葉遊びだのと書かれており、まさにその通り。お話を売る少女、お話の化身である犬、究極のお話に魅入られた客の男。確かに寓話であり、何について語っているのか議論はあるだろうが、僕の理解では究極の存在(「世界の本質」と作中では表現されているが、キリスト教的な神だと思う)への憧れについての物語だと理解した。
 ケン・リュウによる紹介でメタファーだと多層的だの夢だの、読むのに面倒臭そうな書かれ方をしていた「蛍火の墓」(程婧波)。とりあえず寓話が指している中身がわからなかったので評することはできない。とは言え、単なるおとぎ話としても面白くて一貫しているので、特に寓話として読まなくても良いかなという気分になった。
 「」(劉慈欣)は、翻訳作品として初めてヒューゴー賞を受賞した長編の1章を短編向けに変えたという作品だ。ケン・リュウの紹介でもやたらに褒めちぎられ、ハードルが上がる中、確かに素晴らしい傑作だと感じた。物語としては何重にもテーマがあり、アルゴリズムを扱った数学SFでもあるし、国を滅ぼすサスペンスの要素も含まれ、さらには歴史改変SFでもある。古代にコンピューターが開発されている、というテーマは数あれど、兵隊に旗を振らせることで0と1を表現して兵隊を大量に集めることで処理性能を増やすというアイデアは恐れ入った。何よりも凄かったのは、やってることが簡単で描写が具体的な分、この兵隊コンピューターは実現可能なのではないかと思わせられる点。たくさんの兵隊がひたすら旗を振って不老不死の真理を計算するというアイデアは中国でないと書けないと思う。
 「神様の介護係」(劉慈欣)は「円」と同じ作者が書いたとは信じられないほどトボけた味わいのある作品だ。介護問題ということで「童童の夏」(夏笳)のように東アジア的介護の姿が描かれるが、介護の対象は地球に生命を蒔いた神様(インテリジェントデザインかよ!)なわけで、これにはキリスト教徒も介護に関わるしかない。作中に出てくる神様と介護する家族が中国系のため中国における介護問題的イメージが離れないけど。この作品が面白いのは、介護問題だけではなく、移民問題をも扱っている点。いや、むしろメインテーマは移民かもしれない。そもそも地球の家庭数が15億(作中)しかないのに対し、地球に現れた神様は20億もの数。神様が持っていたオーバーテクノロジーを対価とし、各国政府はその技術を喜んで受け取り、それぞれの家庭も暮らしが良くなると期待する有様。惑星に生命を蒔いたり星間飛行をする技術がそんな卑近なわけないでしょー。そんなこともわからない大衆は結局、オーバーテクノロジーを今の地球の技術で解読できず、暮らしも良くならないと知るに連れまるで日本昔ばなしの意地悪爺さん婆さんのように神様を虐待し始める。ついには家出した神様がスラムを作って集団生活するという爆笑ものの展開。これぞ風刺。そう、この作品はあくまでも物語として書かれているからどこか老人もとい神様虐待を行っても、移民もとい神様へ差別としか思えない言動を行っても牧歌的な印象があるが、これは誇張しているものの現実でも起こっているのだ。移民として優れた技術や能力を持った人しか受け入れず、受け入れたとしても使い潰したり、それとも人道的理由から移民を受け入れても数に恐れを成してしまうし、そもそも少し数が多いだけで社会がたち行かなくなる移民という制度への疑問。作中でも結局、人間側による問題解決が行えず、神様たちを地球から去らせるという方法に出た。それも「地球人がここまで大変になるとは思えなかった。ゴメンよ」という趣旨のセリフを神様に言わせて。相手が神様ならその知恵を待てば良いのかもしれないが、同じ地球人相手であれば僕たちが何とかしないと何も解決ができないのである。ケン・リュウ的には「存在」「月へ」を連想した。



 中国SFの特徴として、本書を読んだ限りでは家族の有り様かなと思う。欧米の家族に比べると、やはり一族とか先祖などへの意識があり(もちろんフィリピンや韓国でも言える=中国というより東アジア東南アジアの問題意識なのかもしれないが)、それが介護などの問題にも繋がっている感じがある。あとは技術に対する信頼性。日本のSFだったらそこまで技術を善としないだろう、と思えるレベルで技術への信頼性が高い。よく評論が書かれる際に「現代的な問題」という用語で表現されるテーマがあるが、本書を読む限りでは中国SFでは問題が現代的であっても、問題の原因が技術に起因するというケースは少なく感じた。技術そのものではなく人間の運用に起因して問題が発生するという考え方は今の中国SF独自と言えないだろうか。
 とは言え無理に中国というタグを付けて読む必要がないのも事実(ケン・リュウが序文で書いたように)。僕の感想の通り、テーマはすでに欧米SFと同じくらい広く、その中の数編をつまみ食いしても全体像はわからないわけだ。そうは言っても僕なんかは中国系と聞くとウェットさを連想して、数人の作家は叙情性があったと納得するのだから中国系という前知識もあったら楽しめると思うんだけど。
 とりあえず気になったのは、ポリッジSFというジャンルと「円」の元となった「三体」。ぜひとも読んでみたいなあ。

2018年3月13日火曜日

ランスX攻略中……(だった)

※これ、3月第一週に公開する予定だったけど、ブログいじるよりランスX遊ぶほうが忙しくてすっかり忘れてた。

 なにこれ、ボリュームがとんでもないぞ。単に周回する際、育成の引継ができないだけじゃなくて、単純に物語のボリュームが半端じゃない。攻略wikiを見ながら遊んでいるが、ネタバレとか気にする余裕もない。

初回:「クリアC 魔王ケイブリス」(ターン制限が厳しいのに気が付かなかった。取りあえず全ての国を適当に支援したり魔人を倒してた。美樹ちゃんの確保を後回しにしてあえなくバッドエンド。ハウゼル仲間、カオス投擲でレイタイマン撃破)
2回目:CP+1。「クリアB 異界の魔王」「クリアB 神の真実」「クリアB 地底大作戦」回収。美樹ちゃん確保した。バボラ撃破、ガルティア撃破、シルキィ仲間、レイも偶然仲間、パイアールも仲間。下手に魔人を撃破しすぎたので「クリアB 異界の魔王」の難易度が上がった。スチームホラー戦車はきつかった。攻略wikiを参考に、睡眠毒呪いで何とか撃破。この回の途中から攻略wikiを解禁した。砦ルートだとわかったので分岐のセーブデータを作り一気に3つCPをゲット。
3回目:CP+4。今度はJAPANルートで、「クリアB タイムカプセル」「クリアB 魔王美樹」「クリアC 勇者の成就」。ハウゼル仲間、レイも仲間。「クリアB 魔王美樹」で黒部撃破は無理かなと思っていたが、放置してたら意外と何とかなりそうだったので戦闘をやり直して撃破。毒を入れつつAP0→メアリーレイを連打。リックやランスなどどちらも両スキルともAP0の攻撃を持っているとダメージを与えられ続けて良い。ケイブリス戦は、ハニージッポを装備し毒と手裏剣とメアリーレイ。何か、長期戦になると序盤のようなラッシュが来なくなる? CP3つゲット。
4回目:CP+4。JAPANルートの途中で、ニューゲームで簡単に回収できそうな「クリアC 人類滅亡」を回収。確かに「クリアC 魔王ケイブリス」に行きやすい。どこの国も支援せず、美樹ちゃんを確保しただけ。CP1つゲット。
5回目:CP+8。ついにランス城を浮遊させるルートへ。第二部開放実績をクリアしようとしたが、4国防衛できず、「クリアA 海から」となる。とりあえずホーネット様を仲間にするので、リーザスの魔人回収を専念。初めてレキシントン戦になり、仲間にした。その他、レイとパイアールを仲間にする。第二部開放の、魂管理局との邂逅・ホーネット救出をクリアしたため、6回目は4国防衛に挑もう。それにしても海からルートでシャリエラなしで挑むのはキツイよ。ここまで難易度が高いとは思わなかった。育てるキャラが一握りしかいなかったため、最後のケイブリス戦で★21とか31未満が脱落しまくって戦力が急激に低くなった。
6回目:CP+9。カードなんでもドロップを解禁。いきなり村人ニーナ、ミリリッカ、肉片ルートが連続してドロップしてイヤーな気分になる。とりあえず面白いからゲットするけど……。ヘルマン2枚抜きにトライしたが、難易度が高まる上、1体ずつ撃破するのに比べ、カードの集まりや経験値の量が少なくなることが判明。近いうちに詰むとわかったのでセーブデータをやり直してバボラを倒す。それからガルティアを仲間に。大食いキャラさえ確保していれば意外と楽。育てたキャラよりも全く育ててない大食いメンバーの方がダメージを与えられる意味不明な状況をいかんせん。それからレイ・シャングリラ・魔王捜索・シルキィ仲間・ホーネット救出を行う。ついにホーネット救出の途中、ハニーキングと村人テオマンをゲットできた。少々頭のおかしいダメージが入ってグッド。さすがにカードなんでもドロップは強い。まあ、メデュウサの生贄になったもう1人の子、PGシリーズ、コンバート・タックス、メルフェイスの元旦那、エロヤックなどをゲットし続け、嫌な気分にますますなったのだが。。。今回は対ケイブリス戦を踏まえ、色んなキャラを育成することにする。特に食券は非常に便利である。

 攻略wikiでも書かれているが、楽に進めるヒントとしては、
・カードを極力ゲットする。今作ではキャラクターの育成よりカードを集めることが大事。カードを取らないとHPも各種ステータスも増えないので、全滅追い打ちや初撃破を活用する。
・カードは「すでにゲットしてるキャラの絵柄違い(同じキャラの絵柄違いは★ランクが共有されるがステータスがフルで加算される。特に優先的にランスの絵柄違いを集めないと、主人公枠の攻撃力が伸びなくなる)」>「まだゲットしていないキャラ(ステータスがフルで加算される)」>「まだゲットしていない属性違いキャラ(ステータスがフルで加算される)」>「ゲットしているけど複数枚取りたいキャラ(同じカードを複数枚取ると1枚ごとに10%増える)>「ゲットしてるけどステータスがパッシブで増えるキャラ」>「その他適当」の順に増やすと戦力が上がる
・ただし一部のキャラの★を高くするよりも、全キャラまんべんなく★20とかの方が強くなる
・難易度を上げすぎる(=魔人を倒しすぎる)と後半、雑魚戦で消耗し、ボス戦で詰む。ゲームテーマが魔人との戦争なので魔人を倒さなければいけないのかなと思うけど、各種フラグは人類滅亡率をトリガーにしているみたいなので、魔人を仲間にしたり撃破実績狙いじゃなければむしろ支援だけに留めて倒す魔人は最小限にすべし。
・★ランクを増やすと絵柄違いが開放されたり、カードのステータスが上がる。特に★★になるだけでダメージの上昇率が高くなるので
・AP0アタッカーはコンボ稼ぎに有用。特に一定以上のダメージじゃないとHPが減らない相手に手軽に
・手裏剣は最終手段。どんな敵がどんな厄介な行動を取ろうとも、手裏剣は妨害できるロマンがある。
・長期戦なら毒睡眠呪いが強力。特に睡眠でターンを稼ぐといつの間にかリーダーの入れ替えができるようになる。

 それにしても、シルキィやレキシントンの時限ありが倒せない……。かなみちゃんも今作は極めて有能なキャラになっていてびっくり(でもリーザス所属なので多少影が薄いのはかわいそうだけど)。

2018年2月19日月曜日

「女子高生に殺されたい」(古屋兎丸、新潮社、全2巻)

 たぶんマゾヒズムについて描いた作品……なのだろうけど、タイトルにもなっている「女子高生に殺されたい」願望が何の解説もなく前提となっているせいで、僕のようにそのような願望のない人は全く感情移入できなかった作品。別に感情移入する必要はないかもしれないけど、そのせいで一歩下がった視点から読めてしまい、作品の粗が目についてしまった。

 一番大きな粗だったのは、自分の死体の身分をわからなくする方法。部屋の指紋など痕跡を消して、自分の身に付けるものも全て捨て去り、長旅に出たことを装い、実は近くで殺されている……。こうやって書き出すだけで成功しないのでは? と思わざるを得ない。本作ではしっかり練られているように思えて穴だらけの計画はこれ以外にもたくさん(例えば自分を殺させる女子高生を誘い出す方法とか、10年近くに及ぶ計画をよりによって人目に付くところに置いていたとか)ある。一応主人公は頭の良い人として描かれているはずなんだけどな。
 なのでサスペンスかと思っていたんだけど、どうにも緊張感がないのだ。主人公の望みは自分の死だし、あまり精緻ではないとは言え、周囲の人への迷惑を考えて動いている。死が起こっても、大した問題にはならないのが読めてしまう。これが他人に対する侵害であればもう少し切迫するものの……。そうか、だから世間では攻撃的なコンテンツがたくさんあるのか。暴力表現がなくならない理由を身をもって感じてしまった。

 なお、感情面で問題を抱えているが知能は人並み以上というキャラクターを万能のものとして使い過ぎでは? と思った。最初はヒロインにしか懐かないとか描いておきながら、普通に他のキャラクターと絡めるんだもん。読み進めるに従って精神的な病気にかかっているとは思えなくなってくる……。

 全2巻ということで、まとまった作品だと思う。伏線も上手く、ストーリーに無駄がない。そのため逆に、あっさりしすぎるけど。

2018年1月29日月曜日

無限PKの思い出【UO日記】

 もう時効(と勝手に考える)だから告白するけど、一時期、無限でPKを行っていたことがある。2010年前半だろうか。その頃はまだ無限にも人がチラホラといた。
 無限は2007年だか2008年だかに初めて足を踏み入れ、ヘイブン墓場でステハイ狐変身弓に殺された思い出が強かった。忍者PKギルドのIGAが精力的に活動していた時期だった。
 本当にPKerがいるんだと驚き、どうしてか無限でのPK行為に憧れを抱くようになってしまった。当時は無限新興としてのPK行為が宣伝されていたこともあった。
この人が当時の僕。初赤になった瞬間。

 とは言え、そもそも本格的に移住する気もなく、当然資産もないため、買えるものも限られてくる。無限は1キャラしか持てないので、PKerが狩りをしようとしても効率が良くない。せいぜいパワスク110を導入するのが関の山だった。こんなのじゃ百戦錬磨の無限民から返り討ちにあってしまう。
 不便なら不便なりに創意工夫を施すわけで、僕が取った戦略は、買い物客殺し。ルナ店をチェックして、誰か買い物してる人がいればアタックするという単純な方法である。それも戦士は相手しない(というか、戦士を正面から相手すると勝てない)。まあ、無限で遊ぶのが毎晩1時間程度なのでそもそも他プレイヤーに会う機会がほとんどなく、遊んだ期間の割にはPKした数は多くはない。失敗してお店から@バンされることもあったし。

 実は、PvPにはもともと興味があった。出雲でもジェロームのアリーナやヘイブンのアリーナで練習している人たちに混ぜてもらったこともあったが、メイジは自分に合わなかった。反射神経が追いつかない。たぶん練習すればなんとかなるんだろうけど、このまま年を取った時、詠唱戦はついて行けないと感じた。戦士同士の対決はマイナーだったものの、楽しかった。ほんの数回しか参加しなかったが、走る方法や回復など、基礎的なことを教えてもらい、やはり歴戦の対人プレイヤーは強いと感じた。時々ロストランドの対人戦に単騎で挑んでボロボロにされたりした。ただし、一般シャードでの対人は緊張感があるわけではなく、そして当時は仕事が非常に忙しくなっていったこともあり、一度無断でアリーナを休んでしまうと顔を合わせ辛くなり、UO自体小休止状態になった。次にUOに復帰した時、無限で戦士を完成させた。


 初めて他プレイヤーを殺した時は手が震えた、と色々なところで様々な人が語っていた。百戦錬磨のPKer上がりの人もどこかの日記でそう書いていた。実際にやってみて、確かに心臓に悪いと思った。何というか、NPC殺すのとは全く異なる。画面の無効に自分と同じ意思を持った人間がいると意識するだけで動悸がした。ガード圏に近いとか、たぶん逃げられるとか理由をつけて初めてのPKを先延ばしにすること数回。返り討ちにされたら恥ずかしいという気持ちもあったのだが、見ず知らずの他人に対してネガティブプレイを行うことへの抵抗感を強く感じた。PKでこれなら詐欺とか対人シーフは相当きついだろう。

 最初のPKは今でも覚えている。なぜか会社が休みだったので朝からUOにログインしてて、ルナのお店でお客さんを見つけてしまったのだ。無防備な上動かなかったので、放置だと思った。PKしない言い訳も見つからなかったため、覚悟を決めてアタック。相手は動かず、あっけなく僕の最初のPKは終わった。微動だにしなかったので正直、全く罪悪感を抱かなかった。死体の持ち物を吟味する時間すらあった。それから僕はPK街道を邁進した……と書きたいところだが、そもそもプレイヤーが多くもなく、しかも狩キャラとは言え本気の戦士やメイジ、テイマーに狙われると即殺されるレベルだったため、自分が死なないことと相手を殺しきれることを優先に考えた結果、PKできないことの方が多かった。そのため結局、最後までPK行為に慣れなかった。
確かこの後、蘇生してあげたんだっけ。

 一番印象に残っているのはこれもルナのお店にいた人。のんびりと歩いていたので、ドキドキしながら走って追いかけつつアタック。慌てて逃げようとした彼ないし彼女だが、何とか追いついて殺した。めぼしいものを持っていないか探す中、画面端に見えるIGAの文字。それもベテラン戦士だったため、慌ててルナ城の外に逃げる。IGAの人は死体を見つけると一旦止まり、それからこちらを追ってきた。何とか撒いて殺されずに済んだが、人の少ない無限とは言えPKを行うのはリスクもあるんだと学んだ。PKerは自分が生き残ることを最優先にすべきという哲学をこの頃考えた。
この直後、IGAメンに追いかけられました。

 こういうこともあった。
 どこかの寂れた銀行で詠唱音が響き渡っていた。ああ、スキル上げね。と思って近寄ると、明らかに放置上げ。こいつはいかんとアタック。ガード圏内ではあったが無事に殺せた。PK行為に一切後ろめたさなくやり遂げられたのは後にも先にもこのときだけだった。
わかりにくいが銀行内である。

 PKerから足を洗ったのは再び仕事が忙しくなり休止状態になったこともあったが、それだけではない。
 ある日、ユーあたりのムーンゲートに入ろうとした時、ハイドしてる人がいた。リヴィールさせても動かないのでアタックして無事に殺した。この時はそれだけだった。
しかし後日、何の理由かは忘れたが、僕も同じようにどこかのムーンゲートでハイドしたまま離席せざるを得なかったことがあった。戻ってきた時、ログに残っていたのは、自分を発見したIGAの生産キャラがインビジで隠してくれたこと。その時はすでに赤ネームだったのでわざわざインビジをかける必要はなかったのに、だ。その人はIGAだったため、赤ネームに対して贔屓する感覚もあったのだろう。ただ、無限みたいな環境で知り合いでもないPKerの利益になる行為をわざわざ行うことに衝撃を受けた。


 ルナにPKerが出現するという情報も広まってしまったのだろう。僕が遊ぶ時間はステハイですらルナにはいなかった。そして僕も、PKerとして活動するには自分の中で理屈を見つけられず、UOの休止と同時にPK行為も飽きてしまった。
 最近UOに復帰したけど、無限の戦士はどう育てようかな。

ゲームプレイ日記についての雑感【UO日記】

 最近UO熱が復活して、戻ってきたが、仕様を確かめるため色々なブログやホームページを回ってリンク切れやサービス終了でショックを受けたり、昔ハマっていたUOサイトがまだ生きていて感動したりしている。
 僕がUOを遊び始めたのはそうしたUO日記、UOマンガの影響であり、感慨深い。もっとも、僕が読んでいた時はすでにブログ最盛期であり、相当古い時代のUOが「思い出」として語られていた。当時の僕はネットゲームのパブリッシュについてわかっておらず、ゲームソフトを買うように仕様が大幅には変更しないものだと思っていた。UOマンガやUO日記に憧れてブリタニアの世界に降りようとしていた僕は、さすがにトラメルとフェルッカに分かれていたことは知っていたが、お金稼ぎが大変だとかハルバードが木こりも戦闘にも使えそうだとか、そういうことを考えていた。そのためキャラクター選択画面の「忍者」という単語が理解できなかった。

 UOに一番初めにログインすると、ヘイブンに出た。UOマンガの中では青いゴキブリに驚いていたところ、僕は白い狼やへんてこりんな鶴、やたらにでっかいトカゲに驚かされた。後にそれぞれクーシー、レッサーヒリュウ、乗りドラだとわかった。UOマンガやUO日記で書かれていなかった武士道や忍術、さらには織成呪文というスキルに戸惑った。当時のヘイブンはまだ活気があったため、そこらに佇んでいる人に聞いてみたら、僕が憧れていたブリタニアはとっくの昔にパブリッシュのかなたに消えていたことがわかった。面白いことに、あんなに憧れていたゼロディレイやPKerの世界と違っていても僕は大してショックを受けず、そのままUOを遊び始めてしまったのだ。

 ブリタニア観光案内所は当然時代遅れになっており、パラリシャンも半分更新を停止したため、リアルタイムのUOの仕様を学ぶにブログを片っ端から読み漁った。僕のUOブログ熱はここから始まった(実際に体験するより他人の感想文に熱中するのは自分でも難儀な性格だとわかっている。他人の書評も旅行記も結構好きなんだよね)。
 色々読み漁る中で、ぼんやりとわかったことがあって、文章力というかプレイ日記(マンガは除く)の上手さ下手さは実際ににあるということだった。大まかに書くと、客観的に書かれていたり冷静だと読みやすいし普通に面白くなる。恐らく、客観的に書くことで読者から見た面白さを意識できるのではないかと考えている(僕も@反省)。読者を意識して書かれたコンテンツは読んでいてもそういう努力の跡がわかった。
 加えて日記を書いた時期と日記に書かれた時期に大きく差が開くと記憶が整理されるためかストーリーができあがっていて面白い。リアルタイムの日記はどうしても些細なことまで取り上げがちで雑多な情報が多くなると思う。
 さらに漠然とした日記より特定のコンテンツ(ルーンビートルとバケキツネのコンビでボスに挑むとか、純戦士タイマンだとか、対人シーフとか、マゲ=カタなどとか)に特化していると仕様を勉強する意味でも面白いし、日記としてもエキセントリックな内容になりがちで面白い。
 そしてネガティブなプレイ内容であれば、つまりは詐欺・PK・対人シーフプレイやUOでお金を稼いでRMT業者に売って生計を立てる日記などは僕自身にそんな勇気がないから未知の世界を読んでいて面白かった。

 一方で、同じ対人バトルにしてもYGWやリアルタイムでのギルド単位での戦争はあまり興味をそそられなかったし、今読んでもやっぱり面白くない。たぶん、日記の内容が「1被」や「1get」など記録になっているためだと思う。そしてギルド戦争を通じてメンバーの関係性が変わるとか、そういったストーリーがリアルタイムの日記だと見え辛い(というかない)のできつい。さらに、そのような戦争日記は同じく戦争している相手とブログ戦争をやりあったりするため、余計に読みにくかったり。でも僕が引っかかったのは、こいつらがやっているのはスポーツでしかないってこと。いや、外野が口を出すことではないのだ。文句をつける気はまったくない。
 僕の言いたいことは、単純にコンテンツとして面白いのはPK日記だったり、ギルド戦争やってるところに乱入するアレな内容だったりしたのだ。そういう本当に嫌がられるプレイがリアルタイムの日記としてわくわくし、すでにUOを引退した人が書く思い出としてもストーリー性が出て読み甲斐があった。これはもう何となくの感覚だけど、嫌らしい遊び方をわざわざ日記なり思い出として文章にする人は、文章が上手いと思う。文章が上手いというか、ストーリーなりRPとしての理屈なりがしっかりしており、被害に遭った人はともかくとして何の関係もない読者にプレイ内容の割に嫌悪感を抱かせない傾向があると思う。

 そもそもUOにおける対人は、PKとPvPは意識の上で雲泥の差があるからね。システムが許す上でどんなに卑劣な手段を使ってでも他プレイヤーを殺して自分は死なないのが最優先のPKに対して、対戦ゲームもどきのPvP。正直、ギルド戦争は自分が死ぬのが当たり前というか戦術に入っているわけで、PKの緊張感がないんだよね……(その割にact週◯日とか掛け持ち禁止とかお気楽でもないし)。


 そういうことをつらつらと昨日、久しぶりにガッツリとUOを遊んでいる中で考えていた。

2018年1月28日日曜日

ガーゴイルチャレンジ!(Pub98.2時点)【UO日記】

 UOのキャラクターをガーゴイルに変えてみた。そこで気付いたのが、装備が少ないこと。ベンダーにもオークションにも売っていない。ガーゴイルは一応、変成という手段があるが、現在のPub98.2でどこまで変わっているのかわからない。
 という訳で、試してみた。


①素材強化と変成
 スタッド鎧を用意する。

 赤皮で強化する。

 ここまでは普通の素材強化。

 これを変成する。

 Horned Stone Leggingsなどというひどい名前の装備になってしまった。

 なお、さすがにこの状況から色付き石での素材強化は不可能であった。

 一方、変成済の装備に素材強化は……?(もちろん色付き石である)

 成功!

 つまり、素材強化品→変成は可能、N素材→変成→素材強化も可能であった。
 ちゃんと素材の色が着いている(上の装備がH皮の色である)。


②向きと変成
 こっち向きのスタッドチュニック(スタッドチュニックには変成できる向きがある)

 やっぱりスタッドチュニックの変成には向きを注意すべき。

 プレート鎧は……?(プレート鎧の変成に向きは必要ない)

 こっちは問題なし。

 つまり、変成する際の向きについてはUO職人の部屋の仕様が生きている。


③変成と強化剤
 適当に用意した元スタッド腕。変成済である。

 ご覧の通りスタッド強化剤である。

 怒られた。

 ならばスタッド足に強化剤をふりかけて変成してみよう。

 そこそこ高級な強化剤だった。これを変成しようとすると

 やはり怒られた。

 ならば、変成後スタッド足に

 石鎧の強化剤をふりかけよう。

 成功!

 つまり、変成品(特にスタッドやボーン→石)は変成後の強化剤でないと受け付けない。


④変成できない……?
 色々変成実験をしていると、変成できない品に出会った。
 例えばこの骨胴。

 これはダメらしい。

 こっちのスタッド足も

 怒られた。

 はっきりとしたことはわからないが、どうやら短命プロパが怪しそうである。PrizedやCursedは上の図でもちゃんと変成できている。短命なんて普通は使わないから誰も実験したことないよね。


⑤おまけ
 命中靴ことShanty's Waders

 靴は向きが関係ないので、変成成功。

 つまり、命中靴と回避靴は変成できる、はず。

2018年1月17日水曜日

「行き先は特異点」(大森望/日下三蔵 編、東京創元文庫、2017)

 去年途中まで書いた感想文だけど、このまま熟成させても完成しないから公開しちゃおう。

 2016年に発表された日本SFの短編の精鋭を集めたアンソロジー。僕は確か2010年位まで買ってたはずだが、それ以降買っていなく、久々に購入。やはり素晴らしかった。
 トップを飾る表題作の藤井太洋「行き先は特異点」。現実と地続きのフィクションであり、実のところ世界を揺るがす事件が起こったりするわけではないのだが、生活に必要な技術が少しエラーを起こして地味だが致命的な事件をこっそりと引き起こす描写が極めてリアルに描かれている。これって現実でも起るの? 読んだあともどこまで現実に起るのか、どこまでの技術が現在実現できているのかの境界が見えにくく、作品に書かれていた事件を読者に想像させる力が強い。しかし、多分10年後は古びているのが予想できるので、この感想文も含めて生モノなんだろうなと思わざるを得ない。リアルな小説だが、どこかのシンクタンクが発表した近未来速報をストーリー仕立てにした小説な印象を受けた。
 次の円城塔「バベル・タワー」。「行き先は特異点」とは180度転換した奇想小説。「行き先は特異点」の次に「バベル・タワー」が配置される並びは絶対にわざとだろう。本書を読んで驚愕するが良いという編者の顔が目に浮かぶようだ。歴史改変というか、何というか、縦籠家と横箱家の来歴を読むのが楽しく、主人公が登場してそんな小説だったと思い出すレベル。ラストシーンはエレベーター(縦)を人類の進化に見立て、それをガイドする(横)という形で縦籠家と横箱家が結婚したシーンとして妥当。できれば縦と横で宇宙を支配する~、みたいなノリになったらもっと面白かった。
 弐瓶勉「人形の国」。やはり真っ白だ。これってマンガ本編に収録する予定はあるのだろうか。個人的には人形の国ってSFというより異世界でのヒーロー物な感覚があったのでこのアンソロジーに載るとは思わなかった。「人形の国」本編知ってる人は面白く読めるだろうが、知らない人は設定とかストーリーとか楽しめるのかな?
 宮内悠介「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は半分奇想で半分まっとうなSF。ガス上の生命体というのは面白い着目点。固形の肉体を持った存在(=人間)を生命体と認識できず、人間に取り憑いて騒動を引き起こすあらすじ。分量的には短いんだけど、事件とその解明と驚きの事実がきちんと描かれていて読みごたえがある。ラストシーンは地味に感動したハートウォーミングな作品である。でもSF読んでてこんな小市民的な感動を覚えるのは個人的には良くないことと思う。
 眉村卓「幻影の攻勢」は人類の進化系SFというか幻想小説。個人的にこの手のテーマが好きなので本作品も大好き。事件を詳しく説明しすぎないので余計に神秘的な雰囲気が出る。突き放したようなラストシーンが印象深かった。
 石黒正数「性なる侵入」。バカバカしいが面白い。大真面目な(結構笑える作品が多いけど)SFアンソロジーの清涼剤ともなっている。下手なSFより理屈を考えているのが内容のしょうもなさとの対比になっていた。
 高山羽根子「太陽の側の島」。様々な短編集でいつも最低1つは現れる個人的に入り込めなかった作品。たぶん集中力切れなんだろう。申し訳ないが、書簡小説ということで、一見して読むのが飽きてしまった。たぶんそれぞれの手紙にさり気なく小説世界の驚異が描かれているはずなのだが……。飽きてしまったので覚えていないのである。
 小林泰三「玩具」はエロティック小説のつもりで書いたらしい。もともとは作家仲間のエロティック小説アンソロジーに寄稿したらしいが、後書きを読むと当時は全員が自分の作品がエロくて他人は通常運行だと思っていたらしい。うん、僕もそう思う。もう1作もそうなんだけど、これ本気でフランス書院みたいな官能小説を書こうとしたつもりなら小説家として失敗したことを露わにしており(つまり文体模写とかもできないってことだから)、その意味でわざとなんだろうな。
 山本弘「悪夢はまだ終わらない」は茂木清香氏の「眠れる森のカロン」だ! これはもうそっくりで、犯罪者が反省しても社会に戻されない=反省する意味がなく復讐心を満足させるだけってところまで似ている。この手のテーマを小説にすると似てしまうんだな。しかし短編だけあって、作品としてテーマの深さが「眠れる森のカロン」に及んでいないのが惜しい。
 山田胡瓜「海の住人」。SFマンガで爽やかな読後感。でも、この助手の女の子ってAIなのか。説明されねばわからなかった。。。その後、この作品が収録された「AIの遺電子」を読んだが、非常に面白い。2010年以降のトピックが盛り込まれ、それがSFとして展開している。この作品に出会えたのは、本書を読んで良かったと思った1つ。
 飛浩隆「洋服」。写真から小説を作った作品。短編で終わるので読者に想像を任せれて良い。この小説の設定だと、このくらいの分量が良い感じに幻想的で美しいと思う。もう少し長くなると説明がくどくなる気がする。
 秋永真琴「古本屋のしょうじょ」。何だか格好良い。ファンタジーだ。そして少しいい話だ。本が好きな人が興奮する作品。
 倉田タカシ「二本の足で」。スパムメールが歩いてきたら~という作品。正直、実現するにはコストが掛かりすぎると思うので、その意味では現実には起こり得ない作品(シリーウォーカーと呼ばれる実体化したスパムは、実体化しているがゆえにいっぺんに何人にも送れないし、場所取るから一定数以上は送れないし)。読んでて思ったけど、むしろ人間か否かがわからない不気味な感覚、それも都市伝説的な不気味さを醸し出そうとしていると思った。ところで、ゴスリムだけどgothic+muslimなので、ニホン的なネーミングだと思う。
諏訪哲史「点点点丸転転丸」。短い。そしてギャグだ。しかも実話ですか。とりあえず短いので面白く思える!
北野勇作「鰻」。北野勇作氏だからやはり動物ものなのか。
牧野修「電波の武者」。覚えてなーい。
谷甲州「スティクニー」。覚えてなーい。
上田早夕里「プテロス」は僕にとっては初めてだが待望の上田早夕里氏作品である。近年の僕は極力日本の作家を読まないという誓いを立てており、上田早夕里氏は興味があるけど買うのを後回しにしていた。どこかのアンソロジーで試し読みして買おうかと思ってたけど、今まで買わなかったのを損だと思う。何でもこれって短編集の「夢みる葦笛」ってのに収録されているらしいので、少なくとも「夢みる葦笛」は買うつもりでいる。地球とは異なる惑星で、その星の生物の生態を描き、そして人類とは異なる知性のあり方を考える作品で、短いながらもSFの全てが入っていると言って過言ではない。
酉島伝法「ブロッコリー神殿」。贅沢を承知で言うと、面白いんだけど、この作風にも飽きてしまった。僕が知ってる限り、酉島氏はこの作風(造語まみれの異世界描写)しかないので、普通の文体や描写も見てみたい。これはやはり酉島氏が極めて力があるからこその贅沢なおねだりなんだろうな。読み進めていくと微妙に理解できてしまうのがアレ。
久永実木彦「七十四秒の旋律と孤独」。覚えてなーい。

 公開するまで感想どうしようと思っていたが、これで肩の荷が降りる!

「くじ」(シャーリイ・ジャクスン著、深町眞理子 訳 、ハヤカワ・ミステリ文庫、2016)

  半年ほど前に途中まで書いていた感想文だが、面倒なのでもう公開しちゃおう。

 昔住んでいた家は隣家の住人が庭に焼却炉を持っていて、毎晩ゴミを燃やしていた。僕の家の中からもその火が見えており、当時の僕はなんとも思わなかったが、今から思うとよくもまあ火事に遭わずに済んだと安堵する。僕の親もそれとなく燃やすのを止めてもらうように頼んだらしいが、隣家の人はそれに触れずにその後も焼却炉を使い続け、しかもなぜか庭がどんどん汚くなってますます火事を心配したよーと親から愚痴を聞いた。焼却炉と庭が汚くなったのは関連がない気がするが、でも言われてみたら隣家の庭が要塞みたいに僕の家の敷地から地面が見えなくなって、それでも相変わらず毎晩火が燃え続けていた。今から思い返して何よりも恐ろしいのは、その隣家の人って庭で犬を飼ってたから焼却炉の近くで犬がいたはずなんだ。犬の側で火を燃やすなんて今から考えるとちょっと変だったな。

 そんな感じで日常生活の不穏さを描いた短編集が、この「くじ」である。シャーリイ・ジャクスンの作品は怖いとか狂っているとか言われており、表題作の「くじ」もまた同様。発表された1950年頃は確かにこんなナンセンスと意地悪さと山なし意味なしオチなしな作品を好意的に見る人はいないだろうから騒動を起こして当然だろうが、21世紀も17年経った現在でそこまで嫌がる作品か? とは思う。特に比較のために読んだ「ずっとお城で暮らしてる」に比べると短編という形式で感情移入がしにくい分、感情を動かされることも少なかったし。
 そう、本書は短編集なんだけど、大きく4つにわかれ、それぞれ前説が書かれている。この前説も深読みできるんだよな。


「酔い痴れて」。子供の意味不明さ……なんだろうけど、酒癖の悪い親父がパーティ主催主の若い娘にちょっかいを出して煙に巻かれたよくある話としか思えなかった。
「魔性の恋人」。2chまとめサイトで似た話とか男女逆転の話とか読んだことがある……。この作品のキモは町の人々が新郎を探す花嫁に対して妙に冷たいという点であり、でも似たエピソードってネットの大海にゴロゴロ転がっているよ。
「おふくろの味」。うだつの上がらない(たぶん)男性が、恋人を家に招いて夕食をご馳走しようとしたが、恋人の恋人のような人がやって来て勝手に食べ始める。しかも恋人は良い格好をしたいのか、主人公の男性が作った夕食を自分が作ったと偽り、2人きりの時間を過ごすために主人公を家から追い出すというストーリー。主人公は自分の家(マンションの1室)から追い出され、恋人の家に仕方なく行くんだっけ。読んでいる最中は主人公の主体性のなさに苛立ったが、でも読み返すとリアルにありそうである。
「決闘裁判」。なぜか他人の部屋に入って物を盗もうとする老婦人とそれを嫌がる引っ越したての女性のお話。盗まれる品はあまり価値がないものの、ついに怒って老婦人の部屋に入ってしまう主人公の女性が追い詰められた雰囲気が出て良かった。その行動、あなたが嫌う老婦人と同じですよ! 部屋に侵入したのを老婦人に見られ、今後も物を盗むよと暗黙の中で伝えられたと解釈できるラストが最高に不気味。結局、尻尾を掴まれたのは主人公の女性なのだし。
「ヴィレッジの住人」。他人を騙ること。中古家具を買いにとある民家にやってきた(アメリカじゃそんな風習があるんだね)女性が、同じ民家にやってきた別のお客さんと鉢合わせし、その家の主を騙る、というお話。見栄を張り、さらにはその家が羨ましくなる心理は僕も経験したことがる。


「魔女」。電車で乗り合わせた煩わしい男の子がおじさんからお話を聞かされ大人しくなるが、よくその話を聞いてみると、とんでもない内容だったというストレートな怖い話。何というか、いかにもありそうなんだ。
「背教者」。現代日本の住人からすれば飼い方が悪いよ……以外の感想を思い浮かべなかった。動物話は時代に極めて左右されることがよく分かる作品の見本。
「どうぞお先に、アルフォンズ殿」。次の「チャールズ」のように子育て中に観察した内容を描いたのかな。大人にはわからない流行り言葉を口癖のように用いて笑う子どもたち同士の姿。微笑ましいが、大人にとっては多少苛立ちを感じ、その取るに足らない多少さがこの短編集の雰囲気とマッチしている。ちなみに人種差別がテーマであり、読者としては執拗に差別を行う母親を奇妙に思うべきなのだろうか。これも時代が異なっているので、作者が何を正常とみなしていたのかに左右される。
 「チャールズ」。読書会で聞いたのだが、これと同じお話が作者の子育てエッセイに収録されているらしい。「くじ」の文脈で読むとやんちゃをありもしない架空の友達のせいにする邪悪な子供、という感じ。一方で子育てエッセイの文脈で読むといたずら好きなやんちゃな子供という印象を受けるらしく、その違いが面白かった。
「麻服の午後」。これも時代によって解釈が異なるかも。僕は女の子の家族のどうしようもない無神経さとガサツさが嫌だったけど、人によっては嘘をつく女の子に違和感を感じる人もいるのだろうな。
「ドロシーと祖母と水兵たち」。自業自得としか思えなかった。


「対話」。非常に現代的なお話。教養がない人は、耳にした言葉の中から辛うじて自分にわかる単語を取り上げ、自分のわかる範囲で曲解するという内容。正直、こんな人と話し合うのは精神的に辛いだろうなと作中の医師に同情した。
「 伝統あるりっぱな事務所」覚えてない。
 「人形と腹話術師」。うーん、主人公のおばさん2人が下品で嫌だった。
 「曖昧の七つの型」。志賀直哉の「小僧の神様」のNGバージョンみたいなお話。教養はないけどお金のある人が、貧乏人の小僧がお金を貯めて買おうとした本を買ってしまうお話。ああ、知識を持っている小僧に嫉妬したんだなというのがわかる。正直、僕もこのような気持ちは感じるときもあり、教養のないおっさんの誰を責めることもできず嫌がらせをするしか行き場のない気持ちはわかった。
「アイルランドにきて踊れ」覚えてない。


 「もちろん」。厳しい教育ママは時として異様な信仰の徒に見えるということ。それに圧倒されるも、真っ白な雪を汚すように世俗の悪さを教える誘惑に勝てない隣家の母親の姿を描いた作品と理解した。映画が嫌う一家の子供をわざわざ映画に連れて行くなんて嫌がらせ以外の何物でもないではないか!
「塩の柱」覚えてない。
 「大きな靴の男たち」覚えてない。
「歯」覚えてない。
「ジミーからの手紙」覚えてない。
「くじ」、……実はあまり感銘を受けなかった。時代が時代だし……。今から読んでも、ねえ。確かに面白い作品ではあるけどね。

 こうして一覧にすると第三章は時代や風俗の影響を受けており、怖さを受け取りにくかった。第二章は子供に関するお話となっており、
 読書会で聞いたのだが、シャーリイ・ジャクスンは主婦業が長く、あまり世間に出なかったらしい。言われてみたら、全体的に日常を描いた作品はリアリティが十分にあった(意図的かどうかわからないが、「ずっとお城で暮らしてる」の現実感のない描写とは対照的)。

ルサルカ(Rusalka)(日生オペラ)

 多少昔の話になったが、2017年11月にルサルカを見てきた。前回のラ・ボエームは全て日本語だったけど、今回はチェコ語。相変わらず他のオペラに比べて安い癖にパンフレットが豪華でありがたい。異種婚姻話で~というのも何となくで見ているとわからなかったため、ちゃんとパンフレットで解説があった助かる。
 お話としてはアンデルセンの人魚姫に近く、比較的わかりやすい。演出も凝っていたと思うし、ちょこちょことギャグよりのシーンがあって悲劇なんだけど、笑いが起きた。
 舞台も決して安っぽくなく、十分にオペラを見た楽しさを味わえる。やはり日生オペラは素晴らしいと思った。

Development Meet and Greet in January(無限)【UO日記】


 Mesannaへ陳情するというイベントが2018年1月16日、無限シャードで開かれていた。簡単だけど、質問の一覧と返答をメモしてみる。
 項番は出た質問順、「→」以降にMesannaの回答。「()」は僕の補足。基本的にこの場では確定したことを言っておらず、ニュースレター見てねということだった。

1.(個人的なバグフィックスに関することなので割愛)
2.ブラックソンキャプテンがメンテナンス過ぎると強化される(抵抗増加)→把握してないが見てみる。
3.バルクオーダーブックを家にロックダウンしたままバルクを出し入れできるようにして欲しい→次のパブで少し変更加えるよ。
4.ベンダー検索やステータスバーの青丸を押して出てくる現在使用中の状態のところがカーソルを合わせても表示されるまでに3秒以上の時間がかかる→クライアントによるものかな見てみるね。
5.エクソダスダンジョンの周囲にパズルが合ってSP・無限だけが数年前から消えたまま→見てみるね。
6.数ヶ月前、日本の別のシャードのデブミでUOのオフィシャルtwitterの更新が止まっていると報告し見ておくと言われてそのままになっている→見るね、フェイスブックとの連動が壊れてるっぽいね
7.ベンダーの給料が今現在高い(無限)→今回は予定していない。
8.エルフにも夜景が見れるよう、ナイトサイトをオフにするポーションが欲しい→可能。議論するよ。(この提案は初めて聞いたよ、とMesannaも言ってた)
9.2Dクライアントのチャットで2つのチャンネル同時に入りたい→エンジニアに聞かないとわからない。可能だったらニュースレターで回答するよ。
10.デイビーズロッカーにバルクオーダーブックのようなソート機能を付けて欲しい→エンジニアに聞いてニュースレターに言うよ。
11.市政ストーンに各市民が好きなボーナスを選べるようドロップダウンメニューを追加して欲しい→市民が選べるようにする予定はない。
12.ゴブリンアイテムをUOストアに追加して欲しい→3月頃ゴブリンスタチューが追加されるよ。
13.テルマー博物館にMLボススタチューがあるけど、チェンジリングをトラベスティに変えて欲しい→意味不明、だけど見てみるよ(EMさんから名前をチェンジリングからトラベスティに変えるよう促されていた)
14.PUBG(世界的な人気になってるサバイバルゲームらしい)のようなデスマッチコンテンツの追加をして欲しい→意味不明(他のプレイヤーからもだったらそのゲームやれよ、と言われていた)。
15.iPadなどタブレット端末で遊べるようにして欲しい→根本からの変更が必要なのでできないです。
16.UOTD導入当初ユニコーンは専用のグラフィックがなく純白馬だった。純白馬が好きなのでまた沸くようにして欲しい→TDがないので無理です。(チャットでは白いエセ馬を販売するように提案すれば良かったとの声が挙がった)
17.家が腐り始めた途端に共有やフレンドが一斉に解除されるのを止めて欲しい。友人宅の荷物確保をしたい→家の荷物を保全するためフレンドリストを消している。課金が切れて90日あるから余裕をもってくれ。
18.クラシックハウスのステップ部分を横に拡張できるようにして欲しい→(僕も言っている意味がよくわからなかった)→(家のカスタマイズと理解されたようで)できないよ。
19.ブラックソンAFに新しい見た目のアイテムを加えて欲しい(熊マスクとかTOLドレスとか)→考えてみるよ。
20.料理スキルで作れるものをもう少し増やして欲しい(茶葉があるから緑茶以外に紅茶とか、そもそも茶葉の栽培をさせて欲しい)→農業スキルなどという話題がEMから出た→見てみるね!

 ちなみに我らがMesanna様は狂気のアイテムを装備しており、

こんなのは序の口で、もっと狂っているのは
これじゃ。
 さすが開発の偉い人である。

質問者たちもちんまりと整列してて可愛らしかった(テレポーターが質問者列)。
 そうそう、この場では発言ができなくなっており、全員このデブミ用のチャットに入って雑談していた。コミュニケーションクリスタルでMesannaと質問者と翻訳のEMさんの会話を傍聴席に伝える形だった。

 色んな変更が実行されて欲しいな。



※2018/1/17 見直すとかなり誤り、または意図不明な文章だったので、修正した。

2018年1月12日金曜日

「スチーム・ガール」(エリザベス・ベア著、赤尾秀子訳、東京創元社、2017)

 面白い作品である。タイトルからスチームパンクな世界とわかるが、実はあまりそこら辺のテクノロジーに重きを置かれていない。
 史実とは微妙に異なる発展を遂げたアメリカが舞台なのだが、著者があとがきで色々元ネタを語っているように、蒸気技術の発展と史実を元ネタにしたキャラクターや地理が良い感じで混ざっており、不自然さを感じない。むしろ、あらすじに書かれている「蒸気駆動の甲冑機械」とやらを期待したら裏切られるだろう。読み進めて時々現れるオーバーテクノロジーに、この作品がスチームパンク系の世界だと改めて思ったほどだ。

 本書はマイノリティのごった煮のような作品だ。マダムは黒人の血が流れており、プリヤはインド系、黒人の保安官にネイティブアメリカンの助手、中国系のハンター。主人公のカレンも完全な白人アメリカ人ではなかったし(アイリッシュだったっけ?)、彼女が所属する娼館はゲイやMtF(だっけ?)も仲間として信頼されている。ついでにカレン(女性)はプリヤ(女性)にごく当たり前のように恋をする。男性だけどロシア人もいるし終盤にはインド系がたくさん出てくる。こうなると薄々わかるが、ストレートの白人アメリカ男性は当然敵である。
 本書を読んでいるとアメリカは昔からある種の多様性が尊重されているとも思えたが、著者が言うには社会から阻害された人々らしい(訳者あとがきの中盤参照)。とは言え、主人公の勤める娼館にはお得意様が市長な娼婦もおり、相手にしている客のレベルも高いので市の社会から阻害された悲壮感は感じられない。安心して読めるんだけど、物足りない感もあった。(なお、当時のアメリカの多様性はここに書かれているが、主流から排除されつつも色んな人種がいたらしい)。

 また、最大の特徴は、娼館が舞台で主人公も娼婦で、作中何回か体を売っていると思われるのだが、そこら辺の描写は一切ないことである。何と言っても主人公の勤める娼館が高級路線であり、どうも食事をしたりパーティを行ったりするのがメインだからと思われる。そのため主人公の境遇に悲惨さも生々しさもなく安心して読んでいられるんだが、当時のアメリカでどこまで真実なのかがわからん。ワタクシ勉強不足な上に世間知らずなので、こういう世界があるのかしら(現代日本だと高級なキャバクラに近いとして理解していた)。よって、カレンのプリヤへの恋はかなりロマンティックに、プラトニックに描かれる形になっており、これ何かに読後感が似てるなと思っていたらあれだった。恋愛シミュレーションゲーム。
 恋愛シミュレーションゲームは極めて理想化された恋愛を主題にしているが、この作品も同じではないかと思ったのだ。良くも悪くも主人公の立場は本書の世界の中では恵まれており、日々の「仕事」とは別に恋愛にうつつを抜かせる立場にあるわけで、上澄みの恋愛を楽しむようなジュブナイル物なのかなあと読んでて思ったのだ。これは否定的な意味ではなく、「現実」に汚されてない光景を、「現実」に疲れた人やこれから「現実」に飛び込む人が楽しく読むための本だと感じた。
 とは言え、この作品はカレンの手記という設定なので、単純に言いたくないから書かなかっただけかも。僕が真剣に考えたような理由もないかもしれぬ。

 他には、頭の悪い登場人物やご都合主義の展開もなかったのは高ポイント。物語を展開させるため主人公を猪突猛進にして困難を降りかからせたりする作品があるが、そういう展開って決まって主人公の頭の悪さに反感を覚えるんだよね。本書では、マダムから事件の深入りを禁止された主人公は何と言いつけを守る。もちろん裏でコソコソ動くんだけど、一応はほとぼりが覚めるまでじっとしているのに好印象。主人公、賢いじゃん。
 そのため物語を展開させるのは敵からのアクションということになる。それも、最序盤に主人公が何の気なしに放った一言が気に障ったという理由。いやもう器がちっちゃい、ちっちゃいんだけど、そもそも敵は陰湿でねちっこくて性格が悪いという設定になっており、小娘の発言を延々と恨む描写で納得したので中々伏線の張り方が上手い。この敵の描写だけでも作者の別の作品を読んでみようかなと思えた。


 と、かなり楽しく読めた。連続殺人事件が起きるは、敵のアジトへ潜入するは、百合展開(レズビアンというほど現実感はない気がするけどどうでしょう)、蒸気の甲冑(というか作中では半ばガンダムみたいな巨大ロボットのような印象を受けた)を着て戦うは、潜水艦から脱出するは、最期には大ダコと戦う! こんな冒険物語にマイノリティや性別の問題を絡めるんだから極めて意欲的で、でも見事に成功していると思う。SF臭はほとんどしないので、SF嫌いの人にもおすすめ。スチームパンク要素は主人公が戦って勝利するために設定されたと思われる。
 ところで、作中に出てきたマッドサイエンティスト税の文字列を見るたびにエンターテイメントしてるんだなあと感じた。